第29話 二百年越しの、ありがとう
「とまぁ、こんな話じゃな。我が裏切られたと言ったのはそういうことだ。我は妻の仇を討っただけで、人族に敵意も悪意もなかった」
「……」
「ご期待に沿える小噺だったかな?」
重い。空気が、ただ重い。
バルトリフは自慢でもするかのように語っていたが、その内容を聞いたオレとルーートは何も言えなかった。
彼の眼を見れば分かる。今の話は嘘なんかじゃない。
噓つきがあんなに優しい目で、愛する人のことを語れるはずがない。
なんていうか、凄いな。この暇なおじさん。ここまで愚直に、誰かを愛せるなんて。
ここまで来ると羨ましさというか、妬ましさすら湧いてきてしまった。
少し、疑問を感じたのだ。
果たしてアルトはここまで、オレを想ってくれるだろうか。オレが殺されたとして、200年も想い続けてくれるだろうか。正直なところ、体目当てにしか見えないでもない。
「ごめんなさい。……興味本位で聞いていい話ではありませんでしたね」
「いや、構わんぞ。最愛の妻を自慢をするのは、一番の楽しみなのだ。ここまで聞いたからには、夜明けまで自慢話に付き合って貰う」
バルトリフはそう言うと、嬉しそうに目の皺を寄せ、微笑んだ。このおじさんは本当に、
バルトリフは無邪気な顔で、妻の絵画を見せながら思い出話を語り始めた。警戒していたのが馬鹿に思えてくるほど、優しい顔だ。
……よし。どうせなら、貴重な話の礼も兼ねて、ちょっと彼に良い思いをして貰おうか。
「なあバルトリフさんよ、聞いてくれ。ここに居るルートには、ある特技があってだな」
「むむ、何だ。いよいよ今から、我が妻との出会いの話に入るだが?」
「良いから聞けオッサン。つまり……」
「良いんだけどね。いや、あんな話されたらそりゃ協力するけどね……」
「おお、おお─────」
ルートに生き写しの妻。女装が趣味のルート。
この二つの事実を重ね合わせ、オレは天啓を導いた。
「レイ、ネ─────」
つまり、バルトリフの奥さんが残した衣服をルートに着せれば、皆が笑顔になれるということだ。オレは天才かもしれん。
……うっわ、マジで美少女じゃん。流石はルートだ。
「フィオ、何でだろうか。無性に君を殴りたい」
「おいおい、乱暴な言葉遣いはよしてくれよルート。今のお前はレイネさんだろ? ほらもっと優しい声出して、男に媚びるような仕草で─────」
「フィオ、後で覚えてろ」
ルートはめっちゃ怖い顔でオレを威嚇していた。。
折角、二百年振りの奥さん(のそっくりさん)なのに勿体ない。もっとレイネさんになりきってやれよ。
「レイネ、レイネ────、すまなかった、我は、レイネ────」
一方バルトリフは、完全に壊れていた。
今のルートの姿は
「すまん、すまん人族。我は正気なのだ。だが、1度で構わん。1度だけ、我を────“とうさん”と。そう、呼んでくれないか……」
それは、きっとレイネのバルトリフに対する、呼び名だったのだろうか。その嘆願を受け、ルートは困ったような顔をしつつ、静かに目を閉じた。
「……とうさん」
「あ、ああ。レイネ、我は────」
バルトリフは、ルートの呟くような言葉を聞き、ふらりと彼の前へと立ちよった。
200年振りの、妻との擬似的な再会。バルトリフは、如何なる心境なのだろうか。彼は、手を震わせながら、ソロリソロリとルートを抱き締めようとして────
「……いつまでクヨクヨしてる気だ! こんの唐変木が!」
目をつり上げたルートに、思いっきり引っ叩かれた。
────え?
「は? お、おいルート何やってる!?」
「とうさんさ、魔族の方が遙かに寿命長いことは分かってただろ!? 確かに突然死んじゃったのは悪かったけど、何年引き摺ってんだこのお馬鹿!」
「レ、レ、レイネ? 嘘だ────。レイネ、なのか」
「あん? よく見ろ、私はレイネじゃない。私はとっくに死んでるっつうの!」
何が起きたのか。ルートは人が変わったみたいにバルトリフに詰め寄って、お説教し始めたではないか。
「な、な、な。何で、お前は、まさか。レイネなのだな?」
「違います、ホラ、似てるけど別人。OK? てかこの子、男の子だろ」
「あ、ああ、レイネ、レイネ、我はお前を! 守れる筈だったのに、守る事も出来ただろうに、あの時、あの時! すまん、すまん、すまん────!!」
「……謝んなくていいから、黙って聞いて、とうさん」
そう言うと、ルートはペシンとバルトリフの額を指で弾き。
「頼むからそろそろ、私を忘れて生きてくれ。十分、もう十分父さんの気持ちは伝わったから」
そう言って、バルトリフの頭を撫でた。
「オォ、ォぉ……」
普段のルートとは、全く違う喋り方。
一体何が起きているのだろう。まさかルートが、レイネになっちゃった? あるいは、レイネに乗っ取られたのか?
