愚者と愚者


 まずは模倣。そこから話は始まる。


今淵いまふち禍太郎まがたろう


 苦手だった。嫌いだった。あなたのことはどうしても無理だった。どこにも目に光がないのも、一切口元が緩まないのも、うつらうつらというより、うつろうつろとしたその表情、なんとも言えない不快感。付けられた影の全てが闇に思えた。



 脳を見て脳が不快だと下すなんて、まったくもって矛盾だぜ。自傷とも違う。鏡とも違う。自分自身を見て自分自身を不快だとは言わないだろ? 醜悪やらはあるかもしれないがな。

 ぐしゃぐしゃの脳をぐしゃぐしゃの脳が見て不快だなぁってさ。

 愚者が愚者を見て不快だなぁってさ。

 まったく馬鹿で阿呆で間抜け。

 いったいいつまでこうしてんだよ



 思ったよりも弱かった、僕のためのおまじない。心がまるで割れていた、そんな僕のおまじない。

 一年前の、生まれた時から、


 

 


 繰り返し唱えて、僕は現状を受け止めた。

 小さな器、弱い器、それをただ腐らすだけの逃げ台詞。

 言う度に、何者かへ変わる気がする。

 自分は一体誰なのか、今の僕は知っているのか。


 ギンと目が合って、時が戻ったことを確認した。そして今回から、ループできるからって人間性を賭けるのも捨てるのもやめた。

 自分以外が自分のせいで死ぬのを、黙って見るのはもうできない。

 もう僕の心は、結構そういうの、無理になってしまったらしい。

 自分で決めたこと、何も守れない。弱い。

 だから、僕以外に解決してもらうことにした。

「海見!」

 満面の笑みで、ギンと話していた海見さんに話しかける。

「ひゃいっ……!?」

 やっぱり僕のことは怖いらしい。笑ってるんだけど駄目なのかな。あはは。

「なっ、なんだ!? 怖いぞ某太郎!」

「あははは、なんだよ人の笑みを怖いなどと。ぶっころすぞ、ははは」

 頬を抓って笑みを保った。

「はははは、お願いします助けてください、あなたの力が必要なんです」

 無意識に、海見さんへ一歩二歩と進んで、覆うよう立ち塞がっていると、ギンに腕を引っ張られて、リビングから廊下へ連れていかれる。

「な……なんだよギン……」

「なんだはお前だ某太郎。とち狂ったまんまじゃねーか」

 頬をパシパシ叩かれた。この笑みはこれだけ妙だろうか。

「エッ………………? あぁ……そうかな……」

 ああ、そうか。

「焦ってたのか……狂ってたのか……」

 知っているより壊れていた。思っているより溺れていた。おかしくなろうとしていたのか、既におかしいだけなのか。諦めたかったのか、また死んでいたのか。


 

 


「海見に架空の作品として、あの火事の話をしてくれ。もう捨てるのは嫌だから」

 もう僕は他人に乞うしかないのだから。

 こんなループはダメ。こんなものはゴミ。こんなものはクズ。

「僕は頭が鈍くなったから、一人になって頭を冷やす」

 ギンは「わかった」とだけ言って、リビングに戻った。

 僕は、一階の使われていないトイレへの扉にもたれかかった。

 これはさすがに、やりすぎだろ。

 発熱しているのかと勘違いした。そんな気だるさが急に僕を襲った。狂って笑気正気になった反動だった。頭の後ろが痛くて、自らの手で撫でていた。

 視界に奥行きがあるのか分からなかった。黙って天井を眺めていた。心臓が鳴る度、歪んで揺れていた。

 演技でもない。禍々しい。頭が悪い。


 狂ってちゃ、何も救えない。


 僕の目的だって、果たせない。


 僕には狂えない理由がある。

 たった一人の肉親を、いなくなってしまった妹を、探さなきゃいけないから。



 ずる賢い子供だと言われた。よく怒られたけど、悪戯好きは治らなかった。一日二回、偽りの祈りをして、明日にはどう悪さをしてやろうか考えていた。抜け穴というものにそそられた。貰ったゲームも、仕様の穴を突いていた。バグやグリッチが好きだった。見つけては妹に自慢した。

 うちには色々遊具があったけど、僕たち二人は、誰かと同じグループに属すようなことが嫌いだった。纏まりたくなかった。仲良くなれるやつはいなかった。大人達は心配していたけど、別にあっちもそんな感じだった。妹以外とは遊びたくなかった。

