染矢くんと友瀬さんは息を潜めます


「あれ?いま何か、物音がしたような」

「……気のせいじゃないか?」


 扉を開けて入ってきたのはふたり。

 ひとりはノックの後に声をかけてきた、例の図書委員の女子で、もうひとりは委員会の相方。

 つまり彼女に惚れていて、それに気付いてもらえない可哀想な男子だ。


「で、話って何?わざわざこんなとこでしなきゃダメな話?」

「……」

「ちょっと、黙ってないで何か言いなさいよ」


 今のところ、ふたりに気付かれている様子はない。

 絶対うまくいかないと思ってたけど、案外行けるのか……?


「あの、さ」

「なによ」

「おまえ、王子様に憧れてんの?」

「は!?急に何よ!?」

「だから、王子様が好きなのかって聞いてんの!」

「そんなこと、なんであんたに言わなきゃいけないのよ!」

「なんでってそりゃ」

「あんた、前にもこういうことあったわよね?」

「いや、だから――」

「あんたのことは弟みたいだと思ってるけどさ――」


 このふたり、どうやら高校に入る前から知り合い同士だったらしい。

 じゃないやどうしよう、たぶん修羅場しゅらばだ!

 他人が聞いていい会話じゃないやつだコレ!

 

 絶対に、絶対に見つかってはいけない。

 俊一や友瀬さんの恋路に悪影響がとか、そんな次元じゃない。

 最悪の場合殺される。

 俺は、目の前の友瀬さんに視線で訴えた。

 絶対に見つかるわけにはいかないと、絶対に動いてはいけないと。

 友瀬さんも意図を察してくれたようで、まばたきで返してくれた。

 文字通り、俺の目の前で。

 ……改めて見ると距離近いな!?

 いや、そんなこと考えてる場合じゃないのはわかってるんだけどさ、考えるなってほうが無理だろこれ!

 なんなら神社で壁ドンした時より近いぞいま!?

 見つからないようにひそめた息ですら届いてしまいそうだ、というか実際届いてる!


 こういうのは、一度考え出してしまうと止まらない。

 そして、友瀬さんも同じことに気づいてしまったのか、徐々に耳まで赤く染まっていく。

 頼むよおふたりさん、はやく部屋から出て行ってくれ!

 俺たちが耐えていられるうちに!


「だから!」


 しばらく口論が続いていたが、唐突に男子が叫んだ。


「……な、なによ」

「お……」

「お?」

「おまえの王子様には、俺がなる!」


 直後、濡れたが小さく弾けるような音が聞こえた。

 ま、まさか――口か!?口に行ったのか!?


「な、ななな」

「……じゃあ、そういうことだから!」

「ちょ、ま、待ちなさい!」


 勢いよく扉が開けられ、ふたりが走って出ていく足音が聞こえた。

 人気の少ない校舎の廊下に反響しているせいか、はたまた俺の精神がたかぶってしまったせいか。

 遠ざかっているはずの足音が、耳にずっと残り続ける。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 数秒か、数十秒か、それとも数分か。


「さすがにもう、大丈夫かな……?」

「ええ、たぶん……?」


 俺たちは互いの不安を払拭ふっしょくするように確かめ合うと、体を覆い隠していたシーツをそっとめくり、室内の様子をうかがった。

 当然、図書室には誰の姿も見当たらない。


「の、乗り切った……」


 一気に力が抜けて、その場でへたり込んでしまった。

 友瀬さんも似たような感じのようで、大きく深呼吸をしている。


「……」

「……」


 ふたりで見つめ合ったまま、なにも言葉が出てこない。

 いや、この状況で何を言えと!?

 キスしてたのかな?とか、あのふたり付き合うのかな?とか……。

 それは絶対ありえないだろ!?


「あ、あの……」

「な、なにかな、友瀬さん」


 う、ウソだろ!?

 この状況で会話を始められるのか友瀬さん!?


「す、少しお話ししませんか……?」

「ウソだろ!?」

「!?」


 何事もなかったかのように!?

