第2話 ただそれぞれの日常を終える③

 丘を登り切ると日は落ちかけていた。朱色の世界が宙一面に広がる。


「遅かったじゃねえか。心配したぞ」


 飛び込んできたのは男の声。この丘にある学舎を取り仕切る園長のものだった。

 歩み寄ってくる男に、カフカは喜びに満ちた声音を上げる。


「わあ、本当ですか!? 私達のこと心配でずっと外で待っていてくれてたんですね!! そんなに心配なら仕事させなきゃいいんですよっ。決まりですね、次の仕事は無しということで」

「アホか、アホだなお前。誰がお前らを待ってるって言ったんだ。まあきちんと仕事はして来たみたいだからな、その辺りは流石だ」

「素直に、感謝すればいい」


 そのやり取りの間も、カフカの腕に収まっている魂は輝きを失わない。

 彼らの仕事は魂を回収しそれを良い方向へと導くこと。つまり迷えるそれらの昇天、成仏。それらの類を、彼らは仕事と称していた。

 給与を特定の誰かから与えられていないので、それを仕事、と言ってしまっても良いのかは判断が曖昧な所だ。

 人を幸せにするわけでは無く、既にいない人間を安心させる。慈善事業に他ならないが、それが自分たちに与えられた役目なのだと、そこにいる少女たちは漠然とだが感じていた。


「他の奴らの様子見てくるから、ちょっと待ってろ。どっちみちは夜にならねえと来ねえからな。ゆっくりしてくれてても良いぞ」

「ゆっくりって言ったってですよ。どれぐらいゆっくりしてて良いんですか? ご飯は? お風呂は? 睡眠はどうですか? そうですっ、いっそのことずっとゆっくりするというのは」

「お前の脳は休むことしか詰まってねえのかよ……。まあその辺適当でいい。寝ても飯でも風呂でも読書でも何でもだ。あとカフカは説教が足りてねえみたいだから終わったら部屋まで来い」

「えー。何でですかー?」

「分からないなら説教二倍だ、まったく……。それじゃあちょっと行ってくるぞ」


 そう言うと男の姿は屋内へと消えた。

 入り口前で残された少女二人は、唐突に降りかかった暇の潰し方について思案する。

 この丘には娯楽と呼べる娯楽はない。あるものは個々の部屋にある趣味セットぐらい。後は狭い敷地内を走り回るか、隠れ回るかの二択ほどしかないだろう。正直二人でしていても空しくなるものばかりだ。

 本格的に選択肢が、先程男が挙げたものしかなくて、思考が路頭に迷い始める。


「何をして過ごせば……。私の求めるスマートな余暇とは一体……?」

「知らない。さっきからスタイリッシュとか、スマートとか、うるさい。時間、無駄にしたくないなら、何でもいいからしよう。……あ、そうだ」


 ナズナが静かに柏手を打った。何か思いついたのかもしれないと、カフカの表情に元気が戻る。


「な、何か思いつきましたか!?」

「うん、やろう。オセロ」

「――え?」


 たっぷり間を開けて数秒。思考すること数十秒。声に出すまでまた数秒。カフカは泣く泣くその案を受け入れた。

 結果として。

 暇は確かに潰せていた。

 二人は、学舎入り口前で盤上を睨んでいる。

 カフカが持っていた魂は、離せばその場で留まって浮いていてくれるので、心配する必要こそないが、そこから目を離すわけにもいかない。

 よって玄関前。

 仕組みにも慣れたのか、カフカは手早く駒をひっくり返しながら、口をとがらせて言った。


「どうしてこんな面白味にも欠ける遊びをしないといけないんですかー。そりゃやること無かったですけどー」

「カフカちゃん、さっきからそれ、ばっかり。ゲームに集中」

「どうしてナズナちゃんはやる気なんですかね……。今朝私と一緒に馬鹿にしてたはずなのに」

「事情が事情。これはこれで、面白い」


 それからしばらく、交互に駒をひっくり返し続けていると、やがて扉が開いた。


「よう。待たせたな……って、なにやってんだ?」


 扉に手を掛けたまま男は視線を落とし、訝しむようにそう尋ねる。

 カフカは一旦その手を止め、男を一瞥。しかし再び盤上に目を向け自分の手番を進めた。


「無視かよ」

「黙っててください。今とても真剣なんです。仕事なんて手につかないぐらいに、いや本当にですよ?」

「……」


 次にナズナへと視線を移す。一瞬、目を合わせたが、すぐに逸らされてしまい、持っていた黒の駒を盤上に置いた。

 どれほど戦況が拮抗しているのか試しに盤上を見てみれば、真っ黒だった。


「勝つ見込みゼロじゃねえか!! なにが真剣だよ!!」

「な、何言ってるんですかっ。見ていて下さいよ。今からこの戦況をひっくり返してやりますからっ。オセロだけに!!」

「お前の駒申し訳程度に端の方で固まってるだけじゃねえか。最早解放してやれよ、可哀想になってきた。あと次つまんねえこと言ったら飯抜きだからな」


 軽く頭を叩いてから、男は玄関口を抜ける。


「とっとと準備しろ。もうじき夜だ」


 叩かれた頭を抑えながらカフカは見上げ、盤上を片付けながらナズナは視線だけを後方に向ける。

 既に視線の先は暗く、今にもその濃紺が振ってきそうなほど、闇が近くに姿を現していた。

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