第55話 決着

【ミクアルの里】

 司祭、と呼ばれた男の人生を短く語ろう。


 彼はかつて若手白魔術師の期待株であり、信心深い教徒として知られていた。


 そして彼の父親も、司祭としてミクアルの里へ派遣されていた。


 しかし父親は魔族との戦いで命を落としてしまい、若いうちから彼もミクアルの里へ派遣されることになった。およそ、三十年前のことである。


 そこから、様々なことがあった。



 隠していた幼女性愛ロリコンを暴露され、後の村長ボスと3日ほど殴り合いの喧嘩したこと。


 その後、吹っ切れて里中の幼女を追いかけるようになったこと。


 里の女性フィーユへ恋心を抱いたが、彼女の気持ちを知り身を引いたこと。


 その思い出の殆どが、司祭にとって無二の親友であった村長との関わりであった。今や全て、良い思い出だ。


 彼はいつしか王国の司祭ではなく、ミクアルの住人として生きていた。


 そして今、親友の忘れ形見を守るため。一族代々、勤め続けたミクアルの地を奪われないように。


 司祭は人生をかけて習得した回復魔術の奥義を以て、魔王へと闘いを挑んでいる。


「グワーッ!!」


 自分が死ぬ度に自己蘇生できるその魔法は、フィオですら習得しきれなかった究極の回復魔法の一つだ。


 だが決して、痛みを感じないわけではない。彼は死ぬ度に文字通り『死ぬほど』痛い思いをしている。


 それでも彼は闘いをやめようとはしなかった。何度殺されようと、何度でも立ち上がった。


 すべては、未来の為。自身が愛し、愛おしんだ次世代を担う子供達を逃がす時間が稼げるのなら、この命惜しくはない。


 司祭はロリコンである。


 だが司祭は決して、ただ欲望の対象として子供を見ているのではない。真剣に、真摯に、純粋に、子供を愛しているのだ。


 未来を築き上げる、後世へ紡がれていく「子供達きぼう」を、何より大切に思っているのだ。


 その想いは、紛れもなく本物であった。


「……頑張るねぇ」


 一方で魔王は、そんな司祭に飽きてきていた。


 覚悟を決めた人間を嬲っても、彼の加虐性癖は満たされない。


 既に何度も司祭を叩き潰し、コケにされた怒りは収まってきている。


 目の前に司祭しかいないから、彼を相手取っているだけだ。


 四散しても、再生する。再生途中に攻撃しても、吹き飛んだ後に同じように再生が始まる。


 アンデットを相手にしても、神聖魔法で消滅するだけまだやりやすいだろう。こびりついて取れない頑固な錆を、淡々と磨いているような作業だ。


 幾ら殺しても暖簾に腕押し、豆腐に鎹。これでは面白くもなんともない。


「そろそろ新しい遊びをしようか、おじいちゃん。ロルバック、連れて来て」

「御意」


 連れてきて。その言葉にハッとなった司祭は、魔王の視線の先へと目をやった。そこには、先ほど逃がした子供達が、ボロボロになって魔族に捕まっていた。


 魔王は最初から、子供達を逃がすつもりなどなかった。部下に辺りを囲ませて、逃げだした子供を捕らえろと命じていたのだ。


「全員捕らえております」

「よしよし、誰も殺してないだろうね」

「はい」


 魔王は子供達を見てニンマリと笑った。


 彼は司祭が稼いだ時間は無意味だったと嘲笑う為に、敢えて子供を見逃していたのだ。


「ガキどもちゃんとこのおじぃちゃんの前で、むごたらしく殺さないとね」


 ────子供を愛した老人の、絶望が始まる。


「この娘、僕に楯突いたよね。貴方への援護だったのかな、おじぃちゃん?」

「やめろ」


 顔を青黒く腫らした村長の忘れ形見、メル。彼女はロルバックに首根っこを掴まれ、左右に力なく揺れていた。


 その後ろには、里の子供達が乱雑に積み上げられている。


「ねぇおじぃちゃん、僕に楯突いたこの馬鹿な娘を殺してよ」

「やめてくれ」 

「そしたら他の子は解放してあげる。このクソ生意気なメスガキをさぁ、おじぃちゃん自ら殺すんだ」


 魔王は、加虐主義者サイコパスだ。他人が絶望し、慟哭する様を見て、快楽を得る人格破綻者だ。


「そうだ。ただ殺すだけじゃつまらないから、ナイフで皮を剥いで殺してよ。皮は剥製に使うから、丁寧に切りとってねおじいちゃん? この娘は僕が、芸術品に仕立て上げてやる」

