第41話 花嫁に祝福を

 ああ、ばかばかしすぎる。ここにコイツがいる筈なんてないのに。


 アイツには勝てないって決めつけて、守るべき民を見捨て、尻尾撒いて逃げ出すという情けない決断をした直後だってのに。


 どうして最強おまえが、此処に居るんだ。


「はは、おかしいだろ。お前、コボルトの相手はどうしたよ?」

「なんか嫌な予感がしたから、後をルートに任せて走り続けたらお前がいた。それだけだ」

「相変わらず理解できねぇわ、お前。ホント、無茶苦茶だ」


 ……うん。だけどこの意味の分からなさ、間違いなく本物のアルトだ。


 アルトが来てくれた安堵で、へなへなと腰が砕けてしまう。


 もう、なんなんだこいつはよ。


「それに言っただろう、フィオ」

「……あん?」

「ついこの前、ずっと隣にいて欲しいと。忘れるな、お前の隣には」



 ────いつだって、オレが付いている。











 その日。魔王軍精鋭の一角であった、巨大オーク軍は壊滅した。


 ボスオークはオレの『とっておき』で片腕を失っていた上に、アルトが一度戦った相手の対策を練っていない筈がない。


 ありえないほどに強かったボスオークは、アルトと数合打ち合った後、一瞬の隙を突かれアルトに首を跳ね飛ばされていた。


 その混乱に乗じてオレ達も突撃し、ゴブリンどもを散々に打ち滅ぼした。何匹かには逃げられてしまったけど、もう略奪できるだけの戦力は残っていない筈だ。


 ……自治区の平和は、守られた事だろう。


 こうしてオレの手からは零れ堕ちた、父との大事な約束は。


 オレの手を握った英雄が、掬い上げてくれたのだった。








「以上が、今回の顛末だ。よし村長ボス、安心して死ね」

「負けとるじゃないか」


 オレ達は自治区を救った後、大急ぎでミクアルの里へと戻り。


 この華麗な逆転勝利を死にかけジジイに面白おかしく聞かせてみたが、ヤツの顔は渋かった。


 何が不満なんだ。


「いや、勝ってるし。自治区の平和は守られたじゃん。何が不満だよ」

「フィオ。お前が後ろにぶら下がっとる、勇者アルトと言ったか? コイツが来なけりゃ自治区は壊滅してたじゃろ」

「初めまして。アルトです」

「それも含めて、オレの実力だっつの。アルトってばオレにベタ惚れで、呼べばいつでも来るし」


 というか呼ばなくても、『謎の勘』で勝手に現れたし。オレの恋人、改めて人外染みてるな。


「はぁ。村の若い奴で良いのが育っとらんのが問題じゃな。修行が足りん」

「いつも村長ボスが単騎で突っ込んでた弊害だな。もっと育成に力を入れるべきだった」


 今回、何度も死にながら勇敢に戦ったミクアル兵だというのに、散々な言われようだ。


 でもなぁ、アルトとかバーディとか見てるとやっぱり強さに見劣りしちゃうんだよなぁ。


「で。その若い衆は今どこじゃフィオ?」

「アルトに喧嘩吹っ掛けて、全員ノされてる」

「あいつ等、今日が俺の命日だって忘れとらんよな……」


 まぁミクアルの民は『死にかけている自分達の首魁』より『俺より強い奴』の方が興味あるからな。


「ローシャ、外でバカやってる皆を広場に集めてくれ。フィオ、馬鹿どもの治療を頼む」

「はいよ。何するんだ?」

「決まっとるだろう。俺の葬式だよ。とっておきの俺の秘蔵酒、全部持ってこい。全員に振舞ってやる」

「……酒の味分かるのか? そろそろ味覚もやられてるだろ」

「酒の楽しみ方がわかっとらんな、フィオ。粋がっていてもガキんちょか」


 ゴボリ。そう言って笑おうとした村長ボスは、ドス黒い血を吐いた。グロいなオイ。


「酒を飲んでも良いが、死を早めるだけだぞ。ただでさえ残り僅かな命なのに」

「今更、ちょっと余生が増えることに興味ないわ。酒の味が分からんとしても、大事な家族と同じ酒を、同じ席で酌み交わす。これ以上に旨い酒なんて存在せん」


