呼吸の肩。への応援コメント
なんとも不思議で素敵な世界観のお話ですね!
水中で人間が暮らしていて、自分のお墓参りを地上にしに行くなんて驚きです。でもおそらく、んーたちにとっては日常の出来事なのでしょう。
水中だから、パンの香りが沈殿したり、張り紙でなくて張り布になっていたり、描写が丁寧だと感じました。
数字が振られて文章が分かれる部分が特徴的ですね。
片方は会話内容のみを、片方は情景描写という感じに分かれていて面白いです。番号が振ってあるので、読みにくさもさほど感じませんでした。
仮に数字がないと読みにくくなると思うのですが、そうすると東に傾くものなのでしょうか。
最後の、67はそれまでの分岐とは違い、文章そのものが揺らいでいるようで(それこそ風で揺れる水のイメージが浮かびました)、強く引き込まれました。
個人的に一番不思議なのはタイトルです。呼吸する時の肩の上下運動を指しているのではないかと思うのですが、文章中で何度も描写される『あぶく』ではなく、『肩』なのが興味深いです。
私は北北西かつ北東かなと感じました。
呼吸の肩。への応援コメント
企画より拝読。
真北でも北北西でも北北東でもなく「北1/3、西1/3、東1/3」という宣言がしっくりきました。明確に「この部分はこの方角の持ち味を活かす」という書き方をされていますね。
個人的に見慣れない東的な部分が特に目を引きます。1・2と並列して書かれる表現の仕方、そこから3・4・5と行が増えて、さらに67では行が入り混じるこの表現は、さまざまな情報が受け身のうたにわーっと流れてくるような感覚でおもしろかったです。
水の中の幻想的な世界を表現する単語チョイスもおもしろかったです。このあたりは北のおもしろさですよね。
読んでおもしろくて、勉強にもなる作品でした。
呼吸の肩。への応援コメント
とても綺麗で、不思議で、興味深い作品でした。
ストーリーとしては、水中から陸上へお墓参りに行く、というもののようで、面白いと感じました。んーが暮らしている場所の様子も、描写から想像しやすく、こんな暮らしも素敵だなぁと思いました。
また、いくつか数字のふってある文がありましたが、すぐにどう読むのかが分かりました。同時に起こっていることを、こんな形で表現するのは面白いですね!
これは「小説で映像を表現する」に当たるのでしょうか。とても面白いです。
三つに分かれているところは、「陸上」「んーの心の中」「水中」で起きていることなのだろうと読みました。これもまた面白いですね!
最後のパートは何か二つが混ざっているように感じましたが、これは言葉に出来るものではないのかな なんて思いました。
方角、北西かつ北東を宣言されているそうですが、私にはそのどれもが感じられました。
ストーリーが分かるところに北を、「小説で映像を表現する」ようなところに東を。んーの心の中を表している文章や、私たち人間とは違ったところに暮らす『んー』たちを、飾らずに表現しているところに西を感じました。
私は特に東向きに興味を惹かれましたが、バランスはとれているのではないかと思います。それぞれの面白みが感じられて、良かったです!
呼吸の肩。への応援コメント
童話のような絵画のような、不可思議な世界観と美しい描写。
とても不思議な読み心地でした。
数字パート、おもしろいですね。ここが東でしょうか。
水中から地上へのお墓参り。それが自分の生墓であるということ。それに指を這わせるという行為にどんな意味があるのか。このへんが北向きかなと思いました。
水面に広がる波紋のような、あるいはくりかえし出てくる『あぶく』のような、文章そのものから感じたイメージは西向き。
しかし、ほかの方のコメントにもありますけれど、作品全体を見るとわたしも南向きに感じられました。
分解して見ると確かにそれぞれの方角がはいっているようですのに。
純粋にとても魅力的な作品だと感じましたが、そういう意味でもおもしろいなと思いました。
編集済
呼吸の肩。への応援コメント
おおお。
これは独創的ですね。
水中から地上へお墓参り。
それが自分のお墓だったと!
竜宮界は霊界の中の一つ、と言われてたりもしますので、そんな霊界と地上を結ぶバスツアーがあっても変じゃないですよね。(変だろ!)