 ひとつ、抜け穴を見つけた。

 みんなが集る木製のアスレチック。雲梯の上に登ってそのまま歩いて、滑り台のある屋根の上に登ると、フェンスを越えられた。

 戻る方法は考えていなかったけど、僕達はすぐに外へ出た。

 毎日午後五時に来る車についていくと門が開かれるので、それに混じって戻った。

 特別目立っていた訳でもないので、誰にも気づかれなかった。


 すぐ近くに、誰もいない公園があった。


 汚れたブランコを漕いだ。

「押してやろうか?」

「怖いからやだ」

 鉄棒で逆上がりをした。

「私もやる」

「お前はあっちだろ」

 動物の遊具に名前をつけた。

「松風!」

「もっと可愛い名前がいい」

 滑り台を逆から登った。

「なにやってんの?」

「足跡ついちまった」

 シーソーは一人でも遊べた。

「なんで一人でやってるの?」

「お前軽いもん」

 ジャングルジムの一番上で見下ろした。

「来れるもんなら来てみな」

「下ろしてやる」

 水飲み場でがぶがぶ飲んだ。

「喉乾いたの?」

「はらへったんだ」

 僕は砂場じゃあまり遊ばなかった。

「山作ろ」

「手汚れるだろ?」

 けれど妹が遊んでいたから、つられて山を作った。

「俺の方が大きい」

「トンネルないし」

 砂場では、小さなダイダラボッチだった。

「川作ろうぜ」

「池の方がいい」

 口の中は砂利の味がした。

「うぇ」

「どうしたの?」

 幼児用のブランコにバッグを置く中学生が怖かった。ずっとなにか分からない話で騒いでいて、怖かった。

「今日は、帰ろうぜ」

「なんで? 遊ぼ」

 ずっと空は高かった。

「今日は曇りだね」

「あれは晴れだろ」

 世界は小さかった。

 それが世界だった。

 それだけで良かった。


 僕と同じ今淵という苗字で、四歳下の妹。普通に同じ黒い髪、普通に同じ黒い目。僕達は普通に仲が良くて、普通に唯一の肉親で、普通に心の支えで、普通に一番大事な者同士だった。

 あいつが欠ければ僕は死ぬ。

 僕が欠ければあいつが死ぬ。

 だから互いのため、互いに死ねず、互いのために生きてきた。

 順調だとは言えないけど、決して不幸ではなかった。本当に色んなことをしたけど、妹は大学に行った。


 幸せだった。

 一年前のあの日、妹が失踪するまでは。


 ────あのトラック

 そう、あのトラック

 ぜんぶあれのせいだった

 妹がいなくなったのは、

 妹が今居ない理由は────


「……………………」

 十数分、または数十分。

 僕の視界はやっとまともになって、僕の思考がまともになったかは自分じゃ分からなかった。

 だけど、自分が異質になっていることはわかっていた。

 だから念の為、僕はもう一度、心で唱えた。


 

 


 僕は今淵いまふち禍太郎まがたろう。趣味は文学美少女を探す深夜徘徊。特技は人が嫌なことを進んでやることです。

 人を探しに徘徊するのが日課なんです。

「あ…………あのぅ」

 弱々しい声、あの時と同じく、一瞬聞き逃すほど微かだった。

 《海見カイミ遠避トオザ

 自分の部屋へ戻るのか、リビングから出てきた。しかし、前回もアルコールが入ってないとまともに話すことも出来なかったというのに、あんなことをした僕に話し掛けるとは。

「…………これぇ……よかったら……」

 海見が渡してきたのは、一枚のメモだった。

「……間違ってるかも…………でも……いや……ごめんなさい」

 メモを確認している最中に、階段をゆっくりと海見さんは上る。一体なにかと思ってそれを読んだ。

 内容を理解して、メモを掴む手が少し震えた。

「助かった……!! ありがとう……!」

 義理として、言っておかなければならない。そう感じずにはいられない。

 階段を上る彼女は一度振り返って、会釈をしてからすぐに二階へと駆け上がった。

 ギンが海見に伝えてくれたのだろう。このペンションが燃えた未来の事件、それの問題点だった。


 この幸運……この展開……まさしく……!!


「……この手に、神が宿っている……」

 興奮から体勢を崩してしまい、反射的にトイレのレバーハンドルを左手で掴んだ。

「おっと…………」

 熱くなってしまったとはいえ、ふらつくのは結構ヤバいか……?

