第28話 孤独。

「童たちよ、そろそろ帰る時間だ」

「へ……?」


 無心でクッキーを頬張る子供達の髪を、魔族が優しく撫でた。


 すると子供達の目が虚ろになり、ぼんやりとした表情で立ち上がって。


「母も心配しよう。家路につくが良い」

「……はい」


 バルトリフに告げられるがまま、二人はふらふらと夢見心地に、街への向かって歩き出した。


 バルトリフが心を操作出来るというのは、本当のようだ。


 冒険心豊かな子供が森をうろつくと、彼の隠れ家に迷い込んでしまうことがあるらしい。そしてバルトリフを見ると、怯えて逃げ出されてしまうそうだ。


 バルトリフは自分の存在を広められたくないので、こうして記憶を消して街へ返しているとのこと。


 そしてバルトリフを見て怖がらない子供には、彼お手製のお菓子を贈呈するそうだ。


 この子らも、妹を護るためバルトリフに向かっていった勇気を評価され、お菓子が貰えたらしい。


 ……本当に暇な事してるなコイツ。


「さ、主らはこっちに来い。家に案内しよう」

「お邪魔しまーす」


 オレ達は暇なおじさんに案内され、彼の隠れ家へと歩いた。わざわざ隠れ家というからには、ひっそりして地味な住まいを想像したのだが。


「この庭。随分と丁寧に手入れされていますね」

「我の数少ない日課である。手を抜くと、暇を持て余すのだ」


 彼に導かれ辿り着いた先には、花畑、野菜畑といった絢爛な庭園が広がっていた。


 その中心に、古く趣のある大きな屋敷がぽつんとそびえたっていた。隠れる気がない、堂々とした家だった。


「ん? 今なんかビリっとしたぞ」


 庭に入ると、ピリッとした圧力を感じた。


 集中してよく見れば、庭の周囲に薄い膜の様なモノが張ってある。


 かなり高度な魔法だな、全然気づかなかったぞ。


「……これは、結界?」

「うむ。しっかり人避けをせんと、この場所はすぐ見つかりそうだからな」

「だったら森の奥とか、人目に付きにくいところで住めばいいのに」

「それは出来ん」


 魔公バルトリフはオレの軽口に、なんとも言えない表情で答えた。


 どうやら、此処に拘る理由があるらしい。


「さぁ、入るが良いぞ。他人が我が家に足を踏み入れるのは久しぶりだ、ほとんどの人は我を見たら逃げ出すでな」

「はぁ、お邪魔します」


 バルトリフは上機嫌に、その屋敷の玄関を開けた。


 掃除は隅々まで行き届いており、朽ちた箇所も風情を醸し出している洋館だった。


 調度品も質が良いものが多く、時代を感じる古いデザインだが、まだまだ壊れそうにない。


「さあ、この奥が客間である。好きな椅子に座っていいぞ」

「……ありがとうなオッサン! む、これは?」


 ふとオレは、壁に掛けられた人物画に目が行った。


 その絵に描かれていたのは、給仕服を着た女性だった。


 ……多分、女性だ。




「……これ、ルートの絵か?」

「え? な、何だこれ?」



 そこに描かれた人物は、ルートにそっくりだった。


 生き写しと言っていい。この描かれた人物が女性で良いのか、オレが確証が持てなかった理由はそれである。


「ふふ、驚いただろう。我が思わず、貴様に声をかけた理由が此れである」

「……お前、まさかルートのホモストーカーだったのか……?」

「違うわ!!」


 なんだ、良かった。ルートが怯えてオレの後ろに隠れてしまったじゃないか、紛らわしいことを言うなよ。


「彼女は、我が娘であり、妻であった女性だよ。それも人族の、な」

「ルート、お前……」

「だからこの絵は僕じゃないよ! 僕は男だし、結婚なんてしてないし!」


 うん、知ってる。


 一瞬ルートかと間違えたが、よく見れば瞳の色が違う。


 ルートの瞳は、翠がかった綺麗な瞳だが、その女性の瞳孔の色は蒼かった。


 やはり、ルートとは他人の空似だろう。


「ま、その我が妻についても離してやろう。疾く、席に着くが良い」

「あ、ハイ」


 バルトリフはそう言って二つコップを出すと、オレンジ色の紅茶を煎れてくれた。


 前世の、日本で飲んだハーブティーに近い匂いがする。


 ひょっとして、外の庭で栽培したものなのだろうか。


「さて、では貴様の質問に答えてやろうかの、未熟な人族よ。確か、我が裏切られたと述べた詳細を知りたいのよな?」

「ええ。興味本位で聞いていいのか、分からないのですが」

「構わんよ。我も、誰かと話すことは娯楽なのだ」


 バルトリフはクッキーの箱を取り出し、数個ずつ小皿に入れて手渡してくれた。


 その後、四角いテーブルの最奥に腕を組んで座り、楽し気に微笑んだ。


「さて、掻い摘んで話そうか。そもそも我が、魔族を裏切り人族に味方したのは我が妻レイネのきっての頼みだったのだよ」


 そして、魔族は語りだした。


「私は妻の為に前魔王を裏切って、人と共に闘った。そして前魔王を打ち倒し、その戦功を以て爵位を得た。それが、200年前の話であるな」

「貴方は、本気で人間側について戦ってくれたのですか、」

「……そうとは言えんかな。私が心から味方をしたのは、後にも先にもレイネただ一人よ」



 そして、魔族は語りだした。200年前の、国が滅びた一夜の詳細を。


『バルトリフ。此度の働き、実に見事だった』

『光栄だ、魔王』


 バルトリフは当初、魔王軍の大将クラスとして活躍していた。


 彼は自らの武力を使い、多くの人間を殺し続けた。


『先日、面白いものが手に入ってな。貴様に与えてやろう』

『有難き幸せ』


 ある日バルトリフは、魔王から幼い子供────レイネを褒美として貰った。


 レイネは、バルトリフが亡ぼした国の姫だった。魔族には、高貴な捕虜を気晴らしの道具として扱う慣習があった。そして見目麗しいレイネ姫を与えられたバルトリフは、皆から羨まれた。


