第20話

「そろそろ、優花が起きてくる時間かな」

 そんなことを考えながらぼんやりとしていると、急に電話がかかってきた。それと同時に、森下先生が職員室に飛び込んでくる。いったいなにごとかと確認すると、衝撃的な事実を知らされた。

「春川さんが、家に帰ってこないらしいんです。部活にも来ていないらしくて」

 その言葉を聞いたとき、僕は頭が一瞬真っ白になった。春川の性格を考えれば、なにか悩んでいるとしても誰にも相談せずに一人になることが想像できたのにそんなことをしなかった自分も情けなかった。一人で抱え込んで、どんどんと自分を追い詰めていってしまったのだろう。

「わかりました、とにかく探しましょう。警察にも連絡をお願いします」

 僕は森下先生にそう言ってから、職員室を飛び出した。自分がもっと早くに春川の前に出ていればこんなことにならなかったのだろうか。そう思いながらも、春川がどこに行ったのかもわからないのに闇雲に探す方法しかとれない。ただ、中学生が何日も自分の力だけで家出なんてできるとは思えないから両親の実家や、友人の家に行っている可能性だってある。とにかく、学校からそう遠くはないところにしかいけないはずだ。

「もしもし、家出したのは本当か?」

 気が付かなかったけれども、僕はいつの間にかため口で話していた。電話の先はもちろん愛璃。春川のことを一番心配しているのは彼女だろうから。しばらくの沈黙の後に、愛璃が答える。

「うん。彩川さんの家に泊まりに行くって言っていたけどどうやらそっちにも連絡がないみたいで。中学だけじゃなく小学校の頃のお友達の家にも電話したけどどこにも来ていないって親御さんに言われて……私もどうしたらいいか」

「とにかく探すしかない。思い当たるところを教えてくれ」

 僕がそういうと、愛璃は少し考え込んだ後にぽつぽつと話始めた。

「わかった、じゃあ僕が岬に行くから愛璃はポピーの花畑に向かってくれ」

 愛璃が上げた候補には、思い出の場所がいくつかあったけれども春川は傷ついているからこその家出だ。繁華街や人が多いところではなくてどちらかというと一人で感傷に浸れそうな場所だと思った。それに、繁華街ならばまだ安心だけれども岬だと特に怖い。

 僕がもう一段とスピードを上げる。ここまでたくさんの汗をかいているはずなのにどろりとした異質な汗が首の後ろを伝った。 ポピーの花畑はこの季節ならばシーズンじゃないから人は少ないだろうけれども誰かはいるだろう。家出した中学生が一人でいるところを誰かが見つければ通報してくれるはずだ。昨日から家出しているのなら、少なくとも身なりはそれなりに悪くなっている。ただ、警察を介して会うよりは愛璃と直接会ってくれた方がなにかの解決になるかもしれない。

 そう思いながら、僕は岬に到着する。真っ白な灯台に日が当たっていたけれども、人は誰もいなかった。海水浴場は遠く、がらんとしている。灯台の階段に座る少女を、僕は見つける。春川だった。彼女は憔悴しきっており、目の下のクマが目立っている。おそらく白かったはずのTシャツも汚れており、下はジャージをはいていたが明らかに外で一晩を過ごしたとわかる風貌だった。夏だから大丈夫だろうとは思っていたけれども、さすがに海の近くに一晩もいたのならば体は凍えて仕方ないだろう。

「春川!」

 僕がそう呼びかけると、少し遅れてから顔を上げる。その顔にはすぐに安堵の感情が宿った。春川は立ち上がると、そのままこちらに向かって駆け下りてきた。そしてそのまま僕に抱きつくと、胸に顔を押し当てて泣き始める。僕は春川を慰めるためにそのまま抱きしめられるのを受け入れながら、灯台の上から町を見下ろした。こんな小さな灯台からでも見えるちいさな町。大した建物も特産もない。昔はもっと栄えていたのかもしれないけれども、少しずつさびれていっている。

 僕は春川の背中をさすりながら、電話を取り出した。そして、愛璃に電話を掛けようとした。しかし、それに気が付いた春川に止められる。春川は首を横に振ると、僕に抱きつくのをやめて上目遣いで言った。

「やめて、もう少しだけ待って」

 夏の日差しに照らされながら、僕は春川と向かい合っている。少女は疲れた顔で僕の方をゆっくりと見上げた。何かを言おうとしているようだけれども、言葉にすることは難しそうだ。それでも彼女は一生懸命に言葉を紡ぎ出そうとしている。僕は何も言わなくてもいいというつもりで、そっと頭を撫でた。

