秋に探す彼女

沖 櫂羽

秋に探す彼女

 風が冷たいと思える季節に差し掛かってきた。

 代名詞ともいえるコスモスが揺れている。

 手を差し伸べると頭をなでやすいように傾ける君が好きだった。


「何してるの?」

「探してるんだ。気にしてみると見つからないなって思って。夏をさ。」

 近所でもよく噂になっていた。変なことばっかりしてるから近づかない方が良いって母にもよく言われてた。でも、僕は彼女とよく遊んでいた。公園に行くといつも居る彼女は僕にとって年は離れていたけれどいい友達で説教ばっかりする親や子供っぽい同級生よりも一緒にいる時間が楽しかった。


 よく好きだっていう娘だった。

 口癖代わりに言っていた。

「見てよ。蟻がご飯を運んでるの。こうやって一生懸命なの好きなんだ。」

 座っていたベンチの下を覗き込むと足元にいた蟻たちが列をなして飴玉に群がっている。

 彼女とは年が離れていたから好きだと言う理想に少しでも近づきたくてなんにでも全力で取り組むようになった。

「もう、蝉の音が聞こえなくなったね。いつも寂しくなる。何でかな。」

 彼女の大人びた雰囲気に近づきたくて、なんにでも答えられるように知らないものがあったら答えが見つかるまで調べるようになった。

 今思えばそれは質問じゃなかったのかも知れないけれど。

「木陰を避けたくなってきたね。日の出てる場所の方がよっぽどいいや。」

 秋のはじめには逆のことを言っていたのを僕は覚えている。


 彼女は僕にも好きだと伝えることが多かった。

 ちょっとした髪型や新しく下した服。テストの点数がよかった事、学校であった面白い話。彼女に褒められたくて頑張ったことをよく自慢してた。

 それなのに僕は実際に言われてみると恥ずかしくてむず痒くて照れ隠しにいつも否定してた。

「そんなことないよ。」

って、自分から話を振ったのに誰にでも言っているってことだって心の中で飛び上がりそうになる気持ちを抑えつけていた。

 まるで気にしてないようにを装うことが大人になることだって勘違いしてた。

 思い返せばかわいくない子供だったと思う。無邪気に喜んだ様子を見せた方が彼女もうれしかったんじゃないかな。


 誰に何を言われたわけでもないのに夏が終わると彼女のことを思い出す。

 子供の頃の懐かしい記憶。写真を一緒に取ったことも無いから形に残るものは何も残ってないけれど顎に付いたニキビを気にしていた時の難しい顔つきも子供からは大きく見えた背丈も笑ったときのやわらかな雰囲気も全部鮮明に覚えてる。


