第3話 白にも黒にも成りきれない②

 この世界にも朝というものは訪れる。当然昼も夜も区別をつけることが出来る。

 カフカの日課は、朝の散歩。毎日誰よりも早く起きて、丘を二、三周している。年より臭いと、ナズナに何度言われようが、この早朝特有の涼しさ、爽やかさは好きだった。

 そんな明け方。いつも通りの早朝。

 少女は、少年と出会った。



「で、朝方散歩しているとそいつが倒れてたってわけか」

「そうなんですよー。いやー、参っちゃいますよね。折角人が気持ち良く散歩してるって言うのに」

「そうだな、お前は少し黙ってろ」


 ひ、酷い……と。落胆しているカフカを横目に、園長は目の前にいる存在を睨む。

 通常、他の人間は余程のことが無い限り、この地には足を踏み入れる事が出来ない。それは可能不可能というレベルでは無く、そもそも足を踏み入れる存在がいない、という次元での話だ。よってここに男と少女たち以外に、他者はいない、のだが。


「てめえは、どうやってここへ来た?」


 低く、冷たく、それでいて鋭い声を向ける。

 目の前の存在、目元を髪の毛で隠している少年は怯えたようにカフカの背後へ隠れた。


「ああっ!! またそうやって泣かせようとするんですからっ。もう少し節度というものをですねー」

「頼むから、お前はホントに黙っていてくれねえか……」


 重苦しかった空気が、一気に軽くなってしまった。男は大きく溜め息を吐き、先程とは違う方向で質問を試みる。


「悪かったな、いきなり怖がらせてよ。まずは名前からだな、俺はキザキだ。お前は何て言う名前なんだ?」


 出来るだけ柔らかく、且つ的確に、男は訊きたいことを訊き出そうとする。


「あ……」

「なあ、名前だけでいい、教えてくれねえか?」

「…………えと」

「おい、名前は」

「あ、その………………」

「おい。聞いてんのか?」

「あの…………えと…………」

「てめえ、いい加減にしやがれ!! 人が下手に出てりゃあ良い気になりやがって!! 口も利けねえのか!?」

「……っ!?」


 男の何かが爆ぜた。それは堪忍袋だったかもしれないし、思考回路だったのかもしれないが、いずれにせよ対話は目に見えて失敗していた。

 勢いよく立ち上がり罵声を浴びせた男に対し、少年は先程以上に身を縮こまらせ、カフカの服を力一杯に握っている。


「もう……、園長先生は短気なんですからー。すっかり怯えちゃって。可哀想だと思わないんですか?」

「いや、もう面倒臭え……。カフカ、お前が訊いてくれ。こういうの得意そうだしな」

「さっき黙ってろって言ってたのは何処の誰さんでしたっけ。困ったときにだけ利用しようとするのは、あまりにも虫が良い話だと思うんですけどねー」

「ちっ。分かったよ、悪かった。お前を蔑ろにしたのは反省してる。だからちょっとだけ手伝っちゃくれねえか」

「本当ですか? 本当に反省してますか?」

「ああ、してるしてる」

「私のこと好きですか?」

「ああ、好きだ好きだ」

「……愛してますか?」

「愛してる愛してる」

「むう……、さっきから適当に返事してません? まあもういいですけど」


 男は頭を掻いて、少年との会話を放棄した。そもそも外見が適していない男に、年端六やそこらの少年の相手をしろというのが土台無理な話だ。それに恐らく性格も合わないのだろう。何事にも即断即決で済ませようとする男と、思案し口を中々開かない少年とでは水と油。

 そういった意味では、ここでカフカに役目を押し付けたのは正しい判断だと言えた。

 カフカは横目で、少年を見る。

 見た目は人間とは変わらない。推測出来る年齢通りの仕草だ。

 未だに警戒しているのだろう、ワンピースの裾をずっと握り、様子を窺っている。

 カフカは一瞬考え、そしてその掴んでいる手を優しく手の平で包んだ。

 裾から手が離れる。


「ごめんなさい、園長あんな人ですけど、根っこの部分は優しいですから。あんまり怖がらないであげて下さい」


 身体を僅かに屈ませ、目線を少年と同じ高さにする。瞳は髪で隠れて見えない。それでも、それだけで少年は安堵したように、力を抜いた。


「私はカフカって言います。あなたの名前、聞かせてもらっても良いですか?」

「…………分からない」


 ようやく開かれた口。耳に届いた声。しかしそこには何も情報は無かった。

 困ったように、カフカは尋ね返す。


「えーっと、分からないんですか? それとも、憶えてない、とか」


 少年は首を縦に振る。どうやら憶えていないようだった。

 カフカは指示を仰ぐように、男を見る。男も男で、困り顔で腕を組んだ。


「何処から来たか、それぐらいは憶えてねえのか? あとどうやってここまで来たかとか」


 適当に訊きたいことを述べてみるが、しかしそれも功を奏さないだろう。現に、カフカがその質問をしても、少年は首を横に振るばかり。会話が出来たと思えば、その中身がほとんど無かった。

 しばらく、質問と中身の無い解答、そのやりとりが続くも、やはり進展はない。


「園長先生ぇー……」


 ついには助けを求める、泣きそうなカフカの顔が向けられた。ただ、男としても解決策を思いついたわけでもない。

 だから男は苦し紛れに、その場しのぎにこう言った。


「カフカお前、しばらくそいつの様子を見てくれねえか。時間を掛けて思い出させてやってくれ。よろしく頼んだぞ」

「へ?」


 男は早口にそう言い残し、足早にその部屋から立ち去って行った。

 カフカはただ呆然とその光景を見つめていただけ。見届けた後、まず少年を一瞥。その後、男が出て行った扉に視線を戻しそして遅まきながら、全てを理解した。


「ちょっと園長先生っ。なんで私なんですかあっ!!」

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