第27話 誘拐
魔族。
それは人間の天敵であり、この世界における死の象徴。
基本的に、人間領の内地に魔族はいない。魔族が攻めてくるのは、だいたい魔族領との境界にある『最前線』付近の村だ。
しかしたまに、魔王軍に属していない野良魔族が山を抜け、うっかり人間領に迷い込むことがある。そういう場合はすぐ討伐隊が組まれ、殺されるか追い払われる。
だが、目の前にいるこの魔族はどうだ。間違っても、迷い込んできた間抜けな魔族には見えない。その気になれば、国を一人で滅ぼせるくらいの力量を持っていやがる。
つまりコイツは、何かしらの狙いがあって人間領に潜伏している上位魔族────
「ほう。我の姿を見て、即座に逃げ出さぬか。賢明だと褒めてやる」
「……お前に背を向ける気にならねぇよ」
怖い、やばい、恐ろしい。
何がヤバいって、こいつと相対していても『危機感が全くわいてこない』のだ。
『爪を隠す』ことの有用性を理解している、知性の高い魔族なのである。
「であれば、どうする? 我に歯向かうか?」
「ああ、不本意ながら歯向かわせてもらうよ。……本当に、勘弁してくれよな」
魔力を隠されているせいで、一般人と向き合っている程度の圧力しか感じない。
だが濃密な魔力がないと、ヤツの体躯の周囲のああも歪まない。
「アルトのいる時にしてくれよ、こういうのは」
まさに、絶体絶命。青天の霹靂を食らって感電死しかけている気分だ。
その降って湧いた不幸をぼやきながら、オレは腕を払って空間に陣を描いた。
「ふむ、貴様。見たまま魔導士か」
「こうなっちまえば────」
だが窮地など、今まで何度も経験してきた。駄目なら駄目で、死ぬ覚悟はとっくに出来てる。
だからオレはためらわず、『とっておき』を使う決心をした。
アルトにも『魔王が相手で有ろうと、逃げ出す隙くらいは作れるかもしれない』と評価された一発ネタ。
ミクアルの里で遊んでいた際に開発した、初見殺しの極地。
「とっておきを使うしかねぇじゃねえか!」
オレの指がなぞった空間は、紅く線が描かれ魔法陣となる。
そして紅白に彩られた『とっておき』の魔法陣は、白い霧を渦の様に巻き始め、
「いや、使わせんが」
魔族の呟きと共にそのまま、何も起こらず霧散してしまった。
「……ウッソだろお前」
ありえない。意味が分からない。
オレの『とっておき』の魔法は一瞬で見切られ、分析された挙句、掌握されていた。
初見の筈だというのに。奴はオレの魔法に割り込んで、発動をキャンセルしやがった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「リア! 無事だったか!」
……情けないことに、オレは心が折れた。
「ルート、何か手があるか? こりゃ手に負えない」
「ない。フィオこそ、なんとか逃げ出す隙を作れない?」
「無茶言うなよ……。あの魔族、オレの魔法を一瞬で掌握したぞ」
ヤツはどうやら、魔法の発動をキャンセルできる技術を持っているらしい。
……オレ達、魔法使いの天敵じゃねーか。
「お兄ちゃん! 痛いところない? ぶたれたりしてない?」
「うん、大丈夫。ほら、お菓子ももらったよ」
ちょっと里帰りしようとしただけで、こんな理不尽な展開が待っているとは思わなかった。
この世界は日本じゃない。
理不尽な死が溢れている世界だということをを忘れていた。
アルトが、
「さて、観念したかな若き人族よ。おとなしく、我に頭を垂れよ」
「あーあ、くっころエンドかぁ……。いきなりラスボス級に遭遇した挙句、くっころとか酷すぎない?」
「くっころ? よく分からないけど、諦めるなフィオ。何とか逃げる道を……」
悔しいな、弱いっていうことは。
自分の身が守れないのが悔しいのではない。オレの後ろで震えている、二人の子供を────
「これなあに? 凄い甘い」
「クッキーだよ。あのおじさんの手作りだって」
……特に震えてなかったけど、お菓子をほおばっている無邪気な子供を守れないことが悔しいのだ。
魔族から貰ったお菓子を貪る、純粋なこの兄妹だけでも何とかして────
「……なぁ、魔族。お前、このクッキー焼いたの?」
「我の高尚な趣味の一つである」
「「甘ーい!」」
……アレ? コイツ、そんなに悪い奴じゃないのか?
