第4話 瞳を開ければ青かった③
「何だよ、そこはもっと盛大に驚くところじゃねえのかよ。なんで、そんな頭のネジが取れちゃった子扱いされないといけねえんだ……。もしかしてカッコよくなかったのか……? 凄みを利かせたつもりなんだけどな」
反応が気に食わなかったのだろう。男が何やらブツブツと呟いているが、本質はそこではない。少女は、思わず声を荒げる。
「あなたが神なわけがないでしょうっ。神というのはもっと強く、威厳があり、しかし心を満たしてくれる方です。あなたが神であるはずがない」
「じゃあ訊くけどよ」
男は怯まない。それどころか先程よりも、視線はより鋭く、少女の全身を射抜く。
「お前は神に会ったことがあるのか?」
「それは……」
少女は神に出会ったことが無かった。そもそも、神という存在を、あまり信頼してもいなかった。ただ漠然と、いるということだけ。それだけを理解して、今までを過ごしてきた。
「神なんて、いませんよ。いれば世界はこんなことにはなっていないでしょうから……」
「神さえいれば世界はこんなことになっていない、ね。まあお前が神そのものを崇拝してるってことは分かった。つまり会ったことはねえわけだ」
男は一歩詰め寄る。それにつられて、少女は後退。出口からは遠ざかる。二人の間を埋めるのはただ莫大な闇ばかりだ。
そんな暗闇の中、男は明かりを付けようともせず、話を続ける。
「まあこの際どうでもいいな、俺が神か人間かってとこは。じゃあ今度は俺からの質問だ。お前、これからどうするつもりだ?」
沈黙。
瞬時に、言葉は続かなかった。
少女の視線が、あちこちに移動する。言う事が無いわけではない。
ある場所へと還ること。それが少女の目的だった。ただ、それを得体の知れない何かに言うつもりにもなれない。
ようやく口を開きかけた少女を制するように、しかし男の声が響いた。
「ああ、言っとくが大神殿ももうねえから。お前、帰る場所ねえよ」
「なっ――!?」
それは、少女にとって絶望にも近い宣告だった。この変わり果てた世界で、目指すべきはずだった場所。それが無くなっていると、そう告げられても少女は自称神の言葉を鵜呑みにしない。
「そんなはずありません! あの地までもが影響を受けているはずが……」
「ああ、それは問題ねえよ。なんせ俺が直々に壊したからな」
「――っ」
呼吸が、止まる。
全身を巡る血が、熱く湧き上がる。
ただ、理性だけが。それまで正常に働いていた脳が。堰を切ったように。
膨らみ爆ぜた。
「嘘を吐くな!! お前如きにあの地が壊せるわけないだろ!! あの地は、あの地はな――っ」
男の胸倉を勢いよく掴み、激昂した。少女はその瞳を、その視線を、ただひたすら怒りの感情、それだけを込めて男に突き刺す。
男は、それに静かに答える。
「知らねえわけねえだろ。あの地は神とその取り巻きが住まう桃源郷。楽園。天国。そんなところだ。だから壊したんだ」
乱暴に、胸倉を掴むその手を払う。
暗闇が取り囲むその中。二人の視線が交錯する。
「まあキャラ付けするならしっかりと最後までやり通せよ。カフカならそんな口調には絶対ならねえ」
「……あなたが神だというのなら、この世界は、あなたが創ったということになります。世界を一度壊して、もう一度創り直した。今この現状を作った、そうですね?」
「ああ、違いねえよ。俺はあの世界を壊して、そうしてこの世界を創った」
「なら、あの少女たちは。今この身体を借りているカフカも含めてですけど。どうしてあなたの下で――」
「それは教える義理もねえな。まあただの教師と生徒みたいな関係だって思ってくれりゃあいい。まあ教えても良いんだけどな、どうせ一度消すし」
相も変わらず、その表情からは余裕が見て取れる。微塵も、今の状況に不安や疑問を抱いている素振りを見せない。
彼がどういう存在なのかは、この際どうだっていい。
今はとにかく、この場を離れる、目の前の男から遠ざかることが先決だと考え、少女は周囲を見回す。
簡易なベッド。小さいテーブル。鏡体に箪笥。最低限生活に不自由しないモノが揃えられたその部屋には、窓が一つあった。
「この世界には、役割ってのが存在してな」
「……?」
少女の視線が男へと戻る。男が何を言い出すのか、その予測さえつかない中、少女はただ黙って言葉を待った。
「例えばカフカやナズナみてえな少女。あいつらがこの世界で担ってる役割は、魂の救済ってところだな。それで、俺がそれらを取り仕切る役目だ」
「……魂ってそもそも何なんですか。当たり前みたいになってますけど」
「さあな。俺もよく知らねえ。ただ多分、俺がこの世界を創った時に出来た歪。そんなもんだと考えてるけどな」
「よく知らないって、あなた本当にそれでも神――」
「だからな」
語気に力が込められた。思わず、少女は言葉を止めてしまう。
「お前がここにいる理由、その意味が分かんねえんだわ」
この世界には役割が振られていると、男はそう言った。それならば、自分自身は。
この少女の身体を借りている己はどういった役割を持っているのだろうか。
堕ち人だと、そう言われた。
それならば堕ち人なのだろうか。
少し前までは少年だった。
それならば少年なのだろうか。
今は少女だ。
