3. ごめんね
「……っ!」
睡眠から目覚めた瞬間、反射的に身体がガバッと勢いよく起き上がった。身体が熱く汗を垂らし、でも寒気がして、呼吸も乱れていた。
「はぁ……はぁ……」
嫌な夢。
額に手を当てて、無理矢理忘れようとする。でも、その夢は何故か私の頭から離れることはなかった。
「……学校、行かなきゃ」
重い身体を起こし、制服を着て、リビングへと向かう。その足取りはいつもより重くて、リビングがとてつもなく遠く感じた。
「はぁっ、はぁっ……」
身体の熱さも全身の寒気も呼吸の乱れも収まらず、気だるさすら感じる。明らかに正常な体調でないことはすぐに分かった。
「……頑張らなきゃ。もっと、頑張らない、と――」
ばたん、と大きな音が家中に響き渡った。全身に走る強い衝撃と痛み。身体中に力が入らず、起き上がることさえ出来ない。
徐々に薄れていく意識。それでもなんとか、踏ん張って起き上がろうとする。
「私が、私であるために……」
それも虚しく、私の腕は潰れてしまうように地面を這ってしまった。
薄れゆく意識の中、ふとあの夢の出来事を思い出した。かつて私が、お兄ちゃんに渇望したことを。
――助けて、お兄ちゃんっ……。
―――
「んっ……」
ふと目を開けると、大好きなお兄ちゃんの姿がすぐさま視界に映った。心配と焦りが窺える表情で、私のすぐ傍に座っていた。
私の部屋……? なんでベッドにいるんだろう……。今朝学校に行こうとして、それからどうしたんだっけ……?
「よ、良かった……!」
頭に疑問符を浮かべる私を他所に、お兄ちゃんは今にも泣きつきそうな声色で私を抱きしめた。
「……っ?」
訳が分からず唖然とする私に、お兄ちゃんはお構いなく力を込める。
「お兄ちゃん、苦しいっ……」
ハッとなったお兄ちゃんはすぐさま退いた。お兄ちゃんのその表情は、とても安堵している様だった。
「ごめん……大丈夫?」
「うん。少しだけフラフラするけど――」
「だめ! 動かないでっ」
私がベッドから出ようとすると、お兄ちゃんは慌てて私を制止した。
「風邪、引いてるから」
そう言われて、ようやく私の現状を理解できた。見ると、私はワイシャツとスカートを着用したまま寝かされていた。無理して学校行こうとして、お兄にゃんに迷惑と心配をかけさせてしまった。
「今日はゆっくり休んで」
私の肩に手を起き、ゆっくりと後ろへ倒す。
でも私は、風邪を引いて学校を休むという事実を認めたくなかった。
ここ最近は学校を疎かにしていることもあって、尚更使命感に駆られてしまっていた。
「大丈夫、私がいるから」
このときのお兄ちゃんの姿は、とても頼もしかった。まるで『あの時のお兄ちゃん』を見ているかのようだった。
でも頼もしいはずなのに、どうしてか少し複雑な気分だった。
―――
妹が、風邪を引いた。
突然大きな音が響いたものだから、何事かと様子を確認すれば、妹が倒れていた。
「えっ……」
状況を冷静に判断できず、その場で固まってしまった。妹のことを呼びながら、恐る恐る近づく。でも、妹が動くことはなかった。
「ねぇ、動いてよ……返事してよ」
身体を揺さぶる。それでも、妹が応えることはない。
全身から嫌な汗が流れ出し、更なる焦燥感へと駆られていく。だからだろうか。私がこうやって倒れている妹を眺めていることしか出来ないのは。
「お、にぃ……ちゃ、ん」
無意識に私を呼ぶ妹の声に引っ張られるように、私の意識と身体は自由を取り戻し、妹を部屋まで運んで今に至る。
妹がこうなってしまった原因に心当たりがあった。
それは、私。
私のせいで、妹が体調を崩してしまったのではないか。私がいつも我儘を言って、妹に無理矢理付き合わせてしまっているから。
もし私の我儘のせいで、妹の学業が疎かになっているのだとすれば、きっとその埋め合わせで寝る間も惜しんで学業に時間を割いていたのだとすれば。
妹は優しいから、そのことを口には出さない。私がそれに甘えたから、知らず知らずの内に私は妹の負担になってしまった。
妹は、私を否定しない。私の全てを肯定してくれる。私のわがままを受け入れてくれる。無理してまで、私に付き合ってくれる。どんな時でも、私を優先してくれる。私のために、自分の時間を割いてくれる。
なのに、私はなにもしてあげられてない。一方的に強請って、与えられているだけ。妹が強がって苦労しているとは知らずに。
そのせいで、妹は倒れた。
私のせいで、妹は……。
―――
「すぅ、すぅ……」と寝息を立てる妹の姿はとても可愛らしく、愛おしく思えた。
冷水で絞ったタオルを妹の額にそっと添えて、滴る汗を拭ってあげる。
今思えば、妹の寝顔を見るのは少し新鮮だった。いつも私が先に寝ちゃうから、滅多に見れなかった妹の寝顔。整った顔立ちで、つい見惚れてしまって、つい視線が妹の柔らかそうな唇へと――。
ぶんぶん、と邪な気持ちを無理矢理振り払う。
風邪で寝込んでいる妹に対して劣情を抱いてはダメ。今は我慢しないと。
「ご飯、できたよ」
妹の身体を揺さぶると、妹は瞼を重そうに開いた。
「おにい、ちゃん……?」
少し呂律の回っていない口調。寝起きだからだろうか、それとも風邪で身体と思考が言うことを聞かないからだろうか。
「食べれる?」
風邪に良いとされるお粥をスプーンで掬い、妹に向ける。でも、妹はスプーンを一点に見つめたまま動かず、ぽーっとしていた。
とても食べられる様子じゃなかった。
だからといって、なにも食べないのは身体に良くない。無理してでも少しは食べてほしい。
「ぱくっ」
私は自分の口にスプーンを入れ込んだ。お粥の熱さを冷ますように少しづつ咀嚼して、飲み込めるほどにまで小さくして。
そのままゆっくりと妹に近づいていき、そして。
「……ん」
自分の口と妹の口を繋ぎ合わせて、私の中にあったものを妹の中へとゆっくり流し込む。
「んくっ……」
妹は私の口から直接移したもの拒絶せず、ゆっくりと飲み込んでいく。私と妹のが混ざった唾液ごと。
「…………」
妹の口の中が完全に空になったことを確認し、唇を離す。すると、私と妹の間には銀色の薄い糸が繋がっていた。
「美味しかった?」
「……うん」
ホッと一安心し、その後も口移しでの食事は続いてく。
何度も何度も私の口を通して、お粥を食べさせて、時々水を与える。その繰り返し。途中で妹の口から溢れ落ちる水分を拭きながら、何度も何度も唇を重ねた。
これは看病の一環。こうして妹が飲み込んだ後もしばらく唇を離さないのも、仕方のないこと。そう自分に言い聞かせていた。
「おにいちゃん……。かぜ、うつっちゃうよ……?」
蕩けた目でそう訴える妹に、更なる劣情が私を襲った。
「あなたの風邪なら、別に移ってもいい……」
でも、今はただその感情を必死に抑え込むことで精一杯だった。
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