 僕は秋になると彼女を探してる。


 学校に行くのがめんどくさかった。

 為にならない勉強を何でしなくちゃいけないんだろう。

 考えるための癖をつけるとか言ってたけれど、そんなの役に立つわけない。

「お姉さん、何してるの?」

 ベンチに座って和らいできた日差しの中うとうととしていると男の子から話しかけられた。

「探してるんだ。気にしてみると見つからないなって思って。夏をさ。」

 適当な理由をでっちあげた。昔から得意なんだ、嘘をつくのが。体調が悪いといって抜け出す時によく使ってた。

「へー、例えば?」

 ひねくれてんなぁ。何で何でって自分にもこういう時期あったな。でも、こうやってちゃんと返事が返ってきたのも久しぶりかもしれない。

「ほら下見てよ。蟻がご飯を運んでるのが見えるでしょ。こうやって一生懸命なの私、好きなんだ。垂れたアイスとかでも集まったりするよね。」

 考えようと顔を下に向けた時、ベンチの間から目に入ったことを適当に並べ立てる。これで満足しただろ。ほら行った行った。お姉さんはだらだらするのに忙しいんだから。

「すごいね。」

 返ってきたのは思いもよらない言葉だった。

「こんなに力持ちなんだ。」

 目を輝かせて憧れの人に合えたかのようにこっちを見る。

 なんだよ。そんな目でこっち見て。笑えてくる。大したことも言ってないのに。褒められるような奴じゃないよ私は。

 チャイムの音が鳴っている。

「ほら、もう帰る時間じゃない?」

 どこから鳴っているのか。いつも同じ時間になると町の中を曲が流れている。

「うん。ちょっと待って。」

 少年はまだ遊び足りないのか駄々をこねていた。

「ほら、僕。家でお母さん待ってるんじゃないの。」

 指をさして出口に向かうように背中を軽く押した。

「わかってるって。それよりさ、お姉さん明日もここにいる?」

「何で?」

「僕、明日も来るからさ。またなんか教えてよ。」

 生意気な少年の笑顔は無邪気でかわいかった。

「いいよ、またね。」

 出来もしない約束をまたした。


 何で私はまた公園に来てるんだ。

 教室へはもう何ヶ月も行ってない。ずっと前から保健室登校だからさぼったって強く言われることはないけれど別にあんな約束守らなくたっていいのに。

 もうほとんどあってないクラスメイトよりもあの少年が心配させる方が心が痛んだってことなんだろうか。

 それにしても遠いところにあるな。昨日は散歩ついでだったからよかったけど家から直接行くとなると結構大きな坂があるんだよな。

「あっ、やっと来た。遅いよ。待ってたのに。」

 駆け寄ってくる少年。息切れすらないのがうらやましい。

 遠くの方でブランコがまだ揺れている。

 ひとりでいたのだろうか。

「他の友達と遊んだりしないの?」

「子供っぽいからあんま好きじゃない。」

 お前が言うか。笑いが漏れそうになった。

「なんかよくわかんないんだもん。僕はみんなと仲良くしたいのに。あの子はダメとか言われても。」

「そっか。」

 年をとるたびにそれが普通になる。他の子の方が大人びてるなんて私はまだこの子に伝えることが出来なかった。

「それで、今日は何して遊ぶの?」

「えー、どうしようかな。虫取りとかどう? お姉さん詳しそうだしさ。」

「虫かー。」

「えっ、もしかして駄目?」

「いいよ。」

 笑顔が引きつってたかもしれない。少年の眼差しにノーとは言えなかった。

「そしたら、行こ。」

 小さな手にひかれて走る少年の後を駆け足でついていった。

 夏の間、うるさいほどに響いていたセミの音はもうしない。

「どこ行くの?」

「わかんない。わかんないけどとりあえず。木、蹴ってみる。」

 大きな木の近くまで来ると私の手を放して助走をつけたまま蹴りつけた。

 軽い体重では揺れもしない。

「落ちてないかな。」

目を離した隙に少年はしゃがんで下に落ちている枯れ葉を手で掘り返していた。

「んー、駄目だ。なんもいないや。」

 幼虫とか持ってこられなくてよかった。

 虫が出てこなくて安堵してる自分がいることに気が付いた。

 いつから苦手になったんだろう。

 格好良くて好きだったカマキリの中に寄生虫がいると知って苦手になった。

 蝶の鱗粉が手に付くのも気にせず虫取り網を持って追いかけていたはずなのに今じゃ蛾と同じ仲間にしか見えない。

 昔、飼っていたはずのカブトムシだって今じゃもう触れない。

 知識をつけるたびに少しずつ近寄りがたくなる。

 草むらだってマダニが潜んでそうで、かき分けて入っていくなんて出来そうにない。

 忘れてしまいたいなんて怖くて考えたくもないけれど怖いもの知らずだったあの頃に戻りたいとは少し思う。

「虫はもういないのかも。」

「蝉の声も聞こえなくなったもんね。ちょっと寂しい気分だな。」

「なんで? うるさいだけじゃんあんなの。」

 寂しくなるのはきっと長らく聞いていなかったからだ。

 もう何年も外で走り回って遊ぶなんてことしてなかった。

 蝉の声が懐かしいと思うのは小学生の時の光景を思い出させるからだとおもう。

「それより次は砂場で遊ぼうよ。」

 コロコロと興味が移り変わってあわただしい。

 私を置いて砂場の方に行くと我先にとブランコのそばに置きっぱなしにしていたバケツからスコップを取り出し山を作ろうとしていた。

「ほら、お姉さんも手伝って。」

 肩で息ををしながらやっと追いついた私に向かってスコップを手渡した少年はすぐにやろう、どうせならこれまでで一番おっきなのを作ろうとせがんでくる。嫌みの無い行動が懐かしく感じる。

