第2話 ただそれぞれの日常を終える②

 それから小一時間、二人は説教を食らった。やれまともな人間形成だの、やれ責任だの。なんとなく意味が分からない事ばかりだったので、その間適当に頷いた記憶しかない。


「もう園長先生は休息の大切さを分かってないんですよねー。如何に私達が正しくて、働くことが馬鹿らしいって、そこんところ分かって無さげですよ」

「でも、園長先生も苦労してるし。あまり疲れさせるのも、嫌」

「そうですね。じゃあ園長先生と私達の休息のために、早く終わらせちゃいましょう」


 青が広がる。何処までも澄み切った、透明感のある色彩。

 二人がいるのは丘の底。自分たちの住む丘を下りた、その先。

 続く青色の中で、二人は朽ちた道を歩いていた。


「ねえ、カフカちゃん」

「なに?」

「この世界、どうなると思う?」


 ひび割れた道を歩きながら、ナズナが尋ねる。道は黒く舗装されており、今やその面影は無いが、元々は綺麗で平らな道路だったことが窺える。

 その割れ目を元気よく飛びながら、カフカは首を横に振る。


「そんなこと、分かるはずないじゃないですか。そもそも私達にとって、この世界が当たり前なんですし。今更これ以上どうなったって変わらない気がするんですけど」


 舗装されていた道は時に左右に分かれ、時に坂道になったりしている。昔の人間はこの通路が当たり前だと感じて、過ごしていたのだと、カフカは思い考えた。


「ここには昔、人がいた。それも、多分私達と変わらない普通の。それが、壊れた。今度は私達も……」

「だ、大丈夫ですよっ。きっと壊れませんっ」


 不安気に足を運ばせるナズナに、カフカは過剰なまでに元気よく返した。

 彼女の言葉に裏付けは無い。確証は無い。根拠なんて微塵も無い。

 だからその勢いは、消極的な思考を吹き飛ばすためのものなのだろう。


「私達の世界は、きっと今のまま何も変わらずに続くと思いますよっ」

「そう、かな。ここみたいに、ボロボロの。バラバラの。全部壊れた世界に、ならないかな」


 巨大な建物がある。そこら中に穴が穿たれ、その形はひび割れ歪んでいる。

 細長い棒。人よりも高いその棒は倒れ、そこに張り付けられている金属製の板は曲がっている。

 四角い鉄製の箱。窓は割れ、前方半分がひしゃげ潰れている。

 横に幅広い建築物。自分たちの住む学舎よりも遥かに大きく、その前には広大な更地が設けられている。正面に時計が掲げられているが、それももう動いていない。

 全てが全て、何もかも、朽ちていた。

 人が作り出したものは、壊れていた。

 自然に恩恵を預かるものは、止まっていた。

 動くでも無く、成長するでも無く。

 その世界は、活動を止めていた。


「私達は、何も知らない。私達は、何も知れない。オセロだって、知らなかった」

「本当ですよね。何を思ってオセロだなんて名前付けたんですかね。というか、前に過ごしてた人達はモノに囲まれてますよねー。多分全部に名前がついてるんでしょうけど……」


 例えばそこに落ちている長方型のプラスチックケース。開け口となっている部分は萎んでおり、その穴から何かを入れていたのだろう。また至る所にそれを大量に保存している大きな箱も見られたが、これの名称も使い道も分からない。

 例えば地面に埋められている円形の金属。初めは穴が開いているのかと思ったがそんなことはなく、寧ろ穴を塞いでいるのだと、理解出来た。ただ何故塞いでいるのか、それの名称も使い道もまた、分からない。

 知ることが出来ないのだ。折角人間が何かを作りだしても、それを壊されてしまえば、結局後には何も残らない。

 それは、恐怖と言えた。

 誰にも知られない。滅びた後に誰かがやってきたとしても、それは誰にも伝えられることは無い。

 そこにあるのは、無だった。

 そこに広がるのは、死だった。


「もしも、こんなことになったらって。私は、ずっと考えてる。きっと、私が生きた証なんて、何一つ残らないけど。それが、意味の無いことだって、分かってるつもり、だけど」


 凹凸が激しい道を、ただ歩く。時折辺りを見回しながら、目的地と言える目的地も無く、二人は歩き続ける。

 それが仕事だからだ。それが、今自分たちに出来る事だからだ。

 少女たちは、あるものを探し歩く。


「そんなに難しく考える必要なんてないと思いますけどねー。ナズナちゃんはそういう癖があるから仕方ないかもしれませんけど。私なんてどうやって仕事サボろうか、常に考えてることってそれぐらいですよ?」

