9ばらばら
―「てんしちゃんてみさやちゃんのときからもだけど、誰とでもうちとけて、いい子だよね。てんしちゃんがいなかったら既存生と編入生和解できてたかなあ。」
―「そうそう、みんなに分け隔てなく優しいし、性格もふわふわしてて可愛いよね。」
―「ダレトデモナカヨクシテスカレテイイキブンニナッテルダケダヨ。」
―「え?」
―「イイコブッテホントウハミンナノコトミクダシテルッテカンジー?」
―「え?」
―「テンシチャンテモトハヨウチセイハコイリジャン?ソンナコガヤスヤストチュウトセイウケイレルカナ。」
―「ナイシンテンノタメジャン?」
―「ウワーソウカモ、ヨウゴセイトダカラッテセンセイモトクベツアツカイダモンネ。」
―「ツマリサ、アノ‘イイコチャン’ゼンブ、ミンナヲジブンノナイシンテンノネタニスルタメニシテルッテコトナンダ、セイカクワル-。」
―「・・・、てんしちゃんって・・・。」
そんなうわさがどこからともなく発生した。クラスにはひそひそ話しが時折起こり、ゆるやかに、かげった空気が流れた。
「どういうこと!誰がそんなこと言い出したの?」
それを知ってみさやは真っ先に怒った。
「しー、落ちついて委員長。どうやら学内チャットで話題にでたのが広まったらしいんだけど。」
お昼時間、誰もいない中庭に急遽みさやとあくまくんでおちあった。
「学内チャットは匿名禁止、実名じゃないとログインできないわよね。」
「確かに実名ログインでの書き込みだったけど批判的なコメントを書きこんだアカウントは複数人で、僕もそれとなくそのアカウントの人たちに聞いてみたんだけれど、全然きょとんとして、書きこんだ覚えがないって。」
「アカウント情報ひきぬいてのなりすましね!パソコンのことでこの私の前で悪事を働こうなんて挑戦的だわ。犯人はかなり慢心的な人間ね。」
みさやはけしからんとばかりに腕組みをして、ズバリ結論を言った。
あくまくんはさすがIT企業に務める親の子、頭がキレてると思った。
「でも、委員長までキレないで、落ちついて、こうしてみんなを乱して喜ぶ悦楽犯だったら、犯人の思い通りだよ。」
そう言うとあくまくんは、組んでいたみさやの腕をほどいて、両手をつないでみさやの目を見た。
「深呼吸。」
あくまくんが言う。
言われてみさやは思わずすうっと深呼吸した。
「落ちついた?みさやさん。」
みさやはほおを少し染め、ほほえんでうなずいた。
「ありがとう。あくまくん。」
2人は今や絶対的信頼関係だった。
チャイムが鳴った。
「あ、次体育。急ごう。」
「うん。」
体育は、話しをしていた2人、ぎりぎりで授業に間に合った。
今日はふたりひと組でバレーのトス練習。
やっぱりてんしちゃんとみさやは組になった。
みさやは誰かあやしい人はいないかそれとなく気を配っていた。
今更、和解していたと思っていたクラスにこんな悪意を持っているひとがいるなんて、考えられない。笑っている子たちが目につく。馬鹿にして笑っているようにどれも見えてくる。いやだ、そんなんじゃない。私はそんなふうにうがって見たくない。最初は先友生とか中途生とか、あったけど、みんな、いい子のはずなのに、犯人捜しなんてしたくない。どうしてこんな。
「みさやちゃん?どうしたの?体育おわりだよー。」
つい考えこんでいたみさやの顔をてんしちゃんがのぞきこんだ。
「あ、ご、ごめん!着替え、行こっか。」
「うん。」
てんしちゃんはいつも通りだ。
きっとまだうわさされていることは知らない。悲しませちゃいけない。
みさやは何事もないようよそおって、いつもの明るさでてんしちゃんと話しながら着替えをした。
しかし、それをぶち壊す出来事が、教室へ戻ると待ち受けていた。
「あれ、だれの?」
「やだ、てんしちゃんのロッカーじゃない?」
てんしちゃんとみさやが教室に戻ると、教室の廊下に生徒が集まっていた。
「あ、委員長。」
困り顔の女子生徒たちがみさやを頼るように呼ぶ。
「何事?」
みさやは道を空けた生徒の間を通って、現場に出た。
廊下の女子側のひとつのロッカーから、水がしたたり落ちていて、床には水たまりが出来ていた。
遠巻きに男子生徒が見ていた。
そこにはあくまくんもいた。
「あれ、わたし、飲み物のキャップ、閉め忘れちゃったのかな。」
それが自分のロッカーであると分かったてんしちゃんがみさやの後ろから出てきて、ロッカーを開けた。
そして、カバンを開けて確かめる。
「きゃあああ!」
後ろで見ていた女子生徒が悲鳴を上げた。
カバンの中には、瀕死の金魚が、口をぱく、ぱく、とだけして、非力に横たわっていた。
みさやが振り返って教室の後ろの金魚鉢を見る。
空だ。
誰かが故意にてんしちゃんのロッカーのカバンに、金魚鉢をぶちまけたのだ。
「ひっどーい!誰が!こんな!?」
みさやは怒りを爆発させた。
てんしちゃん、大丈夫?まわりの生徒がてんしちゃんを心配する。
そんなてんしちゃん、
「金魚さん、かわいそう・・・。」
みさやとまわり全員があっけにとられる。
あくまくん身震いする。
「そ、それも、そうだけど!てんしちゃんが・・・、ああもう、てんしちゃんも!こんなことされて、かわいそうなんだよ!?」
「よく、わからないの。わたし、わるい子なの?」
みさやははっとした。状況が分からないのも仕方ない。てんしちゃんの悪口のうわさの件はてんしちゃんは知らないんだ。
でも、ぞうきんとバケツを持ってきてくれた先友生何人かが、つんと先友生以外をよけながら、こんなことをてんしちゃんに言い出した。
「大体分かってることよ、てんしちゃん。最近てんしちゃんの悪口のうわさをたてた子たちがいるんだよ。」
「それに乗じたいじめじゃん。」
「ねえ、そんなことって、まさか、先友生がするわけないよね。」
中途生がざわっとなる。
「ちょっと単純すぎない?」
「あなたたち、やっぱりまだ先友生だとか、中途生だとかの偏見意識があるんだ?」
「わたしたちを悪者にするための自作自演じゃないの?」
この問答を皮切りに、先友生と中途生とが、また割れ始めた。
あちらこちらで言い争いが起きる。
みさやはあわててみんなをまとめようとした。
「みんな、冷静に!最初に戻っちゃいけないよ!」
ドン!