 砂場か。犬や猫が近くにいたかもしれないと思うと気が引けたが少年の手前断ることもできなかった。

「今日は山にトンネルを作ってその周りに堀を作るんだ。」

 どこで知ったのか。山に堀は合わないだろうと思ったが小さなころを思い出すと同じようなことをしていた。

 覚えたことをすぐに自分でもやってみたい。挑戦することに世間の目とか自分より先に始めた人との差を感じずハードルが無いのがうらやましく思える。

「いいね。最高。」

「でっしょー。今からやるとなると時間無いからね。急がないと。」

 すでに砂にまみれた屈託のない笑顔がまぶしかった。


 私と少年は毎日のように遊んだ。

 毎日のように遊び疲れて帰ったらすぐに寝てしまうくらい。

 家に居る時間はすごく長く感じるからそれを思うと私自身の救われていたのかもしれない。


 あの娘は突然ある日を境に顔を出さなくなった。

 母に聞いても話を濁すばっかりで病気になったとか引っ越したとかはっきりしたことは教えてくれなかった。

 そのことだけが気がかりで久しぶりに母にそれとなく聞いてみたけれどその時にはもう何も覚えていなかった。

 

 それでまた公園に来ている。高校生になってもまだ彼女のことが引きずっている。似た人を見かけるとつい目で追ってしまう。

 もうこの町にいないのだとうすうす感じてはいてもまだどこかで会えないだろうかと淡い希望を持ち続けてる。

 公園で本を切りのいいところまで読み終えた後、背伸びをすると一人の女性に話しかけられた。

「いつも一人で公園に居られますよね。」

 ベンチに腰かけたまま顔を上げると目が合った。年は一回りは上だろうか。

「そうですね。最近は涼しくなってきましたから。」

「いや、いつも何読んでるんだろうなって思いまして。」

 いつも本を開いて同じところで何度も目を滑らせる。頭の中で気がかりなままつっかえて集中できずに数行をなぞり続けてる。

「わざわざ話すような内容でもないですよ。」

「それとも誰か探してたりします。」

「知ってるんですか。」

 言葉が終わるや否や食い気味で答えてしまった。

「誰をですか。」

 そっか、知るわけないよな。ただ興味本位で聞いてきただけだ。

「昔、友達とよく遊んでたんですけど中学生くらいの女の子。今だとお姉さんぐらいの年齢だと思うんですけど。もしかして知ってたりします?」

 諦めきれずに話を続けてしまった。こんな女々しいと言われるようなこと他には誰にも話したことなかったのに。

「その娘とよく遊んでたんですよ。この公園で。でも突然いなくなっちゃって。だから行方が気になって、たまに来ちゃうんです。もうこの町にはいないかもしれないのに。」

「もしかして…加奈ちゃん。高橋さんと一緒にいた子?」

 驚きのあまり最初声が出なかった。

「…そうです。」

「公園で遊んでるの見かけたことあるよ。学校が午前中で終わる日とか。私の実家がこの辺だから。」

 本当に会えるのか。

「懐かしいな。」

「それで彼女は今どこにいるんですか。」

 沈黙が数秒続いた後、彼女は答えた。

「私が高校生の時に亡くなったよ。」

「そう、なんですね。」

 薄々わかってはいた。わかってはいたけれど実際に突きつけれらると心に来るものがある。

「詳しいことが聞きたかったのなら、よかったらだけど高橋さんのおうち案内しようか?」


 歩き始めた彼女は昔の思い出を話してくれた。

「昔は仲が良かったんだ。小さなころから近所だったからさ。おままごととかしてたな。人形を持ち寄って。毎日のように加奈ちゃんの家に行ってた。」

「…自分、の家には呼ばなかったんですか。」

「ああ、ごめん。自己紹介もまだだったね。私、佐々木渚。」

「すみません。僕も抜けてました。中村です。中村春樹です。」

「改めてよろしく。」

「こちらこそ宜しくお願いします。」

「それでなんだっけ。」

「佐々木さんの家にはあまり来なかったって。」

「そうそう。彼女、体があまり強くなかったから。」

「そうなんですか。僕が子供の頃は外で遊びに毎日のように付き合わせてたからそんなこと気にしたこともなかったです。年が経つにつれて体が丈夫になったとかなんですかね。」

「そういうのは無いと思う。私が小学生の頃、全校朝礼で募金の話が出たから。」

「募金ですか。」

「そう。生まれつきだったんじゃなかったかな。私の記憶が正しければだけど。心臓の病気とかだったと思う。手術にたくさんのお金が必要だって教壇に校長先生が立って話してたな。」

「知らなかった。」

「彼女としても知ってほしくなかったんじゃないかな。気を遣わせることになっちゃうでしょ。小学生の男の子相手に。」

「悪いこと、しちゃいましたね。」

「でも、気にしなくていいと思う。加奈ちゃんの笑顔なんて久しぶりに見たから。小学校を卒業した後、保健室登校になってて。教室に来た時にはあんまりもう笑わなくてさ。近寄りがたい雰囲気で話しかけられなかった。君が居なかったらずっとあのままだったかも。」

