第8話 暴走っ!!
オレはベトベトと魔族の血で汚れた服を脱ぎ、水で洗って乾かしていた。
……視線を感じる。とっても邪で、身の毛もよだつ視線が。
「……」
先ほどからずっと、人類最強の男は股間を膨らませ、オレの地味な下着を凝視していた。
時折、つばを飲み込む音が聞こえてくる。本当に勘弁してほしい。
「……あんま見んなよ」
「ああ」
違うだろ、こういう状況はオレの担当ではないはずだ。
半裸でハーレム野郎と二人きり。時刻は既に深夜だ。
水を滴らせ体を隠すオレと、理性が溶けかけているアルト。
隙間風の吹くあばら屋で、一組の男女が無言で向かい合う。
……この状況、詰んでね?
このままハーレム野郎の攻略棒で、子宮に好感度をドクドク注入されて、あの四人のようにハーレムメンバー入りさせられてしまうんじゃね?
流石はハーレム主人公、靡いていないヒロインがいれば残さず仕留めにいくわけか。ふざけんじゃねぇ。
あれ、ということはオレってヒロイン枠だったんだな。イロモノ枠だと思っていたぜ。
「……」
さて、現実逃避もこの辺までにしよう。体育座りで体のラインを隠し、ヤツを刺激しないようにしているが……。
奴の理性がプッツンした時、オレは終わる。色々な意味で。
座して死を待つ趣味はない。死中に活を求め、努力は惜しまない。それが、オレだ。
よし、生き残るために脳内でシミュレーションしてみよう。うまく行けば生き残れるかもしれない。
まず、発情した
真面目なアルトは、間違いなくヤッた責任を取ろうとするだろう。おそらく娶る展開になるはずだ。
その場合、いかに言い訳しようと、抜け駆けをされた形の四人娘に惨殺されるのは間違いない。
結末:ミンチよりひでぇや。
流れに身を任せるのは論外だな。これでは、ゴブリンに殺された方が肉片が残るだけマシだろう。となると、他の手段を考えねばならない。
ならばいっそのこと、ヤられる前に殺ってしまうのはどうか。先手必勝、不意打ちでアルトに襲い掛かるのだ。
突然のオレの裏切りなど、アルトに予想できる訳がない。ヤツは残念なことに魔王軍にでもやられたと言えば良い。
オレが足を忍ばせ、アルトの頸を締めれば────その後、奴の魔法剣で消し飛ばされるだろう。
結末:ミンチよりひでぇや。
どうやら強硬手段もやめた方が良さそうだ。人類最強に喧嘩を売るという発想自体が間違っているだろう。
そもそもオレは戦闘要員ではない。不意を突けたとして、勝てる訳がない。
ならアルトを、オレの補助魔法で眠らせるのはどうだろう。
……無理だな。アルトの魔法抵抗力が高すぎて、大した効果にならんだろう。むしろ眠気を誘発する過程で寝ボケて襲い掛かられるリスクの方が高そうだ。そうなると当然、アルトは責任を取るとか言い出して……。
結末:ミンチよりひでぇや。
おかしい。さっきからミンチよりひでぇ結末以外を思いつかない。
アルトのお陰で九死に一生を得たのに、結局オレはミンチよりひでぇことになるのか。いや、何か上手い手があるはずだ。
オレ一人だけ、アルトを置いてこの小屋から逃亡するのはどうだろう。
魔王軍が彷徨い歩いてるかも知れない外に、一人で逃げ出してどうなる。魔族に見つかって、殺されるのがオチだろう。
結末:ミンチになる。
以上の結果を纏めるとオレの最善手は、魔王軍にミンチにされることか。おかしいな、なんで魔王軍に捕まった方がマシなんだろう。
「……そう、警戒するな。何もせん」
混乱の極致で目をぐるぐるさせていたら、アルトに声をかけられビクッとした。
何もしない、とアルトは言うものの。ヤツの呼吸は荒く、股間はモッコリして、全身が紅潮していた。
いつ襲ってきてもおかしくない雰囲気である。全然信用出来ないぞ、そんな血走った目で言われても。
