第22話
私は自宅謹慎を言いつけられた。平和なこの街では、こんな大きな出来事は初めてのことだから、先生たちもどうやって怒ればいいのかわからないのだろう。部屋の中にいると、どうにも気が狂いそうになる。しかし、何かをしていれば気がまぎれるかと言えばそうでもなくて、ただぼうっと天井を眺めていることしかできない。何か壊せばこの胸の内に眠る心のもやもやも晴れるだろうか。
ただ、自分の力でそこまで綺麗に破壊できるような道具も無ければ、それに適した壊すものも無かった。結局は、幼い私には何もできない。
女子中学生とその担任教師が結ばれるなんてことはあってはいけないなんてことはわざわざ言葉にされなくても、条例に指定されなくてもわかる。感覚的に、私だって例えば浅野先生以外の人に抱かれるなんて想像するだけで体の内側から熱いものがあがってきて喉が焼けるほどに痛い。それを想像するだけでも気持ちが悪い。
私がもしも大人の立場なら、そうでなくても友達が教師と恋愛をしていたなら止めるだろう。実際に私がその立場に、あの時に先生からの愛を手に入れることができたならどうしていたかわからないけど、駄目だというのは先生の胸の内にいた間でも理解していた。でも、心はそうはいかなかった。これが本当の愛なのだと思った。
反省なんてしようもなくて、先生たちに怒られた時のことを思い出しても何も響かない。
「はい、すみません」
そんな言葉を繰り返しながら、ここにいる誰もが本当の愛を知らないんだと思っていた。結局、自分の立場を捨ててでも欲しいと思えるほどの気持ちをこの人たちは経験したことがないんだと、そう思うとなんだか途端に哀れに思えてきて怒りや悲しさは湧いてこなかった。目の前にいる先生たちはみんな、結婚していたはずだ。だけど、確かに永遠の愛や病める時も愛すると誓ったはずなのに、きっと私の感じたその気持ちをわからないというのは生きている意味すら分からないほどの空虚さを感じて、目の前にいるのが人間ではなくてただの風船のように思えてくる。身を焦がすほどの恋、私はそれを感じられた幸せとその熱、心に積もった残骸ばかりを思い出してひたすらこの退屈な時間が終わるのを待っていた。
「とにかく、処分は追って連絡するから家にいなさい。自分の家で、何がいけなかったかをしっかりと考えて反省しておくように」
教頭先生が最後にそういって、私は校長室から解放された。部屋から出た瞬間に、まだ暑さが残る夏の香りが私の体を包んで、吹き付けた風が制服とキャミソールの間を通り抜けていった。そのキャミソールに触れる優しさは、まるで浅野先生が私に触れてくれた時の様だった。呼び止められて強引に掴まれたはずなのに、底から優しさが体中に広がってくる。あの瞬間が、どれほどの幸せだったか。私が先生をどう思っていたかなど知らずに、私がその時の熱を感じたまま先生を想って自慰に耽っているなんて知らないで、ただ純粋に私のことを見てくれていた。私は、浅野先生が好きだ。でももうそれは叶わない。
「私、どうすればいいんだろう」
涙が流れそうになりながら、それをこらえて学校を後にしようとする。夏休み中だから、学校内は静かだった。先生たちからはまっすぐに帰るように言われていたし、私も浅野先生のいない学校にほとんど興味はなかった。夏の日差しが差し込まない北向きの校舎は暗くて、廊下の奥も見えない。グラウンドでは野球部が元気に練習しているけれども、それにも興味はなかった。そういえば、亮斗から試合の応援に来てくれと言われていたけれども忘れていた。きっと、少しくらい期待してくれているのだろう。あまり野球の大会には詳しくないけれども、もう大会は終わってしまっただろうか。停学にはなるだろうけど、それが終われば来年の最後の大会には応援に行ってもいいかとは思う。まあ、とりあえず帰ろう。そう思って私は再び足を踏み出した。
あの日は、まるで夢のようだったけれどもそこからはまるで地獄だった。夏の暑さに照らされて書いた汗も、制服に染み込んですぐに消えていく。べたべたと体にはりついてくる制服は重くて、早く帰りたいと思っている足の動きを遅らせる。
あの夜に告白した瞬間に心臓から熱された血液が一瞬で脳まで上がり、まともな思考力を失う。その血がぐるぐると体中に巡ってその熱を体の内側から逃がすために汗がだらだらと首筋から始まり全身を伝う。だけど掻いた汗も、海風がどこかへさらってくれた。十四年という短い人生だけれども、初めて人を心から愛せたと感じた。それくらい、あの汗は気持ちの良いものだった。だけど、今はどこかの家から聞こえる風鈴の音も、暑さを和らげてはくれない。
「あら、理穂ちゃんじゃない」
いつも通りの通学路、ここから当分は通ることはないだろうその角を曲がったところで、いつも通りかかるときに声をかけてくれるおばさんに出会った。向こうはこちらの名前を知っている、おそらく地域の自治会でお母さんと知り合いなんだろうけど私はおばさんの名前を知らない。
「こんにちは」
「どうしたの、元気が無いように見えるわ。熱中症?」
私は首を振って否定する。元気がないように見えるのはきっとこのじめっとした嫌らしい暑さも影響しているだろうけど、それは大事なことではない。
「そう、もしもしんどかったら言ってね。家で休んで行ってもいいから」
「はい、ありがとうございます」
「なんだか、つけられているみたいだし」
おばさんの顔は深刻に、そう言った。
「どういうことですか?」
私は反射的に聞き返す。
「いや、最近ね。理穂ちゃんがこのごろは外にいることが多いでしょ?」
私が夏休みに入ってから、ふらふらとしていることを言っているのだろう。いつも帰り道にこの家の前を通る、だいたい時間は七時半ごろだろうか。ここの辺りは街灯も少なくて、夏の七時半でもかなり暗い。それでも、私はそんなことを気づいていなかった。自分のことばっかりになっているせいだろうか。
「それで、ちょうどうちの主人が帰ってくるのを待っているといつも理穂ちゃんが通りかかるんだけど、その少し後に深く帽子を被った男の子らしき人が理穂ちゃんと同じ方向に毎日のように向かっていくの。そのなんていうのかしら、ストーカーって言うか」
そんなことは知らなかった。でも、そんなことは気にしていなかったから本当かどうかはわからない。
「あの、その人の特徴とかってわからないですか?」
私はおばさんに聞く。でも、おばさんは首を横に振ってから言った。
「それで理穂ちゃんに確認してから、理穂ちゃんが知らなかったら警察に通報して証拠写真を撮ろうとしたのよ」
警察というワードが出てきて、私は冷静になる。ストーカーということは、私が家出をした時ももしかしたら後をつけられていたという可能性がある。なら、あの写真だって撮ることは可能なはずだ。もしかして、投函したのもストーカーの仕業かもしれない。
「おばさん、今日も私はここを通るんで。良ければ写真を撮って連絡を貰えないですか」
「え? わ、わかったわ」
「これ、私の連絡先です。よろしくお願いします」
「でも、警察への通報は?」
心に炎が灯された私の感情は、警察に通報するという理性的な判断を無視していた。
「いえ、いいです。先に私に知らせてください」
私はそれだけ言って、すぐにその家を後にした。
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