第2話 ただそれぞれの日常を終える④

 朝方、昼間のような明るさは既に消え去り、あるものはただ宙に佇む円い白球のみ。煌々と周囲を照らすその闇に開いた穴は、均等に少女たちにも光を与える。

 これから始まるのは、その穴を眺める会合でも、お祭り騒ぎでもない。

 これはその日一日を終えるための、儀礼。

 それはこの世界を確認するための、日常。

 男が顔を宙へ向ける。それに倣い、少女たちもまた見上げる。

 世界は暗い。闇に満ち、紫紺に埋もれたその円環以外に、見える物は無かった。

 それがこの世界。

 一昔前には見えていたであろう星が、今では見えなくなっている。

 少女たちは見つめている。

 もちろんカフカも。

 ただカフカは。その何も無い吸い込まれてしまいそうな空間に、僅かな恐怖を抱いた。

 何も無い。

 無。

 昼での探索で言っていた、ナズナの言葉が蘇る。

 壊れた後の世界。

 そんなこと、想像もしていなかった。想像する必要も無かったというのが、正しいのかもしれない。

 その何も無い空間を見て、自分たちもいずれこうなってしまうのではないかと。漠然とだがそう思ってしまった。


「来たぞ、お前ら」


 闇に、色が付着した。

 それは白。疎らに、それも微細な大きさ。砂粒のような小ささだ。

 そして男の示す言葉の通り、それは向かって来ていた。

 右へ左へと移動しているその謎の点は、気付けば闇へ無数に溶け込んでいた。十や百では数えられない程。それらはやはり同じように左右へフラフラと揺れ、そのまま何処かへと飛び回っていく。


「ほら、お前ら準備しとけ」


 その言葉を受けて、少女たちは持っていたそれから手を離す。

 魂。

 丘の下、既に滅んだ世界を漂っているモノ。

 それらはやはり、手から離れてもただその場に浮かんでいるだけ。逃げも飛んで行きもしない。


「ねえ、ナズナちゃん」

「なに?」

「私達のこの仕事って、役に立ててるんですかね」


 珍しく不安の色を見せながら、カフカが尋ねた。この仕事をして一年経つ。その間、何も思わなかったわけではない。カフカもその元気な一面の内で、色々考えていた。

 ただそれを表には出さなかっただけで。

 ただそれから逃避を続けていただけで。

 この世界に、自分に、疑問を抱かなかったわけではない。

 質問すること自体が、怖かったのかもしれない。

 知ってしまえば、今ある環境が壊れるかもしれないから。もう元には戻れないかもしれないから。

 無意識で、そう結論付けていたのかもしれない。

 そんなカフカの心中を、知ってか知らずか。ナズナはいつも通りの声音で、応える。


「分からない、けど。きっと役に、立ってる。直接、私達に分かるわけじゃ、ないけど」

「そう、ですかね」


 悩み事などは言葉に出せばすっきりする。例え根本的な解決には至らなくても、多少精神的負担は軽くなる。

 ただカフカの胸中には、未だ靄のようなものが掛かり。疑問はその形を崩さないまま、彼女の心に残り続けていた。


「お前ら無駄口叩くな。とっとと終わらせるぞ」


 何時の間にか、遠くに見えていた白い点は、その姿を視認出来る距離にまで近づいていた。

 姿を端的に特徴づけるとすれば、魚という他挙げられないだろう。

 魚、という特徴通り、眼窩はそれぞれ離れており、尾ひれ背ひれを動かしている。その様は、それ以外に例えようもない。

 ただその容姿は、少し違う。何処までも魚ではあるが、根本的にそれらは、限りなく生命としての魚では無かった。

 骨、だった。

 存在を構成する肉や内臓、体液全てが空っぽで、骨格だけで成り立っている。

 生命活動を続けられるはずの無い身体で、しかしそれら数匹は少女たちの前へ降り立った。


「……相変わらずいつみてもよく分からないですね」


 それらは何も言わず、何も反応せず。ただ目の前に降りて浮いているだけ。口元をだらしなく開けている様子は、可愛らしくも見えるが、やはり不気味だった。


「そう言うな。ほら、早く食わせてやれ」


 男の指示通り、少女たちは魂を掴みそれらの口元へ持って行く。

 少女たちよりも数十倍の大きさのそれらは、口の大きさもまた規格外。下手をすれば自分たちが食われるのではないかと、幾分怯えながら、目の前に差し出した。

 魚たちの口が開く。目の前に出された餌を、それらは躊躇なく吸い込んだ。

 感覚としては、食べるというよりも飲むに近く、吸い込まれた魂は骨格の中で変わらず浮いている。

 これが一日最後の仕事。見つけた魂を、魚たちに食べさせる。次々と今日見つけてきた魂を取り込ませて、そして本日分最後のそれを食べさせた。

 少女たちは力んでいた肩を、僅かに緩める。

 誰だって、緊張はするのだ。一年間続けてきた少女たちも、男でさえ身構えていたように見えた。


「園長先生」

「なんだよ」

「あの魂は、何処に行くんでしょうかね」


 餌を食べ終えた魚たちは、それからくるくると丘周辺を回遊し、何事も無く飛び立った。


「……さあな、俺たちの知ったことじゃねえだろ。それは」


 飛び立ち、宙に広がるその光景は。

 夜空に瞬く星々を。光届ける恒星を。知識としてだけ知っているカフカに、そんな情景を連想させた。

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