「大丈夫か、とりあえず涙を拭いてくれ」

 僕がポケットから取り出したハンカチでぼろぼろに溢れた涙をぬぐう。それから、春川は落ち着いたようで静かに語り始めた。


「先生、私。もう、どうしていいかわからなくて」

 春川はそう言うと、自分の肩に顔をうずめた。僕はどうしていいかわからずに頭を搔く。

「そうか、ごめん。やっぱり、もっとしっかりと話をするべきだった」

 家出なんかをするほど悩んでいた少女に、何もできなかった僕。話を聞く機会を春川自身から言い出して、それを解決したから何か心につまることがあってもそれは杞憂だと、自分にはどうしようもない春川の悩みだと勝手に決めつけてここまで追い込んでいた。

 久しぶりにあった春川は顔色が悪かった。ずっと外にいたはずで、今日はかなり日差しが強いのに幽霊みたいに顔が白く見える。相当なストレスがかかっていたのだろう、抱き着いていたからこそわかるけれどもずっと何かにおびえているように震えている。僕は、春川にもういいんだと言いたかった。でも、春川が今抱えている問題がそれで解決するわけじゃない。

「そんなことないです、先生はすごく良くしてくれて……」

「いや、僕がしっかりしていたらここまでならなかった。ごめん」

 僕はそう言ってまた春川の頭を撫でる。そうすると、彼女は少しだけ安心した顔をしてからまた話始めた。

「最近、すごくしんどいんです。なんだかいろんなものが重たくてずっときつくて、でもそれを周りに言うのはダメで。お母さんにも、亮斗にも柚葉にも何も言えなくて。そしたら、だんだん本当に自分の状況もわからなくなってきて……不安で……」

 春川はずっとため込んでいた思いを吐き出すかのように話を続ける。僕はただ黙って彼女の頭を撫で続けていた。

「ずっとすっきり眠れなくて、なんだか布団の中にいるとざわざわしてどうしようもなくって、ご飯も食べられないし、夜もあまり眠れないから何にもする気にならなくて、それで昨日。どうしてもつらくって、気持ちのやり場がなくて家を飛び出しちゃったんです」

「そうか、ごめん。気が付けなくて」

 僕がそう言うと、春川は首を横に振ってそしてそのままうつむいてしまう。僕は何もできないままに彼女のつむじを見つめた。

「先生は、どうして私がここにいると思ったんですか?」

「なんとなくだよ。春川のお母さんも森下先生も捜索していない場所で、自分がいろいろと悩んでいるならどこに行くかって考えたらここについたんだ」

「お母さんも探してるんですか?」

 その表情は冗談なんかじゃなくて、本気で驚いている様子だった。普通、母親は娘が家出をしたら捜索する。それは常識だからという理由ではなくて、本能としていてもたってもいられなくなるからだ。それが想像できないほどに春川は愛璃に対して心を閉ざしているのか。


「もちろん、親は子供が何よりも大事だって話しただろう。もちろん、春川のお母さんにもまだまだ親として不十分なところはあると思う。でも、春川がまだいろいろと悩むように、春川のお母さんだっていろいろと悩みながら親として成長しているんだよ。だから、春川ももっと親を頼っていいと思う。そうして、お互いに成長していくんだよ。もちろん、僕もまだまだ親になって少しだから完璧にわかるわけじゃないけど」

 僕がそういうと、春川は首を縦に振った。もうすっかり涙は止まっているし、表情にもはっきりとした感情が宿っている。少し元気が出たようだった。けれどもそれはあくまでも表面だけで、まだいろいろなことを考えている様子だった。それを解決するために僕は口を開く。

「お母さんのことは納得できた? もちろん、僕で良ければ幸か不幸かお母さんとは浅からぬ縁だからいろいろと普通の担任じゃあできないような深い話もできると思う。でも、春川からしたら先生は頼りないか」

僕がそう言うと、春川は首を横に振った。

「そんなことないです、このまま話を聞いてくれますか?」

「もちろん、何でも話してくれ」

 僕がそういうと、春川は少しだけ視線を泳がせてそれからもう一度僕に目を合わせる。そしてゆっくりと語り始めた。

「あの、話しづらいことになってしまうんですけれど」

「話しづらいこと?」

 そう言われて、僕に思い当たることは無かった。もちろん、愛璃との過去ならそれは話しづらいことに間違いはないんだけど、ここまで来て自分の過去が春川自身の何か役に立つならそれでいい。

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