第15話

「蛍祭りですか」

 小テストの採点を終えて帰ろうとしたところ、大慌ての森下先生に渡されたチラシ。それに目を通すと、いかにもパソコン操作に慣れていない人が頑張って作ったようなデザインで蛍祭りの開催が知らされていた。ちょうど今週末の日曜日だ。そういえば、もうそんな季節か。昔は祭りもたくさんあって、夏と言えばのイベントだった。蛍の光の幻想的な風景は、今でもはっきりと思い出すことができる。確かにこの田舎なら蛍の光も見ることができるだろう。以前まで住んでいた都市部ではもう蛍などは見えず、屋台と花火という人に作られた娯楽しかなかった。それが悪いわけではないけれども、蛍の光は今でも美しい。

「そうなんです、言い忘れてました。祭りの気分に充てられて非行に走ったり夜更かしする生徒がいるので先生で協力して見回りをしないといけないんですよ」

 まあ、前にいた中学でもそういうことはあったから予想はしていた。幸い、日曜日に予定は入れていない。家族サービスは土曜日にさせてもらえばいいだろう。

「わかりました、それで具体的に見回りは何をするんですか?」

「基本的には祭りの屋台が出ている場所やその周辺に顔を出すくらいですかね。結局、遠くまで生徒が行ってしまうとどうしようもないのでそれくらいで大丈夫です」

「そうですか。わかりました」

 事前にこれを知っていれば、結乃と優花を誘っていたかもしれないけど娘は友達もいるからその子たちと楽しむことになるだろう。せっかくだから、見回りの最中に少しでも結乃といる時間を取れるように都合をつけようか。

 僕はそれだけ決めて、学校を後にした。


 結乃と交際を始めたのは、夏祭りに行った時だった。同窓会で出会って連絡先を交換して以来、なかあ璃以外に交際経験が無かったからいわゆるデートみたいな行動しかできなかったけれども、結乃はそれを楽しんでくれていたように見えたから、その時に近くにある祭りに誘った。

 結乃はとても喜んでスケジュールを調整してくれた。

 その日、結乃はわざわざ実家まで浴衣を取りに帰って丁寧にそれに合わせた化粧までしてくれたらしい。祭り会場で待ち合わせた結乃は、きらきらとした笑顔を浮かべて僕の方を見つめていた。その笑顔がとても可愛くて、僕は祭りの雰囲気に当てられてしまったのか思わず結乃の手を取った。普段はこんなことしないのになと思いながらも握った手は離さずに屋台を巡った。わたあめやヨーヨー釣りなど、幼い頃から慣れ親しんでいた懐かしい屋台が多く並びながらも、新しい出店もたくさんあってお祭りの規模が年々大きくなっているようだった。

 ゆっくりと歩きながら一つ一つの屋台を回った後、僕らは会場の中央にあるベンチに座った。綿あめを半分に分けてそれぞれで食べながら、話す内容はやっぱり仕事のことが中心だった。確かに愛璃と交際していた時は勉強の話ばかりで、それは結乃とも勉強が仕事にすげ変わっただけなのになぜか違った。愛璃との交際は、自分が経験したことのない初めてのことばかりだった。だからこそ、どこか気負っていた部分があったのかもしれない。結乃に対して気を使わないわけじゃなかったけれども、自然体でいられた。だからこそ、大人になっていろいろなことを知り、そのうえでも楽しかった。

 一通り話を終えて、会場には太鼓の音が響き始めた。花火大会の時間になったようだ。結乃は立ち上がるように言うと、僕の手を優しく取って歩き始めた。その手の温もりを感じながらも、僕は花火には目もくれずに結乃だけを見ていた。きっと今この手を離すとどこか遠くに行ってしまう、そんな感覚はしなかった。きっと一年後も、この場所で隣にいられる姿が自然と想像できた。来年も、再来年も。いつまでも結乃と一緒にいられると、信じることができた。僕はきっと、この幸せを手放さないためにも結乃を幸せにする義務がある。そんなことを考えていた。