 そう言って弱々しく、震える手で村長ボスは杯を握った。


「やるぞ、お前ら!! 宴会だ!!」


 こうして大空の下、里の偉大なリーダーの最期を飾る大宴会が、ここに幕を開けた。 




「アーッハッハッハッハ!! 見ろよ、ラントが地面に突き刺さってるぜ!!」

「どうしたもう終わりかラント!! 10年越しの恋が終わった気分はどうだ? その男に勝てば、フィオも振り向いてくれるかもしれねぇぞ!!」

「……無理だろーがよぉ、何だよコイツの強さ」

「悪いがフィオは渡さん」


 この里の宴会は、いつも乱痴気騒ぎだった。


 宴のさなかに喧嘩が起こるのは当たり前で、今回もアルトとラントがオレをめぐっての喧嘩を始め盛り上がっていた。


 死にかけの村長ボスも、下半身がきれいに地面に突き刺さったラントを見て血反吐を吐きながら爆笑している。


 ……と言うか、ラント。お前まだ、オレ狙ってたのかよ。


「ラント、意地を見せろ!」

「覚醒だ、ここで覚醒して、そのいけすかねぇ勇者をボコればお前の天下だ!」

「フィオがお前に股を開く日も近いぞ!!」

「ちくしょ──!! やってやらぁ!!」


 ……いや開かねぇよ。


 ラントは性格も顔も良い好青年だし、親しみやすい良い奴ではあるんだが……。生まれ持ってのネタキャラというか、いつも面白いトラブルに見舞われる男でもあるのだ。


 今だって自分の斬撃で出来た地面の穴に、受け身を取ろうとしてスッポリ嵌るという奇跡を成している。こんなに面白い奴を異性として意識するのは難しい。


「ラント兄、殺れ!! どさくさに紛れて殺っちまえ!! 証拠隠滅だ!」

「メル、証拠隠滅の意味わかってるか?」


 村長ボスの娘であるメルは、村長そっちのけで、物騒なヤジを飛ばしていた。何でああなったかなぁ、礼儀とか誰も教えなかったんだろうか。昔から口は悪かったけど、根は良い子なんだがなぁ。


 オレはそんなメルを背を撫で愛でて、勢いよく蹴飛ばされた。浮気者、てなんだそりゃ。





 そして、長い(多分アルトは手加減してた)剣劇の末ラントを下したアルトは、村長ボスに呼ばれ二人で向かい合って何やら話し込んでいた。妙に真剣な顔でだ。


 もしかして、あそこでもうすぐ”娘さんを俺にください”が始まるのだろうか? なら、オレも行った方が良いかな? 

 そう考え席を立ったけど、フィーユに肩を引っ張られ引き留められた。今は、男同士の話らしいから近付いたら駄目らしい。ぐぬぬ。


 仕方なく、遠目から二人の様子を眺めてきると。二人は熱く何かを語り合い、やがてアルトが村長ボスに頭を下げ、泣きだした。……一体何の話なのだろうか。


 ただ、話し終えたアルトは何かを決意した、そんな顔をしていた。





 ────楽しい時は、何時だって早く過ぎゆくモノだ。楽しい楽しい宴会も、やがて終わりはやってくる。


「おう、聞けぃ! 皆の衆! そろそろこの宴も、お開きの時間だ!」


 笑い声が響いていた話し声が、少しずつ静まり始め。それは辺りはすっかり暗くなり、酒瓶も空いて皆が程々に楽しんだ頃。とうとう村長ボスが声を張り上げ音頭を取り、いよいよ締めの挨拶が始まった。


「名残惜しいが、皆も充分に楽しんでくれただろう! この俺の秘酒を全て一夜で飲み切ったんだ! 不味い酒だったなんて抜かす馬鹿はいねぇな?」


 愛人達に支えられ、ふらふらと立ち上がりながら震える手で村長ボスは杯を月に掲げる。そうか、遂に来てしまったようだ。


 ────最期の時が。


「これより遺言を述べるから、各自耳をかっぽじって聞けよ。妻たちには昨夜たっぷり語ったからな、今日は貴様らに話す番だ」


 震える手で杯を掲げたまま。その男は、吠えた。


「手段と目的を取り違えるなよ、馬鹿な俺の家族達よ! 我らがなぜ、無辜の民を守るのか。世界平和のため、虐げられる民のため……なんて綺麗事を言うなよ! 我らが、我らの為に、彼らを守るのだ!!」


