第3話 戻らぬ日々に

癒々ゆゆ、おいで。今日は飴を作ったから』


『お汁粉出来たわよ。あったまろうねえ』


 喉の痛みを鎮める薬草で飴を作る日は、私の為に少しだけ普通の飴も作ってくれたお爺ちゃん。寒くなると手間のかかる小豆をたくさん炊いて、餡菓子を焼いてくれたお婆ちゃん。


 血は繋がっていなくても、二人が大好きだった。私は拾われ子、山道に放置されていた赤子。親にも精霊にも見捨てられたけど、お爺ちゃんとお婆ちゃんは私を可愛がってくれた。


 本当はそれだけで満足しなきゃいけないんだと、分かっているのに。


 どうしても、胸に暗い感情が積もって行く。意地悪くて乱暴で、私には何をしても構わないと思っている村人を見ると。


 何故精霊はあんな理不尽な人達を愛して、私には見向きもしてくれないのか。羨ましくて妬ましくて……とても呪わしい。




「ごめん下さい」


「!」


 お爺ちゃんとお婆ちゃんが亡くなってから、戸を叩いて礼儀正しく訪ねて来る人はいなかった。それもこんな小さな箚士とうし様がいるなんて。


 腰に帯をした貫頭衣はくすんだ赤。少し跳ねた黒い髪、太めの眉の下でくりくりした目が私を真っ直ぐ見た。


 この変な色の髪や目に怯まない。村の人はいつまでも、私を奇妙な目で見るのに。都会の人だから? 箚士様だからかしら?


 箚士は国家資格を取って初めて名乗れるもの。魍魎に立ち向かうのは勇気がいるし、頭も良くないと駄目と聞いたわ。都には子供でも才能を伸ばせる環境があるのね、きっと。


「……晩夏にしてもあっという間に日が暮れた気がする。山道で転んでないと良いけど、あの子」


 時間の流れを早く感じるくらい楽しかったのかも。ぎんはおおらかで、無知な私が質問ばかりしても嫌な顔一つせず、色々と教えてくれた。


 また普通に人と話せて、私は内心驚きが溢れてる。ああでも、余計に自覚してしまった。私はそれらに飢えている。寂しいと──


「今日はもう店仕舞いね」


 すっかり空は暗くなって、そろそろ灯りがいる。これ以上の作業は無理ね。蝋燭だってただじゃない。すり潰した粉末を蝋引きの紙に包む。


「売った分の薬は下拵え出来たし、明日は少し早起きすれば良いわ」


 食事を済ませたらすることもない、髪をほどいて休んでしまう。人とたくさん話した懐かしさからか、寝台の傍、思い出の品に視線を移した。


 小さな棚の上には太い糸で編まれた黄色い花飾りがある。古い糸はとっくにくたびれているけれど。


 昔友達に渡そうとして、結局機会を失くしてしまったもの。目に付く場所に置くのは、私にとって戒めでもある。宿るのは悲しい思い出であれ、きっと死ぬまで手放せないまま。


「……どうして私は普通じゃないのかしら」


 精霊はこの世界のどこにでもいるのに。私を選んでくれる誰かだけ、どこにもいない。



***


 明くる朝、家の戸が無理矢理蹴破られた。

 これまでにない剣幕で押し入って来るのは、昔から私を目の敵にしている一家。そのせがれが目を吊り上げ、怪我した腕を見せ付ける。


「俺に魍魎をけしかけたのはお前だろう癒々!」


「何を言っているの? そんなの知らないわ」


「お前以外誰がそんなことをする? 慈愛と恩恵の化身たる精霊にすらそっぽを向かれる性根で、生まれの卑しいお前の他に!」


「きっと私達を妬んでいるのよ。おお嫌だ、もう追い出してしまった方が良いわよ。咎人の魂に情けなんていらないわ!」


 山で魍魎に襲われた時、私を突き飛ばしたおばさんがそう叫んだ。この人達はいつもこうだ。


 この家はお爺ちゃんとお婆ちゃんとでずっと暮らして来た家なのに、どうして追い出されなきゃならないの? 私がした証拠なんてあるの?


「私は何もしてない。精霊にすら見向きもされないのに、どうやって魍魎をけしかけられるって言うの? 意味が分からない!」


「咎人の魂だからだろ! 悪しき者同士は通じ合うだろうさ!」


「ただの思い込みじゃない! きゃ……っ」


 遂に掴みかかられ、顔を床に打ち付ける。

 力任せに捻られた腕と関節が悲鳴を上げた。何人もの手で頭や足を押さえ付けられる。


 私一人にここまで。この人達は本気で、本当に私を恐れてるんだ。もし私にそんな力があるなら、怪我くらいで済ませるはずないのに。


「知らないっ……私じゃない……!」


 振り絞った声が細る。その瞬間黒い煙が視界に映った。音もなく広がるのは……


「うわっ!?」


「魍魎だ、やっぱりこいつが操ってたのか!」


 怒号に腹を立てたように、膨れ上がった黒煙が家を満たした。村人が恐怖に戦慄き逃げ惑う。

 煙に巻かれて視界は利かない。息をしても平気なのか、それすら判断付かない中で取り残される。


 何が起きているのだろう、苦悶の声が絶え間なく響いている。不可視の脅威がいつ自分にも降りかかって来るか、気が気でなかった。


 私は必死に這って壁際で一人縮こまっている。逃げた方が良いのか、ひそんでいるのが良いのか迷ったまま。苦しむ声が徐々に途絶える恐ろしさに、ただ耳を塞いでいた。


「どうして……」


 私だけ、なんともない。それが自分でも不気味で、怖くて、どうにもならない涙が滲む。


「誰か……っ」


 もうこんなの嫌だ──

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