第16話
どうして頑張れと言ったのか、私はわからなかった。なんだか適当な言葉で、先生との時間を切り上げようとしただけだと思う。先生の奥さん、綺麗で優しそうな人だった。こっちに来るときにつないでいた手と、奥さんの幸せそうな笑顔は二人がお似合いの証明を目の前でされているみたいだった。いや、先生が幸せそうにしているのは、いや先生に限らず人が幸せにしているのを見るのは好きだ。見ているだけで、こっちまで幸せになるからだ。
でも、今日はそうは思えなかった。なんだか暗い闇が自分の中に広がった。今まで生きてきた中で、人の幸せを見てそんな気持ちになったことは無かったのに。理由は、わからない。わからないから、余計にモヤモヤした。
「どうしたの、理穂」
いつの間にか俯いていたのか、柚葉に声をかけられた。いつもなら、なんでもないって答えて終わらせていたと思う。でも、なんだか今日はその答えが見つからなかった。いつもはすぐに見つかるのに。どうしてだろう、なんて言えばいいんだろう。いや、本当は理由なんて分かっているのかもしれない。だからこんなにぐるぐると同じことを考えているんだ。けど、もしかしたらというその答えを口にすることなんてとてもじゃないけどできなかった。
なにか答えないと、柚葉を心配させてしまう。でも、その答えが見つからない。どうすればいいのかわからないまま、私は逃げるように言った。
「いや、ちょっと暑くて疲れちゃった」
柚葉はまだなにか言いたそうにしていたけれど、私がそれ以上何も言わなかったからなのか深く追及してくることはなかった。
屋台の食べ物はどれもおいしかった。部活で疲れた体にはそこまでたくさん入らなかったけれども、どれも満足いくものだった。それに、こうやって友人と屋台を回っているだけで楽しい。楽しいはずなのに、どこかもやもやする。歩いていると、年齢的に私たちのような中学生くらいが一番元気があるから歩くのが速い。だから、先生の奥さんとその友達らしき人達。さらにその子供たちの群れを何度か見かける。そのたびに、食べていたものから一斉に味が失われた。
華やかな色をしたはずの祭りのはずが、白と黒のコントラストで彩られているように感じる。この色の正体は、おそらく嫉妬だろう。先生に愛されていること、お母さんが言っていたみたいにきっと先生なら自分のことを何よりも大事にしてくれると思う。それが羨ましかった。
美味しいはずのりんご飴が、あまり味がしなかった。
「理穂って、なんだか社会の授業中、元気だよね。特に最近」
授業中、後ろに座っている親友の彩川柚葉に声を掛けられた。先生は板書に集中していてこちらのことは見えていない。ただ、先生なら例え後ろを見ていても私のことを気にかけてくれていて、こうしておしゃべりしているのもわかるかもしれない。
「なに、授業中なんだけど」
私は少し面倒くさいと言いたげな声で返事をする。柚葉は長い黒髪をゴムで一つにまとめており、美人な顔立ちをしている。運動神経は抜群で、性格も良い。頭はあまり良くないが、そこが愛嬌にもなっている。そして、授業にはあまり興味がないらしく基本的に集中はしていない。先生の話を遮るように柚葉は私に話しかけてくる。柚葉の声は透き通るような綺麗な声だが、そのせいで先生の声が上手く切られる。私は柚葉にだけ聞こえるような小さな声で答える。
決して褒められたことではないが、そんなお決まりなやり取りが私は好きだった。
「いや、浅野先生が問題を出したら絶対に手を上げるし、なにかあったのかなって」
柚葉が後ろから、私の肩をちょんちょんと突いた。それを無視しようと思ったのだが、私がこそばいと思うところを知っているせいで無視もできない。私は体を捻って柚葉の方を向く。
そして、柚葉は私が振り向いたのが嬉しかったのか、すぐに笑顔を見せた。柚葉とは中学に入ってからの仲だけれども一年半近くを一緒に過ごして親友ともいえる間柄になった。きっと学校にいる中で私のことを一番、理解しているのは柚葉だと思う。
「別に何も無いよ。ちゃんと勉強してるから答えがわかるだけだし」
