第34話 天丼

「あれま。帰ってたのかいフィオ」


 懐かしい、声がした。


 久しぶりに帰った実家の庭から、何年も前から殆ど変わらないままの姿の母親フィーユが笑いかけていた。





 ミクアルの里に到着後、オレはしばらく気を失っていたらしい。


 オレは巫女服の化け物に魘されていたようだが、喧嘩したバカどもの後始末で叩き起こされてしまった。


 この里は、オレが居た頃と何も変わらないようで安心したあきれたぜ。


 ……だが、起こしてもらえてむしろ丁度良かったかもしれない。


 出来れば今日に、オレはフィーユ姉さん────実の母に会っておきたかったし。



 オレは馬鹿どもを蘇生を済ませたあと、村長ボスにバーディーとルートの世話を任せ、彼女の家へ向かった。


 なおバーディには、メルをイジメないよう注念を押しておいた。あの野郎、オレの可愛い妹になんてことをしやがる。


 今度、槍先をタワシに変えておいてやる。



「おや、ちょっと髪が伸びたね」

「切ってねぇからな」


 ────久しぶりの我が家は、風の味も、路傍の色彩も、記憶のままだ。


変わらなさすぎて、つい昨日までここで暮らしていたかのような錯覚を覚える。


「メルちゃんにはもう会った? 寂しそうにしてたわよ、あの娘」

「あー、もう会ったぜ? アイツも変わらねーな」


 何となくメルのやつ、オレと一緒に寝たそうだったけど。悪いが今日は、フィーユ姉に会うのを優先したい。


 ……メルは明日、たっぷり愛でてやろう


 だけど今日は、母に孝行したい気分なのだ。




 ガキの頃に何度も通った砂利道を、ガキの頃のように石を蹴飛ばしながら歩いていくく。道すがらであった、兄弟たちに話しかけられ笑顔で別れる。




 フィーユの家は、広場やや離れた場所にぽつんと立っていた。


 この家は寝室と、水回りやキッチンといった最低限のものしかない質素な家だった。家具も少なく、食卓や水瓶などがおいてあるだけ。部屋の真ん中にぽつんとある、赤いベッドだけがこの家唯一の彩りだった。


 とても、この里の権力者である村長の愛人つまが住むような家ではない。他の愛人さんは、もっといい暮らしをしているというのに。




 フィーユ姉はオレとよく似た髪型で、オレと同じく小柄な体格をしている。


 彼女は地味なローブを揺らし、ぱたぱたと金髪を靡かせ、胸へ両手を当てゆっくり歩み寄って来た。


「ただいま、姉さん」

「あいよ、おかえり。……なんだい、早く上がっておいで」


 そうオレに微笑む彼女は、記憶と何も変わらなかった。もう40歳に近い筈なのに、オレと姉妹に見えるほど若々しかった。












「なかなか、家に顔を出せなくて悪かったな」

「ガキんちょがそんなこと気にしなくて良いの。それよりあんた、好き勝手やってパーティの人に迷惑かけてないよね? 変なお店いったりして」

「……そんな訳ないだろ?」


 母親フィーユはオレの頭を掴むと、呆れたような溜め息を吐いた。なんか、全て見透かされてるみたいだ。


「姉さんこそ、ちゃんと村長に面倒見て貰ってるのか? あんまり人が来た形跡ないぞこの家」

「私は良いの。あの人だって、若い娘が良いみたいだしね。オバさんはひっそり暮らしていく、それでいいの」

「いや、何というかなぁ。姉さんはもう少し積極的に行っても良いと思うが。なんであんなの選んだのか、そこだけが疑問だけど」

「村長の事? ふふ、昔はね、カッコよかったのよあの人も。ワンパクだけどいざという時は頼れるお兄さん、て感じ。幼い頃からの憧れの人でね、何人かいる恋人の一人だったとしても、私に振り向いてくれた時は嬉しかったなぁ。今しか知らないフィオには想像しにくいでしょうけど」