「ん……」

 もう一回、レバーハンドルを掴んだのだが、全く動かなかった。

「…………使用不可って聞いてたけど、そもそもレバーが動かないのか……」

 否、鍵が閉められていた。しかし人の気配はせず、そういうものみたいだった。


 それから時間が経って、實さんに部屋へ案内してもらった。


 三回目、もう見知った部屋だ。徹さんから荷物を受け取って、部屋に置いた。

「んじゃあ、海見がくれたこのメモの……」

「某太郎」

 ギンは後ろで手を組み、無理して微笑んだ。

「大丈夫か〜……?」

 初めて見た、女鹿野路銀のこんな表情かお

 無理してでも明るく振る舞うようなやつの、限界ギリギリの笑み。

「……ダメそう」

 僕はここまで實さんに案内してもらったが、名乗った時以外、一度も言葉を交わしていない。

 少し休んでも、無理だった。

 あの光景を知っているから


 精神こころがゆっくり、すり減っていることに気づいた。人の死があそこまで響くものだと知らなかった。命の尽きるときが、酷く嫌な顔だった。気色が悪い訳でも、醜悪な訳でもない。

 悍ましく、悼ましい。

 可能性──────畏怖if


 もしも、少しでも僕に、人を助けようとする気持ちがあったら、は死ななかった。


 僕がアイツに名乗った刹那、

 口角を挙げずに笑った、自分おれが言っていた。


「──────お前のせいで」


 笑っていたから僕も笑うしかなかった。


「でも、先生、あんたが──」

 うわ言だったから、ギンには聞こえなかったと思う。


 立っていられず、畳に座ってメモを見た。

「狂ってる場合じゃ、ねーんだよなァ……」

 海見のメモによると、その事件は犯人の動機がないとのこと。


 なんせ、下山が出来ないのにペンションを燃やしても、ただの自殺行為だろう?


 当たり前のことだから気づけなかった。もしも火事を起こすとして、メリットは食糧程度。しかしそれも下山の目処が立たなければ無意味だ。だというのに、足音の者はガス爆発。しかもそれだと犯人も火災に巻き込まれてしまう、とのこと。デメリットしかない。

 それに、目覚まし。サラッとスルーしていたが、携帯でもなんでもなく目覚まし。それがペンションあるというのがおかしい。

 その犯人が持ち込んでいない限りは、ありえない。

 更に管理人の實だけが知っているはずの、地下室を知っていて、しかもその鍵も持っているなんて、それなりの理由があるはず。

 そんな特別な理由を持つものが、食料欲しさに火災を起こすとも考えられないから、下山の目処が立っていようと、また別の動機が必要。

 それこそ誰かを殺したいという殺意。そのためなら誰を殺しても厭わない狂気。

 それがないと、これは成り立たないのだという。

「まだわかんねーことばっかじゃねーか」

「探偵からしたら穴だらけの推理物と思われただろうな……」

 しかも計画的な放火殺人だろうから、これ以上に他の要素、トリックという思い込みも加算される。

「……トリックなんか……わかんねえよ」

「やり直すのも、怖いんだもんな」

 もうメンタルがクランチな音を奏でている。僕は絶対に魔術なんか使えないだろうな。


 チクタク………………チクタク………………チクタク………………

「もしも思い込みが、事件じゃなくて犯人に使われていたとしたら」

 もしかしたら、食料さえあれば下山できると、本気で思ってしまったんじゃないだろうか。

 これは間違った憶測だけれど、それほどまでに強力なんじゃないか?

 思い込みという、呪いは。


 大間違えの問題に、

 誤答をくれても正答だ。


「でも、それじゃあ誰が犯人なんだ?」

 今、完璧に解決出来るもんじゃないけど、少しでも候補は減らした方がいい。そう思ってか、それとも単なる質問か、ギンは疑問を投げかけた。

「そりゃ、あの時地下室にいた僕、ギン、實、徹を除いた五人だろ〜……?」

 額の汗を左手の甲で拭う。少し長めの瞬きをして、口をもう一度開く。

「だから……海見、波佐見、実世リアル、命婦……藤堂さん……」

 言葉が詰まった。

 ぴったり塞いでしまった唇を、小さく開いて、息を吸う。

「いや……」

 この中に、犯人がいる?

「いや……」

 ないだろ。

「某太郎。私が調査するから、お前は今日休んでろ」

 突然だった。いや、足踏みをしていた僕が悪かった。そして、それを、その言葉を、

「……頼んだ」

 否定せずに、緩りと受け入れてしまった。


 ギンは部屋から出て、調査をしに行った。

「………………」


 ──────嫌になる。


 いつまでギンに甘えている?

