第43話 陥落。

「なぁアルト。もう一日くらい、こっちに居ないか?」


 偉大な男の旅立ちから、一夜明けて。朝日が照り付け目を覚ました俺に、話しかける少女の声がした。


 まどろみながら眼を開くと、柔らかな頬を俺の肩に預け微笑む、愛すべき恋人フィオの姿があった。


 おかしいな。俺は昨夜、村長殿の家で寝たが、彼女はフィーユさんと一緒に帰ったはずだ。


「おはよう、フィオ。どうして、ここに居るんだ?」

「……ここにいちゃダメか?」


 少し不安そうに、上目遣いに彼女は俺を見上げ。


「無論、そんなことはないぞ」


 俺の返答を聞くや否や、フィオは花が咲いたかの如く笑顔になった。


 そして彼女は甘えるように、体重を預けてきた。


「なぁアルト。その、何だ。この前のデート、流れたしさ。今日は一緒に居て欲しい……」

「任せろ」


 そんないじらしい彼女の雰囲気にのまれ思わず即答する。



 一瞬、コボルト討伐の戦後処理は大丈夫だろうかと気になったが……。


 今のフィオの態度は、どう考えても妙だ。


 目がトロンとしていて、ボディタッチが激しい。


 普段の彼女はここまでベタベタと甘えてくれない。


 ……きっと、親が死んでしまって寂しいのだろう。うん、ルート達には悪いけれど、やっぱり今はフィオを優先しよう。心が弱っている時に支えてこそ、恋人だ。


「そっか、今日はずっと一緒かぁ」


 俺は、彼女を優しく抱きしめ返すと。彼女は、小さくそう呟いて、嬉しそうに微笑んだのだった。











「……うわぁ。本当にアルト君のとこに行ってたのアンタ」

「悪いかよフィーユ姉」

「いや、まぁ。ごめんなさいねアルト君、ウチの馬鹿がいきなり乗り込んで」

「いえ、昨日の今日です、まだ気持ちの整理がついていないのでしょう。フィオも、貴女も。貴女も抱えているものがあるなら、話してみませんか? 俺で良ければ、受け止めますよ」

「ありがと、私は大丈夫。もう、一昨日に十分とあの人と話して、感情に折り合いは付けてるから。それに私はフィオの母親だよ。子供に情けないところなんか見せられますかっての」


 ……母親? 


「……え。え、あ、若いですね……」

「そいつはどうも」


 フィオの姉じゃなかったのか、この人。そうか、村長の奥さんだもんな。そう言えば、ミクアルの里では親であろうと姉呼びする文化があるんだったっけ? 


 穏やかに微笑むフィーユさんを、思わずマジマジと見つめてしまう。……若い、フィオと数歳しか離れているように見えない。


「……おい。何、フィーユ姉に色目使ってんのお前」


 見つめ合う事、数秒。ぎゅー、俺にくっついて離れようとしないフィオが、背中から俺を抱きしめた。柔らかく慎ましい何かが、俺の背にむにゅりと押し付けられ、フィオの吐息が俺のうなじを湿らせる。