 僕は結乃を幸せにする。そう自分に改めて誓いながら、結乃と手を繋ぎながら歩いた。そうしているうちにいつの間にか交際が始まり、自然なままで僕たちの距離は近づいていった。それ以来の祭りになるだろうか。


「あ、浅野先生。こんばんは。今日はよろしくお願いします」

 祭りの会場で実際にどのあたりを見ていればいいのかと説明を受けるために待ち合わせをしていた。いつもスーツの僕がラフなシャツとデニムのパンツを身に着けていることが珍しいみたいで、森下先生は僕の頭からつま先までを視線が往復している。

「それで、この祭りはどういうものなんですか?」

 僕は会場全体を見渡しながら森下先生に尋ねた。この祭りは、この辺りの神社とその手前にある空き地。さらに少し行ったところに蛍の生息する水辺がある。そこから一帯を広く使ったものだった。森下先生曰く、この祭りの見所は近隣に自生している蛍なのだという。この地域はそこまで都会ではないから、こうして町のあちらこちらに自然が残されている。そのおかげで街の光を遮断する夜の闇が明かりの少ない田舎らしい風景を作り出しているし、人工的な光源が少ないからこそ見える蛍の光は幻想的にさえ思えるのだという。確かにそう聞くと、どんどん楽しみになってきた。

「まあ、祭りって言ってもこのグラウンドにいくつかの屋台が出て、ちょっと奥に行けば蛍を見ることができるくらいですね。蛍のいるほうは暗くて危ないから見回りの町内会の人がいるんで私たちはこのグラウンドを見ていればいいです」

 なるほど、間部市自体が落ち着いた不良などとも縁遠い気質だからかそこまでがちがちにやるものでもないらしく、実際に家が遠い先生は参加していない。屋台は焼きそばや焼き鳥、お好み焼きなど昔ながらの飲食店が多い印象だ。それに加えて射的などの遊びも祭りの規模にしては充実している。

「まあ、そんなに肩ひじ張らなくてもいいですし家族と楽しんでも大丈夫ですよ」  

 ぽつぽつと人が増えだしているなかで、活気も増してきた。一通り屋台のチェックを終えるころには、雰囲気に馴染めていた。

「いえ、娘は友達と回るみたいでわざわざ浴衣まで着て楽しみにしてましたよ」

 友達と共に出店を回ることを、嬉しそうに自慢してくれた。

「いいなあ。私にもそんな頃があったと思うと懐かしいです」

 二人で適当に話ながら屋台を見て回る。とはいっても有名な祭りで出るような本格的なものじゃなくて、量もそんなにない。すいすいと回っているとあっという間に一周してしまった。森下先生のこの祭りの思い出話を聞いているのは楽しかったからそれでよかった。

「あ、パパ!」

 途中、先に来ていた娘とそれに同行している結乃と出会った。娘は友達と、結乃はその友達の保護者さんたちと一緒に娘たちを見守りながら回っているということは聞いていた。僕は保護者さんたちに軽く会釈をしてから娘の相手をする。

「見てパパ、金魚さん。優花がとったんだよ」

 自慢げに金魚の入った袋を見せてくる娘の頭を撫でてやると、気分を良くしたのか娘はそれだけ言ってまた友達の輪に走って戻っていった。

「こんばんは、いつも主人がお世話になっています」

「いえいえそんな、むしろ私の方が助けてもらってばっかりで」

 隣では、森下先生と結乃が話していた。娘たちは移動したみたいだが、どうやら少しの間だけ他の保護者さんで見てくれているみたいだ。

「ねえ、あなた。せっかくだから、なにか一つくらい一緒に屋台を楽しんできたらって言ってもらえたわ」

「そうか。じゃあ、なにか見たいものはある?」

 結乃は少し考えてから、あれと指さした。それはりんご飴だった。そういえば、前に行った祭りでもりんご飴を食べていた気がする。

「どうぞどうぞ、夫婦で楽しんできてください」

 森下先生も一緒にとは思ったけれども、かたくなにそれを拒否するので僕たちは二人でそこに向かう。ちょうど、前の人たちがいなくなって僕たちはすぐに屋台の前に立つ。その間にも、結乃は真剣にどれにしようか選んでいた。正直に言うと、どれを選んでもそんなに変わらない気もするけれど。