「なら、よかったです。いや、良いって言っていいかわかんないですけど。」

「いや、良かったでいいんだよ。笑えもしないなんて辛過ぎるから。」

 少しでも彼女の救いになれたなら馬鹿だったあの頃の自分も多少ましなように思える。

「着いたよ。」

 普通の家だ。住宅街の中にあるそこら辺の家と何らと変わらない。

 家の門には高橋と石に掘られた表札が掛かっている。

 僕がどうやって話を切りだそうかと躊躇していると彼女はインターホンを遠慮なく押した。

「はーい。」

インターホンのカメラ越しから声が聞こえる。

「小学校の頃、加奈さんの同級生だった佐々木です。」

「渚ちゃん?」

「はい。」

「ちょっと待ってね。」

 玄関の開く音がして一人の女性が顔を出した。年齢が髪やしわに現れているが彼女に似て優しそうな顔をしていた。

「渚ちゃん、久しぶり。どうしたの?」

「いや、近くまで来たものですから。お線香でも挙げさせてもらえないかなと思って。」

「そうなの。ありがとうね。」

「いえ。」

「その子はお友達?」

「あー、似たようなものですね。彼も。」

「初めまして。中村春樹です。」

「加奈の母です。よろしくね。さあ、上がって上がって。」

 門をくぐり玄関に入ると思っていたよりも広く、掃除が行き届いていた。

「汚くてごめんね。」

 謙遜を口にしながらスリッパをラックからしゃがみ込んで丁寧に置いてくれた。

「ありがとうございます。」

 先にお礼を口にした彼女に遅ればせながら僕も感謝の言葉を伝えた。

「どうぞ。」

 指し示された手の先には一つの扉がある。

 彼女の後を続いて入ったリビングは木に囲まれて暖かな雰囲気に覆われていた。

背丈以上に大きな2つの窓から外の光が差し込んでいる。

 隅には立派な仏壇が置かれていた。

「加奈ちゃん。お友達が来てくれたわよ。」

 毎日やっているのか慣れた手つきで線香を取り出して火をつけた。

 彼女は置いてある棒で鐘を鳴らして手のひらを合わせる。

 飾られていた写真の彼女は僕が見たことが無い小さなころの姿だった。

「どうしたの?」

「彼女と知り合ったのは写真と比べるともう少し大きくなったときだったので。」

「加奈は中学生になるにつれてカメラに写ることを恥ずかしがって取らせてくれなかったから。持ってる写真の中でこれが一番かわいく取れてるの。」

「そうだったんですか。僕と会ったときはもう大人びていたのでそんなの考えられなかったです。」

「ぱっと見は良く近所の人にも言われてたわね。家族の前では年相応に子供でしたよ。」

 彼女の母は昔のことを思い出しているのか懐かしそうな顔をした。

「おっとお茶もまだ出して無かったわね。ほら、おかけになって。」

 仏壇で手を合わせた後、包まれるような座り心地のソファーに腰を掛けた。

「おばさん。私も手伝いますよ。」

 彼女は席を立って後を着いていった。