 しかしバルトリフは他の魔族と違い、人族をいたぶる趣味はなかった。


 弱いものを虐めるより、己を高めることが好きな、ストイックな性格だった。


 そんな彼にとって、恨み骨髄の顔で睨みつけてくる姫を渡されても、処理に困った。


 なので最初は餌を与えず、閉じ込めて殺すつもりだったのだとか。


『殺す、殺す、殺す……』

『ほう』


 彼がレイネを殺さなかったのは、ただの気まぐれだった。


 復讐心に駆られた幼い子供の言動を、彼は面白いと感じた。


『今は……従っているが。いつか、お前を』

『……』


 姫は成長しても、その気骨を失わず。


 隙あらば殺意を向けて、バルトリフを殺そうとし続けた。


 その、無垢で純粋な姫の在り方に────


『……レイネ。そなたは』

『なんだ、魔族……っ』

『他の同胞より、よほど美しいな』


 バルトリフは仲間の『魔族』よりも、『姫』の方が好ましいと感じた。


『は?』


 気付けば魔族バルトリフは、人族レイネに恋をしてしまったのだ。その想いを自覚した後、彼の猛烈にアプローチを行った。


『……お前が欲しい、レイネ。お前の身柄でも体躯でもない。心が欲しい』

『そんなこと、言われても』


 いきなりそんな事を言われたレイネは、最初こそ渋っていた。


 しかし、やがてその熱意に負け、二人は恋仲となった。


 姫も幼き頃よりずっと世話をされてきたバルトリフに、いつしか愛情を感じていたのだ。


『何? バルトリフと人間が、恋仲に?』

『どうしましょう、魔王様』


 しかしその事実が、前魔王に知られてしまうと。


『認められるか、そんなこと。その人間を殺せ』

『御意』

『バルトリフには出頭を命じろ。教育をしてやる』


 当然のことながら魔王は認めず、レイネは殺されかけてしまった。バルトリフが人族への情にほだされることを、前魔王は心配したのだ。


『……そうか。魔族の中では、レイネが安全に暮らせぬか』


 それが、決め手だった。


 その日のうちにバルトリフは魔王を裏切り、人族の国へ亡命した。たくさんの魔族の首を手土産に降伏してきたバルトリフを見て、人間側もまた頭を抱えたという。


『バルトリフ公。悪いが、貴様を信用できない』

『だろうな』


 バルトリフは、戦争でたくさんの人間を殺した怨敵だ。


 人族側からしたら、逃げて来たバルトリフも脅威でしかなかった。そんな敵が味方となるなど、誰も信用しなかった。


 だが彼に追従し、彼の妻となったレイネが人々を説き伏せた。貴族を、将軍を、国王を。


 レイネの努力の甲斐あって、バルトリフは『常に一人で戦う』という条件で人側に与する事を許された。


 人族はバルトリフを味方ではなく、兵器として扱ったのだ。


 人族は魔族がウジャウジャいる最前線で、かつ裏切られても問題がない位置にバルトリフを配置した。


 つまりはていの良い、使い捨ての駒として扱ったのだ。あわよくば、同士討ちして死んでくれと願われていた。


 だが、バルトリフはそんな扱いを気にしなかった。当然だと納得すらしていた。


 自分はかつて人間を大量に殺した敵。レイネのために戦場に立っているだけで、彼自身が人間が好きなわけでもなかった。


 なので人族にどう扱われても、気にする意味がなかった。


 重要なのは、レイネの身の安全。人族の国ならば、魔族である自分が害されることはあってもレイネは安全だろう。その1点だった。


 バルトリフには王都の外れに、ポツンと一軒家を用意された。恩賞も給与もなく、どこかに出かける事も許されない。


 戦の時には呼び出されて、それ以外の日は一軒家の周囲で獣を狩り、作物を育てて食べることだけがバルトリフ夫妻に許された。


 自給自足だけど、安全で平穏な生活。それは大変だったが、同時に楽しくもあった。