 ……いかん、落ち着け。変な感覚になるんじゃない、まだ朝だぞ。


「あらまぁ。……これはこれで面白いわね、後でからかってやろ。ふふ、フィオもやっぱり女の子かぁ」

「からかいたいなら好きにしろ、今オレはこうしていたいんだ」

「うんうん、これは重症ね」


 それにしても、やっぱりおかしい。フィオが、何というか、いつも以上に甘えん坊と言うか、キャラが壊れているというか。


 親の死と言うのは、人生におけるとても大きな離別だ。フィオが心の支えを俺に求めてくれるというなら、彼女を愛する男として、全身全霊で応えるのみ。


「その、さ。今日はオレが案内するからさ、里を見て回ろうぜアルト」

「分かった。よろしく頼む、フィオ」

「うん、いってらっしゃい。今日も泊まるんでしょう? 食事は用意しておくから、夕方には戻ってらっしゃい」


 クスクスと、様子が変なフィオを面白そうに眺めるフィーユさんに手を振られ、俺とフィオは朝日が昇るミクアルの里を散歩することにしたのだった。


 これで少しは、フィオの気が紛れると良いのだが。









「な、何してんのフィオ」

「あん? アルトにぶら下がってるんだが」


 フィオは俺の背に引っ付いて、離れる気配がなかった。


 なので俺は彼女を背負ったまま、気が向くままにミクアルの里を観覧して回っていたのだが。


「アルトって、その男だよね」

「おう」

「どうも、アルトです」


 小柄な黒髪の少女が通りがかり、声をかけてきた。この娘はあの老人の娘で、フィオの妹さんだったか? また、勝負を挑まれたりするのだろうか。


「……。あんた、暇? 強いんだよね、私と勝負しろ」


 ふむ、案の定。この里の文化なのだろうか、目が合うと挨拶のように手合わせを要求される。


 俺としても、猛者と手合わせできる機会は貴重なのでありがたい。


「ああ、構わんぞ。フィオ、少し離れてくれるか?」

「やだ」


 ……だが、今日はフィオが離れてくれないらしい。


「ね、ねぇー、フィオ? 邪魔なんだけど、そんなに男とベタベタしないで欲しいんだけど?」

「うっさい。……今は離れたくないんだ」


 これは弱ったな、今の状態のフィオを無理に引きはがすなんて俺にはできない。今日は彼女の為に尽くすと決めたし、勝負を断ろう。


「だ、そうだ。すまないな、少女よ。また挑んできて欲しい」

「……駄目。ここでアンタをぶっ殺す事は確定してるし、逃がさないし」

「……すまんが、フィオに危険が及びそうな状態で手合わせを受ける気はない」

「なーにカッコつけてんだ、フェミニスト気取りか? 良いから闘え、ビビってんじゃないぞ優男が。フィオ、良いから早く離れて。ソイツ殺せない────」


 だが、目の前の少女は諦める気配がない。弱ったな、どうしたものか────


「メル。その、なんだ。……空気読めよ」


 聞いた事がない、低く不機嫌なフィオの声がした。


 ものっすごく冷徹で、闇落ちでもしたのかってレベルの怖い声色だった。思わずビクっと振り返ったが、俺の背にはとろけた表情のフィオがいるだけである。


 ……今のは、何だったんだ? 


