友瀬さんは染矢くんを探します


 ◇

 

「はぁ……本当にみんな行っちゃった」

 

 お昼ご飯の後、クラスのみんなは、さっさとほかの場所へと遊びに行ってしまった。

 彼女たちは最初こそ、わからないなりに興味を持とうとわたしに質問してみたり、トレーニング中の王子くんに声援を送ってみたりしていた。

 でも、サッカー素人なわたしによる曖昧あいまいな解説と、王子くん以外のサッカー部の人たちや観客席の人たちがかもし出す『今はまだ声援とかそういう感じじゃないんだけどなぁ』という場の空気。

 そして追い打ちをかけるように、彼女たちが楽しみにしていた『王子くんとのお昼ごはん』が実現しなかったことで、何人かの心が折れてしまったらしい。

 名残惜しそうにしていた人も何人か居たには居たけど、けっきょく彼らも流れに乗せられて、他の人たちと一緒になって行ってしまった。

 

 いま残っているのはわたしと由佳ちゃん、それから、席を外している染矢くんだけだ。

 みんなは最初、染矢くんが戻ってから場所を移すつもりだったみたいけど、なかなか戻って来ないので『よろしく伝えて』とだけ残して移動していった。


「ねぇ由佳ちゃん、染矢くんなかなか戻ってこないね……ってそっか、聞こえてないか」

 

 私の隣に座る由佳ちゃんは、王子くんをはじめとしたサッカー部の人たちが走り回るグラウンドを、ひたすらぼーっと見つめていた。

 彼女は水族館の水槽とか空港の滑走路とか、スクランブル交差点の中継映像とか……とにかくものを一度真剣に見始めると、止められなくなるタイプの人間なのだ。

 これまでに由佳ちゃんと一緒に出掛けて、想定外の場所で時間を取られたことが何回も……あっ、口が半開きになってる。

 やっぱり無防備な由佳ちゃんも可愛……じゃなくて。

 クラスのみんなには『由佳ちゃんは一度こうなると手が付けられない』って言ってここに残ったけど、もちろん対処法はある。

 わたしは由佳ちゃんの無防備な横顔を存分に堪能たんのうしてから、彼女の正面に回って視線を合わせた。

 

「由佳ちゃん、聞いてる?」

「……あぁ、なつきちゃん。ごめん、またぼーっとしてた?」

「うん、お昼の後からずっと。クラスのみんな、もう帰っちゃったよ?」

「えっ、嘘!なんで言ってくれなかったの!?」

「どっちにしろ、ここに残ってたでしょ?」

「それはそうなんだけど……クラスのみんなに、変な人だって思われない?」

「……時間の問題じゃないかなぁ」

「どういう意味かな、なつきちゃん?」

「王子くんにはまだ知られてないし、大丈夫だよ」

「う、うん……そうかな……そうかも……?」


 由佳ちゃんは王子くんの名前を聞くと、目を白黒させながら、ひとまずはわたしの強引な論理に納得してくれたみたいだ。

 昨日、散々からかってくれた彼女へのちょっとした意趣返いしゅがえしが済んだところで、あらためて染矢くんの行方を知らないか聞いてみた。


「うーん。たしか、自販機を探しに行くって言ってたような気がする」

「……?自販機って、すぐそこにもあるよね?」


 客席の端、グラウンドからも行きやすい場所に、三台ほどの自販機が並んでいるのがここからでも見える。

 ただ飲み物が欲しいだけなら、あそこで買えばいいはずなのに。

 

「さぁ。気分転換でもしたいんじゃない?」

「気分転換……」


 クラスのみんなが場所を移動しようという話を始めたあたりから、染矢くんはちょっと……ほんのちょっとだけ、怒っていたような気がする。

 いちおう王子くんに誘われたとはいえ、勝手に押しかけたのにすぐ帰っちゃったから、王子くんをぞんざいに扱われたような気がしたのかもしれない。

 もし由佳ちゃんが同じようなことをされたら……わたしはどうするだろう?