 リビングに隣接したキッチンから話声が聞こえている。

「本当。助かるわ。最近指もうまく動かせなくなってきたの。この前なんてお茶っ葉、盛大にこぼしちゃって。」

「それは大変でしたね。どうしたんですかこぼしたの。」

「なんかネットで見たら畳の掃除に使えるとか書いてあったけど結局捨てちゃったわ。」

「ネットで見て自分でやってみると案外うまくいかないんですよね。」

「そうなのよ。意外と簡単そうに見えるんだけどね。よし、出来たわ。お茶持ってきてくれる。」

 座っていると彼女はコップをお盆の上に載せて運んでくれた。

 後ろには彼女の母が木のお皿に積んだ山盛りのお菓子を携えてついてくる。

「ありがとうございます。」

 全員が座ると彼女の母はお茶を飲むように勧めてくれた。

「最近お茶に凝ってるのよ。ほら、飲んで。」

「いただきます。」

 口に含むとさわやかな香りが通り抜けていく。

「おいしいですね。」

「でしょ。息子が買ってきてくれたんだけどね。おいしいのよ、これが。」

 お菓子をひとつ口に運んでからお茶をすすっていた。

 ひと段落すると彼女の母はまた話を始めてくれた。

「加奈がなくなったのはもうだいぶ前なのに来てくれてうれしいわ。ありがとう。」

「いえ、僕も来れてよかったです。」

「それでどういうお知り合い? 友達?」

「僕は加奈さんの友達です。」

 彼女の母はずいぶん驚いた顔をしていた。

「そうなの。そしたら加奈について話を聞きに来たって感じかな。」

「はい。よろしければお聞きしたいなと思って。」

「そうね。加奈はおとなしい子だったわね。中学生に上がった頃からは特に。病気については聞いた?」

「はい。重い病気だったって。」

「そうなの。そのころからきっと病気について意識し始めたのかもしれない。私も最近年を重ねるにつれて、身に染みて感じ始めたから。年齢の低かった加奈にとってそれは私が今感じているものよりももっと大きかったと思う。」

「でも病気は治ったんじゃないんですか?」

 彼女はお菓子を頬張りながら話していた。

「いや、募金は学校でも呼びかけてもらったけどドナーが見つからなかったの。」

「そうだったんですね。」

「小学生の時に最近息苦しくなるようになったって加奈から言われたの。元々体が弱かったからあんまり気にすることもなかったけど一応病院にかかっとこうって行ったの。そしたらその時にはもう治らないってお医者さんに言われて。薬は飲んでいたけど病気の影響でだんだん体が思うように動かせなくなっていくのが。胸を抑えながら車いすで生活するようになって見ているのも辛かった。私が何も出来ないのも。」

 彼女の母は涙を目に浮かべながら話す。

「発作で入退院を繰り返しているうちに弱っていく加奈に大丈夫だって言われてその言葉に私は甘えてしまっていたんだと思う。現実を直視できなくて加奈を一人にしてしまったことが今も悔やんでも悔やみきれない。」

 一人?