「違、いや、わたっ……。う、うう、畜生覚えてろ、この糞剣士!! ち●こなんてこの世から一本残らず消え去ればいいんだ!! うあああああん!!」


 メルと呼ばれた少女は男の象徴に対する恨み節を高らかに、泣きながら逃走した。何だったんだろう。


「なぁ、アルト。次は川辺に行こう、川辺。こっちの方向な」

「……良いのか、さっきの娘」

「最近ちょっと態度が目に余ってたんだ、良い薬になるだろ」 

「ふむ、そんなものか」


 姉のフィオがそう言うなら、そうなのだろう。


 俺は一旦、恨みがましく股間を見つめていた先ほどの少女のことを忘れ、フィオと共にデートを楽しんだのだった。





 ────それにしても。この世には凄い奴がいるものだ。


「……アルト、と言ったかい君。フィオと手を繋いで、どこへいくんだい?」


 川辺沿いにある家を通りかかった時、ふと声が聞こえた。聞き覚えのある、若い青年の声だ。


 振り向くと、昨夜葬式で剣を交えたラントがいた。


 パンツ1枚で地面に埋まり窒息しかけていた、正真正銘の天才芸人。


 その男が、今。


「……助けて、欲しいのか?」

「必要ない、俺のことは放っておいてくれ。それより、フィオの話だ」

「いや、その。本当に助けなくて良いのか?」


 とある住宅の壁から、首だけ生えていた。


「心配ない、この家は俺の家だ」

「自分の家だからといって、壁から首を生やす理由にはならんと思うが」

「高速で飛翔するロリコンに跳ね飛ばされて、たまたまスッポリ嵌まっただけだ。この程度、自力で抜け出せる」

「そうか」


 本人がそう言うのであれば、仕方あるまい。


「それよりだ。俺は昨日お前に敗れた、だから身を引く覚悟はある。だが、お前は大事な幼馴染を任せるに足る男なのか、確かめておきたいんだ。少し時間を貰いたい」

「む、構わんぞ。……なら、やはり壁から抜いて話した方が良いのでは? この程度の壁、切り倒すのは訳ないぞ」

「結構だ、このまま話をすれば良かろう。立ち話で悪いが、お前も時間を取られない方が良いだろう?」

「お前がそれでいいなら、俺は何も言わんが」


 どうやらラントはフィオに気があったようで、俺と真剣に話をしたいらしい。だが、壁から顔だけ生やした今の状況では、どんな話をしてもネタにしかならない。


「その前に、フィオ。その、お前の気持ちを、最後に聞いておきたい。俺の、何が駄目だったんだ?」

「……言っていいのか? 家の外壁に真顔で生えてる、今の状況そのものが答えだ。ネタキャラ過ぎてそういう対象に見れない」

「ぐ、好き好んでこんな星の下に生まれた訳じゃないが。だが、それもまた俺だ、受け入れよう。デートの邪魔して悪かったな、フィオ」

「そう思うなら今の状況で話しかけてくるなよ。面白いんだよ畜生、既にデートの空気台無しじゃねーか」


 まったくその通り、コラ画像みたいな登場をしやがって。


 狙ってやってるんじゃないか。


「おい、アルトとやら。お前は、フィオが好きなんだな? どれくらい好きか、俺に話してみろ」

「よし、任せろ。……フィオの碧い瞳は、ライトブルーに輝く母なる大海原をも見劣らせ────」

「待って、その歌止めて。本当に止めて。背筋がむず痒くなる」

「むぅ」


 リクエストがあったので歌いだそうとしたら、フィオがすぐさま口を塞いできた。


 せっかくの渾身のラブソングも、本人に気に入ってもらえないなら意味はない。本格的に、誰かに音楽を習うべきだろうか。


「いや、少しだけだが良く伝わったよ、アルト。お前の気持ちは、本物なんだな」

「おお、伝わったか。分かってくれて何よりだ」

「なんで分かり合ってるんだコイツら……」


 Aメロだけだが、ラントには伝わったようだ。


 この男もまたフィオの魅力に気付いていて、フィオを想う気持ちも本物だったのだろう。


「フィオの奴、意外とか弱いんだよ。だから俺が支えてやんなきゃって思ってたんだけど……。どうやら俺の役目ではなかったのかな。悔しいけど、お前に任せるとするよ」

「ああ、承った。俺はいつだってフィオの隣で、全力で支えることを誓おう。これで、満足してくれるか」

「ああ、後は俺の気持ちの問題だけだ。吹っ切って見せるさ」


 そう言って、涙をこらえ必死で笑顔を作ろうとするラントの顔は、やはり壁から生えている。どうにも、シリアスになりきれない。


「もう既に、アルトにはすっごく支えられちまってるけどな。ごめん、今日は色々と甘えて」

「気にするな、むしろ役得だ。もっと遠慮せず甘えてくれ」

「ありがと」


 フィオは、そんな面妖なラントの姿に動揺することなく、俺の方へと向き直った。そして、何か言いたそうにオレを見上げている。


 うん、聞こう。俺はそんな彼女に向き合って、無言で話を促した。


「その、さ。聞いてくれるか」


 彼女の瞳が、静かに揺らめき、ジッと俺の顔を覗き込む。それに小さく首肯し、俺はフィオの言葉を待つ。


「オレはさ、もう甘えちゃいられない立場なんだ。今は司祭が取り仕切ってくれるらしいけど、魔王との闘いが終わったら俺がこの里の長だ」

「らしいな。流石はフィオ、その年で皆に信頼されているとは」

「重てぇよな。オレはさ、あの男の歩んだ道をそのまま引き継ぐことの意味を、全く分かってなかったよ。この里を継ぐってのは今まで通り、目の前の人を助ければ良いだけだと思ってた」