「あ、ああ、神よ、どうか」

「全身の皮を剥いた後は、生きたまま塩漬けにしてやるんだ。きっと良い声を上げて泣くぞ。僕に逆らったこと、タップリ後悔させてやる」


 魔王は優しく老人の肩を叩き、耳元で囁いた。メルを殺せば他の子供は見逃す、と。


「みーんな死んじゃうのと1人だけ死ぬの、どっちが良い?」


 ────悪魔。それは魔王の、魔族の間における呼び名。


 魔族にすら、畏怖と侮蔑を抱かせる悪意。


 他人が絶望する姿に、性的興奮を覚える真性のサディスト。




 魔王の少年が、わざわざここまで老人をいたぶったのには理由があった。


 1つ、コケにされた報いを味わせたかった。


 2つ、命懸けで稼いだ時間が無意味だった、と知り絶望する司祭が見たかった。


 3つ。司祭が正気に戻った後、少女を殺したことを大声で嘲笑い、目の前で子供達を一人一人縊り殺したかった。


 つまり全て、彼の性的衝動サイコパスに基づいた行動だったのだ。


 老人が絶望する顔を見たいがため、無駄に時間をかけてしまった。


「あ、あ、あ」

「さぁどーするの」


 ────その結果。司祭は、半日もの時間を稼いでいた。


 それは、まさに大金星と言えた。


 魔王が真面目に戦っていたら、ミクアルの里の住人を根絶やしに出来ただろう。


 子供も大人もみな、トマトのように叩き潰されてミクアルの里は滅んでいただろう。


 しかし彼はたった一人、死者すら出さずに魔王を足止めした。


 そう。彼は知らずのうちに、何より大切な未来子供を守り抜いていたのだ。



「────助けに来た」


 司祭は震える手で、手渡された皮剥ぎナイフを手に持ったその時。


 静かで怒気に満ちた、少年の声を聞いた。


「かつて貴方達に救われた恩を、今返そう」

「おや、新手か? これまた随分と弱そうな援軍だな」


 いつの間にか、ローブを羽織った中性的な顔の少年が、子供達を庇うように立っていて。


 鬼のような形相で、魔王を睨みつけていた。


「君だって随分と弱そうじゃないか、魔族の王」

「……まぁ、否定はできないな。でも弱そうってだけで、僕は────」


 予定外の敵だったが、魔王に焦る様子はない。


 彼はルートを見ていつものように、無造作に手に魔力を集めた。


 魔王はこの、純粋な魔力をぶつける攻撃をよく好んだ。


 詠唱もなく、完全なノーモーションで、上級魔法並の破壊力を持つ透明な攻撃。


「……最強だけどね!」


 通常、魔法は詠唱した方が威力が高い。無詠唱であれば、威力は半分以下になるという。


 ではどうして魔王は、わざわざ燃費の悪い攻撃を好むのか。 


 その理由は、彼は魔力が桁違いに多いからだ。


 普通の魔法使いの数百倍、フィオやレイのようなトップクラスの魔法使いと比べても十倍以上の魔力を有していた。


 なので威力が半分以下になろうと、火力は十分だったのだ。


 むしろ燃費が悪かろうと、当てやすい攻撃の方が良いという実利的な理由だった。


 そしてもう一つの理由は、


「……お主。さてはあまり魔道を修めておらんな?」


 彼は、十歳ほどの子供である。まだまだ、魔法に関して初心者だった。


 何時から、そこに居たのか。


 魔王は驚く暇もなく、気付けば肉薄していたバルトリフに横腹を蹴飛ばされた。


「うわ、何? このおっさん」

「む……物理障壁か」


 だが、その一撃は無意味に終わった。


 魔王たるこの少年には、あらゆる物理攻撃が効かないらしい。


 バルトリフの放った蹴撃はビタリと魔王の横腹で静止し、その様を見て魔王はニヤリと嗤った。


 だが、しかし。


「……なんとも無粋な障壁よな。実に、くだらん────!!」 


