シギンとロキ
「
耳をつんざくような声で飛び起きた。反射で声を発したギンを見る、緊急事態らしいことは分かった。しかしそれ以外は全く分からなかった。何が原因でそれだけ焦っているのか、僕には不思議で仕方なかった。この時点で僕は、
斬新な夢だな、と思った。
「どう──────」
「火事だ!!」
ほとんど僕が声を発したのと同時に、ギンはそう言った。ほとんど叫ぶみたいに。周りをぐるりと見た。
暖炉の前まで来たような、暖かな空気。むしろ、蒸し暑い。加えて、視界を微かに奪う黒の煙。
しかしそれは、この部屋が燃えている訳ではなかった。
襖の向こうでメラメラと、燃える音がした。
さぁ、どうする。
火の魔の手はこの部屋まで迫ってくる。襖から出た先、進む道はないだろう。しかしならどこへ逃げる? そうだ。その問題があった。逃げるとしてもどこへ逃げるのか。一応、全ての部屋にベランダがある。人の声や叫びは聞こえないから、全員倒れたか逃げられたか。自分たちだけ遅れてしまったか? いや、そんなこと考えてる暇無い。僕はいいとして、ギンは死ぬ。
ベランダから飛び降りるか? いや、飛び降りても────
「阿呆! 産むが易しだ!」
こんな時にまで頭を回してどうする。酸素を全て持っていかせる気か、この愚か者。
「何をするんだ!? 某太郎!」
僕はようやくやることが決まり、襖とは反対方向にある大きな窓を開いた。
肌も肺も何もかも、外気に触れただけで凍りつきそうなほど冷たくなった。しかし背には燃え尽きそうなほどの熱さ。身体がどうにかなりそうだった。
外は未だ猛吹雪────しかしここにいても、死ぬだけ。
炎と氷、八熱地獄と八寒地獄。
なら、僕は──────
「決まってんだろ、そんなもんっ──!」
その時、
部屋の襖がぶっ飛んだ。
強い衝撃が外から与えられて、鍵付きの分厚い襖は、
呆気なく、小道具のように吹き飛んだ。
「なっ!?」
襖の先に広がっていたのは、灼熱。そして、燃え盛る炎の中、その人は立っていた。
暖色系の光が、その人の肌にあたって、体格も相まって、
まさに鬼だった。
「ヌ、今淵! 女鹿野! つかまっていろ!!」
「
襖をぶち破った
二階のリビングから、飛び降りた。
「ふんっ!」
三人分の重さが乗っているだろうに、
衝撃的だった。この人は何かしらの改造をされているんじゃなかろうか。
「いや冷たっ……!」
吹雪が触れる度にシバリングが強くなる。目の前で燃えるペンションを見ていると、近づいて暖を取りたくなった。
「何があったんですか……徹さん…………一体なんでこんなことに……ほかの、ほかのひとは……」
「わからん……しかしどうやら、火災が発生していたのは一階だ。二階でずっと見張っていたが、一階で大きな音がして……」
「大きな、音……?」
他の人がどうなっているのかも分からない。大きな音が一階でして、火災が発生し、燃え広がった。
情報が、足りない。
「今淵、無事か」
「逆に……どうして無事そうなんですか……」
いかんぞこれは……着物なんて着ていたら、簡単にコロッと逝く。もう五分後にギンがどうなっているか……
「そうだ、ギン……!」
すぐに近寄って顔を見た。立っていたから大丈夫なんて思っていたけれど、目を閉じかけていた。
「くそっ、まずい、おいギン!! 目覚めろ! 起きてくれ! ッはぁ……おい!」
ペンションの人間がいくら死のうと構わない。火災の原因なんてどうでもいい。
けれど、ギンが死ぬのはダメだ。
祈る様に、俯いた。
「ギン……!」
ギンだけでいい、ギンだけでいい、この世がどうなろうと、全てが全て壊れても、星の光が見えなくなっても、世界で独りだけになっても、こいつだけはどうにか、どうなってもいいから生かしてやってくれませんか、どんなことでもしますから、こいつだけは、勘弁してください、