 僕はいつまで幻覚に悩まされている。現実は今、過去は過去、別次元の話。別にあの瞬間の實。僕が殺したわけじゃないだろ。


 眠らないために、座禅ではなく、カーテンを開いて、白と黒の色のない世界を見つめる。

 窓は反射して、僕の姿を映す。

 僕が僕を見つめていれば、僕が眠ることもないだろう。

 なんせ、僕が僕を見つめているんだから。

「………………」

 お前だよお前、見てんだろ、聞いてんだろ、感じてんだろ。さっさといなくなれよ。死んでくれ、消えてくれ、亡くなってくれ。

「そこにいるお前だよ」

 折れてんだろ、じゃあ祈れ。得意技だったんじゃねえのか? 偽りの祈りはお前の人生だったろ。いつものように二回繰り返せ。

 やれよ、今すぐ。

 やれよ、今すぐ。

 その罪だらけの人生に早く罰を下して救いを求めろよ。壊れかけなんだろ? 動いてんじゃねえ、止まれ、お前の時代も世代も終わったんだよ。どうしようもない人生はどうしようもないまま終わったんだよ。生涯の目的も果たせなかったまんまだけど、人の幸せを壊すことしか出来なかった人生だけど、良かったじゃねえの。こうして生きていたんだから。

 な、だから死ね。

 誰も信じられないんだから。

「どうせ疲れたんだったら、くべろや」

 くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろ、くべろよグズ!



 ずっとあの人から言われていた。


 ──腐ってるのはこれじゃなくてあんたでしょ?


 ──どうせ何も出来ないんだから、あいつと一緒にどっかいってよ


 ──消えてよ、あんたら。私の人生の邪魔にしかならないんだから


 ──お願いだから、最期くらい言う通りにして



 互いに死んで欲しかった。欠けて欲しかった。消えて欲しかった。どうせくだらない人生なんだから、邪魔だけはしないで欲しかった。血だけは繋がっていて欲しくなかった。縁なんてない方が良かった。別々の人生で生きていれば、勝手にあっちが破滅するだけなのに。


 もういないやつのくせ、

 ぼくの記憶にこびりつく。


 そういう膿んだ、悪性の思い出。


「くそっ」


 窓が嫌な色をしていたから、カーテンを閉じた。

 一回くらい、知らない誰かに代わっても、許して欲しい。だって思いのほか、この体って重いんだ。

 あいつがこの目にいる限り、僕の血液は腐り続ける。

「もういっぱい頑張りました。言いつけを守りました。先生、先生、先生、先生、起きて、先生」

 この悪い夢を覚ましてくれるなら、もうどうなっても構わない。

 ほんとにどうか、

「代わってください────」

 目を瞑ることはもうなかった。

 今の自分が何を求めているのか、僕はそれを知らなかった。



 部屋がノックされる。ギンが帰ってきたのかと思ったけど、そもそもそれじゃノックなんてするはずなかった。誰だろうと扉を開くと、そこには命婦夜美メイフよみがいた。

 時間は、午後八時三十二分。

「ちょっといい? できれば先にお風呂入りたいんだけど」

 そうか、風呂の順番を決めに来たのか。

「あぁ、構わない」

「あれ、あんた名前なんだっけ? いや、聞いてなかったか」

今淵禍太郎いまふちまがたろう。あんたの名前は知ってる」

 無意識に、僕は命婦から目を逸らしていた。話していると目を合わせるのが怖くなった。

 今の僕がどんな目をしているのか、反射するのが嫌だ。

「今淵さん。路銀って子も一緒の部屋って聞いたんだけど……苗字、違うわよね。恋人関係?」

「いや、違うが」

「じゃあ一体全体──」

 右手をパッと開いて、何かを言いかけたが、聞くのを辞めたみたいだ。

「詮索する気は無いし、私がよくそうしてるってだけだけど……人間関係面倒になったら、リセットするのも手段のひとつだから」

「別に──」

 今回、言うのは初めてか。

「ただの、だ」

 

 知り合いでも友人でもなく、僕らは他人。



 少しでも、使える状態にしなきゃいけない。あいつが帰ってきた時、まだ傷心中だったら見てられない。

 僕は少しでも心を癒そうと、あるものを取りだした。

 原作、《宇良うらニナル》

 僕のバイブル、ナジミシルエット。

 通称贋作シリーズ、その一作目。

 内容はこう。

 交通事故で亡くなったはずの幼馴染、そのが壁や物に映って見えてしまう主人公。

 幼馴染の声で話しかけてくるシルエットのせいで、高校生活に支障をきたしてしまい、周囲から孤立する。シルエット自身も主人公の作った幻覚だと思っていて、治すためのを書く物語。

