第3話 白にも黒にも成りきれない④

「負けましたーっ!!」


 十分後、そこには盤上に顔を突っ伏しているカフカの姿があった。


「まあ、予想。出来てたけど」


 盤面は見事に黒一色。パーフェクトゲームだった。少年はと言えば、素直に喜ぶわけでもなく、本気で悔しがっているカフカの姿を見て戸惑っている。負けてしまった彼女のプライドを傷つけないようにしているのかもしれない。

 ただ、元気だけが取り柄なカフカにはそのような配慮は必要無かったりする。


「うがー、もう一度ですっ。このままじゃ引き下がれません」

「ムキになってる。大丈夫、カフカちゃんは。何回やっても、勝てないと、思う」

「何ですと!? やってみないと分からないじゃないですか!!」


 案の定、勢い良く顔面を持ち上げたカフカが再戦を持ち掛ける。納得出来ないことは放っておけない性質なのだろう。カフカの瞳には闘志が宿っていた。

 こうなると非常に面倒なので、ナズナは半ば強引に机から引き剥がす。


「ちょ、ナズナちゃん? 今から私、決闘するんですけど!?」

「手段と目的を、見失ってる。最早ただ、遊んでるだけ。駄目」


 ウダウダとごね始めるカフカをまたもや放置して、様子を見舞っていた少年へと向き直る。


「強い、ね。オセロ。得意なの?」

「うん。お父さんとやってたんだ」


 口調に未だ警戒の色は残っているが、幾分まともに話せるようにはなった。ナズナはそのことを確認すると、微笑み、また返した。


「そう。好きに使っても、いいから」

「本当に!? やったあっ」


 思い入れがあるのだろう。少年は目に見えて喜び、盤上の駒を片付け、再び並べ始めた。そのまま、再びゲームを始めるつもりなのだろう。チラチラと、少女二人の様子を窺っている。


「……カフカちゃん。もう一回、やる?」

「ふふふ、やっぱり私の出番のようですね。ようし、やってやりますよ!!」


 カフカの反応が過剰気味で、思わずナズナは辟易してしまう。それほどまでに負けたことが悔しかったのだろうか。

 少女は、相変わらず元気一杯で勝負を挑む。


「見ててください。私の超絶テクで震え上がらせてやりますよ」

「そういうの、良いから」


 果たして。

 彼女が再び盤上に額を打ち付けるのは、それから約十分後のことだった。



「それにしても強いですよね、あの子。この私を負かすなんて、ただ者じゃありません」

「カフカちゃんが、弱いだけという、可能性もある」


 一仕事終えたかのように、額の汗を拭うカフカ。それに対するナズナの返答はいつも通りさっぱりとしたものだった。


「いやいや、マジモノですよあの子は。まるで手の平で踊らされているかのようでした」

「多分、比喩表現じゃなくて。その通りなんだと、思う」


 しかし、カフカの言う通り、少年の腕前は見事だった。基本的戦略はもちろん、カフカを誘導さえして全ての駒を自軍の色に染め上げる。一朝一夕で身につくものではないだろう。

 カフカ曰く、マジモノの少年は、彼女との対局が終わった後、一人で黙々と盤と睨めっこをしていた。二人用だとばかり思っていたナズナにとって、今彼がしている行為は理解に欠ける。何もしていないように見えて、ただ時折思い出したように、駒を盤に置く。

 余りにも真剣な表情なので、それが何なのか、訊くに聞けない状態だった。


「ねえ、カフカちゃん。どう思う?」


 窓際から少年を眺め、ナズナは尋ねる。


「どうって、何がですか?」

「あの子の、こと。普通の人間か、そうじゃないか」


 何も思い出せない少年。名前も何処から来たのかも、どのようにここへ訪れたのかも。一切を覚えていない彼は、けれどオセロについては憶えていた。


「浮浪者、なのかもしれませんけど。今の段階ではなんとも……。運よく生き残った人が、これまた偶然にここに来ることが出来た、なんて。夢物語ですけど、有り得無い話でも、ないと思いますし」

「そう。それで、問題は。あの子が、オセロの記憶だけを、有していること」


 単なる記憶障害なのか。

 それとも。


「それが強く印象に残っていたから、じゃないんですか?」

「名前も、移動手段も、それよりも、大事なこと? あの子の記憶。何処かおかしい」


 少年から目を離さず、その仕草を観察し続けるが、そこから得られるモノは特にない。


「難しく考え過ぎじゃないんですか? きっと路頭に迷った憐れな子なんですよ。私たちが優しくしてあげないと!!」

「……そう、かもしれない」


 日常を生きていて、これは単なるイレギュラーに過ぎない。そこまで重く見るべき事態ではないのかもしれないし、彼は何の変哲も無い少年、それ以上ではないのかもしれない。

 なんにせよ、これに対して決定権を持つのはこの丘を取り仕切る園長だ。下手に、動くことも出来ない。


「まあ、思い出すまで、という指示だから。私たちは、ゆっくりと思い出させる、それだけ」

「そうですっ。難しいことは園長先生に投げればいいですよ!!」

「誰に投げるって?」


 声と共に扉が開き、人影が入り込んできた。姿を全て確認するまでも無く、園長だ。

 それと同時にカフカの顔色が変わる。具体的には青紫。不健康な色そのものへと、変貌する。


「いや、これはあれですよ? 言葉の綾的な?」

「聞くな、俺が知るか。というか、ご褒美貰う代わりにこいつの面倒を最後まで見るって言ったのは、何処のどいつだったっけか?」

「あはは、もちろん冗談に決まってるじゃないですかー。いやですね、園長先生は冗談が通じない」

「汗、凄い出てる。大丈夫?」


 呆れたように男は目線を泳がせまくっているカフカから視線を外す。その先は、件の少年。

 こちらを見たまま、ピクリとも動かない。随分と嫌われてしまっているようだった。


「まあ、何でも良いけどよ。お前らメシだ」

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