「外に出かけてたみたいなの。無理をしないように言ってあったのに。」

「無理って言うのは。」

 嫌な予感がした。

「加奈の病気はところどころに穴の開いている坂道のようなもので。発作を起こすたびに病気が大きく進んでしまうの。あの子のことだから薬の飲み忘れは無くても体に負荷をかけてストレスを掛け過ぎたのかもしれない。」

 嫌だ。

「出かけていたのにだいぶ後になってから気が付いて。あの日、家に帰ったら加奈が玄関の端で苦しそうにうずくまっていてそれからは家から出さないようにしたけれど。何でずっと家に居てあげられなかったんだろう。」

 全部、僕のせいだ。

 泣きそうになりそうなのを堪えながらもその言葉を口に出すことが出来なかった。

「何よりも大切だったのに。」


 私は昔からついてなかった。生まれた時から体が弱くて他の子と同じように外で遊ぶことが出来なかった。人との差を感じて一人だったのに私に寄り添ってきたのは病気だけだ。

 募金の話が上がってからは皆は遠慮がちに私に話す。中学に上がってからはそれがさらに顕著になった。

 中学でも病気については担任ぐらいにしかしてなかったけれども人はあまり入れ替わらないから噂はあっという間に広まった。

 荷物重いでしょ。

 病気のことを知って体をおもんばかる言葉。

 大丈夫?

 気を使われる日常。

 人とは違う歩みの大きさが相手からも見えているのにどうやって対等に接する事が出来るっていうんだろう。

 それが良い事なのはわかってる。世間一般から見れば正しい行いだって。私にとっては加害者になりたくないと怯えれらて差別するように感じても、それが不快だとだ思ったととしたしても。

 家に帰るといつも喧嘩ばかりしている両親が私の顔を見て態度を変える。私の前だけでは仲良くなったふりをする。

 部屋に戻るとまた口論を始めるというのに私の前だけでは取り繕って。伝わらないとでも思っているんだ。お前らの感情が。泣き叫ぶ声が。私のせいににしながら笑顔を見せる表面上だけの善意が。

 それでも負担をかけて言うのは違うってわかっているから。口に出せるわけがない。私も両親の前でだけはいい子のふりをしてる。言葉にしたら指先の上で踊っているやじろべえが倒れてしまうから。

 だからあの日も外に出かけたんだ。彼と一緒に童心に返って遊ぶのは本当に楽しかったな。

 今は、綺麗な思い出が奥底に沈んで淀んだものが油のように浮かんでくる。

 心の水面を覆い尽くして目の前が黒く濁りそうだった。


 あいつはまた感傷に浸ってる。

 悲しむのが免罪符とでも思って。

 彼の中で渦巻いた感情が機敏に伝わってきていた。

 君は何も悪くないのに。

 勝手に悲しんでで気持ちよくなっているだけの勘違いしたあいつに私のようにされてしまう。

 伝えるすべを持たない私を置いて彼女は突然切り出した。

「ところで、お金ってどうしたんですか。」


「悲しむのはわかりますよ。私にとっても大切な思い出ですから。でもその後は? こんな立派な家に住めるわけないですよね。加奈ちゃんにお金をほとんど使ってたはずでしょ。」

 私は見かけていたのに止められなかった。わかってたんだ本当は。突然羽振りがよくなったのも。母越しに彼女の弟が私立に行ったって聞いた時にもわかってた。子供だった私が伝えたって何も変わらないのも。

「募金のお金は加奈が残った分は私たちで使って言ってたから。」

「もしかして彼女にお金の話をしたんですか。」

 私のせいだって認めたくないから人のせいにする。

「でも、そうしないとお墓や葬式にだってみんなの気持ちを使いきれないでしょ。」

 そう思わないと悔やみきれなくて頭がおかしくなっちゃうから。

「本当に気持ち悪いですね。人の物を掠め取って。お金のために利用されたように思ったんだろうな。」

 私も。人の気持ちも考えずに自分が楽になることしか考えてない。

「まだ中学生の分別もついてない少女に何が考えられるっているんですか。そうやって言うことを力ずくでさせたようにしか聞こえないですよ。自分の意見じゃなくて圧をかけて正しいと思われるようなことを無理に言わせて。」