 その後は、カルテをクラスメイトの一人に見られてしまって、創作だと勘違いされ、漫画を書こうと誘われて。なんやかんやあり、個性豊かな友達ができる。

 シルエットを作ったのは孤独による不満、だと思い込んでいた主人公とシルエット自身は、それでも消えないことに多少の違和感を抱えて、ストーリーは進行する。

 シルエットはただの幻覚なのか、だとしたら幼馴染とシルエットは本物と偽物なのか。

 シルエットは自分が偽物であることに悩み、主人公は突然目の前から姿を消したシルエットを探す。

 最終的にシルエットは幼馴染の生霊という展開だったのだが、それに気づくまで中盤から終盤までシリアスな展開が続く。

 青春すれば影がさす。

 帯に書かれたキャッチコピー通り、最後は青春することで、シルエットが戻ってくる。

 影のない青春はない。そんな物語だ。

 僕はずっと前からナジミシルエットが好きだった。とても好きだった。贋作シリーズの全てが好きだった。

 だが、シリーズが完結して……今から一年ほど前から読んでいなかった。


 今読んで、分かったことがある。

 これは今の僕にとって毒であること。それと同時に劇薬であること。

 馬鹿につける薬として、これは最適解だったこと。

 僕は左手で目を覆って、右手でナジミシルエットを閉じた。

「贋作」

 偽物を作ること。また、その偽物のこと。

 作者ではない人物が、作品を模写トレースし、更には名を騙る。

 主に芸術作品、レプリカとは違い、本物と騙る事が問題。

 本物と騙る事が、大問題なのだ。

「…………ぎん」

 真作、偽作、戯作、傑作。または違作に遺作、快作に怪作。創作盗作、倒錯的創作、捜索的盗作。

 ──それともやはり、贋作なのか。


 僕は時計を読む。偽物ばかり病人ばかり、語ることない騙り話。フィクションに勝らぬファクトなストレンジ。

 終わりを望む。終わりに臨む。できれば早く、世界の終わりを。

「…………行かなきゃ」

 二十三時になりかけの頃。僕は電気を消して部屋から出た。

 向かう先はリビング。扉を開くと、そこには三人。ソファに實、そして、今来たばかりであろう徹と、

「──────藤堂さん」

 黒いコートに黒手袋、全身黒ずくめの怪しい格好で身を包んだその人は、振り返って僕を見た。

「…………君は」

今淵禍太郎いまふちまがたろう

「あぁ、女鹿野くんと共にこのペンションへ来た……確か、の今淵くんか」

 誰よりも仲の良い他人。興味が湧いたような顔。端的に言えば、そのワードが彼に刺さったのか、その人は不敵に笑った。

「それで、どうしたんだ? 何か聞きたいことでもあるのか」

「はい」

「奇遇だな、俺もいまさっき聞きたいことができた」

 覚悟を決めたんじゃない。また唱えるだけ。唱えて進むだけ。僕はこの人のファンだから、ファンらしく質問するだけ。

「まずは座って話そうか。できればで良いが、そのまま晩酌に付き合ってくれ」

 言われ、窓を背に、ローテーブルを前に座った。左手にソファがあり、右手に暖炉がある状態。

 すると少し遅れて僕の対面に、藤堂さんは座った。

「それで、何を聞きたい」

「色々聞きます」

「答えにならないな。しかし、好みではある。いいだろう、なんでも聞いてくれ」

 實も徹も止めるでもなく、かといって完全に放置するでもなく、中途半端に僕らの不気味な対話を見ていた。

 何が起きるか分からないから、一応備えておくように。

「もしもあなたがこのペンションを燃やすとして──」

「ヌ!? なんだその前提は!」

 止めたのは徹さんだった。当然の反応と言えるだろう。

「最上川くん、与太話を本気にするなよ」

 そう、これは冗談。架空の話だ。

「しかし今淵とやら、先生にそのようなことを聞くとはどういうつもりだ」

 巨体に詰められると嫌な汗が出る。が、別に本気で言ってるんじゃない。海見と同じように、なにかアドバイスが貰えればと乞うだけだ。

遭難こんな珍しい体験しておいて、創作妄想しないのは勿体ないと思って、推理物を作りたいんです」

「ほう、だから先生にそれを聞いたのか」

 僕は黙って頷く。分かってくれたみたいで、徹さんは悪かったと一言謝った。

「それでまぁ……このペンションを燃やす動機が思いつかなくってですね」

「ほうほう。動機……もしかして女鹿野くんがこのペンションのことを調査していたのは、それのためか?」

 そうか、前回とは話が違う。女鹿野が調査をしてるんだ。

「ああ、そうですね」

「はははっ、良い関係だな。いつ頃から仲がよかったんだ?」