とりあえず気になったのがバスです。
これはきっと、ディーゼル・エレクトリックです。潜水艦と同じ。
排気管が天井にあるから多分間違いない。
基本的に蓄電池の電力でモーターを回して走ります。
水中ではスクリューかジェットポンプ。地上は駆動輪。空気中ならディーゼルエンジンが回って蓄電池に充電します。浅い海ならエンジンが回せるので排気管(と給気菅)は天井にあるのが合理的。また、この方式は動力の切り替えが楽でクラッチやトランスミッションが不要なのです。水中陸上両用車ならこれしかないでしょう。
次は謎の数字。
これは多分、絵画で言うところのキュービズム的表現ですね。
小説の場合、視点の変更には色々制約があって難しいんですが、これだと複数視点を同時進行で立体的に書けますね。こんなやり方があったんだと目から鱗でした。
でも読みにくい。
そして最大の謎がこの世界観。
地上は滅んでいるのか。
水中では栄えているのか。
それとも、双方で人が生きているのか。
さっぱりわかりません。
主人公の〝んー〟のお墓が地上にあって、バスが地上と水中を往復しているので敵対関係はないようですが、地上は静かで他の人はいないみたいです。
どうなってんの?
この奇妙な世界が美しく立体的に描写されているのは純文学的で西向き。
しかし、キュービズムを取り入れたであろう表現方法は実験的で東向き。
一風変わった終末的世界観はエンタメ的な北向き。
さあ、どうしますか?
私は敢えて真北だと宣言したい。
きっと水陸両用戦車とか、水中発射戦闘機とか、色々出てくるに違いない……から。(出ねえよ!)
感想は以上です。
編集済
呼吸の肩。への応援コメント
んーが可愛い。ワンピースも可愛い。色が綺麗。世界が綺麗。ジブリを感じました。ジブリとコナンぐらいしか映画を見ないのもあるのですが。
今、ちょうど見ているコナン映画が離島の話で、海が綺麗で。海の中、光、キラキラ―って感じも綺麗で。綺麗だなーって思っていたところなので、そことも似た世界を感じましたが。
数字は最初は、ん? って思ったりしましたが、
しばらくしたら分かったり、読めたりして。
動きがいっぱいで、そういうのも楽しいなと思ったり、
数字とか見ながら、何度も読んでみて、
読みながら遊んだ感じでした。
方角は、目的のために行動していて、ストーリーがあるので北。
数字は東。
なんとなく主人公の個性と言いますか、西も感じました。
というわけで、北東西。という方角が存在するかは分かりません。
呼吸の肩。への応援コメント
遅くなりましたが感想を書きたいと思います。
冒頭から、水中なのだと感じさせる語彙・書き方・独自の造語に惹かれました。水中だから香りは空気中を漂うのではなく「小麦の香りが周りに沈殿する」。水中だから足をぶらぶらすると風が起きるのではなく「流れが起きて塵が動く」。地表の空の下ではなく水の中にあって、地表の天気にあたいするものは潮の流れであるから、晴天ではなく「凪下(なした)」。
こうした語彙・書き方・造語を用いることで、異界の様相を設定を説明するような書きぶりではなくさりげなく書いていると感じました。
しかしさりげなく書きながらも字面や文脈から説明はなくとも推測できるように工夫されているので、作者のフィンディルさんは決してなにげなく書いたわけではないだろうと思います。表現しているものはまったくちがいますが、前回の方角企画で私の参加作品で用いられている技術についてフィンディルさんが名づけた、「わからなくても何となくわかるようなかたちでわからない語彙を頻繁に用いる」技術が使われていると感じました。
「わからなくても何となくわかるようなかたちでわからない語彙を頻繁に用いる」技術はいうまでもなく思考に支えられた書き方ですが、本作では頭でっかちさは感じさせず、むしろ幻想的な空気感を構成するのに用いられていると思われたのが興味深かったです。
そしてどうしてこういう書き方をフィンディルさんがされたのか、あるいはこういう書き方をすることで本作にどのようなおもしろさが付与されているかを考えると、「世界の広さも、知ろうとは思わない」という終盤の一文が思い浮かんできました。