 次の瞬間、バリンと何かが破ける音がした。


「な……っ!?」

「消し飛べぃ!」


 戦場に、すさまじい轟音が鳴り響く。


 バルトリフの目が光ったかと思うと、障壁は跡形もなく砕け散った。


 直後、魔族の足は少年の腹にめり込み、数十メートルは吹っ飛ばした。


「物理障壁だけは、一人前に使いよってからに。ただ、小童が扱うには高度過ぎる魔法だのぉ、誰かに施して貰ったといったところか」


 そう、生まれつき物理攻撃が効かない人間などいない。


 魔王の言う『物理無効』の正体とは、ただありえない強度の物理障壁だったのだ。


 そしてバルトリフは少年の『物理無効』の正体が障壁であると見抜き、その術式を分解してしまった。


 これこそバルトリフが、かつて最強と歌われた所以。


 あらゆる魔術を解析し、分解できるバルトリフは、魔法使いに対し無敵に近いのだ。


「何の話だ? というかお前は何をした!? この僕が、誰かに触れられるなんてありえないのに────!」

「……ほう、その障壁、自覚なく展開しとったのか。物心がつく前に親に施された、防御魔法とかかのう? だとすれば貴様の親は、かなりの魔法の腕だったのかもしれぬ」

「親? そんなヤツもういないよ。僕に逆らったから、数年前に殺った」


 吹き飛ばされた魔王は、口元に血を滲ませながら、ふらりと立ち上がった。


「なるほど、親を殺しとったか。……道理で心が未熟なわけだ」

「へー、僕が未熟かどうか試してみるかい」


 彼の周囲の空気が歪み、冷たい風が吹き荒れる。


 そして魔王は生まれて初めて、本気で魔力を練り上げた。その凄まじい魔力の閃光は、世界に存在する全ての魔導士の頂点だろう。


「────死んでくれ」


 彼は魔力を強大な塊として空高く練り上ると、そのまま地上に叩き落した。


 それはバルトリフだけではなく、ミクアルの子供や、部下の竜族をも巻き込んでしまう、癇癪を起こした子供のような攻撃だった。


「そこの龍族は、味方ではなかったかの?」

「知るか。自分の身は、自分で守れ」


 だがその一撃は、バルトリフにあっさりと防がれた。


 バルトリフは不可視な魔法の一撃を躱すと、ミクアルの子供や龍族・・を障壁を張り守った。


「……凝縮が甘い、経験が足りんな」


 バルトリフはその少年の攻撃を、鼻で笑った。


 何せ術式も陣も組んでいない、ただの魔力の塊だ。せっかくの膨大な魔力が泣いている。


 きちんと魔道を修め、行使されたら防ぎようなどなかったのに。


「もう貴様の底は知れた。魔王を名乗る未熟者よ、疾く首を垂れると良い」

「あははは、なるほどね。貴様の弱点は見えたぞ、老いぼれ魔族」


 人族の切り札たる、裏切りの魔族バルトリフ。魔族の切り札たる、人族の少年サイコパス


 その両者は、時が止まったかのごとく睨み合った。


 ────しかし彼らの決着は、あっけないものだった。


「ロルバック! ミクアルの連中はどうでも良いから、その老いぼれ魔族を殺せ!」

「……ほう?」


 魔王はただ魔力が多いだけではなく、周囲を観察する冷静さも持ち合わせていた。


 そして少し交戦しただけで、彼はバルトリフの弱点を見抜いた。


「お前と近接戦は少し分が悪そうだ、だから魔法戦に徹させてもらう」

「ほう、その心は?」

「老いぼれ、お前は魔力の扱いは上手いが、量は乏しいだろ。さっきの攻防、お前は僕の魔法をわざわざ躱した。障壁で防ぎながら迎撃魔法を詠唱するのが、魔法戦の定石なのに」

「うむ、その通り。確かに今の我に、全盛期の魔力はない」

「つまりお前は僕が魔法戦に徹する限り、防戦一方という訳だ。……ロルバック、お前はその老いぼれを足止めしろ。僕は老いぼれの魔力が切れるまで、魔法をたたき込み続ける」