 結局、結乃は一番右のものを選んで僕はそれに付き合うように右から二番目のものを買った。二人で食べながらりんご飴を舐めながら森下先生の待つ場所へと戻る。

「なんだか懐かしいわ。こうして二人でいるの、いや普段のデートに不満があるわけじゃないけど、こういう特別感って言うか。ね?」

「まあ、優花が生まれてからはどうしても優花中心の生活になってしまうからね」

 僕がそう言うと、結乃はりんご飴を持っていないほうの手で僕の手を握った。結乃は、こうやって二人きりの時に僕と手を繋ぎたがる。手を繫ぐだけならまだいいけれども、しっかりと指と指の間に自分の指を滑り込ませるような恋人つなぎだ。この年になると、誰に見られているわけでもないのに少し照れくさい。結乃はそんな僕の思いも知らずに、りんご飴をなめながら楽しそうにしている。

 僕たちは来た道を戻っていると、森下先生の姿が見えた。その前には、中学生くらいの女子の影が見える。ここまでも通りがかった生徒に声をかけられていたからそういうことだろう。

「すみませんお待たせしました」

 僕が森下先生に声をかけた瞬間に、結乃は手をそっと放す。

「あ、浅野先生も一緒だったんだ。え、つまりそーいうこと?」

「だから彩川さん、別にデートで来ているわけでもないし先生とは普通に見回りで一緒なんだから」

 なるほど、一人でいたから彼氏と来ていたのかと思われていたのだろう。そこには、彩川、河埜、春川の三人がいた。みんな、浴衣に身を包んで大人っぽくなっているけれども考えることはやっぱり中学生らしいというか。

「彩川、あんまり先生を困らせることを言うな」

「そうよ。それに先生は奥さんと来てるんだから」

 森下先生がそう言うと、三人の目が輝く。できることなら知られたくはなかった。こうやって騒ぎ出すとわかっていたから。

「浅野先生の奥さん! どこどこ?」

 結乃は、彩川の声に呼ばれて僕の少し後ろからみんなの前に姿を現す。

 顔は困っているけれども、どこか嬉しそうだった。それを見て、生徒たちは口々にきゃあきゃあとはしゃいでいる。可愛いや綺麗と言われて結乃もまんざらではなさそうだ。そのなかで、特に春川はじっと結乃の顔を見ている。春川のその丸い目でじっと見つめられると、なんだか見透かされているように感じることがある。結乃にもちょっと怯えの色が見えた。

「こんにちは、いつも旦那がお世話になっています」

 特に、最近はそれが増えているような気がしていた。授業中や廊下を歩いているときに視線を感じて振り返ると、春川がこちらを見ている。最初はなにか間違いでもあったのかと心配していたけれども、いつも振り返ると何も言わない。どういう感情がその瞳の奥にあるのか、それなりに長く教師をしていてもわからない。

「じゃあ、私もそろそろ娘のところに戻らないといけないから。じゃあね」

 結乃は居心地が悪くなったのか、僕や生徒たちに手を振って去っていった。僕らもそろそろ見回りを再開したい。

「ほら、三人ともせっかく来たんだから僕らに絡んでないで蛍や屋台を見てきなさい。あと、祭りが終わったらすぐに帰るんだぞ」

「は~い」

 それだけ言って、僕らに飽きたのか彩川は去っていった。それに続いて河埜と春川も僕らの元を後にする。

「先生たち、頑張ってね」

 春川は最後にそう言って去っていった。

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