第26話 不運!
────クリハさんは、本当に可愛いなぁ。
「フィオ様。どうして先ほどからずっと、私を抱きしめているのです?」
「────そこに、メイドが居るからさ」
オレがセクハラしまくっても、クリハさんは無表情のまま御者席に座っていた。馬を御する彼女の銀髪は日照りを受け、肌にうっすら浮かぶ汗を光彩を乱反射していた。
馬車の御者をしている今のクリハさんは、まな板の上の鯉。どれだけ悪戯しても、抵抗できないのだ。
「フィオ様。申し訳ないのですが、手元が狂うので腕は放して下さるとありがたいです」
「君は、オレの心を捕まえて放そうとしないくせに」
アルトと付き合い始めてから、オレはあまり色街に行けてなかった。
以前アルトをいやらしいお店に誘ってたら、凄く哀しい顔をされたのだ。それは失望にも近い顔だった。
彼曰く女性相手とはいえ、いやらしいお店に行くのは浮気だから嫌だとのこと。うん、当たり前だ。
そんなこんなで我慢はしていたんだが、バーディに誘われ一度こっそり色街に行ってしまったことがある。
すると次の日、アルトはとっても機嫌が悪かった。胸に手を当てて考えろと言われ、半日ほど口を利いてくれなくなった。
……明らかにバレていた。
何だよ、何で分かるんだよあの野郎。ストーキングとかしてないよな。いや、流石に奴にそんな暇なんてないか。じゃあアレか、勇者の勘とか言う奴か?
なんて心の狭い奴だ、自分は
「その、フィオ様。いつもよりスキンシップが激しくないですか?」
「ああ。今日の君は、今までで一番美しいからな」
そんなこんなで、オレの女の子に対する渇望は強くなる一方だった。こうなってしまっては仕方がない、代わりにルートに女装して貰えば浮気じゃないよね、等と邪な計画を立てていた矢先。
目の前に現れた、砂漠のオアシス。任務に同行してくれる、クールな美少女。オレのテンションがアゲアゲになるのも当然だろう。ああー、良い匂ひだ。
「ふわふわしてる……。女の子って、最高だぁ……」
「は、はぁ」
「……フィオ。クリハがドン引きしている、嫌われたくなければそこらでやめておいて」
嫌だね。せっかくアルトの目を逃れて好き放題できる貴重な機会なんだ。何者であろうと今のオレを止める事などできない。
「そんなに飢えてるなら、旅先でどっかそういう店行くか? なんか最近行く機会少なかったし」
「お、そうだなバーディ。今日は久々にぱーっと遊ぶか!」
「……、はぁ。どうしてこうなるかなぁ?」
「何だよルート、ちゃんと自分の給料の範囲で遊ぶ分には文句ねぇだろ。それともなんだ、お前も行きたいのか?」
「行かないよ!」
オレ達はもう、前回の遠征時に使い込んだ額はキッチリ補填した(させられたともいう)。今のオレがいかなる店でお金を散財しようと、文句を言われる筋合いはない。
「……バーディ様。そう言ったお店に行かれるのは、その、王宮としても風聞が悪いので出来れば御自制頂ければ」
「ほら! クリハもこう言っている、君達も少しは自制という言葉の意味をだね────」
「あーあー聞こえなーい!」
「おう貧乳メイドちゃん、良いのかい? そこまで言うなら、代わりに俺達の今夜の相手はアンタにしてもらうことになるぜい?」
「成る程、天才かバーディ。クリハさん、今夜オレ達と情熱的な夜を過ごさないかい?」
「この二人の戯言は無視していいですよ、クリハ」
「え、あ、はぁ」
オレは道中、ツンツンメイドさんとのスキンシップを楽しんで。
ちょっとだけ『里帰り』にテンションを上げつつ、平和な道中を楽しんだ。
ミクアルの里に到着するのは、恐らく明日。この日はミクアルの里に向かう途中にある、森の中の小さな集落で休むこととなった。
「それでだね、フィオ。僕に内緒の話とは何だい?」
そして夜。残念ながらこの村に、えっちなお店はなかった。
仕方がないので、オレはクリハさんを爛れた遊びに付き合わせようと画策していたら。
オレの耳元でクリハさんが一言、「バーディ様と二人になりたいです」と耳打ちしてきたのだった。
畜生……、畜生! なんとまぁ羨ましい。
だが、クリハさんの健気なお願いを無下にするわけにはいかない。オレは仕方なくルートを連れ出し、彼女の恋を応援することにした。
「随分と悔しそうな顔をしているけど……。何なのさ」
「いや、まぁなんだ。オレとのデートだっていうのに、ルートが女装してくれなかったから……」
「帰らせてもらう」
「わ、待て、冗談だ!」
ルートは本気で帰ろうとした。ジョークを解さない奴だ。
「そういう店がないと知ったバーディが、ふて寝しやがってさ。たまにはルートと飯でも食うかとな」
「それならそう言いなよ、フィオ。妙な真似をしないなら、幾らでも付き合うさ」
そう告げるとルートは、幾分か柔らかい表情となった。
