Episode01
「水無瀬 凛です。よろしく」
黒板の前に立ちそう名乗る男の子は、どこからどう見ても”りんちゃん”とは似ても似つかぬ姿をしていた。
落ち着いたダークトーンの髪は、毛先を上手に遊ばせていてどことなく洒落込んでいるのが分かる。
耳には見える限りで両耳合わせて5つのピアス。この感じだと耳たぶ以外に軟骨とかにも開けているのかもしれない。
身長はざっと見た感じ、180センチくらいはあるように見える。顔が小さくて脚が長くて、なんだかひどく日本人離れしたスタイルだ。
教室からは女子の色めき立つ声があちこちから聞こえてくる。
すらりとした体格に、少し見ただけでわかるセンスの良さ。もちろん顔立ちだってそれに負けないくらいに整っているもんだから、そりゃこうなるのも分からなくはない。
けど。
(どこをどう見ても、りんちゃんには見えないんだよなあ……)
……ははーん、あれか。
りんちゃんと同姓同名の男の子が転校してきて、別人だって分かってるのに、思わずりんちゃんと重ねちゃってドキッ☆
―――とかいう少女漫画的展開。
ははは、残念ながら私はそんな手には乗らないっつーの。
きっとわたしが知ってるりんちゃんは、今もイギリスのどこかで元気で暮らしているんだろう。
お母さんやお父さんに聞けば連絡先とか分かったりするかな、もしわかるなら今度メールとかしてみようかな。
「水無瀬はご家族の都合で5歳からイギリスで暮らしていたんだが、出身はこの街らしい。もしかしたら知り合いがいるかもしれないな」
担任の言葉に思わず反応しそうになったが、なんとか声を出すことなく耐えることが出来た。
……まさか本当にりんちゃんが…?
いやいや。わたしが知らないだけでかつてこの街には、水無瀬 凛っていう人が二人いて、私が知っているのはその片方のりんちゃんで、今目の前にいる水無瀬 凛くんはもう一人の水無瀬 凛くんで、つまりわたしが大好きなりんちゃんとは別人で、
「しばらくの間、教科書見せたり学校のこと教えてやったりしてやってくれな。頼んだぞ三枝」
「……」
「おい三枝、聞いてんのか?」
「はい?何がですか?」
正直今は担任の話より頭の中を整理するほうが先決なんです。
だってこんな状態じゃ勉強だって手につかないし、日常生活にだって支障が、
「隣の席だから、水無瀬のことよろしくなってことだよ」
「いやいや、なに言ってるんですか先生。私の隣の席は仲田くんじゃないですか」
「お前こそなに言ってんだ。仲田は春休み前に大阪に転校したろ。今日からお前の隣は水無瀬だ」
仲良くしてやれよ、なんて笑うと担任はホームルームを始めだした。
え、ちょっと待てコラ!まだ頭の整理が出来てないんですけど!
担任がさくさくとホームルームを進め始めたところで、隣からは椅子を引く音が聞こえた。
視線をやれば少し粗雑な動作で隣の席に腰を下ろす水無瀬くんの姿。
いいなあ、なんて声が聞こえてくるけど、代われるもんなら代わってもらいたい。
ちらりと見遣った表情は何を考えているのかわからなくて、ますます頭が混乱していく。
(やっぱり、この人、…りんちゃんじゃない、よね…?)
だって雰囲気も仕草も、私が知ってるりんちゃんとは全然違う。
というか、あんなこの世に舞い降りた天使のようにかわいくてヒーローみたいにかっこいいりんちゃんがこうなったなんて信じたくない。
頭の中で結論づけた私は、とりあえず自己紹介をすべく小声で水無瀬くんに話しかけることにした。
「初めまして。私、三枝、」
「久しぶり」
「え?」
久 し ぶ り ?
「昔、△△マンションに住んでて、四人兄妹の末っ子で、おばさんに憧れて空手を習い始めた三枝千和だろ。なんか違った?」
「いや、違わない、けど…」
「初めましてとか言われるから人違いかと思ったじゃん。俺のこと分かんなかった?」
いや、そういうわけじゃないんだけど。
視線を逸らしながら答えると水無瀬くんはおかしそうに小さく口元を緩めた。
違う。
私が知ってるりんちゃんはこうやって大人びた笑顔なんかしない。
うん、そうだよ。この人は水無瀬くんであってりんちゃんじゃないんだ!はい解決!終了!
「なあ」
「どうかした、水無瀬くん?」
「……なに、その呼び方」
「え?」
呼ばれた声に返事をすれば、至極不機嫌そうな声が返ってきた。
な、なんで水無瀬くんはこんなに怒ってるの?何か悪いことした?
「水無瀬くんとか、なんでそんな他人みたいな呼び方するわけ」
「だ、だって、水無瀬くんは今日転校してきたばっかりだし、何て呼べばいいかわかんないし、ですし…」
不機嫌そうにじっと見つめられると、どうすればいいのか分からなくなって変な敬語が出てきた。
くっきり二重の大きな瞳。
鼻梁はすっきりしていて、シミひとつないきめ細やかな肌。
これは女子からしても羨ましいなあなんてどこか他人事のように見ていると、水無瀬くんの眉間に不機嫌そうにしわが寄る。
「凛でいいじゃん」
「……はい?」
「ガキの頃みたいにちゃん付けとかはさすがに嫌だけど、普通に名前で呼んでよ。つーか名前で呼ばないなら返事しないから」
「い、いや、でもですね…!」
「その変な敬語もきもいから禁止」
「え、ちょ、」
そう言いたいだけ言うと水無瀬くんは視線を前に向けてしまった。
きもいとか、普通初対面の人間に言うか!?