 ……いや、違う、そうじゃない。

 何も見なかったことにしようと言いたいんだ、彼女は。

 何も知らない、何も起きていない。


 俺は、努めて『何も起こらなかったテイ』を装うことにした。

 深く、深く深呼吸をしてから。

 

「……いや、驚かせてごめん、なんでもない。そうだね、話を続けようか」

「は、はい」


 えーっと、なんだっけ。

 なにを話してたんだっけ?

 そうだ、なにか友瀬さんを褒めようとして……あっ。


「友瀬さん、何か香水とかつけてる?」

「はい?」

「いや、昨日といい今日といい、なにか優しい感じのいい香りが――」

 

 うん?

 俺はいまなにを言った?

 彼女でも、そこまで親しくもない女性の匂いを褒めた?

 いやキモいだろ流石に!?

 アクセサリーを褒めるって話はどこにいった!?


「本当ごめん友瀬さん!今のは忘れてもらって――」

「……続けて、ください」

「はい!?」

「続けて、ください。わたしの、その、匂い……を、どう感じましたか?」


 なんで!?

 いや本当になんで!?


「続けて、ください、染矢くん」


 そう口にする友瀬さんの顔は、さっきよりも真っ赤に染まっていた。

 あ、これ友瀬さんも訳がわからなくなってる感じだ!?

 

 だが、この混乱の中にあってなお、彼女の決意は固いようだ。

 俺の目をじっと見据えたまま、先の言葉を促した。

 

「さぁ、どうぞ」

「え、っと……その……」


 逃げられない。

 彼女から、目を逸らせない。

 白状するしかないのか?


「その、爽やかというか、涼しげというか……綺麗、なんだけど、奥のほうに明るさとやさしさが混在しているような……?」

「……」


 何か言って!

 うつむいてないで何か言って、友瀬さん!

 それともまだ足りないのか!?


「あの……とても素敵で、友瀬さんらしい、いい匂いだと思いました!……い、以上になります」


 友瀬さんは、まだ俯いたままだ。

 ……あ、両手で顔を覆った。

 

「あの、友瀬さん……?」

「すこし……」

「はい」

「すこし、ひとりにしていただけますでしょうか……」

 

 彼女はかろうじて聞き取れる、蚊の鳴くような声でそう言った。


「し、失礼します……」


 俺はそれだけ言い残して、静かに、しかしそれでいて迅速に、第三図書室を後にした。

 

「――終わった。俺の高校生活、たったの一ヶ月で終わった」

 

 息を吸うたび、足取りが重くなっていく。

 息を吐くたび、まるで魂が抜け出ていくかのような感覚に襲われる。

 もう、友瀬さんに合わせる顔がない。

 これから先、彼女とどう話せばいいのかわからない。

 同じクラスなのに。


 答えの出ない問いを、ぐるぐると頭の中で考え続けて。

 気づいたときには、クラス会の会場にたどりついていた。


 朝にはあれだけ軽く感じた扉が、いまはまるで、鉛でできているかのように重く感じられる。

 

「豊彦お帰り、ずいぶん長かっ……どうしたの?」


 扉を開いてすぐ、俊一に心配そうな声をかけられてしまった。

 いかん、少しでも取りつくろわなければ……。

 

「ああ、いや、なんだ。ちょっと予想以上に疲れてるみたいだから、悪いけど先帰るわ……」

「ねぇ豊彦、本当に大丈夫?」

「そめやん具合悪いの?」

「おいおい、マジかよ」

「念のため保健室に――って、流石に先生いないか」

「大丈夫だって、風邪だったらうつすと悪いし……」

「いや、その場合手遅れでは?」

「ハハハ……」


 思わず、乾いた笑いが込み上げてきた。


「まぁそめやん、笑えるなら大丈夫か?」

「いやなんだよその基準は……」


 とにかく、早く帰りたい。

 俊一が大きく溜息を吐いてから、口を開いた。


「ツッコミしてるし大丈夫そうだね、豊彦。僕はもう少しみんなと話したいんだけど、ひとりで帰れそう?」


 ――あぁ、何かを察したな、こいつ。


「それでいい、みんなお疲れ……」


 俺はみんなの困惑した別れの声を背に、とぼとぼと家路についた。


 

 ◇


 

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