「えぇっと、といっても、知り合って一年経つか経たないかくらいで……」

 女鹿野路銀と知り合ったのはそのくらいだったはず。

「ほう? それで共に登山をする関係に?」

「いやまぁ、はい。一人で登るって言ってたから、さすがに危ないかなって」

「……ふむ。そして、他人だと? どっちが言い始めたんだ?」

「まぁ、僕が言い始めました。都合が良いので」

 藤堂さんは少し黙ってから、人差し指と中指で、鼻の先端を隠すようにして、

 こんなことを言い放った。

「それは君、女鹿野くんに恋をしているんだろう?」

 微かに。

 微かにこの瞬間、空気の味が甘かった。

 目元から、何かが滲み出る。

「ぷっ────」

 瞬きよりも早く目を閉じて、僕は、込み上げてくるそれを止めることがてきなかった。

「あはっ! あははははは! あははははははははは! はははっ! ははははあっ、はあっ、あはははははははははははははははははははは!」

 そんなもん、笑うしか無かった。

 ここに来て初めての、大爆笑だった。いや、これだけ感情を発露したのは、本当に久しぶりかもしれない。ずっと、表情筋が死んでいたし、目も死んでいた。

 だけど今、僕は笑った。

「おや、こういう時は大抵あってるもんなんだがなぁ」

「くっははっ、残念ですけど違います、あはは、まぁなんというか、言っても間違いじゃないかもしんないっすね。大誤答だけど、一番正解に近いかもしれません」

 間違っているのは僕達だから、その間違いもある意味正解に近い。確かにこれは、そう見えても仕方ない。

「これを恋と呼ぶのなら、地獄の底まで堕ちてやりますよ」

 そうだ。

 僕とあいつは、そんな関係だったかな。


 そんな綺麗なもんじゃねえだろ


 また飲み物から始まって、好きな物、嫌いな物、生年月日、何から何まで聞かれた。

 そのあと、海見も来て、晩酌が始まった。驚いたのは、その晩酌にギンもいた事だ。飲めない年齢なので飲む気はなかったが、聞き込みの為に参加したのだという。

 その時初めて、僕が部屋から出ていることに気づいたらしい。

 晩酌の最中、隣に座ったギンに背を思いっきりぶっ叩かれて、なんで休んでねえんだ。と言われたが、答えないまま二十四時を迎えた。

 海見が先にリビングから出て、それに続いて徹と藤堂さんも部屋に戻ったのだが、その際。

 火事の動機を聞いていなかったことに気づいた。

「あの、藤堂さん」

「君たちに出会えてよかった。ネタになるよ」

「いや、それはいいんですけど……その」

「…………ああ」

 去り際に、酔った藤堂さんがこう言った。

「燃やしたかったんじゃないのか、なにかを」

 それがどういう意味かわからなかったけど、動機についての答え、ということはわかった。

 そのまま、僕らも一度、情報共有のため部屋へ戻ることにした。

「……あれ、まだ酒残ってるぞ」

「僕のじゃないぞ」

 グラス、二杯もほぼ減らずに残っていた。

「あぁ、僕でもないよ。最上川さんも飲んでいたから、海見さんと藤堂さんじゃないかな」

 あれだけ酔っ払っておきながらこれだけしか飲んでいないのか……と絶句し、少し勿体ないけど、流しに流した。

 部屋に戻って、紐を引っ張り電気をつけた。

「まず一つ目、徹さんは死神と呼ばれていること」

「……ん?」

「担当した小説家が全員不幸な死にあって、死神がトオルって言われてんだって」

 絶対火災に関係ないけどなんだその異名は。

「二つ目、藤堂さんは同じようなコートを何着も持っていること」

「おいおい」

「選択の時間を無くすためだってさ」

「まともな情報をくれ」

 あとなんであの二人を中心に調査してるんだ。

「そして三つ目、マスターキーの存在」

「……マスターキー」

「そう、管理人しか知らない場所にあるんだってさ」

 その場所が分かれば、もし閉じ込められても犯人を捕まえられる……か? いや、でもそれならまず入らなきゃいい話だ。

「で、以上」

「あっ以上……!?」

 やべえっ! なんも使えねえかも……

「これからどうすればいい、某太郎!」

 どうすればいいんだろう……

「……午前一時まで隠れて、徹と實には地下室に誘導されてもらって、来た犯人を目撃したら……時間逆行で戻るか」

「見るだけでいいのかよ。二人がかりなら捕まえられるんじゃないか?」

「駄目だ。万が一失敗したらまずい。だから……戻って犯人を説得する」

 その殺意がどこまで強いものでも、計画を行う前に気づかれたら、普通辞めるはず。

 普通……普通は……

 目的は、犯人の説得。


 