百歩、いや一万歩ゆずってもしも水無瀬くんがりんちゃんだったとしても、十二年ぶりに会った幼馴染を罵倒するか!?
しかも何回呼んでみても、本当に返事はおろか見向きすらしない。
なんなの、この人は図体だけでかい子供なの?
その様子に、私も水無瀬くんのことは意地でも名字で呼び続けることを決意し、その後丸一日、水無瀬くんと呼び続けた私に、水無瀬くんは一度も返事をすることはなかった。
友達からはどうかしたのかと心底心配をされたけど、これは勝負だからと返しておけば諦めたのかそれ以上追及しようとはしてこなかった。
◇◇◇
「おいバカ千和!お前また廊下の壁殴ったろ!」
「いちいちうるさいなあ、自分の家なんだから別にいいじゃん」
「憂さ晴らしなら自分の部屋でやれって言ってんだよ!廊下は共用スペースだろうが!」
帰宅早々リビングでくつろぐ私にキレているのは三枝家次男、三枝槙。
私が通う箱庭学院高校で英語教師をやっている。
三人いる兄の中で圧倒的に私との喧嘩が多いのが槇にぃなのは、この会話を見ていただければお分かりになるだろう。
「まあまあ。槙だって高校生のとき、イライラしてドアに当たって壊したことあったんだからさ」
「なっ、凪月兄、それはまた別の話だろ!?」
「すっかりおかんむりだった母さんに、一緒に怒られてあげたの覚えてないわけないよね?」
そう言ってスーツ姿でにっこり笑うのは長男の三枝凪月。
口調は丁寧だけど一旦ぶち切れると誰にも手が付けられなくなるのが凪月にぃだ。
機嫌が悪いときの凪月にぃに近寄ってはいけないのは、私たち兄弟の中で暗黙のルールだ。
「てかさ、なんで千和はそんな不機嫌なわけー?」
一人呑気にアイスをくわえながら私の隣に座ったのは三男の三枝智希。
普段はふわふわしていて、私たちでもいまいち掴めない智希にぃだけど、言うときはストレートにぐさりと言ってくることが多い。
兄貴たちの中では智希にぃと一番仲がいい、と思ってる。
「それは……」
「アイスでも食べながら、おにーちゃんたちに話してみ?」
そう言って智希にぃが差し出したアイスの包装を開けながら、私は今日の出来事をかいつまんで兄貴たちに話すことにした。
「―――ってわけで、隣の席の転校生と上手くやれる気がしなくて……」
「ふーん。ねえ槇兄、転校生ってどんな子なの?」
「どんな子もなにも、今日来た転校生って凛だろ」
「え、凛って水無瀬凛?」
「そう」
「…………」
きっと、今日の水無瀬くんとのやりとりがなかった昨日までの私だったら、嬉々として会話に加わっていたことだろう。
だけど今の私にそんな気はさらさらないし、むしろ怒りさえ込み上げてくる。
「あれ?でも千和って凛くんのこと大好きじゃなかった?」
「凛くんが引っ越しちゃう前は布団の中で泣いてたもんねぇ」
「…………」
「アレじゃねえの。10何年ぶりに初恋の幼馴染に再会して嬉し恥ずかし~的な、って痛ぇ!!」
「槙にぃ黙って。出来ることなら一週間くらい黙り続けて」
にやにや笑いながら茶化す槙にぃの表情がひたすら腹立たしくて、その怒りをぶつけるように思いっきり踵で脛を蹴ってやった。ふん、ザマミロ。
未だに手や足が出る私と槇にぃの喧嘩を呆れたように見守る凪月にぃは、思い出したようにキッチンへと向かっていった。
そろそろご飯にしようかという凪月にぃの言葉に置きっぱなしにしていた鞄を持って立ち上がる。
「凛くん帰って来たなら俺も会いたいな」
「そうだ、母さんたちも一緒に歓迎会とかしようよ」
「それもいいねえ。ねえ千和、今度凛くんに、」
「———水無瀬くんは、りんちゃんじゃないもん」
ぽつりと呟いた言葉に、智希にぃは私の頭をくしゃりと撫でた。
小さな子供をあやすようなその仕草に文句が出そうになるけど、いまの自分はきっとそう見えているんだろうと思うと言いかけた言葉はそのまま飲み込まれて音になることはなかった。
自室に飾ってあるコルクボードには、一枚だけ古びて色あせた写真が貼られている。
手をつないで楽しそうに笑う、私とりんちゃんの写真。
保育園の遠足で、地元の大きな公園に出掛けたときに撮ったものだ。
もうずっと前のことだけれど、今でもわたしの中に大切な思い出として残っている。大切な、大切な思い出だ。
「……りんちゃん…」
本当に水無瀬くんがりんちゃんなの?
だって髪の色だって身長だって笑い方だって全然違うよね。
可愛くて女の子みたいな、だけど本当はずっとずっと誰よりも男の子らしいりんちゃんは、水無瀬くんの中にはどこにもいない。
心の中で問いかけながら写真をなぞってみても返事なんてあるわけもなく。
キッチンから届いた凪月にぃの声に、考えることを放棄するように部屋を出た。
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