「それは、私もだけど」


 歩けど歩けど探し物は見つからない。景色が変わり映えする分、苦痛ではないが、つまらない。

 隆起した道を慎重に行く。所々に垣間見えるのは破壊の爪痕。天地をひっくり返したかのような破砕が、延々と続く。

 そこで何が起きたのか、少女たちは知らない。気になりはするものの、誰も教えてくれないのだ。かと言って、究明する気にも、またなれない。少女にとってはそれが当たり前。二人にとってはそこが日常だった。

 ただだからこそ、不安を抱く。

 だからこそ、自分たちの世界を気にしてしまう。


「そうですっ。私達も何か持って帰りませんか? オセロとか持って帰ってるじゃないですか。今度は私達も」

「なに、言ってるの。早く仕事終わらせて、休息にあてる。毎回そんな感じで、仕事してる」

「甘いですね。甘いですよナズナちゃん。時代は如何にスタイリッシュに余暇を過ごすかですよ。これまでみたいにただ自堕落にぼんやりと過ごしてたら駄目だってことに、私は気が付いてしまったのです」


 世界の心理に辿り着いたかのように、胸を張り主張する。一方のナズナはと言えば、半分聞き流しながら適当に相槌を打った。

 ただしかし、言わんとしていることはナズナにも理解出来る。つまりもっと有意義に時間を過ごしたいということなのだろう。それに関しては全面同意なので、視線と共に言葉を投げる。


「スタイリッシュに過ごす、のは良いけど。具体的に、何をするの? オセロ?」

「オセロはもう時代遅れですからね。別のにしましょう別のに」

「別の?」

「それをこれから探すんですよー。私達の日々の生活に潤いと活気を取り戻すんです!!」


 意気込んでいるカフカの隣で、ナズナはそっと溜め息を吐いた。

 カフカとナズナは仲が良い。それはどの視点から見ても、その判断を下せるだろう。ただし、それは馬が合うという規模での話。本質的に見れば、彼女カフカとナズナは正反対なのだ。

 自分のしたいことに対しては好奇心旺盛に表立って先行するカフカに対して。基本的にナズナは無気力だった。

 やるべきことに関して、やらなければならないことに関して、とことん億劫に思い、ひたすら面倒臭いと考える。

 だからナズナは頑張りどころを極力少なく、一時的に仕事をさぼりたいと策を講じているカフカとはやはり相対で。そもそもの根本から頑張りたくなかった。


「元から、輝かしい生活なんて、送ってた覚えない。……ほら、カフカちゃん、あそこ」


 目敏く、彼女は発見した。少し離れた場所に浮いている、それを指差す。


「あ、本当ですね。目当てのモノ見つけちゃいましたね。……あれ? 私達の潤いと活気は?」

「あれを見つけたら終わり。ほら、早く帰ろう」

「えー……、そんなあ。私もっと見て回りたいですよー、色々お持ち帰りしたいですー」

「早く、帰るよ」


 半ば強引に、ナズナは腕を引っ張り渋る彼女をそこまで連れて行く。

 仕事の達成条件が目の前にあるのに、わざわざ無視して遊ぼうとするカフカ。それを止めるナズナ。

 彼女二人は同調もするが、それ以上にお互いの暴走を引き留める。

 それが二人の特徴であり関係性だった。

 カフカも、二人共恐らくそれを理解しているのだろう。ナズナに無理矢理連れられ諦めたのか、あっさりとそれの前に立つ。


「まあそうですよね……。よく考えれば探す機会なんてまだあるわけですし、別に今日無理しなくてもですよね。分かりましたっ。本日のこの決意は秘めたる思いとして胸にしまって、今日のところは引き下がります」

「そういうの、いいから。終わらせよう」


 改めて、二人は眼前に浮遊する球体を見る。

 黄色いようで、金色に輝くそれは、時折光をその内側から漏らし、その表層を優しく揺らす。まるで布をはためかせているように、滑らかに波打つ。

 漂っている、わけでもなく。飛んでいる、わけでもなく。

 自己の存在を主張するかのごとく光を放ち、ただそこに留まり続けている。

 暖かい光、だった。寂しい場所にいた。

 カフカがそっと、それに触れる。

 水を掬うような動作だった。


「……帰りましょうか。ナズナちゃん」

「うん」


 停滞を続けるその煌めきを、胸に抱き。そして二人は元来た道を引き返す。

 金色で、揺らめき、光り輝く球体を。

 魂と。少女たちは呼んでいた。

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