 こうしてバルトリフはその家でレイネと二人きり、静かに仲良く暮らすことが出来た。



 そして人にとって予想外だったのが、バルトリフがものすごく強かったことだ。


 バルトリフは行く先々で圧倒的な戦果を挙げ、魔王軍をどんどん追い詰めていった。


 バルトリフは魔族にしては珍しいストイックな性格で、他の魔族に見られる『弱者をいたぶる趣味』はなかった。


 惜しみなく自己の鍛錬に時間を費やたがゆえに、魔王軍きっての武闘派となっていたのである。


 魔王軍でも突出した実力の持ち主であったバルトリフが味方になったことで、人族の快進撃は止まらなかった。


『バルトリフほど、人のために貢献している存在があるだろうか』

『彼を魔族だからと、見下すのはよくない』


 人間たちもそんなバルトリフの活躍を認めざるを得ず。やがて一部の軍人たちは、バルトリフに敬意を払うようになっていた。


 たった一人で戦況を覆す『最強の味方』。決して偉ぶらず、家族のためだけに戦うバルトリフが兵士に好かれない筈がない。


『彼を仲間だと認めるべきだ』

『バルトリフの戦果を考えれば、いくら爵位を与えても足りないだろう』


 そんな動きが、軍人貴族の間で立ち上がり。


 彼らは国王に働きかけて、バルトリフに爵位と権利を与えることにした。



 ところがソレが、全ての終わりのきっかけとなった。


 魔族が、貴族位を得るという事実を受け入れられない連中も多かったのだ。


 運が悪かったのは、バルトリフに好意的な貴族の殆どが、軍務にて身を立てる武官だった。実際に戦場で戦う身だからこそ、バルトリフに対し敬意を持つことが出来た。


 しかし政務を生業とする文官にとっては、厄介の種でしかないバルトリフを『貴族として扱う』など許容できなかったのである。



 愚かだとしか、言いようがない。



 バルトリフがいるから人間が優位に戦えていたのに、文官達は“人族が優位に戦えてるなら、もうバルトリフは必要ない”と考えてしまった。


 そして裏でコッソリと、バルトリフを暗殺する計画を立ててしまった。


 更に愚かなことに、文官たちはバルトリフの暗殺に、何の工夫も凝らさなかった。


 彼等にとって暗殺とは「いかに命令者を隠し抜くか」が重要であり。王家所有の暗殺部隊を放ったら、確実に相手は殺せると思い込んでいたのだ。


 文官たちは命令の『隠蔽工作』だけ十分に行って、思考を停止したまま暗殺者を放った。




 殺せるわけがなかった。人より遙かに強い魔王軍が、躍起になっても殺せないバルトリフを、ただの暗殺者如きが。


 暗殺部隊はバルトリフを襲った後、ただの一人も戻ってこれなかった。




 だが、ここまでされてもバルトリフは怒っていなかった。どうでも良かったのだ、暗殺者など。


 蚊が飛んでいたから、叩き殺した。彼にとっては、ただそれだけである。


 殺意を向けられるのは面倒ではあれど、暗殺者ごとき脅威とは思っていなかった。 



 しかし文官共の最後にして、最悪の失策が彼の逆鱗に触れる。






 バルトリフが暗殺者を皆殺しにして家に戻ると、妻レイネは全裸で、地べたに横たわり冷たくなっていた。





 バルトリフの暗殺が失敗に終わるなど考えていなかった文官たちは、彼の屋敷に乗り込み、蓄えた資産を醜く奪い合っていたのだ。


 家を守ろうと、彼らに抵抗したレイネもまた、彼らにとっては資産でしかなかった。あまりに激しく抵抗され、面倒になった彼らの取った方法は、残酷だった。


 この日、バルトリフは修羅となり、国中の貴族を殺して回った。


 慌てた文官は軍部に助けを乞うも、バルトリフの力を知る軍人はその所業を聞いた瞬間に国を捨て逃げ出した。


 国を、いや文官たちを守る者など一人もいなかった。