「嘘ばっかだね」
無いはずの心臓が震えた。心の根っこを掴まれた気分だった。この世の地獄より苦なことを、耳元で呟かれた。
嘘ばっか。嘘。嘘? 嘘だなんて、僕がなにか嘘を吐いているみたいな。嘘、嘘ばっかって。何、何を伝えたいんだ、ギン。
「ギン……?」
俯いていた顔を上げた。そこにいたのは、さっきまで弱々しく目を閉じかけていた
目をかっぴらいて、僕を凝視する、何者か。
目が合ったのは、そんなやつだった。
「ギンだけは……とか。普通じゃないとか、食欲がないとか、生命を作れないとか、目が覚めないとか、肉親を探すとか、誰よりも仲のいい他人だとか。死も不死も冷徹も情熱も非情も約束も、嘘だったじゃん。あっ、でも、寂しかったのは本当だったよね。照れ隠し? 罪滅ぼし? そんなのしても意味ないのに。そんなことあっちは覚えてないのに」
極限状態。生と死の間。災厄で死にかけている。災害と災害で押しつぶされそうなこの時。いつ気絶してもおかしくない、いつ倒れてもおかしくない。いつ狂ってもおかしくない、いつ埋もれてもおかしくない。
それなのに、ギンは笑ってるでもなんでもない顔で、ただただ目を大きくして、白銀の闇に呑まれながら、真っ赤な瞳で僕を見ていた。
何を言っているのか、僕には分からない。
分からないのに、この頭はそれを聞こうとする。
ギンの言葉を拒絶せず、
しっかり脳に刻んでいる。
「あれ? そろそろ時間だ。もっと色んなこと言いたかったな。嫌なことしちゃったね。でも直して欲しいんだ、そういうあれもこれも。本当に伝えたいのは、気にしてないっていうことで……あぁでも、うん、そうだなぁ……」
「何を言って……」
「また会おうね。私、待ってるから。でも、約束してね」
ゆっくりと、瞼が閉じてゆく。僕も────あいつも、赤の瞳は閉じてゆく。
この吹雪の中、限界が来ている。体温は奪われっぱなしだ。
しかし僕は震えずに、ギンの言葉を待った。
「死んじゃダメだからね」
顔は笑っていて、しかし泣きそうな声で。
両手で僕の顔を触った。
冷たいはずの指が、暖かく感じた。
──────もう、麻痺していた。
よく聞き取れなかったが、最後にギンは、謎の言葉を呟いた。
世界のライトが消されたように、目の前が突然、暗くなった。
何も見えなかった。どころか、何も感じなかった。
これが、死──────?
ハッキリ言って、最悪だ。
何も感じないのに思考だけはしっかり存在する。しかし何を考えても意味が無い。何にも繋がらない。ただ無為に流れる。いや、流れる概念すらない。止まっている。
これが死だというなら、振り返ることしか出来ないじゃないか。
今までのクソみたいな生を、後悔しながら、掴めなかった光を、後悔しながら。
嫌だ。
寂しいのは
「………………いやっ……」
──────自分の声が聞こえた。
刹那もせずに、揺蕩うこともできなかった無感覚から、
強烈なまでの感覚が僕の身に走る。
「冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たいッッッ!!」
まさしく視界に飛び込んできたのは、先程までと同じような白銀の闇。猛吹雪、ブリザード。いつの間にか僕は二つの足で、雪に足跡を残していた。
さっきまでと違うのは、温かさ。感覚が突然走ったことで過敏になったが、さっきよりもずっと暖かい。自分は何故か、着物ではなくアルパインウェアを着ていた。
そして──────傍らに、寝かけている
「はぁ……っはぁっはぁッ……」
冷たくなった心臓がバクバク鳴りだして、血液が身体を巡る。
僕はこの状況をよく知っている。
「ッ……どうなってる……………」
そう、僕は前にこれを乗り切った。
「なんで、時が戻ってるんだ────!」
