第3話 白にも黒にも成りきれない③
「ちょっと酷くないですか!? 信じられませんよね? 今度という今度は園長先生のこと、見限りました。あそこまで仕事をしたくないなんて」
自室に戻ったカフカは、椅子に座り読書をしていたナズナに開口一番愚痴っていた。隣にはもちろん、例の少年がいる。
結局。
カフカは男との追い駆けっこの末、少年のお守り役を任せられていた。
そして、当の少年はと言えば所在無さげに俯いている。時折視線をあちこちに向けている様子だが、瞳が隠れているので、その真意は分からない。
「まあ。適任だと、思ったんだと思う。そのおかげで、探索に行かなくて済むから。こっちの方が、楽じゃない?」
「楽ですけどー。そうなんですけどね……。正直面倒臭いと言いますか、なんと言いますか……」
栞を本に挟み閉じるナズナに、カフカは幾分疲れた声で返すが、今更何を言ってもどうせ変わらない。
「もうっ。こうなった以上は、ナズナちゃんも協力者ですからね。自分だけが安全地帯にいると思わないで下さいっ」
「分かってる」
ナズナは椅子から立ち上がり、少年に近寄る。相変わらず、少年の心境は窺い知れない。怯えているようにも見えるが、それは挙動だけでの判断。実のところはどうなのか、それを確かめるためにも、ナズナは俯くその顔を覗きこむ。
「私は、ナズナ。あなたは?」
尋ねる少女に狼狽したように、少年の身に力が入るが、ゆっくりと首を横に振り対話の意を示した。
見ず知らずの、それも幼年期とも少年期とも判断付かない人間との対話に必要なのは、何よりも受け入れられること。つまり第一印象で決まる。
その辺り、男は失敗していたのだが、ナズナはきちんと心得ていた。
「そう……、じゃああなたの名前、決めよう」
「名前……?」
「そう。あなたが生きている、証」
幾ら世界が変わろうと、社会が滅びようと。名前を付けるという文化は変わらない。特徴付けだと、そう言ってしまわれればそれまでだが、その一つ一つに意義がある。
名前を付けられるというのは生を得るということであり、それが無いということは死んでいるも同然である。と、少なくともナズナはそう考えていた。
「もう打ち解けたんですか。さすが瞳を隠す者同士ですね……。それにしても名前、ですか。良い案ですけどそれってどうなんですか? 今は忘れてるだけって感じですし、名前思い出したら面倒臭くなりません?」
「思い出すのが、目的でしょ。それならそれで、目標達成良い感じ。それに、呼ぶ時、名前無いと困る」
下手に名前を付けると愛着が湧く、らしい。そこまで長期化するとも思えないが、このまま何事も無ければここに住み着くという事になるだろう。それならばやはり、名前はあった方が都合が良い。
「そうですっ。名前はカフカ二号にしましょう。私が見つけたんだから私の名前を付けるという方向で」
「新種の生物じゃ、ないんだから。それにカフカちゃん、壊滅的にネーミングセンス無い」
と、そこで。彷徨っていた少年の視線が一つに定まっていることに気付いた。瞳が隠れているので、分かるはずも無いのだが、そこは勘だった。
少年が興味を示しているそれを、ナズナは話題に挙げる。
「オセロ、知ってるの?」
「え? う、うん」
やはり初めに見せるのは動揺。しかし会話不可能というレベルでは無い。そして言葉は手掛かりに繋がる。
ナズナは慎重に言葉を選ぶ。
「やってみる? オセロ」
「……いいの?」
不安そうに、そう尋ねてくる。誰の許可を得て、どういった理由で聞いているのか。少年の心中は把握出来ないが、これを契機と出来るのならばそれに越したことは無いだろう。
ナズナは威圧感を与えないように、笑顔で応えた。
「もちろん。ここにいる、カフカちゃんが相手をするから」
「そうですそうです……って私ですか!?」
驚愕の様相を呈するカフカだが、ナズナはそれに取り合わない。早速、対戦出来るように盤上を整える。
「ま、まあこんな小さい子相手に負けるはずありませんし。ここは、格の違いというものを見せつけてやりますよ」
「やる気になるのは、良いけど。これは思い出すための実験、だから。それを、忘れないで」
「分かってますよ。私、そこのところ分別つく大人なんでっ」
大人は子供相手に本気を出さないだろう、という突っ込みを飲み込んで。ナズナは少年を席に着かせる。
「ルール、知ってる?」
少年は力強く頷いた。どうやら無用な心配だったらしい。
それを受けたカフカは少し目を泳がせる。
「な、なるほど。相手にとって不足無し、ということですね。それなら加減はしませんよー!!」
そして今。十代前半の少女と。六、七歳の少年。その戦いが始まった。
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