 綻びに指を刺し入れて思い出を引きちぎろうとしている。

「無理やりなんてしてないわよ。でもその頃は生活に困窮してたから聞いてみただけで。あの子も納得してくれてた。」

「何、言ってんですか。罪悪感無く使いたくなかっただけでしょ。」

 私は自分のことを棚に上げたまま、彼女の母の発言に怒りぶつけた。

「この写真だってそうだ。写真を撮らせたくないのは病気で苦しんでる姿を撮ってほしくなかったからでしょ。人の心を考えられない奴がくだらないこと口にして。恥ずかしいんだよ。こんなもん作りやがって。」

 仏壇の上を力任せに叩くと写真立てが落ちてガラスが割れた音がした。

「お前を慰めるために作ったんだろ。被害者ぶって悦に入ってさぞかし気持ちいんだろうな。加奈の命を我が物顔で使って。お前が死ねばよかったのに。」

 荷物を肩に担いでから彼に声をかけた。

「ご馳走様です。もう帰りますね私。それで、中村君はどうするの? まさか残ったりしないよね。」


「帰ります。このままだと手が出てしまいそうなので。」

 僕も悪いのに。どうしてもこの人が許せなかった。

 カップに残ったお茶を飲み干してから家を後にした。


「悪かったね。嫌な目に合わせちゃって。前からなんとなくわかってはいたんだけれど踏み出す勇気が無くてさ。」

「いえ、いいんです。本当のことにも気づけたので。」

 ああは言ったけれど半分は僕が殺したようなものだ。

「そっか。じゃ私こっちだから。もう関わりたくないからこの町には戻ってこないような気もするけど。会ったらまた。」

「はい、では。」


 彼女と別れた後、また同じ公園に来ていた。

 あの頃やってたことは彼女の首を絞めていただけで少しずつ追い詰めてただなんてこんなこと知りたくなかった。

 思い出の中で留めておけばいつでも幸せなまま浸って入れたのに。


 目覚めると君のつむじが真下に見えた。

 最近は寝ていることが多くなった。

 夢と現実の区別が付かなくて間をうつらうつら行ったり来たりしてる。

 病院の部屋からはもうだいぶ出てないからこれも最初は夢だと思ってた。

 真っ白い壁に囲われていたからそれだけを頼りに夢とそうじゃないのを区別するようになっていた。

 でもすぐに気が付いた。宙を舞う落ち葉が私の体をすり抜けて驚いた声を上げても君は気にもせずに歩き続けたから。

 また、君のそばに居られるのかな。

 叶った夢はいくら時間が経っても覚めることが無かった。

 ある時、私を除いた3人で家族が笑って歩いているのを見かけてそれが確信に変わった。

 死んだあの日、私は幽霊になったんだ。

 君のそばでこれまでの成長を見守っていた中で分かっていたんだ。なんとなく。

 君から離れない限り私のことが忘れられないって。

 だから今日みたいなことがいつか起こることも知っていた。

 君が傷ついたとしても私のことを乗り越えてあの時の気持ちを思い出にしてほしくなかった。

 私の恋心は粘着質で汚らわしい。

 消えたほうが良いのはわかってたけど私の汚れた願望がヘドロみたいに君に絡みついて今日までそうしなかった。

 歌詞に出てくる透明感のある純粋無垢な恋とはかけ離れたところにある。

 余命幾ばくかの私に恋い焦がれる気持ちが嬉しくてずっと続けばいいのにと幽霊になった今もそう思い続けてる。

 何もしてあげられなくても引き留めて私のそばで寄り添ってほしい。いもしない私の影を追い続けてほしい。

 もうなにも出来ない私に君の人生を少しだけ分けてよ。

 ずっと手放さないし、きっとこれからもそうするから。

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