 バシャン、と音がして杯が地面に落ちる。村長ボスは手を掲げたまま、拳を握りしめた。


「俺は、憧れた!! 偉大な先代の長である、あの女性ヒトのようになりたいと。華麗な用兵術で、何度も王国の危機を救った聖女のように生きたいと!! だが俺はあの人の様に頭が良くなかった。だから、代わりにこの体が朽ちるまで戦い抜くことにした。それがこの無様な結末よ!!」


 そう言って村長ボスはニヤリと口をゆがめ笑った後、力が抜けたように手をだらりと下げた。


「だが、勘違いするなよ! 俺は幸せだった! 何せ方法は違えど、俺はあの人の様に無辜の民を守れたのだ。憧れだったあの人の歩んだ道を、俺の足が受け継いで前に進めた。俺はそれが、幸せで仕方がなかった」


 徐々に、村長ボスの声に張りが無くなっていく。目の焦点がふらつき始め、少しづつ息が乱れて来た。


「自分の為に戦え!! お前ら、間違っても人の為に生きようとするんじゃねぇぞ! 自分の中の理想の為に! 自分が憧れた何かの為に、自らの武を振るえ!! その無辜の民を救うのは、あくまでその結果だ!」


 そう里の家族へ言い終わると、偉大な男はゆっくりと腰を下ろし、囁くように二人の少女を呼んだ。


「フィオ、メル。お前ら、こっちにこい」

「うん」

「おう」


 名指しで呼ばれたオレは、もはやなぜ生きているか分からないほどに弱りはてた父親の前に歩み寄る。


「これから話す事は、里の長としてじゃない。お前らの親として話す」


 そして、今生で最後の話になるだろうと、男はそう続けた。目の焦点も少し怪しい、顔にはとっくに死相が出てる。もう、確かにこの男は、限界だ。


「まず、メル。お前には、ここ一年で俺の技を散々に教えたな? 今後もその研鑽を絶やすな。いや、今よりもっと努力を重ねろ」

「分かってる」

「……技の型は、ラントにでも見て貰え。お前は周囲にフィオと比べられ、劣等感に苛まれていただろう。だが、お前こそ正統に俺を継ぐ者だ。……俺は凡才だった。同世代に俺より強い奴はたくさんいた。だが、先代への憧れの気持ちだけは誰にも負けなかった。だから、努力し続けた。今のお前みたいにな。居るんだろう? お前にも、憧れの人間が」

「……別にフィオになんか憧れてないし。むしろ気持ち悪いと感じてるし」

「そうか。その気持ちを忘れない限り、お前はきっとその憧れを形にするだろう。もう、稽古をつけてやれなくなってすまん。だがな、この里の家族達が皆お前の師となってくれる。じゃあなメル、強くなれよ」


 そういって村長ボスはメルに笑いかけた後、今度はオレの方へ瞳を向ける。


「フィオ。お前は、間違いなく天才だった。童女の頃から司祭の回復魔術を全て習得し、弱冠五歳にして里の未曾有の危機を救ったお前は、紛れもなく英雄の器だ。正直、本当に俺の娘なのか疑ったもんだ。思わずフィーユに浮気してないか尋ねてしまった」

「何やってんだ糞ジジイ。フィーユ泣いただろそれ」

「馬鹿もん、土下座したら許してくれたわい。そんなお前さんだったから、目の前の人を救う方法に困らなかった。そしてお前は、目の前に居る人間を救うのに理由を求めなかった。まさにミクアルの精神そのもの、だからこそ俺はお前が一番気がかりだった」

「何がだ、善良で有能で人格者なオレの何が不満なんだ」

「自分の幸せには無頓着すぎるんだよ。献身も、度を過ぎると周りを不幸にするぞ。だから、嬉しかったなぁ、お前に男の恋人が出来たと知った時は。死ぬ前に、酒を酌み交わせてよかった」

