16-2「喉元過ぎれば火傷」

 三日後。PGO本部のメインホールにはいつもと同じくらいの職員が行き交い、話し声も聞こえたが、どこか陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 赤のオフィスでは二人の灰のパージャーが助っ人に駆けつけ、段ボール箱などの荷物の運び入れで忙しく働いていた。



 「いやー、悪いね。あいつらが復帰するまで、しばらく頼むよ!」



 松本は頭を掻きながらはにかんだ。佑心、一条の抜けで赤のオフィスは多忙を極めていた。



 「いえ!彼らのおかげですよ。」


 「上の方でも新田パージャーの噂多いですよ!」


 「やっぱり昇進じゃないですかねー!大手柄ですもん!」



 彼らを褒め称える楽観的な空気に、松本は少々眉を下げた。

 彼らの会話の影で、当の佑心は別棟にある生活局のベランダの風に吹かれていた。病院着の上に羽織られたPGOのジャケットが憂鬱な横顔の下に揺れた。顔の右側の傷は未だに残っており、吊られた左手や包帯が痛々しかった。

 佑心はゆっくりと慎重に生活局の階段を下りていたが、最後の段でバランスを崩し、廊下に倒れ込んだ。その様子を遠くの一室から出てきた心が見つけて駆けつけた。彼にもまた多少怪我が見えた。



 「佑心!まだ無理しちゃダメだって、かなえさんも言って――」



 心が心配そうに佑心の背を支えるが、佑心は右手を上げて話を遮った。無言で、心に顔も向けずに自力で立ち上がると、そのままさらに階段を下った。心は心配そうな顔をその背に向けてただ見送った。


*─*─*─*─*


 一条が眠るベッドのそばの椅子で、心は項垂れて両手を握った。一条のベッドはカーテンで仕切られ、彼女の頭部は真っ白な包帯に覆われていた。



 (僕が弱いから……能力を使えないから……)



 俯く心の目に涙が浮かぶ。



 「一条さん、失礼しますね」


 「いっ⁉」



 心は突然の来訪に驚いて、急いで涙を拭った。



 「あら、心さんいらっしゃったのね……そうよね、心配よね……」



 生活局保健部の職員兼パージャーの叶は花瓶に立てられた花を整えながら言った。



 「……はい」



 叶は心の煮え切らない返事に、考えを巡らせた。



 「周りが傷つくのは自分が弱いから。パージ能力が使えない自分が嫌い」


 「えっ!」


 「って顔してますわよ」



 叶は微笑んだが、心はまた俯いた。



 「僕が早く合流できてれば、一条さんを一人にせずにすんだのにって……それも全部僕が無能――」


 「ストップ!それ以上はダメですわ。自分でそんなこと言っちゃダメ。ね?」


 「……」



 手を止めて心に微笑む癒波を見て、心は眉を下げた。癒波はシーツの皺を伸ばしながら続けた。



 「んー、例えばテニスの上手さで全てが決まる世界があったとしたら、パージ能力なんて必要ないじゃありませんか?」


 「どうしてテニス……」



 心は目を点にしたが、癒波は「まあまあそれは置いといて!」と宥めた。



 「大事なのは、パージ能力なんて小さな世界の一要素でしかないってことですわ。ここにいる限り、そのものさしから逃れることは出来ませんけど、それだけがわたくしたちを縛るものではないんです。ですから、一条さんが起きた時にそんな顔してちゃいけませんわよ?」



 叶は優しく一条の肩に手を置いた。

 心が医務室を出ようとすると、叶に呼び止められた。



 「心さん!」


 「はい?」


 「新田さんの所にも寄っていってあげてください。新田さんに一番必要なのは治療でも薬でもなく、話し相手だと思いますから」



 心は困った顔になった。



「僕もそう思って何回か会いに言ったんですけど、避けられてる感じで……さっきも……」


「そうですか……やはり橘さんのことで……」


「だと思います……」


ここ数日の佑心の様子を思うと、心が痛んだ。


*─*─*─*─*


 月が雲に隠れる。佑心のいる医務室も影に隠れた。暗闇が辺りに降り注いでいくようで、佑心の夢も浸食された。

 自分の目の前に無表情の自分がいる。佑心は自分の気味悪さに怯えた。偽物の自分に触れようと手を伸ばすと、目の前がバリンと鏡のように割れ、偽物の佑心の像もガラスの破片にバラバラに映った。しかし、割れたガラスの中の佑心は顔が血に塗れていた。

 佑心は恐怖に逃げるように踵を返した。すると、遠くに心がいてこちらに手を振っているのが見えた。自分の隣から偽の自分が再び現れ、心の元に歩みを進めた。佑心もそっちに行こうと走り出したが、シャランと音がしてそれ以上進めなくなくなった。驚いて足元を見ると、足かせに繋がれていた。佑心はなんとか外そうと足を動かしたが、全く進めなかった。



「舜!待って!おい!舜!」



 心と偽物の佑心は、叫びも届かずそのまま行ってしまう。佑心がもう一度足元を見下ろすと、足かせではなく橘の手に掴まれていた。



「た、たちばな、さん……」


「汚れた手だ……もうそっちへは行けない……新田君、堕ちろ……」



 佑心の足元から広がる闇。その下から細く長い死神の手が伸び、佑心を掴もうとしてきた。佑心は夢の中で叫んで、やっと目を覚ました。

 飛び起きたときには、汗びっしょりだった。



「はあ、はあ、はあ……」


*─*─*─*─*


 佑心は病院着のまま生活局の廊下を、手すりに寄りかかりながら歩いた。生活局の前の階段に腰を下ろしていると、後ろからジャージ姿にコートを羽織った誰かが近づいてきていた。



「佑心……」



 佑心は驚いて振り返ったが、すぐに腰を上げて生活局内に戻ろうとした。しかし、足元がおぼつかず階段でつまずいた。



「危ないっ!」



 心の手が佑心をしっかり支えた。佑心は俯いて顔も見せようとしなかった。



「ちょっと話そ……」


*─*─*─*─*


 本部内にある会議室の一つで原と川副、舛中、船津ら青のパージャーが残業をこなしていた。大量の報告書が積んであったが、皆真剣に向き合っているおかげか高さが見るからなくなっていった。原は最後の一つにサインした。



「っつあーー、終わったーー!この前の爆破事件と言い、後始末がヤバすぎる……」



 原は解放感たっぷりで伸びをした。舛中は光を反射した眼鏡を押し上げて言う。



「では、こちらも手伝ってください。」


「ええーー……」



 原はさらに積まれた紙たちに絶望し、机に突っ伏した。



「私も貰います。」



 川副は舛中の隣で手を差し出そうとしたが、その手は拳をつき合わせられた状態だった。

 一瞬だったが、原はそれを視界に入れた。たったコンマの出来事でも、冷や汗をかくには十分だった。川副は舛中から普通に書類を受け取ったが、席に着こうとする川副を原が引き留めた。



「?」


「沙蘭、あんた何かあっ――」



 原は真剣な表情で問いかけるが、川副は終わらせてくれなかった。



「奏海さんもお願いできますか?」


「う……」



 川副は穏やかな微笑みを浮かべて資料を数枚差し出した。原は無表情でそれを受け取るしかできなかったが、舛中はその二人の様子をちらりと横目に見ていた。

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