いや、騙されるな。相手は魔族だぞ、きっと気まぐれで余ったお菓子を与えただけだ。最期のお菓子ですよ、と言うヤツだ。
「僕からも質問していいかい?」
「良いぞ」
「あなた程の魔族となると、さぞ名前が知られているのでは? 一つ貴殿の御名を、ここで聞いていいだろうか」
「くくく、構わんよ? ま、聞いたことを後悔するかもしれんがな」
ルートはまだ、口先でなんとかしようとしていた。おそらく、子供を逃がす隙を伺っているのだ。
クソ、オレも弱気になっている場合じゃなかったな。何か策を考えないと。
幸いにも魔族はルートの問いに、機嫌よく答えてくれるようだった。
「我はすなわち旧魔族、バルトリフである。二百年前、前王国を焼き払った魔公バルトリフその本人よ。さて、我が名はご存じだったかな?」
「……そりゃ、聞いたことあるよ。『裏切りのバルトリフ』、歴史の本で読んだ名前だ」
「お兄ちゃん、そっちの袋は何?」
その名は歴史に疎いオレですら、聞いたことのある魔族だ。
人族の中でも1~2位を争うほどに嫌われている、最悪の魔族の名だった。
────魔公バルトリフ。またの名を『裏切り公』。
奴はかつて人間に取り入り、貴族として爵位を得た魔族だ。
だが人族から信用を得た後、内部から国を焼き払ってしまった。
そんな卑劣としか言いようのない所業で、前王朝を滅ぼしたのだ。
裏切りによる内部から奇襲とはいえ、たった一人で国を滅ぼした事を考えると、かなり強力な魔族だったと思われる。
そんなおとぎ話に出てくる最悪の魔族が、こんな片田舎に潜伏しているとしたら危険なんてレベルではない。
下手をしたら、一夜で人類が滅んでしまう。
「裏切りの、と呼ぶな小童。裏切られたのは我だ。次にその名で呼べば首を飛ばす」
「……っ」
奴はルートの言葉を聞いて、不快そうに声を低めた。
ただそれだけで、大地に亀裂が走り奴の足元の草木が枯れてしまう。そのあまりの圧力でルートの額に、じんわりと汗が滲んだ。
「……失礼。それほどの魔族が、ここで何をしている?」
「さてな? それを貴様に話しても、意味のないことだ。何せ貴様らはすぐに……」
「リア、この飴を食べる?」
「うん。わ、わ、凄い、とってもクリーミー!」
ゴクリと、唾をのむ。
魔族はオレ達を睨み、一歩づつ近づいてきた。その足が大地を踏みしめる度、ギシリと草木が歪み逃げるように曲がっていく。
「貴様らはすぐに、全てを忘れることになるからな。記憶を消した後、そこらに放り出してやる」
「なんだ殺さないのか? 随分と寛大なんだな」
その言葉に、オレは少し拍子抜けした。てっきり、殺されるものだとばかり思っていた。
記憶を消されても、生きていられるならそれで────
「フィオ、違う。コイツの目的は潜伏なんだ、人を殺して目立つ訳にはいかないだけだ……」
「ご名答。では、さっさと貴様らの記憶を頂くとしよう」
だが、そのルートの言葉でオレは凍り付いた。
爵位を得るまでに社会に馴染んだあと、裏切って王国を滅ぼした悪魔。そんな魔族が人族の住む街に潜伏している、意味。
────この魔族、再び内部から国を焼き払うつもりか!!
「クソ!! 何とか出来ねぇのかルート?」
「甘くて、クリーミーで、特別な味だ」
「バルトリフ……、バルトリフ、何か弱点のような伝承は残ってなかったっけか? 分からない、思い出せない、僕に出来る事なんて考えることくらいなのに、畜生!」
「でもお兄ちゃん、もう飴なくなっちゃったよ」
「あのおじさんに言えば、また飴くれるかな?」
非力な自分が嫌になる。こんな肝心な時に、何も打開策が思いつかねぇなんて。
……苦しい言い訳になるのだが、さっきからあの子供たちが煩いのが悪い。くそ、集中できない。
「おじさーん、この飴もっと欲しい!」
「私クッキー欲しい!」
「フハハ! 我が菓子を求めるのはうれしいが、食べすぎると夕食が食べられなくなるぞ。そこにある分で満足しておくがいい、童べ」
「じゃあ、明日また会いに行ったらお菓子くれる?」
「それは困るのぅ。我はひっそりと暮らしている、あまり人族に出入りされるのは……」
と、言うか。
さっきからこの魔族から良いやつオーラがするのだが。あんなに怯え泣いていた子供が、今やすっかり彼に懐いている。
何だコレ。悪魔の代名詞だぞ、その魔族。
「もう一個! もう一個!」
「こ、困るのぅ」
……いや、待てよ? そんな有名な魔族だって言うのに、今まで戦場で見たことないような。
何か妙だぞ?