 時間は午前一時十三分。

 隠れ場所は實に頼んで、一階の使われていない部屋を使った。照明でバレないよう、真っ暗な部屋に二人で待つ。

 けたたましいアラームが鳴る。前回通り、徹と實は地下室へ降りてゆく。

 それから大体五分経って。


 

「は……?」

 声で判断していたので、疑い深く、一度扉越しにリビングを見る。

 二人は、そこに居た。

 またちょっと時間が経って、徹は水を持って二階へ。

「何が起こって……」

 ギンの焦りも分かるけれど、僕は正反対に安堵していた。ギンの調査のおかげで、犯人も馬鹿なことをやめたのだろう。


 ──燃やしたかったんじゃないのか、なにかを


 その安堵もすぐに消え去る。

 頭に言葉が過ぎる。

 この言葉の真意は、無茶苦茶になって全部燃やそうとした。という意味ではなく、もしかしたら。

 もしかしたら、なにかを消そうとするための火災なんじゃ?

 そうだ。

 


 火災はあと片付け。

 その前に事件があったなら、狂気に飲まれる犯人の心理も理解できる。

「いやッ……違う……」

 なら火事は必ず起こす。

 トリックにハマってたのは、僕たち自身だ。

「ちょっ、某太郎?」

 扉を開いて、リビングへと出る。

「あれ、二人とも、あの部屋は気に入らなかっ──」

 二人を無視して、外へ出る。相変わらずの猛吹雪。

「おいっ! なにしてんだ某太郎!」

「外を調査する。何も無かったら、やめただけだ」

 別に中で火を起こす必要はない。そっちの方が燃え広がるスピードは早いからそうしただけなんじゃないか?