本作の場合、説明するとなると、この水中世界と他方の地表世界のことを相対化することになると思います。地上ではこうだが、水中ではこう、といったような。開けた思考で、俯瞰的な視点から、相対化された世界を書くことになる。けれど「世界の広さも、知ろうとは思わない」んーには、ふさわしくない書きぶりだと思います。
本作を読んだとき、幻想的な空気感と寂しさを感じました。幻想的な空気感はどこから感じるのかとえば、わかりやすく現実世界とちがう異界を描いているからだと考えられますが、では寂しさはどこから来るのか。私はんーの「世界の広さも、知ろうとは思わない」という内向きさから感じたのだろうと思います。
本作を読んで、「スーヴェニールみたいだな」と思いました。スーヴェニールとは、日本だと冬に売られるスノーボールのなかに、観光名所の象徴的な建物を詰め込んだ、ヨーロッパの土産物店に売られているお土産のことです。日本のほかの人にあげるお土産とちがい、スーヴェニールは自分のために買うもの、旅で訪れたその場所を思い出すために買われるものなのだそうです。んーを中心として書かれた作中世界を眺めていると、このスーヴェニールを見ているような気分になります。特徴的な建物、閉じた、変わらない静かな世界、そこに降り積もるラメのかけら。その一隅にんーはいて、外へ出たいとも外を知りたいとも思わないんだな、と想像を巡らすと、私は寂しさを感じます。んーの内向きさに寂しくなるのは私の個人的な感性の問題とも思います。人によっては理解や共感や「そうなりたい」という憧れを抱くかもしれないと思いました。
というのが本作の西的な部分への感想です。
東的な部分は、1・2・3……と数字が振られた文章群だと思われます。1~5の文章は何であるかあまり解釈のわかれるものではないと思いますが、一応私の解釈を以下に書いておきます。
1はんーとテテアの会話風景だけを第三者の視点から書いた文章。2はんーとテテアの会話内容。
3は地表の様子。4はバスに乗っているんーの心情。5は水中の様子。
これらの文章が時系列ごとに並行し述べられている、同時発生のものごとを並べて書かれている、のだと解釈しました。
なんだか映像作品で作成される絵コンテの、文章の部分だけ抜き出したみたいだな、と感じました。
そして他の方も多く言及されている67の文章群については私もお手上げでした。67
は67
(ろくじゅうなな)ではなく6と7で、元々別々の文章なのが、67という表記の通り混ざり合っている? ならば元々の文章を復元できるのか? などと考え、しばらく呻吟したりしたのですが。その一方で1~5までは東100%なのが67では西が混じっている? ならば元々の文章を復元するといった理にかなった解釈をするべきではないのか? とも考えました。「生前墓」ではなく「生墓」とは何なのか、最後の地表にいるはずなのにんーの口からあぶくが溢れてくるのはなぜなのか、そして「呼吸の肩」という謎めいたタイトルと同じように。
と考える一方でいや私にはわからないだけでやっぱり何かあるのかも……と疑うようになり、しかしやはりわからない、わからないがやっぱり何かあるのかも……というループにはいってしまったのが感想を投稿するのが遅くなった理由の一つでした。
最後に本作の好きな文章をあげたいと思います。
「まずはわたしはわたしを知って。わたしの色を知ったうえで、何物にも染まらないようにする。」というんーが身にまとっている色彩が「月白のワンピース」と「濡羽色の髪」なのはいいなと思いました。黒と白は彩度を色相をもたない無彩色で、色であって色でないので。地表にあがると「純白のワンピースと漆黒の髪」と表現が変わるのもいいなと思いました。
「天窓から薄い光の指が四本入る。テーブルを撫で、んーを撫で、温かい。」という冒頭の一文をたまに思い出します。日差しが部屋の中に入ってくるのを見るのが好きなのですが、日差しを指、日差しがあたるのを撫でる、と見ると、またちがって見えてきて、「呼吸の肩」のことを思い出しながらしばらくぼんやり眺めることがあります。
お読みいただきありがとうございました。