それならばカフカの持っている役割をそのまま引き継いでいるのだろうか。
ここにいる理由。
それは少女自身にも分からなかった。
「これまでにもあったんだよ。生きてる人間が上がってくることはよ。でもな、そいつら全員意志が無かった。怖がったり、自分の意見を言ったりなんて、したことは絶対になかった。ただお前は、そうじゃねえな」
男のことを怖がっていたし、自らの考えを持ち合わせていた。そう言った意味では、自我があったということなのだろうが。
「オセロが好きだっつうのはお前が食った、もしくは今みてえに取り込んでる魂からきてるのかもしんねえけどよ、それでもお前には、お前自身にはやっぱり自覚はあった。記憶が無いって嘘を吐いてたぐらいには、自分を持ってたってことだろ」
「嘘なんて……」
「じゃあ本当に記憶が無かったってのか? お前が食ったであろう少年の記憶しか、持ってなかったのかよ」
目が覚めた時、何もかもを失っていた。それでも、カフカを見た時は安堵したし、オセロをしている時は楽しかった。少年としての記憶、その一部に浸っていたのは確かだ。けれど、同時に。
落ち着かなかった。
欠落していたのだ。それはこうなった経緯、どうしてここまで来たのか何処から来たのか、その辺りのことばかり。知らないことも、多くあった。
ただ憶えていることを黙っていたのもまた事実。今こうして、ここを出ようとしているのも、ここがどういった世界であるか、それまでの知識と比べ導き出したのも全て。
これまでの記憶からだ。
「今世界にある魂は全部不安定なんだよ、だからそれらは空いた穴を埋めるように、水が重力に従って流れるように、ごく自然に穴を塞ごうとする。その方法が、魂を取り込むことなわけだ」
「……つまり、私の起源はやはり元々あったということ、ですね」
「どこまでお前が自分を知ってるかは分かんねえけどな。ともかく、理屈はそうだ。そこで取り込んだ魂の情報は得られるだろうし、元の知識も持ったまま。そういう意味じゃあお前も、これまでと同じ感じの魂なんだろうが」
この世界は、少女が知っているものではない。
海は空へ、空は落ちている。人類が築き上げた技術は全て破砕され、進化を繰り返した生物は見る影も無い。
町だった場所には魂が漂い、丘の上にはそれらを処理する存在がいる。
そして一見完成されたこの世界で。
しかし自分は意志を持った。
「お前がもたらす歪は、なんか違えんだよな。俺が求めてるもんじゃねえっていうか」
「……自分の求めている物以外受け入れないっていうのは、間違ってますよ」
「いいんだよ。俺は神だからな。ただ、俺みたいな神でも、原因不明な、看過出来ねえ歪が生じる場合もある」
それまでにもこの丘を登ってくる者はいたらしい。しかしその誰もが自我を持ち合わせていなかった。この世界があって。しかしここに生きる自分は、どういった役割でもない。
だからだろうか。そんな特別な枠に入れられたからだろうか。
少女は違和感を覚えていた。
「やっぱり、間違ってます。あなたも、この世界も」
この世界は、何処か歪んている。
何もかもが、浮いている。地に足がついていないというか、バランスが悪い。
誰もが役割を全うしていればそれで良く、事故や他の自然現象が一切干渉しない、そんな過保護な世界。
ここは間違った、彼の世界だ。
「間違ってなんかねえよ。ただ俺は救ったんだ、神様らしくな」
「自分を救うため、ですか? あなたに何があったのかは知りませんけど、とんだ自己中心的考えですね」
「そう思ってるならそう思ってるで結構だ。とにかく、俺はまた失敗したってことだ、お前みたいなバグが発生しちまってるんだからな」
こうして、会話を交わす中でも逃走を図るが、男は一歩もその場を動かない。窓から飛び出すという手も考えるが、そのタイミングを、少女は掴みかねていた。
「そもそもそのバグが堕ちた天使ってのも良く出来た話だよな。堕ち人、だがそれとはまた違った異常の存在。俺が神だからその役目としてお前が出て来たのか、それとも偶然なのか。偶発されるバグは俺が創ったもんじゃねえから分かんねえけどよ。まあでもそれが見つかった時点で、この世界に意味はねえ」
「……」
男が言っている事が何処まで正しいのか、何処まで信用していいのかは判断付かない。ただこの場を離れた方がいいというのは分かる。
「っと、話し過ぎたか。まあいいや。だからよ、なんて言うか。失敗作なんだよな。俺も、お前も。この世界だって」
話すことに夢中になっているその隙に。
少女はここから離れることを決意する。
「だから――」
少女が様子を見ながら、その足を一歩下げた瞬間。
凍てつく声が、響いた。
「コワレロ――」
はっきりと、その言葉が知覚出来た時には。
もう何もかもが遅かった。
視界は、白く。
けれど痛みも眠気もない。
全てが消し飛んだ、という感覚は無かった。
あったのはただ、上から塗り潰すような白だけ。
音は無い。
男も既にその姿を消していた。
けれど。
そんな何も無くなった世界で。
誰かに謝罪する男の。
暖かい声が聞こえた気がした。
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