さっきから夢を見ているんじゃないか──────本当はこれから目覚めるんじゃないか──────しかしこの冷たさは、目の前が
無感覚の障害が、寝惚けているかのような間を生み出して、歩みが止まる。迷っているんじゃない。彷徨っているんじゃない。惑っている。僕は、
「…………私の魔法、いや……魔術だ、
ザッと積もった雪を踏みつけて、ギンは僕と対峙した。
メットから出た白銀の後ろ髪が、吹雪と同化して、荒ぶっていた。その姿はまるで、この猛吹雪を起こした魔女のようだった。
「……はっ?」
目覚めたと思えば、ギンはこの状況に、魔術と言った。しかも、ギンのものだと。
「時間逆行……いや、だとしたら戻りすぎだから……意識だけ過去へ飛ばしたんだろう……ロオルククスだな……」
しかしこういう時は本当に、そういう話はやめて欲しい。
「アホ言うな……」
「マジだよ……」
「ッ……おい、ギン」
ふざけるなと言いそうになった。しかし……しかしだ。
「じゃないとこの状況、説明つかないだろ」
そしてギンは、歩き出した。方向はもう定まっていて、僕らはペンションがあると知っていた。
……言う通りではあった。何故か時間が戻っているし、その事をギンは覚えている。
魔術じゃないと、ファンタジーじゃないと説明つかない。
「だけど……そんなもん、お前は今まで成功したことなかったろ」
お前は一度も、魔術なんて成功していないじゃないか。それらしい言葉だけ並べて、結局一度も。
「ああ……その通りだ……さっき分かったことだけど、今の私には使えないみたいだな」
「……今の…………?」
さっきから話が全く見えない。
「……さっきの、私じゃない私なら、魔術が行使できる」
女鹿野路銀ではない、ギン。それは、もしかして、
「私はどうやら、二重人格らしい」
二重人格。そう言われて、僕は一層震えが止まらなかった。身体のどこにも温かさがなくなって、身体のどこにも柔らかさはなかった。
これが凍えるという感覚。
これが、死へのカウントダウン。
「つまりお前が言いたいことは……さっきのあいつはもう一人のギンで、魔術やらはそのギンしか使えない……?」
「更に付け足すなら、その私は死の淵しか顕現しようとしない」
顕現しようとしない。つまり、できたが今までしなかった。死の淵に追いやられるまで、ギンの中で眠っていたんだ。
妄言もここまで来たら、信じるしかない。
無理筋だが、通ったら筋だ。
「あの魔術……ロオルククスは現状、最大六時間しか巻き戻せない。再度詠唱できるのは、また六時間後だ」
「……六時間後、か」
午前一時よりは後、しかも放火が起こってから……いや、しかし、いくらでもやり直せるなら。
それなら、十分すぎる。
「もう一人のギン……」
「
仮名も決まったところで、そのロキについてだ。
「ロキのことを、ギンは認識していなかったんだな? どうやってわかったんだよ」
「寝ちまったって思ったら、私はロキが動かす画面、視界を見ていたんだ。だから、勝手に身体が動いてる感じで……」
「……そうか」
ロキ。魔術の力を持ち、第二人格としてずっと潜んでいた。
なぜ出てこない……時間と言っていたから、顕現するのも数分じゃないとダメ……とか。
「待て! 魔術が使えるなら、天候を変えることも──」
言い切る前に、ギンは首を横に振った。
「魔術というのは精神に宿る力を対価にして超常と通じること。天候を変える力を行使するには、私じゃ足りない」
そう甘い話は無い。いやむしろ、今生きていることが甘い。
元々は死にかけだったんだ。あの時も、この時も。
ならば単純にして絶対の解決法。
火災の原因を、突き止めてしまえば良い。
この時点の僕は気づいていなかった。
見過ごした、明らかな違和感を。
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