いや、そんな筈はない。レイネは、二百年も前に死んだ人物だぞ。アンデット化してたとしても、自我なんて残っている訳が無い。
だとすれば、ルートの演技なのだろうか。レイネの真似をして、バルトリフを元気付けようとしているのかも。
……だが、ルートがレイネさんの性格や口調を知っている由はない。ルートの豹変ぶりは、説明がつかない。
何が起きているんだ?
「ほ、ほら見てくれレイネ。これは、お前と湖畔に行った時の思い出の絵で───」
「ああ、良く描けているな。私も楽しかった」
もしかしたら頭のいいルートならレイネの性格を、想像で再現出来たのかもしれない。
本物のレイネを知る手段がない以上、そうとしか考えられない。
そしてバルトリフはルートを
つまりルートは、限りなくレイネさんに近い性格を再現しているのだ。
「この詩は、お前へ想いを告げたときの、その言葉を元にして書いてだな」
「聞いた聞いた、何度も聞かされたよ。精魂込めて作ったのは伝わったが、毎晩歌うことはないだろうに」
ルートは、彼の言葉に頷きながら子供をあやすかのようにバルトリフの頸を撫でた。さながら、愛しい恋人のようだ。
……おかしい。とても、演技には、見えないぞ────?
「でもさ、私はもうこの世界に居ないんだ。だからとうさんもさ、もう決別してくれよ」
「だが、我は」
「だがも、しかしも、要らない。どうか頷いてくれ、とうさん」
レイネを演じるルートは、先程叩いたバルトリフの頬を、優しく、穏やかな表情で擦った。
つう、と。ルートの頬に一筋の雫が滴り落ちる。
普段は冷静な彼が、真っ赤に腫らした目に大粒の涙を浮かべながら。
満面の笑顔で、バルトリフを腕一杯に抱き締めたのだった。
「────今まで私を愛してくれて、ありがとう。とうさん」
それは、純粋な感謝の表出。
バルトリフは、ルートのその言葉に。崩れるように膝をつき、しっかりとルートを抱き締め返しながら。
涙でグシャグシャになった唇を振るわせ、何度も何度も、大きく頷いたのだった。
魔族の慟哭が、久し振りに屋敷に木霊する。しかしその声は、悲嘆にくれたものではなく。
悲しみで永い時間立ち止まっていたバルトリフが、前へと進む決意を込めた咆哮だった。
「ルート、やっぱりお前は凄いわ」
バルトリフとルートは、時が止まったかのように暫く二人は抱き合っていたが。
やがてバルトリフはそっと立ち上がり、赤い目を拭った。
そしてルートの目を布で拭いた後、ゆっくりと背から腕を放し、湿った声で「こっちこそ、ありがとう」と一言だけ告げたのだった。
結局バルトリフはオレ達の記憶を消さず、そのまま手を振って帰してくれた。もう、この屋敷に住み続ける事には拘らないのだとか。
バルトリフは、しっかり過去と決別出来たらしい。
別れ際のバルトリフは、吹っ切れた顔をしていた。背負い続けてきた重荷から、解放されたかのようだった。
そう。ルートはバルトリフを二百年苦しめた呪いから、救ってしまったのだ。
「僕は何もしていないよ」
「馬鹿言え。お前がレイネさんを演じきったから、バルトリフに届いたんだろうよ」
ルートがどうしてレイネの人となりを掴んだのかは分からない。
だけどバルトリフは、あの時ルートをレイネと思い込んでいた。そして、レイネの言葉として『決別せよ』を受け取り救われたのだ。
バルトリフを救ったのは、ルートだ。
「演じたんじゃない。貸したんだ」
「ん?」
オレはそう言って多話にルートを誉めてみたが。
彼は恥ずかしそうに、首を振るだけだった。
「僕の風読みは、精霊を介して行っている。つまり僕は、精霊と話せるんだ。知ってるだろう?」
「ん? まぁ、そう聞いてたけど。ソレが何だ?」
「精霊化していたんだよ。彼女」
「……え?」
そしてルートが話した内容は、オレの予想をを上回る奇跡だった。
「精霊は、人から生まれるようなモノではない。本来はね」
「まあ、だって精霊って、自然の中で勝手に生まれるんだろ?」