「……いや知らないけど。だったらさ、もう少し自己主張をさ」


 フィーユは気風が良い、やや童顔の美人だ。彼女の体格は、今のオレをやや成長させた程度で止まってしまっている。お世辞にもグラマラスだとは言えない。


 しかし、彼女は人を元気にさせるというか、話していて心地よいというか、そう言った不思議な雰囲気を持っている。


 そしてフィーユは、なかなかに恋愛下手だった。自己主張が苦手なのだ。オレが幼い頃は、寂しそうにボスが誰かと歩いているのを眺めている、そんな印象だった。


 フィーユがないがしろにされている訳じゃないとは思うけど、彼女は自分から身を引きすぎだと思うのだ。遠慮しすぎて損をしている、そんな気がする。


「私のことはどうだっていいの。あんた、何で帰って来たのさ」

「ああ、それはだな……」



 そう問われ、オレはここまで来ることになった経緯をフィーユにざっと話した。流星の巫女であったことを忘れていたくだりで、流石のフィーユも呆れた顔になった。


 仕方ないだろう、忘れていたんだから。慌ててそう言い訳したら、ふふ、と苦笑されてしまった。


 話を聞くと、若い頃のフィーユも結構おっちょこちょいだったらしい。ちゃんとメモを取る癖を付けなさい、きっとまた何かやらかすから。


 そう優しく叱られ、オレは何も言い返すことが出来ず素直に頷いた。フィーユ姉には、逆らう気がおきないのだ。



「にしてもアンタ、相変わらず女の子の尻追っかけてる訳? 別に止めやしないけどさ、ちゃんと男の人も追いかけるんだよ? 女の子同士じゃ孫は出来ないんだからね」

「……えっと」


 いきなり話題がオレの恋愛へと移り、言葉に詰まってしまった。


 フィーユにとっては雑談のつもりなのだろう。まだ、オレがアルトと付き合い始めたことは報告してないしな。


 ……さて、どうしよう。やっぱり肉親には、きちんと報告しないといけないだろうか。将来家族になるかもしれんしな。


 もう一人の肉親である村長ボスは頭ミクアルだし、身体も臭いから伝えなくてええか。


 ……さて。


「その、だな。今オレさ、そういう人が居てだな?」

「ほほん? 男? 女?」

「……男」

「マジで!?」


 彼氏報告をした瞬間、フィーユは俄然元気になった。


 燦々と目を輝せ、身を乗り出してバタバタしている。うう、やっぱそういう反応だよな。娘の恋バナなんて、良い酒の肴だよな。


「だ、誰にも言うなよ里の連中には!」

「分かってる分かってるって。よし、全て話せ。何時から? ちゃんと手紙に書けよな! 結婚すんの!? そっか、もう完全にラントの奴は脈無しか! あっはっはっは!」


 フィーユはそれはそれは嬉しそうに、オレを抱きしめ笑っていた。ぐぐぐ、何だこの芯から湧いてくる異様な羞恥心は。


「わー、ストップ! 奴とはまだ付き合って2週間くらいだっての!」

「おお、つまりホヤホヤか!! 一番、甘酸っぱい時期か! 良いなー。聞かせて聞かせて、その代わり困ってることあるなら何でも相談に乗ったげるから」

「フィーユにそっち方面は、消極的過ぎてアテにならん」

「ぐっ……」


 幼児にヤキモキされるレベルの恋愛音痴に、どんなアドバイスが出来るというのか。


「オレにこんな舐めた口利かれたくないなら、もっとアピって来いって。ぶっちゃけ姉さんはまだ若いから。むしろ幼いのレベルだから」

「アンタに言われたくないわ。……はぁ、それが出来たら良いのにねぇ。ま、そのうち分かるわ、あんたもさ」


 母娘の、数年ぶりの夜は。他愛のなく、人外魔境のミクアルに似つかわしくない穏やかでありふれたモノだった。アルトとの話を根掘り葉掘り突っつかれ、オレは生まれて初めてガールズトークらしい事をした気がする。とりあえず女の子二人で話せば何でもガールズトーク、では無かったんだな。