「お前は問題児だが、大切な仲間だ。決して傷付けたりしない。だからそう怯えた目で見ないでくれ」
「オ、オレは別にビビってねぇし!」
アルトの言葉に、食って掛かる。
ギリリ……。
するとアルトが手で、自らの腹を摘まんでいるのが見て取れた。断固として、オレを襲うつもりはないらしい。
大した理性だ、バーディの野郎とは大違いだ。
これはひょっとしたら、朝まで奴の理性が持つんじゃないか? アルトは何だかんだ約束は守る男だ、信用しても良いかもしれない。
「……分かったよ、お前を信じて寝るわ。明日、また頼むぜリーダー」
「おう、おやすみ」
うん、オレ達の頼れるリーダーを信じよう。オレは瞼を閉じ、疲れ切った体に意識を投げ出すことにした。
目を閉じるとすぐ、強烈な眠気が襲ってくる。やはり今日は、かなり疲れているみたいだ。
オークに投げ飛ばされた後、結構重傷だったからな。傷を治すというのは、身体にとって大きな負担になるのだ。
ああ、眠い。体が、重い。
うつら、うつら。全身から筋力が抜け落ちて、オレは意識を手放し───
ガツン!! ゴンゴンゴン!!
────凄まじい轟音に、叩き起こされた。
「ふぁっ!? な、何の音だ!」
「すまない、俺だ。少し、寝惚けて倒れてしまったんだ」
「何だ、アルトかよ。気を付けてくれよ……」
寝惚け眼を擦り、オレはアルトに向けて文句を言った。せっかく、気持ちよく眠れそうだったってのに。気を付けて欲しいもんだな、まったく。
────瞼を開き、アルトと目が合うと。
ヤツの顔は、血塗れだった。
「って、うわあぁぁぁ!? アルト、何があった!?」
「寝ぼけて、倒れてしまった」
「嘘だろ! それだけで顔面が血塗れになる訳ねーだろ!」
ビックリした! マジでビックリした! 眠気が一気に吹き飛んだわ!
「あー、治してやるからちょっとこっちに来いよ」
「いや、遠慮しよう。何というか、コレが心地よい痛みと言うべきか……」
「何突然ヘンな性癖に目覚めてるんだお前。……ふぅん」
今ので、何となく察した。コイツ、理性を保つために顔面を打ち付けやがったな。
全然大丈夫じゃねーじゃねーか。風前の灯火じゃねーか、オレの貞操。
まぁ、オレは貞操とかどうでも良いんだがな。コイツと関係を持つと面倒なことになるからイヤなだけで。
ユリィとは友人で居たいし、あの四人を相手に戦うのは胃に穴が開くだろう。
「ほら、もう血が止まった」
「頭からまだ吹き出てるぞ。死ぬぞ」
……今日はアルトに、さんざん迷惑をかけてしまったな。
この無敵の勇者様は、ボス戦を投げ出してオレを助けに入り、とんでもない距離を背負って走り、今はドーピングの副作用でもだえ苦しんでいる。
オレは、アルトに守って貰って、ぐーすか寝るだけ。良い身分だ。
「……。アルト、良いからこっちに来い。顔の傷だけ塞いでやるから」
「今の俺に近付くな……! どうなっても知らんぞ!」
「痛い妄想してる人みたいなこと言うなよ。ほら、大丈夫だから」
せめて、傷は治してやろう。そう思って、オレは奴へ一歩近付いた。
……すると気付いてしまった。夜の暗闇で見えなかった、床に飛び散っている血痕に。
────アルトの腕は、肉がえぐれていた。オレを背負っているときにこんな傷はなかった。恐らく、自制の為に自分でやりやがったんだ。
「……腕も、診せろ。大した自制心だよ、お前は」
「……いや、来ないでくれ。近付かれる方が、ずっと辛い」
「そうかい」
────なんでコイツは今、こんなに苦しんでいるんだ。
今日のコイツは、まさにヒーローだった。
そんなの、皆に褒められて然るべきだろう。
「俺を信じて、ゆっくり休めフィオ。……少し、外の空気を吸ってくることにする」
そう言ってアルトは立ち上がり、オレを一瞥もせず、扉の方に歩いて行った。
────何故、アルトはこんなに辛そうなんだ?