 この日、国は滅んだ。政治を運営していた文官は一人残らず虐殺され、国を守っていた武官は皆逃げ出してしまい、国は崩壊した。


 国王とその一族は責任を取らされ処刑され、前王朝は滅んだ。



 だが、国の結末がどうなったかなんてバルトリフには興味が無かった。彼は妻の亡骸の前で泣き、叫び、朽ちるまで喚き続けた。


 その慟哭は途切れることなく、数年の間続いた。彼の屋敷の周囲からは人が立ち退き、ぽつんと一人、バルトリフは屋敷に籠っていた。


 数年に渡る激情が落ち着いた後も、彼はレイネを想い、彼女の遺体と共に生活をつづけた。食事は必ず2人分用意したし、寝る時も必ずレイネの傍らで寝た。


 やがて、長い年月の末レイネが人の形を保てなくなった頃。彼はレイネの為に、ようやく遺体を埋葬することにした。


 何時までも醜い姿を晒し続けるのは辛いだろうと、死んだ妻の心情を慮ったのだ。


 彼女を土に埋め、これで二度と会えなくなると考えたバルトリフは、再び慟哭を始めた。





 彼女を埋葬した後、バルトリフは抜け殻のようだった。何をする気力も沸かず、ただ無為に生き続けるだけだった。


 日の照る間は掃除、洗濯といった日々の日課を機械のようにこなし、夜になると夢の中で亡き妻との日々を追体験していた。彼にとっては最早、寝ている時間こそ現実に思えていたのかもしれない。



 だが、ある日バルトリフは驚愕する。妻の、レイネの顔が、記憶から薄れてきていたことに気が付いたのだ。何年も経って夢でしか会えなくなったレイネは、やがて夢の中ですら色彩や輪郭が失われていく。




 その日から、彼は絵を描き始めた。妻の記憶を永遠にするために。


 また、長い年月が経った。彼の家には、無数の妻の絵が飾られることとなった。どれも、レイネが生きていた時の記憶だけを頼りに描かれた、彼の一生の集大成と呼べる傑作ばかりだ。


 この頃から、バルトリフの心にも変化が訪れていた。無為に生きるのではなく、死後も妻レイネのために生きようと、そう前向きに考えられるようになったのだ。


 彼は、最初に妻レイネの残した衣類の解れや屋敷の修復に取りかかり、やがてレイネとのエピソードを綴った書籍、レイネに捧げる為の鎮魂歌の作曲と言った創作活動を積極的に行うようになった。


 こうして屋敷の周囲に慟哭が響くことがなくなり、魔公バルトリフの逸話を伝える世代が死んでしまうと、悪魔バルトリフが住むことを知らない人間が屋敷に迷い込むようになる。


 バルトリフは、人族がこの屋敷に足を踏み入れることを好ましく思わなかった。レイネとの思い出のこの地を、荒らされたくなかった。


 バルトリフは人避けの結界を張り、そのまま屋敷に籠もって創作活動を続けることにした。


 それでも時折、子供が探究心豊かに迷い込んでくることがあった。人避けの魔法の欠点は、この屋敷を目指す者から存在を隠せても、迷い込んだ人間には効果がない事だった。


 バルトリフは恐怖に震える幼子を見て結界の改良が必要と考えていた。


 しかし、その迷い込んできた子供が騒ぐ姿がチラリと、幼き日のレイネと重なった。


 結局バルトリフは、迷い込んできたその子供をもてなして、記憶を抜き去り人族の村へと返した。


 その後も、数年に一度ふらりと子供が迷い込んでくることがあった。


 しかしバルトリフはその都度、小さな御客をもてなした。


 日常を彩る、数少ない刺激。彼にとって丁度よい、娯楽になったのだ。


 バルトリフの趣味に、お菓子作りが加わった。レイネの思い出が色濃く残るこの家で、彼は一人、余生を楽しむことにしたのである。


 それが、魔公バルトリフがここで暮らし、ここで生きる理由であった。今もなお彼は、この屋敷に根を下ろしてたまに来る来客こどもに備え、作物や花を育てているのである。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る