「おお、聡いの今代魔王。さすれば、汝の勝利は揺るがないだろう」

「さあ覚悟を決めろ、お前はこの世で最も無残な方法で処刑してやるからな────」

「ただ、心の機微を知らぬ。部下はモノではないのだ。あんまり好き勝手をすれば『裏切者』が出るかもしれぬぞ?」


 バルトリフはそう言うと。


 ボロボロの少年の傍に控えるロルバックに、ニコリと笑いかけた。


「ロルバック。そこの魔王を名乗る人族を、殺すがいい」

「────は? 貴様、何を」

「了解した。死ね」


 バルトリフの『命令』に従って。ロルバックは魔王の体躯を背後から、拳で一突きに突き破った。


 目を見開いた魔王の口から、ゴポリとどす黒い血が垂れた。


「お前が魔王たり得たのは、お前が強かったからに他ならん」

「ロル……バック、貴様、何を……」

「お前は我に接近戦では勝てぬと宣言し、情けなく部下に助けを求めた。そんな雑魚に部下が付き従うモノか」

「違う……、僕は、貴様に勝つ為に、コイツさえいう事を聞いていれば」

「我に障壁を破られ、血反吐を垂らし、部下に頼った時点で貴様は魔王の座を失ったのだ。お前さんが慕われてさえいれば、話は変わっただろうがの。とどめを刺せ、ロルバック」

「御意」


 腹に穴が開き、血反吐を垂らす魔王だった人族の少年。


 そんな彼を前にして、ロルバックの瞳に憎しみが燃え上がる。


「妻の、息子の、俺の家族の、仇!!」


 最期に魔王の顔に浮かんだ表情は、恐怖。


 魔王を名乗った人族の少年は、竜族ロルバックにより顔面を踏みつぶされ、あっけなく息絶えた。


 闘いは、決着した。


「……ロルバック、と言ったか。魔族は、どの程度生き残っている?」

「残り僅かです。魔族領に帰っても、もうほとんど……」

「左様か」


 バルトリフは跪くロルバックの前に立ち、哀しそうに手を取った。


「我が、魔王を継ごう。我が、生き残った魔族を纏めよう。……それで良いか?」

「……分かりました。我ら竜族は、貴方を王と認めよう」

「うむ、微力を尽くそう」


 そしてバルトリフは、ロルバックの体を癒した。


 やがて周囲には、ロルバック以外の竜族が続々と集まってきた・


「生き残った連中に通達せい、撤退すると。この惨敗ぶりでは、もはや退くしかない」

「御意」


 そして竜族達は皆、バルトリフに跪いた。


 現魔王を打倒したバルトリフは、晴れて魔王と認められたのだ。ロルバックも、バルトリフが王となった方が良いと判断し、忠誠をささげたのである。


 ロルバックの足の下には、魔王だった少年の骸が踏みつけられていた。


 彼が今まで少年に従っていた理由は、魔王だったからに他ならない。魔王の立場を失った少年は、ただの家族の仇だ。


 それを、魔王だった少年は読み切れなかった。


「と、言うわけだルート。人族としては嬉しくないだろうが、彼等も我が同胞である。ここは見逃してはくれんかの?」

「……複雑だけれど、うん、魔族が退くなら追わないよ。今からミクアルの人達を救助しないといけないし、君達を追撃する余裕はない」

「感謝する、我が親愛なる人族ルート。……いつか、互いに歩み寄れる日が来ると良いのう。では、さらば」


 バルトリフはそう言い残すと、竜族を率いて魔族領へと飛び去った。


 彼が魔王の座にいるうちは、きっと魔族が攻め込んでくることはないだろう。


「……司祭、さんだっけ。さぁ、今から忙しいよ」

「私は、夢を見ているのか? 魔族に助けられて、魔王が死んで、勇者ルート殿がここに、あれ?」


 その決着を茫然と眺めていた司祭は、ルートに話しかけられて我に返った。


 自分より強そうな魔族が現れたと思ったら、人族の魔王を殺して立ち去ったのだ。


 混乱するのも無理はないだろう。


「混乱するのも仕方ないけど、今は救助を優先しよう。救助者の探知は僕がやるから、早く助けてあげよう」

「……おお、おお? だが我が故郷ミクアルは蒸発して、もう────」

「いや、生きているよ。瓦礫の下深くに埋もれてはいるけど、咄嗟に障壁を張ったりして生き延びているみたい」

「……なんと、流石は我が故郷の住人達」


 我に帰った司祭は子供たちの治療を始め、ルートは精霊術によって埋もれた人々の位置を割り出していった。


 これにて、人族と魔族の戦争は決着した。今後しばらく、魔族が侵略してくる可能性は限りなく低いだろう。


 残る問題は、流星魔法のみ。


 ルートは空に燦然と輝く流星を眺めながら、仲間を信じて、ミクアルの住人の救助を続けるのだった。

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