第29話
受験期に入る前、寒いの退屈な体育で秋也がやらかした。その日――夏莉は富田に殴られ、しばらくの間松葉杖が必要な生活になった。
夏莉が意見する瞬間も、殴られる瞬間も、俺は横で見ていたのに……何もできなかった。悔しくて仕方なくて、富田が学校に来てた日に(絶対にダメだとはわかっているが、)殴るなりなにか一言言ってやろうかと思った。
そう思ったものの心を読まれてるのか、春希は俺の腕を強く掴んで制止する。
「ふゆちゃんは何もしなくていい」
「ちょっ……」
春希は富田に話しかけて、2人して急ぎ足で教室を出ていった。まだHRの35分も前で、秋也と夏莉は来そうにない。教室もガラ空きだ。飛び出して追いかけようとするも、俺が立つのが遅くてカーテンの閉まった教室に入られてしまった。鍵は……かかっている。
また、俺は何もできなかった。
諦めて教室に戻ると、珍しく夏莉が座っていた。
「ふゆちゃん!おはよぉ、ね、このグミ食べる!?」
「…ミラクルグミ?また変なの…俺はいいや」
「ちぇ〜、美味しいのに!」
「今日は早いんだね」
「早起きできたから早めに来ちゃった〜」
夏莉の後ろの席は俺だった。俺の机にミラクルグミを置いたまま、夏莉はよくカラオケで歌う曲を歌い出す。とても機嫌が良さそうだ。
冬の冷えた風がカーテンを靡かせる。曇天の空の、冬の朝の香りが鼻を突き抜け、忘れられない情景になるんだろうなと切なげに呟きたくなった。綺麗な歌声と、外の鳥のさえずり。グラウンドを通る人も少なかった。
「朝は人が居なくていいね〜、2人きりだね」
「まぁ……多分そのうち、春希が戻ってくる」
「あ、もう来てるの?」
「うん、あいつ毎日早いじゃん」
「じゃあもうすぐふゆちゃんとのマンツーマン指導も終わるってこと〜?」
「指導ってなんだよ……」
訳のわからない夏莉にクスッと笑うと、夏莉も笑顔で返す。
「そのダンス何?」
「今のプリキュアのエンディングのやーつ!」
「いいね」
「ほんと!?」
「うん」
「布教してもいい?」
「プリキュアに興味は無い」
「なんだよぉ〜っ」
今のことを俺はきっと、ずっと忘れない。
でも夏莉は明日には忘れているんだろう。
こんな朝も、何度も迎えているはずだ。仲良い男子と2人で過ごす気持ちの良い朝は、何度も……何度も。この1回なんて覚えてないだろう。
――覚えてないでしょ?
「夏莉、あのさ…」
「あーー!!!私用事あった!!また後でね!!!!」
夏莉はいつもそうだった。
俺がなにか口を開くと、すぐに居なくなる。気のせいなのか、それともわざとなのか……俺がなにかしてしまっているのか、好きとバレているのか……。
足早に教室を出ていく夏莉の背中を目で追うことしかできなかった。
好きとは、幸せな感情だけじゃないんだと――自分の中の不甲斐なさや、嫌な心に自覚させられるんだと、この2年間で実感してきた。
黒板に書かれた「もうすぐ3年」の文字を見ると、なんだかすごく……憂鬱だった。
きっと来年もこの叶わぬ恋心をこじらせて、卒業するだけ。卒業したら夏莉の笑顔を毎日見ることはできないし、会うのもわざわざ約束しなきゃいけなくなる……憂鬱でしかない。そしてきっと夏莉は大学で上手く過ごして、素敵な人達と付き合って、結婚するんだろう。
そんなことを考えているうちに夏莉は戻ってきた。お茶2本を片腕に抱えて、小走りで。
「はいふゆちゃん、こないだのお礼」
「こないだ?」
「お茶奢ってくれたでしょ〜、だからお返しね!」
「ああ……ありがとう、覚えてたんだ」
「忘れるわけないでしょ!」
あんなに憂鬱だった気持ちも、夏莉がくれば1秒でふわふわする。笑いたくなる、自分が自分じゃなくなる。
「あ〜彼氏欲しい」
最近の夏莉の口癖だった。
「……彼氏できないの?」
「そんな簡単にできると思う〜?」
「頻繁に付き合ってるじゃん」
「それは否定できない……」
「どんな人と付き合いたいの?」
「優しくて、話が合って、私らしくいられる人」
「そういう人とか……好きな人とかいないの?」
震える手を机の下に下ろして誤魔化した。夏莉の顔は見れなかった。どんな顔してたんだろう、そして俺はどんな顔をしているんだろう。
「ナイショ」
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