「それがだね。どうやら精霊は、死んだ人の魂が交じり合って形成されるらしい。だから精霊は、死んだ人々の性格に影響を受ける。飢饉の起こった地方で生まれた精霊は悲観的な性格になるし、栄華を極めた街の精霊は人を見下したような性格になるのだとか」
「ほーん。でもよ、ここら辺には人っ子1人住んでなかった筈だ。バルトリフのオッサンがこの屋敷でオンオン泣き続けたせいで、しばらくの間人族は寄りつかなかったって────」
そう。ルートの言うことが事実ならここで精霊が産まれるはずがない。魔族のオッサンが1人で200年近く過ごし続けたこの地に、人族はいな──
……まさか。
「じゃあ、もしさ。本来、沢山の人の魂から産まれる精霊が。たった1人の深すぎる感情により産まれたとしたら?」
「────嘘だろ、オイ。レイネさんって娘は200年も前に死んでるのに、それは」
「居たんだよ、彼女。魂となり、肉体を持たないまま。泣き続けたバルトリフを置いて行く訳にいかなかったレイネは、200年もの間、気付かれず、聞こえないのも承知の上で、彼の傍らに立って慰め続けてたんだ」
強い感情を持って魂だけとなった人族は、いずれ自分を見失い、アンデットとなり果てる。強い感情を持っていなければ、魂は霧散し即座に消えてしまう。
なのに、レイネと言う少女は。正気を保ちながら、延々魂のみとなって200年もの間存在し続け、たった1人で精霊へと昇華したのだ。
「僕は、屋敷の中に精霊が居ると気が付いてね。何か言いたそうだったから、僕の躰を少し貸してあげたんだ」
「じゃあ、あれは縁起じゃなくて、本当に」
「ああ。正真正銘、あれはレイネの言葉だよ。そしてバルトリフに、それが分からないわけがない。……分かったからこそ、前に進む決意が出来たんだよ」
「そう、だったのか」
「僕がしたのは、躰を貸しただけ。バルトリフを救ったのは、レイネさんの愛なんだ」
「何とまぁ、壮大な……」
「凄い話だよね、本当に。200年間ずっと自分を孤独だと思っていたバルトリフは、200年間ずっと最愛の恋人と二人で過ごせていたことを知ったのさ。そりゃ、救われるに決まってる」
「……愛が深いのは、お互い様だったって話か」
魔族と恋をしたレイネと言う女性もまた、バルトリフに負けぬほどに深く
そして、ずっと待っていたのだろう。いつかルートのような、精霊と会話できる人間が迷い込んでくるその時を。
「躰を譲った時、レイネさんの様々な感情、記憶が流れ込んできた。そこにあったのはただ、純粋な愛だったよ。人同士ですらあそこまで愛し合うのは難しいのに、人と魔族の異種族カップルの方が仲睦まじく有り続けただなんて皮肉なもんだ」
「何というか、なぁ。いい話だな、本当スゲェや」
ミクアルの里に行くついでに寄っただけの街だって言うのに、凄い体験をしてしまったもんだ。帰って二人に自慢してやろう。
……こんな話、信じてくれるか分からんけどな。。
「ただなぁ。よく分からない記憶もちょくちょくあるんだ、思い出す度に気持ちが悪くなる様な」
「あん? 何だ、二人がヤってる場面でも見ちまったのか? この助平」
「違うよ! そんな記憶わざわざ読んだりしないよ!」
「じゃあ何だってんだ?」
気持ちが悪くなるよく分からない記憶、ね。まさかとは思うが、見たり知ってしまったりしたら正気度を失ってしまうようなおぞましい記憶なんだろうか。
仮にも古代の大物魔族だ、超宇宙的な体験くらいしている可能性も────
「よく分からないんだけどね、バルトリフに跨がってひたすらクルクルと裸のままで回ってる記憶なんだ。バルトリフとそう言う行為をしているようにも思えないし、魔族特有の儀式か何かなんだろうか」
「忘れろルート。それは、お前に必要ない知識で、お前とは生涯無縁の儀式だ」
「……フィオ? 何か心当たりが有るのかい?」
「良いから、早く忘れろルート。それは、お前を不幸にする知識で、お前が知ったところで何も得がない知識だ」
「う、うん。うん?」
オレはこの日、生まれ変わったこの世界の闇の深さの一端を垣間見た気がした。
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