実際に他の教科でも問題の答えがわかれば手を上げて答えるようにしているはず。成績や先生からの印象を意識しているわけじゃないけど、誰も答えないで半ば無視しているような状態が嫌いなだけだ。でも柚葉が言っているのはそういうことではないというのはわかる。ただ、そのことについてはあまり触れてほしくない。先生の奥さんへのモヤモヤした感情が私をそうさせている。だから、私はいつものように適当に柚葉に受け答えをする。
柚葉は私を探るような目で見てきていたが、それから意図的に話題を変えた。
結局、私は先生に相談してからも亮斗に対して何といえばいいのかわからないなかでいろいろと考えていた。ただ、人生で初めての事だからわからないしどうすれば亮斗を傷つけないで済むのか、嫌いなわけではないとわかってもらえるのか色々と考えているとそれにも気づいていろいろと相談に乗ってくれた。
「そうかなあ、なんか最近は先生と仲が良いみたいだし。ついに私たちの理穂にも人生で初めて春が来たのかなって思って」
「春? どういうこと」
言葉の意味がわからない。春ならもうとっくに過ぎ去ってもう夏を迎えようとしている。
「まあわかんなくていいんだよ。そういうもんだし」
「じゃあ、柚葉には春が来たことがあるの?」
私がそう聞き返すと、複雑な表情を浮かべる。怒りと悲しみと笑顔を混ぜて溶かして形を整えた後みたいに。たぶん、この顔をしろと言ってもできる役者さんなんてなかなかいない。言葉にはできない表情だった。
「まあ、あるかな」
顔を隠すように思い切り伸びをして、私の背中を手で思い切り推した。
「ほらそこ、授業中だぞ。前を向きなさい」
私たちは先生に注意をされて、ようやく柚葉の会話から解放された。
「わざわざ時間をつくってくれてありがとう」
私は告白されてから一週間以上もかけて柚葉にも相談しながら答えを考えた。いや、答えは告白された瞬間に固まっていたんだけれども答え方の正解がわからなかった。でも、結局はこんなことに正解なんて無いんだと思う。
自分が告白をする立場になって考えることが、私はできるようになった。たぶん、すごく勇気が必要で怖いことなんだと思う。今までの関係を壊したり、恋人という関係からは遠ざかってしまうかもしれない。それでも言わなければいけないほど想いが募って自分の中だけでは消化しきれなくて、相手にそれを伝えて答えが欲しくなるんだと思う。
「そんな、それにそこまで悩ませるなんて思わなくて俺のほうこそごめん」
私は部活の練習後に携帯で連絡して呼びだした。昔はよく遊んだ公園も、部活が終わるような時間にもなると子供はいなくて取り合いをしていたブランコも空いている。私が揺らすことなく腰かけてぼうっと待っていると、急に背中を押された。
「昔はこの公園でよく遊んだよね」
「昔って、小学生の頃だからまだ二年も経ってないぞ」
「それもそうだね」
私がそう言うと、亮斗が笑う。同じタイミングで私も笑っていた。すごく心地が良い、昔から一緒にいたから呼吸が会うというかすごく楽。だけど、それだけじゃいけない。
大人になれば違うのかもしれないけれども、なあなあにはしたくない。
「まずは、好きって言ってくれてありがとう。たしかに亮斗に告白されてから自分の中でこんなに悩んだのは初めてってくらい悩んだ。だからこんなに待たせてしまった。ごめんね、待っている間もしんどかったよね」
私の言葉に、後ろにいる亮斗は何も言わないで私の背中を押す。耳の下を抜けて行く風がこそばくて気持ち良い。それでも、私は言葉を続けた。
「ごめん、亮斗の気持ちにこたえることはできない。ごめん」
亮斗は数呼吸分だけ合間をあけて、小さな声で「そっか」といった。
「ごめんね」
「ううん、そんなに考えてくれて嬉しい。ありがとう。これからも仲良くしてくれ」
亮斗は背中を押していた手を引いて、今度は私の肩を叩いた。私が振った側のはずなのに、どうしてか心に大きな穴が空いたみたいですごく辛く痛い。どこか、自分の中にあった亮斗という場所が無くなってしまって、それでもその代わりに埋められるものが今の私には無くて、心のどこかが欠けてしまったみたいに感じる。
本当は亮斗の苦しみであるはずなのに。私はそのまま振り返らずに家に帰るまでずっと公園の出口で立ちすくんでいた。いつの間にか背中からは、亮斗の温度は消えていた。それなのに、私はずっとブランコを漕いでいた。
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