「よーし、そろそろ試合形式始めるぞー!」

『はい!』


 コーチの号令を聞いて、グラウンドでウォーミングアップしていた部員たちが準備を始めた。


「もう始まっちゃうみたいだけど、染矢くん大丈夫かな」

「子供じゃないんだし、きっと大丈夫でしょ」

「そうかもしれないけど……」

「ふふっ。なつきちゃんさ、そんなに心配なら、いっそ探しに行ってみればいいんじゃない?」

「……うん、わかった。行ってくる!」

「はいはい、行ってら――えっ?」


 わたしは、染矢くんを探すことにした。

 とはいえここ、屋外のグラウンドがいくつもあるだけじゃなく、プールや武道場、バスケコートなんかが入っている体育館もふたつ併設されているから、考えなしに探してもらちが明かない。

 

 こういう広い公共施設の場合、案内図がかなり親切にできていて、自動販売機の位置まで書かれていることが多い。

 そう考えたわたしは、すぐ近くにあった案内表示を確認した。

 みんなには会いたくないだろうから、たぶん駅とは逆方向。

 屋外より、室内にいたほうが見つかるリスクはさらに少ない。

 となると、一番怪しいのは。


「たぶん、ここかな……」


 目指すのは、ふたつある体育館のうち小さい方。

 武道場や小さめの屋内コートが入っている、東館だ。

 

「よし!」


 地図で見てもそこまで距離はないし、できるだけ早く染矢くんを見つけて、もう試合が始まるって教えてあげなくちゃ。

 そう思ってわたしが走り出そうとしたとき、スマホが鳴った。


「あれ、由佳ちゃんからだ。もしもし?」

『……染矢くんにも、こうやって電話すればよかったんじゃない?』


 由佳ちゃんは、不機嫌そうな声でそう言った。

 電話越しなのに、どんな表情かおをしているかがはっきりとわかる。


「あっ……」

『はぁ。冗談のつもりだったのに、ほんとに探しに行っちゃうし……私ひとりを置いていくなんて、酷い』

「ご、ごめんね、由佳ちゃん」

『まったくもう。試合だけど、三校総当たりでやるみたい。うちの高校は最初休みになったから、そこまで急がなくても大丈夫そうだよ』

「うん、わかった!」

『荷物は見てるし、染矢くんが戻ったら連絡してあげるから。じゃ、気を付けてね』

「ありがとう、由佳ちゃん。またあとで」


 由佳ちゃんへの埋め合わせをどうするか考えながら、わたしは東館を目指して歩き出した。

 大型連休の真っただ中なだけあって、敷地の中はそれなりに混み合っている。

 親子連れや学生グループにお年寄りの集団、いろんな人を見かけたけど、目的地に近づくにつれて、人の気配はどんどん少なくなっていった。

 

「思っていたより広そう……」

 

 本館と同じ、打ちっぱなしのコンクリートで建てられた東館は、わたしの想像よりかなり大きな外観をしている。

 ガラス張りの自動ドアを入ると、吹き抜けに溜まっていた冷たい空気が、わたしの頬を撫でた。

 広い空間に反響して、かすかに男の人の声が聞こえる。

 たぶん、染矢くんの声だ。

 声のする方向に歩いていくと、今度は、別の人の声も聞こえてきた。

 彼らに近づくにつれて、会話の内容が徐々に鮮明に聞き取れるようになる。


「女の人……?誰と話してるんだろう」


 正面の突き当りに、数台の自販機と、座って休めるようなベンチがいくつか設置されているのが見える。

 まだ姿は見えないけど、たぶん、染矢くんはあそこにいる。


「……んですよ……から俺は……」


 休憩スペースの中まで入り込んで、ようやく染矢くんの姿が見えた。

 

「あいつの……俊一の初恋を、応援したいんです」


 気が付いたら、手に持っていたスマホを取り落としていた。

 

「……友瀬さん?」


 音に驚いて振り返った染矢くんの顔は、みるみるうちに青ざめていった。


 ◇

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