「なぁルート。魔公バルトリフが襲撃してきたことってあったか? こんなビックネームが攻めてきたらもっと騒がれてるだろ」
「……ふむ、確かに戦場で報告されてないね。この実力なら、隠れず堂々と攻め込まれた方がヤバいのに」
そう、この魔族は超有名な悪党だ。
そんなヤツが、戦争中に一度も姿を見せていないのはおかしい。いくらなんでも、非効率的すぎる。
「まさかお前、魔王軍と関係ないのか?」
「む? 我と現魔王との関係か? 我が従っていたのは前魔王だから、今は特に魔王軍とつながりはないぞ」
はい?
「……この国を滅ぼそうとしてるんじゃないの?」
「何でそんなことをせにゃならんのだ」
え、そんな、嘘。まさかコイツ。
こんな強いくせに、迷い込んだ野良魔族だっていうのか?
「えっと、魔王軍関係ないならどうしてこの地に潜伏を?」
「そんなに知りたいか、小童! なら答えよう、ぶっちゃけただ余生を過ごしているだけである。隠れているのは、国に報告されて討伐隊とか組まれたら面倒だからである」
「えぇ……」
それが事実なら、別にバルトリフを放っておいても問題ないのだが。
流石に、そんなのを鵜呑みに出来ない……。
「そうだったのですか、なら安心しました。魔族バルトリフ」
「お、おいおい、ルート。こいつの言うこと、信じるのか?」
「うん。だって、今ここでバルトリフが嘘を吐く必要がないの、分かるかい?」
一方ルートは、アッサリと魔族の言う事を信じ込んでしまった。
「だってもう僕もフィオも打つ手がないし、勝てないでしょ? 言ってみれば今は『冥途の土産をやろうタイム』なわけで」
「冥途の土産? よくわからんがそう言うことだ、安心せい。貴様らが記憶をなくし街に戻ったところで、我がこの街を襲うことはない」
ああ、成る程。
冥途の土産で嘘を吐くやつはいないわな。
「ならこの魔族、見たまんま良いオッサンと思って良いのかね」
「我はかつて、国を滅ぼしたって言わなかったかの?」
「うおっ、そうだった! この極悪魔族め、今回は負けといてやるけど次はケチョンケチョンだ、覚えてやがれよ!」
「カッカッカ! 威勢が良いの、小娘。その真っ直ぐさ、大変好ましい」
……この野郎、何が面白いんだ。
「記憶をなくすのは、残念ですけどね。貴方が魔公バルトリフというなら、聞いてみたいこともありましたし」
「ほう? 我と何を話す?」
ルートは意外と腹が座っているのか、バルトリフを相手に雑談を始めた。
歴史に名を残す大魔族に、よく物怖じしないものだ。
「貴方は裏切られた、と仰ってました。それは僕の知っている歴史とは違う。ならば事実を聞いてみたい、それだけです」
「ほー、聞きたいなら構わんぞ? なら、ウチに来るかの?」
……え、良いの? 流石に無警戒すぎないか。
「なぁ、ルート。このオッサンひょっとして……」
「……うん、警戒はしておいた方が良いかなと色々気を張っていたんだけれど」
「ただの暇なオジサン、かの? 聞こえとるぞ人族共」
げ。耳打ちした内容すら筒抜けかよ。どんな知覚能力してるんだ。
「だがぶっちゃけその通り、我は暇で仕方ない。たまに我が家に迷い込んできた子供に菓子を与えて記憶を消し返す、それが最近のマイブームじゃ」
「本当にただの暇なオジサンだった!!」
……どうやらバルトリフは、嘘をついていなさそうだ。子供に懐かれ、遊具の如くぶら下がられているこの魔族を警戒するのは無駄に思えてきた。
「お前ら、茶菓子くらいは出してやる。ただし記憶を消すから味は覚えてられんだろうがの。どうじゃ、一杯ほど話に付き合わんか?」
「……、そうですね。貴方の話に興味があります。お邪魔してもいいですか」
「よく分からんが、お菓子くれるならオレもついて行くぜ」
こうしてオレは「お菓子をあげるからウチにおいで」と言う暇なオジサンの深夜の家に、ノコノコついていく事にしたのだった。
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