「……うるせぇな」

「これで安心して逝ける。ああフィオ、お前さんに渡すものがあったんだ」

「遺品か?」

「そんなとこだ。……フィーユ、アレを」


 その言葉に呼応して、村長ボスを支えていた一人だったフィーユが、無言でオレに箱を突き出した。


 ここで開けろと、その目で言っていた。ゆっくりと、オレはその箱を開けてみる。


「……白い、布?」

「それはヴェールって言うんだよ、フィオ」


 意味がよく分からず混乱していると、フィーユ姉が小声でその謎の贈り物の正体を教えてくれた。


「何に使うんだコレ」

「女の子なら知っときなさいよ、コレくらい」

「すまんの、フィオ。本当はドレスやら何やら用意して驚かしてやるつもりだったのだが」


 ……ドレス? そう言えばこれ、何処かで見たことが、あるような。


 ────あっ。


「花嫁衣裳かよ、コレ。おいフィーユ姉、さては前もって村長ボスに話してやがったな? アルトの事」

「馬鹿言うな、話してないさ。私は約束を違えたりしないよ」

「だったら、何でこんなもんが既に用意されてるんだよ────」

「あんまり親を舐めるなよ、フィオ」


 その少し怒ったような声は、目の前の男から聞こえて来た。


「実の娘の事だぞ? 恋人が出来てたことくらい、察していない訳がなかろう。く、くく。丁度、フィーユが俺と付き合いだした頃の雰囲気にそっくりだったぞ、お前」


 くぐもった声で、その男は微笑う。呆気にとられ、ぼぅとしていたオレの頭に、フィーユがヴェールをさっとかけた。


「あっ、フィーユ?」

「うむ、うむ。よく、似合っとる。死ぬ前に見られて、満足だ。じゃあなフィオ、幸せになれよ」



 ポツリ。季節外れの時雨が、ヴェールからはみ出たオレの肩を打つ。満足そうにオレを一瞥した後、その男はゆっくりと腰を落とし脱力した。


 ああ、命の灯が、消える。


「さて、もう言い残すことは無いな」


 そう呟いた後、男は大きく息を吐き、


「ああ。今まで色々あったなぁ。俺、頑張ったぜ。だから今そっちに行くよ、姉さん」


 その言葉を最期に、目を開いたまま、その男は静かに旅立った。









 時雨が、しとしと、肌を濡らす。


 父から贈られた花嫁衣装が、雨に濡れる。慌ててフィーユがしまったけど、オレは微動だにしない。


 顔を隠すものが無くなって、雨に濡れたオレの頬を、熱い何かが通り過ぎたから。


 目の前の老人は、もう動かない。幼い頃から迷惑な男で、フィーユを泣かせたり子供のオレを戦場に連れまわしたりとロクな事をしなかった、そんなヤツだけど。



 ───ほら、フィオ。欲しがってた王都の菓子だ、買ってきてやったぞ。



 子供の頃、この世界にもケーキが存在すると聞いて、村長ボスにねだった事があった。その日は確か、4歳の誕生日の前日だったと思う。


 ケーキなんてものは王都にしか売っていなくて、そして店まで往復でどれだけ時間がかかるかなんて、当時のオレには知る由もなかった。


 でも次の日のオレの誕生日の席には、すこし形の崩れたケーキが並んでいた。どれだけのスピードを出して、往復してくれたのかなんてオレは理解しないまま、満足そうに平らげたのは覚えている。



 ……オレは、コイツを親として蔑ろにしてたかもしれない。でもコイツは、紛れもなくオレの親をやっていた。



「────、ぅ、あ」



 男が泣いていいのは、親が死んだ時だけだと、前世ではそう教わった。


 女に生まれた今世は、たとえ誰かに泣かされても、言い訳は出来るだろう。


 しかし涙にも、色々な種類がある。


 悲しい時の涙。悔しい時の涙。眠たい時の涙。嬉しい時の涙。


 オレが今、流している涙は一体、どの涙なのだろうか。


 空は昏く、夜は深く。闇に解けゆく、父の肌。訣別の時は、いつだって突然にやってくる。


 季節外れの時雨が、オレの頬を伝い水滴となって、泣いていることを誤魔化してくれているけれど。オレの目は紅く腫れ、口からは嗚咽が漏れ、感情の高ぶりが止まらない。


 ああ、そうか。オレの、この涙は────




「あ、りが、とう。父ざん────」




 今まで、育ててくれた親への、感謝の涙だ。

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