それは、オレが……。オレの存在がアルトを、苦しめているからだ。
「なぁ、今日は、色々あって付かれたな、アルト」
「すまない、話し掛けないでくれ。女の声を聞くのも辛いんだ」
オレは小屋から出ようとするアルトに、小さく声をかけた。
水でぬれた下着を、ギュッと握りしめた。
「ロクに戦ってないオレですらヘトヘトだよ。お前も、言わずもがなだよな」
「頼むから、今は声を聞かせないでくれ。頼むから!」
「つまりさ、こんな夜は。何があっても、疲れて覚えてねぇと思うんだ」
そうだ。コレが、きっとオレの取るべき道だ。
オレは静かに微笑んで、アルトの方に向き直り。
「多分だけど、今から何があっても、オレは覚えてねぇだろうな。お前もそうだろ? 疲れてるからな、仕方ねぇ」
「フィ、フィオ? お前は、何を言っている?」
「だからさ、コレから何があっても。お前も、オレも、何も覚えちゃいられない。そうだろ? アルト」
「いや、い、いいい意味が分からんぞ!? フィオ、お前は何を────」
「……だから、忘れてやるって言ってんだよ」
そう言って、顔を伏せた。
「好きにしろ」
一夜だけの、関係。オレが墓場にもっていけばいいだけの話だ。。
オレにとっても、アルトにとっても黒歴史になる事件。だったら、忘れちまえば良い。
何も無かった。お互いがそう認識するだけで、問題はなくなる。
何だ、こんなに簡単な話だったんだ。
────ガタン。
直後、オレは床に仰向けに倒れた。いや、倒された。
アルトの目が、怪しく光っている。ああ、こりゃ大分キてたんだな。
オレを押さえるアルトの手が、ガクガクに震えてやがる。
「悪い、そんなこと言われたら我慢はしない。良いんだな?」
「忘れるからな。覚悟もクソもねぇよ」
深夜のあばら屋で、女は男に身を預け、男は女に咆哮する。そしてコトが、始まった。
この時点ではなんとか、オレには作り笑いで強がる余裕はあった。だが、オレはあることをさっぱり忘れていた。
目の前でオレに跨がっているのは、人類最強の男なのだ。体力も、当たり前だが相応のモノだ。
そんな奴が薬で暴走している今の状況を、ただの
蹂躙が、始まった。快感だとかそんなモノは微塵も無い。暴力と言って差し支えなかった。
情け無く泣き喚いたら、更に行為が激しくなった。声がかすれるまで叫び続けて、いつしか激痛でオレは気を失った。
「……あ、朝か。あれ、俺は一体何でこんな所にいるのだ? 確か、昨日は……っ!!」
虫のさざめく声が小屋のまわりに響き始め、朝日が天高く昇った頃。
一アルトが目を覚まし、すぐ隣で寝ているオレを見た。
……あーあ、顔から血の気が引いてやがる。
「おい、生きてるか。大丈夫か、フィオ」
乾いた血でベタベタのオレは、死んだように動かず。
「……朝が、やっと、来てくれたか」
かすれた声で、そう呻くだけだった。
「フィオ、本当にスマン。その、夕べだが……」
「何も無かった」
「い、いやその、昨日は本当に悪いと……」
「何も、無かった。だろう?」
「……そうだったな」
昨夜の体勢のまま微動だにせず、投げやりに返事をすると。
オレはアルトと着替えを済ませ、色っぽいピロートークもなく、無言で小屋を出たのだった。
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