 そう考えて、ペンションの周りをぐるっと回る。なにか無いか、血眼になって探した。

 しかし、何も無かった。

「某太郎、なんも無いぞ……」

「……良かった……」

 ただの思い込みだった。トリックだった。なんだこんなの、何も無いじゃないか。ギンの調査が効いたんだ。

「帰ろうぜ……冷えるよ」

「ああ……」

 僕の考えすぎだった。

 それが証明された時、

「……?」

 シルエットのように、窓へ人影が浮かび上がっていた。

 二階の端の部屋、来た方向からして藤堂さんの部屋。

 あのコートに身を包んで、執筆する姿が、影となって浮かび上がっていた。


 お前はわざわいしか呼ばない。


 時間は午前一時二十分。ペンションに戻って、平和を確信した僕達は、眠る。


 愚行だらけ。愚考だらけ。いつまで愚兄のまま生きている。



 体を激しく揺すられて、強制的に目を覚ました。痛くなるほど、僕の体に手が沈みこんでいたから、跳ぶように上体を起こした。

「いっ……なんだ!?」

 てっきりギンが悪戯で起こしているのかと思ったら、僕の体を揺らしていたのは徹だった。

「お前の話も聞きたいんだ」

 先程まで僕の身体を激しく揺らしていたとは思えない。別人がやったんじゃないか。そんな考えが過ぎる。だが、位置的に徹だった。

「今淵、頼む」

 厭に穏やかに、厭に礼儀正しく、深く頭を下げた。

 正座していた。一瞬、僕自身が病人かなにか勘違いするくらい丁寧だった。

 周りを見た。部屋の扉は開かれていて、實さんとギンがそこにいた。なにか訳が分からないが、何かが起こっていた。

 時計を読む。時間は午前七時三十四分。既に朝だった。

 火の気もしないが、嫌な予感は溢れていた。

「いったい、なんなんだ」

 ギンも實も、目の前の徹も何も言わず、意味の悪いほど澄んだ空気だけが僕の味方だった。

「……頼む」

 重苦しい声だった。しかし重苦しいが、何か抜けた声だった。大事な芯を失くしてしまって、なんとかこらえてるような声。

「わ、かっ、たよ」

 何も分からないまま、僕はこういった。

 徹から感謝されて、まずは着いてきてくれと言われたので、歯も顔も洗わないまま着いていった。

 ギンと實も共に来たが、話せるような雰囲気じゃなかった。


 階段を降りる際、なにか妙だなと思ったら、一階のトイレの扉が開いていたんだ。


「ここだ」

 徹は、扉が開きっぱなしの、トイレ前で止まった。

 僕は誘導されるまま、視線をトイレの中に向ける。

「──────は」

 は

 は

「何か、知らないか」

 いっぱいいっぱいだった。そういう奴の目だった。声だった、体の動かし方だった。全てを投げ出してしまいたいけど、その背にびったし張り付いていた。その洞穴みたいな目の正体が、ここに来てやっとわかった。

 死神にだって、心はあるのだ。


 その中には、便座を下げたままトイレの座って項垂れる、があった。

「せ、ぇ、さ」

 声が漏れる。コートは黒茶に濡れていて、壁も床も自分自身も、その流れ出ていただろう血で、塗れていた。

 そこにあったのは、血塗れの藤堂ふじとう茶飯さはんの遺体だった。

「先生ぇっ……」

 そのシルエットは、動きもせずに項垂れた。


 人は殺せないが、幸せなら壊せる


 やることは決まっていた。僕はギンの肩を掴んで、その目から目を離さなかった。

 しかし、ロキは……いや、ギンは、僕から目を逸らした。

「くそっ、くそっ、頼む、いるんだろ!! でてきてくれよ!! ピンチじゃなきゃ出られないってか! ふざけんな!! お前なんだろ! お前が俺たちをここへつれてきたんだろ!! じゃあしっかり導いてくれ!! 幸せな世界に、導いてくれよ!!!」

 祈りでもなんでもない懇願。懇願、願うだけ。星にも神にも仏にもなんにでも、願うだけ。


だろうけど、やってあげる」


 ギン……いや、ロキは、僕に目を合わせる。


「ロオルククス」


 またこの無感覚。吹き飛ぶ感覚。感覚を失っても、心は変わらなかった。言葉の意味を思考せず、未来を、過去を変えようとしていた。


 気づけば布団の中、外は真っ暗、隣には、目覚めたばかりのギン。

「…………っ!」

 時計を読む。時間は午前一時三十四分。しっかりと戻ってきた。意味はあった。

 すぐに戸を開けて、目に入った徹に迫って聞いた。

「なぁ! 藤堂さんはいるか!」

「ぬおっ、なんだ突然。藤堂先生はこの中にいらっしゃるが……」

 その言葉に、ホッと息をつく。が、本当に安心していいのは動いている姿を見てからだ。

「それじゃあすまないけど、一応呼んでくれないか……」

「なぜ? ついさっきも言葉を返された。ここにいる」

「念の為だ。念の為、見ておきたいんだ」

「…………」

 徹は渋々、戸をノックして、いるかどうかを向こうに問う。

 ……しかし返答はなかった

「おい、本当にいるんだよな」

 また心臓がどくりと鳴った。

「いや……うむ、眠ってしまったのかもしれん。戸を開けて確認する」

 そう、戸を開けて、徹は部屋の中をのぞき込む。僕は隙間から部屋の中にいるだろう藤堂さんを探す。

「……いっ…………」

 また心が荒ぶる。水面が揺れる。また波が起こる。

 ヒビの入るがした。

 僕の胸の中で、小さく。

 階段を駆け下りた。徹も着いてきた。更にあとからギンも来た。あの戸のレバーをガチャガチャと動かす。しかし降りも上がりもしない。くそっクソクソクソクソクソ

「徹! ぶっ壊せ!」

「し、しかし……」

「いいから壊せ!」

 躊躇しながらも、その扉を蹴破った。扉はただの使えない板になった。その音が響いて、實がリビングから出てきた。

「ちょっ、なにをして…………っ!?」

 僕はこの光景を知っている。時間帯が違うだけで、それを知っている。

 遺体がそこにあった。

「…………」

 ゆっくりと終わる。

 ゆっくりと落ちる。

 ゆっくりと割れる。

 ゆっくりと欠ける。

「……………………あぁ……」

 僕はギンの肩を掴んで、しかし立っていられず膝を着いて、そんな僕にギンは合わせてくれて、抱き締めた。そして、ギンは抱きしめ返した。

 願いもなかった。

「もうやだ…………」

 誰かを抱きしめたかった、だけだった。


 壊れたものは、戻らない。

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