よし、ルートを脳内で女の子に変換して、夜の同伴を楽しむとしよう。こいつ可愛いし、生えているだけで女の子みたいなもんだ。
「見ろよルート、蛍光虫だ。いっぱいいるぞ」
「風情があるね。都会では、なかなか見れない光景だね」
「ミクアルの里にはいっぱいいたな。子供のころを思い出すぜ」
オレ達は灯りのない村の中を二人、笑いながら月明かりを頼りにふらふらと歩いて回った。時に、ルートをからかいながら。時に、ルートに説教されながら。
うん。たまには、男の娘も悪くないな。などと風情を感じつつ、二人の気楽な夜の散歩は続いた。
「……ん?」
────闇の中にかすかに響く、幼い子供の泣き声を聞き取るまでは。
「……今の、聞こえたかいフィオ」
「おう」
子供の恐怖に震えた絶叫。
それは森の奥、それも比較的近い場所から聞こえてきた。
「場所、分かるか?」
「
「仕事が早いねぇ」
オレとルートは、すぐに駆けだした。
子供が泣いている、それだけで走る理由には十分だ。問題はオレ達で何とかなるかどうかだけ。
バーディを置いてきたのは失敗だったな。
ただオレ達で勝てないような奴が居るなら、ルートが察知してくれるはず。
とりあえず駆けつけて、様子を見るのが良いだろう。
「いたね、あそこだ。周りには誰も居ないようだが……」
ルートに付いて行くと、森の中で小さな女の子が一人で泣いているのが見えた。
転んで足首でもくじいたのだろうか? それとも、この時間に1人でいる事を考えると迷子になったか。
「おぅい、お嬢ちゃん。何があったよ?」
「もう安心したまえ、僕達は味方だよ」
そう声をかけ、オレが笑顔で近づいてやると。その子はバッと顔を上げ、オレに駆け寄ってきた。随分と、心細かったようだ。
「よしよし、何があった?」
「お願いっ! お兄ちゃんを、助けてぇ!」
幼女は泣きながら、そう叫んでオレに抱き着いてきた。
目を赤く腫らし、オレの服の裾をギュッと握りしめて。
「お兄ちゃん、ね。お兄ちゃんがどうしたんだい?」
「襲われて、逃げようとして、私コケて!! お兄ちゃん、1人で、向かっていって!」
「ふむ、何に襲われたんだ? ルート、この辺にもう1人くらい子供の気配無いのか?」
「……いや、居ない。この周囲に、人の気配はこの子だけだ」
「嘘!! だって、襲われたの、すぐそこだもん! お兄ちゃん、ソイツに石ぶつけて、それで私逃げてきてっ!」
少女の話は途切れ途切れで、よく分からなかった。だが彼女は、『何か』に襲われたと言っている。
獣か、人間か、魔族か。何れにせよ、戦闘になる可能性が高い。
ルートは戦闘力が皆無だし、オレの貧弱な水魔法で対応できるだろうか。人数差がありそうなら、霧を煙幕代わりに出して逃げだすことも考えよう。
「ルート、周囲を探ってくれ。オレはこの子から事情を聞いておく」
「了解。……でも周囲、数百メートルまで索敵範囲を広げたが、生物の類は感知できない。生物の気配もないよ」
ルートは真剣な表情で、手を抜いている様子はない。
……だからこそ、オレの危機感は最大限まで引き上げられていた。
「なぁルート、敵がお前の探知に引っかからない可能性は?」
「え、考えたくはないけど……。完全隠蔽型のアンデットとかの探知は出来ないかな。その場合、
「そっか」
オレはそのルートの言葉を聞き、泣きわめく子供を静かに抱きしめた。
「アンデットには見えないよな……。となると、後者だな」
「……え?」
気付いたのは、つい先ほど。まるで最初からそこに居たかのように、ソイツは立っていた。
長いコートを被り、ドス黒い肌の顔を凄惨に歪め静かに笑う、一人の巨大な魔族。ソイツは、ルートのすぐ後ろで、片手に少年をぶら下げながらニヤニヤと口を歪めて俺達を見下ろしていた。
「え、え。嘘──だろう? そこには、何も居ないって、精霊がそう言って────」
「だが。己が目で見たものが真実である、そうだろう? 未熟なる人族よ」
その魔族は、オレ達へそう語りかけた。
感じない。殺気も、敵意も、存在も、魔族なら必ず持っているはずの魔力さえも。
だが、彼の周りには虹のような輪郭が蜃気楼のように蠢き、強固な防壁を作り上げている。魔力を使わねばあんな真似は決してできない。
完璧だ。至近距離で顔を突き合わせて理解できる、凶悪なの存在隠ぺい能力。
そこから理解できる、圧倒的な実力差。
ルートの言葉を信じるならば、魔王クラスの使い手────
「抵抗せぬならそれで良し。抵抗するなら相手になるぞ。選べ、結果は変わらぬ」
ミクアルの里に辿りつく以前の段階で。早くもオレ達は、絶体絶命のピンチに陥ったのだった。
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