 そう呟いたフィオの顔は、どこか寂しげだった。


「フィーユ姉も。このラントも、メルも、司祭も、この里の皆が全てオレの肩に乗ってるんだ。皆、オレが引っ張るべき存在になっちゃったんだ」

「……フィオ」

「アルト、お前はスゲえよ。何時だって先頭に立って、オレ達パーティを引っ張り続けてる。お前にも出来るんだから、オレだって出来るって、そう思ってた」


 不意に、彼女の肩が震える。何かに怯えるような、そんな顔のフィオは、更に俺の胸に身を寄せてきて。


 彼女の小さな心音が、とくんとくんと脈打つのが分かる。


「怖いんだ。怖かったんだ。オレのせいで誰かが死んじゃうなんて、耐えられない。でも、村長ボスが託してくれたオレの使命を、蔑ろになんかしたくない」

「……そうか」

「だからさ、オレ、頑張るから。でもさ、ずっとずっと気を張ってるのはしんどいからさ」


 きゅう、と。


 肩にしがみつくフィオの、その力が強くなる。


「ごめん、ごめんなアルト。お前にだけは、甘えても良いか?」

「言った筈だ、役得だったと。お前の隣に居る時より、俺に幸せな時間なんてない」


 そんな、どうしようもなく愛おしい彼女を、出来るだけ優しく安心させるように、俺は両手で抱き締めた。


「忘れるな、何時だってお前の隣には俺がいる」

「……うん」

「ねぇ、俺のこと見えてる? ねぇ、ねぇって」


 そんな感じでフィオと二人の世界に入ろうとしたら、奇怪な人面壁が話しかけてきた。


 ……この場所では、甘い空気が作れそうにないな。


「アルト、あっちに行こう。大崖の宿り小屋、って場所があるんだ」

「分かった」


 フィオも同じ気持ちだったようで、そっと俺の袖を引いて別の場所に案内しようとしてくれた。


 変な空気になってしまったが、此処から離れればまた甘い雰囲気に戻れるだろう。


「あ、行っちゃうんだ。いや、良いんだけどね。ただ断っておいてなんだけど、思ったより綺麗に嵌ってて壁から抜けれないわコレ。ゴメン、やっぱりちょっとだけこの壁斬ってくれない? ねぇ、ちょっと。聞こえてる? ねぇ、ねぇって」


 無言で、足早に、俺達はその場を疾く歩き去る。うん、俺には何も聞こえない。


「ちょっとー?」


 うるせぇ。














 フィオの示した方向に行くと、崖の前に建てられた木製の小屋が目に入った。


 周りは岩に囲まれており、ぱっと見では人目に付きにくい。古ぼけた小屋の中には6畳ほどのスペースがあり、中に小さな寝床が用意されていた。小屋の後ろには、大自然が一望できる断崖絶壁。


 ……ふむ。ここって、どういう場所なんだ? 


「ほら、良い眺めだろ? ここ、この里での、逢引きスポットの1つでさ」

「ああ、成る程。確かに崖下の森や平野が一望できる、素晴らしい景色だ」

「……入り口んとこに立て札があってな。それを立てとくと、他の村民は立ち入り禁止。二人だけの空間の出来上がりって寸法だ」


 する、と衣擦れの音がした。フィオは片手でするりとローブの前紐をほどき、彼女の細い右肩が露わとなる。


「フィ、フィオ?」

「……なぁ。その、今日は何でもしていいから」


 そう言って、彼女は服をはだけたままに、俺の方を切なそうに眺めている。まて、いきなり彼女は何故、えっと。


「まだ日が高いけどさ、ああ、駄目だわ。ああ、そっか、これが人を好きになるって奴なんだな」


 ゆっくりと、頬を真っ赤にした彼女は、俺に向かって歩き出す。一歩一歩、ぼぅとしていて足取りは確かに、なまめかしく吐息を吐きながら。


「なぁ、アルト。変なこと言うけど、いいか?」

「お、おう。何だフィオ」

「お前にさ……。使ってほしい、お前のモノになりたい、このカラダ好きにして欲しい」


 ……俺の前で、フィオは発情していた。紛れもなく、どうしようもないほどに倒錯していた。


「ぁ、はぁ。なぁ、アルト、キス、駄目か」


 流石にこの状況では、俺の鋼鉄の理性が吹っ飛んだのも仕方が無いと、そう思う。


 ジェニファーさんに言われた通り、しばらく致すつもりはなかったのだが。フィオから誘われ、こうもお膳立てされてしまった状況で断るのはフィオを傷つけるだけ。


 いや、本音を言うと、昨日村長殿に教わった秘奥を試したくてウズウズしてはいた。自分の欲望を押さえ、平静を保っていたが。


「なぁ、フィオ。何でもしていいんだな?」

「え、その。……うん。良いよ」

「よし。なら今日のはすんごいからな、気合入れておけ」

「わ、その。え、いつもより凄いの? え、アレより上があるの?」

「あるさ。空を翔けよう、フィオ」



 その日。


 俺は村長より受け継ぎし究極の奥義「大天空」をお披露目した。


 亜音速で足を動かすことにより発生した上昇気流のような上へのベクトルにより、不思議なアレで俺とフィオは空に舞った。


 まるで無重力。まるで宇宙。せっかく小屋があるのに、俺とフィオはその小屋の上でプカプカ浮きながら、存分に行為を楽しむのだった。

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