第9話

3月上旬、今日も連絡はこなかった。

ただこの日、私の背中を強く押す出来事があった。


きっかけは春希の一通のLINEだった。

『みんなに報告したい事あるから、高校の最寄り駅の横にあったカフェで会いたい』

『よければ、今日の17時に。』


布団の上で眺めていたその文章。

現在時刻は14時半。目的地まで1時間、メイクに2時間……めっちゃ間に合うか怪しい。


『俺行けるよー』


秋也のその返事で、すぐフリックする。


『遅れるかもだけど、必ず行く』


急いでベッドから降りた。洗面台へ向かう。酷い寝癖と、酷いクマ……これでは心配されてしまう。メイク時間の大半はコンシーラーに吸われる。にきびや赤みを隠す気は無いが、やつれた感のあるこのクマだけは絶対に隠さなきゃいけなかった。

みんなに心配されたくない、その気持ちが1番。そんなプライドのために、必死にコンシーラーを塗り重ねる自分は、鏡の中で泣いているようだった。

そうしてようやく準備を終え、カフェに向かう。


16時半、約束よりも30分も早く着いた。

流石にまだ誰もいないだろうと思ったら、意外なことに2人とも揃っていた。


「やっほ…2人とも早くない?」

「俺なんか張り切っちゃって、早く来たわ」

「秋也は浮かれがちだからわかるけど…春希はなんでそんなに早いの?」

「夏莉がいつも30分くらい早く来るからだよ」

「え!私のために早く来たの?」

「ま、そんなとこ」

「やっさし〜〜あの春希様がこんな優しいなんて!きっとすごい報告なんだろうな…」

「いいから、早く入るぞ」


カフェの店内は、いつもより空いていた。

平日の夕方にしては珍しく、ガヤガヤもしていなかった。


「俺はオレンジジュースで決まってるから!」


秋也は16歳の春からいつもオレンジジュースだった。カラオケに行っても、焼肉屋にいっても、果てはラーメン屋でも…いつでもどこでもオレンジジュース。だから、私たち3人が秋也になにか買う時は絶対オレンジジュースだった。なんなら、秋也の受験の差し入れにとそれぞれでドリンクを渡した時は、3人揃ってオレンジジュースだった時もあった。


「俺は……ブラックコーヒー」


春希はいつもブラックコーヒー。苦くないの?って聞くと、苦いって笑う。私が興味本位で1口貰って、苦みで呻くともっと笑うんだ。

一度だけ、なんでブラックコーヒーなのか聞いたことがある。「カッコイイじゃん」そんな理由だった。

なんでも正直で素直で飾らない秋也とは真逆で、春希はとにかくカッコつけたがっていた。知的でちょっとクールで、博識な、そんなオトコを目指しているのは16歳の頃から何も変わっていない。


「私はー…………」


……あれ。

私って、いつも何を選んでいたんだっけ。

前は秋也に合わせてオレンジジュース、その前に来た時は春希に合わせてコーヒーを頼んだ。みんなの後を追っているよ、みんなと同じの飲みたいよって、そうアピールするように。でも私が飲みたいものって、なんなんだろう。みんなに合わせていない、私が飲みたいもの。


心臓の音がうるさかった。

それはトキメキとか、恋とか、驚きとかではなく、体が激しく冷えていくような恐怖や焦り。


「あ……っと……ごめん、なんも決めてなかった」

「…夏莉、まぁなんだ……たまにはコーヒーでも頼めば?」


メニューを見ていた視点を上げ、正面にいた春希を見た。

……ああ、その目。

私の焦りとか、そういうのを全部見透かしちゃってる時の目。春希は私の性格をどこまで知ってるんだろう、春希にとって私はどんな人間なんだろう?

なんで今気づいた?自分自身の気持ちが行方不明になっている私に、なんで気づいたの?

そう聞きたい気持ちも、唾液と一緒に飲み込んで、「コーヒーなら、ウインナーコーヒーにする」と言った。程なくして店員さんが来て、全員分注文した。

がら空きの店内、商品が届くのは早かった。

3月の妙に生暖かい気候のせいか、焦りのせいか、あの目のせいか、少しだけ汗ばんでいた。冷房がついているわけもなく、少しだけ居心地が悪い。


「……で、報告って何?」


切り出したのは秋也だった。


「俺、正式に内定が出まして、来年度から例の大企業に入社します」

「おめでとう」


すぐさま返事をした。小さめの拍手をして、笑った。

うまく笑えているかわからない。

ふゆちゃんもいない、私もドン底の中で、手放しで喜べることなど何一つなかった。

アイスコーヒーの汗と私の汗、どっちが多かっただろうか。


「んでさ、4月から静岡に引っ越すんだ。それまで……あと1ヶ月もないじゃん。またみんなで時間ある時に集まって、飯でも行きたいなって」

「え、静岡?」

「うん」

「……簡単に、会えなくなるってこと?」


また、心臓がうるさくなる。

汗、汗、汗。それも、冷や汗。


「いや、お前らが遊びに来てくれんなら、いつでも会えるさ」


春希はドヤ顔でそう言って、1口ブラックコーヒーを飲んだ。苦そうな顔も、無理やりな顔もなくなった。私ががむしゃらに生きて転んで休んでいたその間に、春希は大人の階段を確実に登っていたんだ。


「…たまには帰ってきてよ」


秋也も寂しそうな顔でそう呟いた。

オレンジジュースは進みが悪いのか、お冷の方が減っていた。


「まあ、月一で帰ってこようと思うから今まで通り会えるけど」

「なんだよ、ちょっと大袈裟だったじゃん今」

「そんなことより本題。会えなくなる前に、俺はどうしても4人で集まりたいと思ってる。」


その言葉が、一筋の光のように感じた。

私が突っ走ってもいい理由が生まれた。


「私……本気でふゆちゃんのこと見つけようと思ってる。いいかな」

「どうやって?」

「それは今考えてる。でも、とりあえず家がどこかを見つけて、家まで行こうかなって」

「それめっちゃ至難の業というか……無理じゃない?」

「俺も…少し前に夏莉からその話聞いたけど、無理だと思うんだよね」

「無理じゃない」


2人の顔をじっと見つめた。


「無理じゃない。やってみせる、証明する。だから待ってて」


そう言うと、2人してお冷を飲んだ。

秋也はオレンジジュースに苦味があるって。

春希はブラックコーヒーは苦い、なんて言いながら。


「……俺、夏莉のそういうとこ、尊敬してるよ」


2人の信頼の眼差しが嬉しくて、会えたことも何もかもが嬉しくて……泣きそうになった。

声が詰まりそうで、クリームのとけてないコーヒーを流し込んだ。


「あ〜、まだ私には早いわ、この苦さ」

「俺も、ブラックコーヒーはまだ慣れないよ」

「俺はもっと甘いオレンジジュースが飲みたいな〜〜〜」

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