第4話 遭遇

 いつの間にか静まり返った家の中、私以外全員が昏倒していた。黒煙が急速に渦を巻く。

 そうして影法師みたいな、小さな人型になった。ぎこちない動きでこっちへ向かって来る。


 生きたまま食べられてしまうのかしら。心臓が弾けそうに煩い、いっそ止まれば良い。


 けれど魍魎がふと動きを止め、目をやる素振りをした。気のせいかもしれない、そっちには寝台しかないもの。


 これが唯一の好機かもしれない──

 何がなんだか分からないまま、私は必死に走って逃げ出した。


「……っ」


 もうここにはいられない、次に見付かったらきっと殺されてしまう。村人からも、魍魎からも。ただ走った。


「……あ、癒々ゆゆ!」


 山道でぎんが手を振っていた。悪意のない表情と声に心が綻び、私は泣いて駆け寄る。

 自分より小さな子に、情けない──そう感じられるだけの余裕は消し飛んでいて。箚士とうしだと言う彼に必死に助けを求めた。


「どうしたの癒々!」


「あ、あっち……家に村の奴らと、魍魎が、来て」


 息も絶え絶えに説明すると、圜は表情を引き締めた。


「分かった、なんとかする。癒々は逃げた方が良い。人間同士の揉め事は、箚士でもどうこう出来ないから」


「ええ……」


「そうだ癒々、これまで人にまだ加護を与えてない精霊と会ったことある?」


「え? ……っと、多分生まれたばかりの精霊に会ったことがあるわ。一度だけ」


 唐突に訊かれ、古い記憶を辿る。幼い頃の少し物悲しい思い出を。


「でもすぐに会えなくなってしまった。私が悪かったのだけど。きっと他の精霊が止めたか、嫌われてしまったんだと思う」


「おぉん……いきなり希望が絶えた……」


 がっくり肩を落とし圜は嘆くも、すぐに気を取り直して走り出した。


「話したいことはまだあるけど、とりあえず行って来る。癒々は安全な所へ!」


「気を付けてね……!」


 小さな背中を見送って一人山道を行く。思い出が蘇って来る、会えなくなった精霊と過ごした日々を。


「ううん。あの子はきっとどこかで、誰かと幸せに過ごしている筈……」


 かつて幼い私が山で出会ったのは、恐らく花の精霊だと思う。夜明け前にだけ咲く薬草の花を摘みにお婆ちゃんと出かけて、その子が現れた。


「あなた精霊さん? ここに住んでるの?」


 小さな兎の姿をした精霊。可愛くて、会えて嬉しくて、私は夢中で話しかけた。まだ小さなその子は私を恐がらず、傍を跳ねたり鼻先を寄せてくれたっけ。


 私は卑怯にも、仲良くなれたらこの子が私の精霊になってくれるかもと、愚かな下心を抱いた。

 何度も一人で会いに行って……仲良くなれたつもりでいて。綺麗な糸を編んでお揃いの花飾りを作ったりして。


 ある日その子に、加護がないから私の精霊になって欲しいと、つい願い出てしまったの。嫌がられたりはしなかった……と思う。小さな額が私の手に触れて──


 でも何も起きなかった。幾度か触れることを繰り返した後、その子は横に首を振った。私は悲しくて腹立たしくて、本当は嫌われているんじゃないかと過ってしまい……


「……もういい! ゆゆだって精霊なんか全然好きじゃない!」


 そんなことを言ってしまった。本当は大好きだったのに。


 泣きじゃくって帰った私を、お爺ちゃんは心配してずっと背中を撫でてくれた。

 どうして私には精霊がいないの、と涙ながらになじる私に、二人は初めて私の生い立ちを話した。


 生まれたばかりで拾われたこと、だから血筋に何か理由があるのか、そうでないかも分からない。ただ、何にせよ誰にも言わない方が良いと。


 深く落ち込んだ私は、半月もしてからあの子に謝ろうと思い至った。花飾りを手に山へ……

 でも、その子には二度と会えなかった。


「怒鳴ってごめんなさい……お願い、出て来て。仲直りしたいの。許して……」


 何度呼びかけても、もう応えて貰えなかった。自分が悪いのも分かってた。

 後悔が涙になって落ちて行く。自ら口に出してしまった言葉は消せやしない。何をしても。


「嫌わないで……っ」


 ただ仲良く出来れば良いと割り切るには早過ぎた、まだ幼かった頃の私の罪。咎人の魂、その言葉を私は否定出来ない。


「……何このにおい」


 風向きが変わって気が付いた。振り向くと黒っぽい煙が見える。あの方角は……


「ああ……あああああ、火を。あいつら、うちに火を付けたんだ!」


 私を追い出す為に。二度と戻れないように。お爺ちゃんとお婆ちゃんの家を!


「なんで、なんで私がここまでされなきゃならないの! どうして私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないの!?」


 怒りをぶつける先もない、土を踏み付け髪を掻き毟る。思い出せばきりがない理不尽な仕打ち。

 何もかもが憎らしかった。何年もかけて降り積もった感情はもう、黒くて重たい泥のようで。


「皆消えてよ……!」


 呪怨を叫ぶ。それが合図かのように、じわりと足元から這い寄る怖気。頭の先まで凍える感覚。

 黒い煙が身体を伝う──いや、飲み込んでいる。理解が追い付いたのは手遅れになってから。


「ひっ」


 指先が虚しく宙を掻く。

 声さえ煙に巻かれて絶える。

 全てが、漆黒に塗り潰された。


「──……」


 おどろおどろしく渦巻くものに操られ、佇む身体は黒一色。影法師に似た姿が空を仰いだ。

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