 それにしても。久しぶりに会えたフィーユの笑顔が見れて、良かった。




















【ルート視点】


『ルート、本当に行くのかい」


 懐かしい声。


 心配そうに僕を見つめる、父と母の顔。


『まさかこの子が勇者だなんて、とても信じられません。危なくはないのですか』

『優しいお前が、魔族と戦うなんて無茶だ。何とか思いとどまらんか』

『大丈夫だよ、父さん。母さん』


 これは、旅立ちの日の記憶だ。


 僕はお腹に浮かんでしまった聖痕から、勇者の一人だったと判明し。


 そして王宮の兵士の迎えにより、国王の下へ向かう事となったのだ。


『僕たちは今まで、強い人に守ってもらってきた。今度は、僕も誰かを守りたい』

『ルート……』

『安心して、絶対に無事に戻ってくるから』


 僕は生まれつき、体が強い方ではなかった。魔法の腕だってそこそこだし、腕っぷしが強いわけでもない。


 ただ、幼いころから。人には見えない精霊ヒトと、会話が出来ただけ。


 そんな貧弱な僕が、勇者として戦うと聞いて両親は卒倒しそうになっていた。


『ここの精霊たちもそう言ってるんだ。僕は無事に、此処に戻ってこれるよって』

『……そう』


 その言葉を聞いたあと、両親はぎゅっと僕の肩を抱きしめた。


『どんな保証があってもね。どんなに安全だって言われてもね。親は子供が戦場に行くなんてことになれば、心配で心配で仕方ないんだ』

『……父さん』

『体に気を付けるんだよ。何かあったら逃げておいで。私たちはずっと、お前の味方だからね』


 僕も、そんな心配性な両親を抱きしめ返し。


『ありがとう。いってきます』

『ルート……』

『本当に、大丈夫だからさ』


 なるべく心配かけないよう、強がって笑った。


『僕だって、男の子なんだ』


 




 





「ルート様」


 ────朝。僕は誰かに揺すられて、微睡みの中で目を覚ました。よく覚えていないが、懐かしい夢を見た気がする。


 まぶしい朝日が、窓を開けたその人物を照らしつける。逆光で顔が暗い影となり、声をかけられるまで、僕は誰に揺すられているのか分からなかった。


「おはようございます、ルート様。そろそろ、起きてはいかがでしょうか」

「……クリハか、おはよう」


 眼を開けて見れば、猫目のメイドがすました顔で僕の傍にたたずんでいた。






 昨夜、僕とバーディ、クリハの三人は村長の家に泊めてもらった。


 村長の家には、愛人全員の個室が用意されていた。その中の空き部屋を狩りて、僕たちは眠ることになった。


 その部屋に住んでいる人もいれば、『そういう時』だけ泊まりに来る人もいるらしい。

 見知らぬ女性の部屋に泊めて貰うのは少々気が進まなかったけれど、ちゃんと「お客さんに使って貰っても良いよ」と許可が貰えているらしい。


 僕が貸して貰った部屋は、随分と質素で飾り気のない部屋だった。真ん中にぽつんと赤い色のベッドが置いてある、質素な部屋だった。


 きっと、とても奥ゆかしい人が使っている部屋なのだろう。




「ところでルート様。バーディ様がどちらにいらっしゃるか、ご存じありませんか?」

「バーディ? 彼の部屋なら覚えているけれど、案内しようか?」

「いえ、お部屋にはいらっしゃらないようで」

「なら、庭で槍を振っているか、ナンパしてるかどっちかだろうね。ふわーぁ」

「……左様でしたか」



 どうやら朝っぱらから、バーディは出掛けているようだった。


 おそらくナンパか鍛錬か半々の確率だろうなぁ、と僕は寝ぼけた頭で予想していた。


「では、私達で村長様に朝の挨拶に伺いますか」

「うん、泊めてもらっている僕等から挨拶に行くのが筋だろう。バーディも連れて行きたかったけど」


 村長さんは意外に面倒見がよく、食事や部屋を世話してくれた。


 第一印象はヤバい人でしかなかったが、意外と良い人だった。


「村長さん、おはようございます。挨拶とお礼に伺いました」

「昨晩はお世話になりました」


 トントントントン。


 軽く戸を叩き、返事を待っていたら間もなく、


「おお、客人たちか。入って構わんよ」


 軽やかな老人の声が聞こえた。どうやら彼も、既に起きていたらしい。


 入っていいと言われたので、僕は失礼しますと声をかけて扉を開き、







 全裸で、シクシクと体育座りをして泣いているバーディと。


 彼に肩を回し、ゲハゲハ笑っている全裸の村長を見て。


 そのまま、無言で扉を閉めた。

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