第四章『殺人鬼は安らかな夢を見るか』

第35話

 そして、目を覚ました。

 部屋の中はすっかり暗くなっていて、どんよりとした空気が部屋に充満していた。Tシャツが汗を吸って重い。前髪が額に張り付いている。ちょっと臭かったけど、牧野はまだ僕の胸に顔を埋めて目を閉じていた。

 悲しみや悔しさ、寂しさが、すべて汗となって流れ出したかのように、頭の中がすっきりとしている。目を見開くと、窓枠がはっきりと像を結んで見えた。

 今は何時だ?

 時間を確認しようと、枕元に置いてあったスマホを取る。その時に身を捩ったおかげで、牧野が目を覚ました。

「篠宮君?」

「あ、ごめん、起こしちゃったな」

「ううん、今、何時?」

「十二時…」

 スマホを見て言った。

「確か、塾の時間は、十一時までだったよな?」

「うん。でも、もういいや」

 牧野は頷くと、また、僕に抱き着く。

「臭いだろ」

「うん、臭い」

「はっきり言うなよ」

「でも、すごく落ち着く…。好きな匂い」

 ぐりぐりと顔を胸に押し付ける。

 僕はスマホを放り出して、抱き返した。

 彼女の柔らかい髪を撫で、ちょっと汗が染みた背中に手を回す。ブラジャーの紐の感触がくっきりとあった。少し滑らせると、脊椎、浮いた肩甲骨の硬い感触。首に指をあてると、脈を打っているのがわかった。

「この変態」

「あ、ごめん」

 手を離す。

「やめなくていいよ。撫でられるの、悪くない」

「ああ、そう?」

 さっきよりも少し遠慮がちに、肩をポンポンと叩く。牧野は猫のように身を捩らせ、顔をさらに擦りつけてきた。

 薄い皮膚の奥にある、頭蓋骨の硬さ。くりくりと動く眼球の可愛らしさ。

 彼女に実体があるという証明が、一層僕を落ち着かせた。

 ずっと、こうしていたいな…。

 先ほど、牧野は僕のことを「篠宮くん」と呼んでくれた。僕という存在が認められた。人生で一番、幸せな瞬間だと思った。

 それなのに何故だろう?

 こうやって、人肌を感じている時、胸に湧き上がるコーンポタージュのような幸福に、僕は覚えがあった。初めてじゃないような気がしてならなかったのだ。いつだろう? 懐かしさが見え隠れしているんだ。この感じ…、いつのことだろう?

 考えても、答えは出なかった。そのうち、僕たちはまた眠くなり、糸が切れた人形のようになって眠った。

 目から零れ落ちた涙に後悔の念が宿っていたことに、僕は気づかなかった。

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