みさやは先友生の手にてんしちゃんのそばから、強く廊下の遠くへ押しのけられた。
「みさやさんいつもてんしちゃんと一緒だったよね、てんしちゃんの行動完全に把握できてるのみさやさんしかいないんじゃない?金魚鉢の件、みさやさんが一番あやしいんですけど?」
「なんで私がそんなことする必要・・・」
「てんしちゃんがだれとでも仲良くするからうらやましいやら、やきもちが高じたんでしょ?ほら、離れてよ。やっぱりなにができったって中途生は中途生ね、低俗。」
「そんなっ!・・・、」
みさやは反論しようとしたが、今の先友生の最後のひどいののしり言葉に驚いて、言葉が詰まった。
代わりに他の中途生が言い返した。
「ひどい!いままで和解しようって頑張ってきたみさやちゃんに対してその言い方?」
「あー、幼・稚・生の心の底がみえちゃった。最っ低。」
そのまま、先友生と中途生の言い合いは続いていく。
みさやは、遠く廊下に取り残された。
どう、しよう。
そう思ったとき、ふっと、みさやの横にこの喧騒をまたいでやってきた生徒がいた。
あくまくん。
あくまくんだ。みさやは明かりが差したように思えた。
「あくまくん、私、もう、どうしたら、いいか・・・、前みたいに、中に割って入ってなんとかしたいのに、足が、すくむの。あはは、私、らしくないよね・・・。」
みさやは震える息をついた。
「だって、犯人が誰かしらいるわけじゃない?見つけたとして、既存生か編入生かどちらかなわけじゃない、そしたら今度はその人がいじめ始められると、また先友生か中途生かで擁護側と糾弾側に割れて・・・、もとに、戻れない。純粋に和解できていたころには・・・」
みさやのやっとやっとの見解に対して、あくまくんは優しく言った。
「いいんだよ、みさやさん。誰にでも怖いときはあるよ。あとは僕がなんとかする。」
「あくまくん・・・。」
みさやはほうっと、その言葉に安心感を覚え、弱って脆くなった自分の心のままに、あくまくんの肩に頭をよりかけた。
するとあくまくんはくすっと、笑ったようだった。
「でもね、みさやさん、勘違いしないで。今までのみさやさんとの間のことは練習。恋愛の練習。だって、本当に好きな子とは上手に恋愛したいじゃない?頭、失礼するよ。」
そう、言葉があくまくんの肩からみさやの頭に響くと、すっと、みさやの頭を置いて、あくまくんは前を歩いていく。
理解が追いつかず、ぼうっと、そのあくまくんの姿を見送るみさや。
あくまくんの行く先にはロッカーを拭いているてんしちゃんの姿。
「てんしちゃん、怖いことないよ。今日は委員会どころじゃないし、一緒にかえろ。」
さら。あくまくんは、まるで自然なしぐさでてんしちゃんの髪をなでた。
みさやにしたように。
まわりで、言い争いやら、床拭きを手伝っていた女子生徒たちが、それを見て区別なく、きゃあ。と色めく。軟派な男子などは、ヒューっと冷やかしをあびせた。
「ひとりでも平気だよ。」てんしちゃんはほほえんで、おかまいなしのマイペースさで純粋に答える。
「今日は大事をとって。前までは一緒に帰ってたじゃないか。」
そんなてんしちゃん扱いは慣れているあくまくん、理屈を重ねる。
「うーん・・・、そうだね、いいよ。」
てんしちゃんが了承すると、あくまくんは、さっと、てんしちゃんのずぶぬれカバンを自分の肩にかけ、てんしちゃんの手を、やはりまるで自然ににぎった。
みさやにしたように。
そしてその場を立ち去ろうとした。
その時、あくまくんが、遠い廊下で立ち尽くしているみさやに軽く振り向いた。
そして、くちびるだけで言った。
バイバイ。
それらをもって、みさやはやっとあくまくんのさっきの言葉の意味を理解した。
練習、自分とは。
一緒、てんしちゃんにするしぐさ。
考えがぐるぐるまわる。みさやは頭を抱え、動揺で目をゆらす。
私は、てんしちゃんとは友達で、
ピシ、‘みさや’に小さな亀裂が入る。
あくまくんとは、あくまくんとは・・・私は好・・・
ピシ、亀裂は考えとともにどんどんどんどん広がっていって。
でもあくまくんは、あくまくんは・・・てんしちゃんが好・・・?
ショックと憎悪とせつなさで、ぐちゃぐちゃに心がかき乱される。
い、嫌。自分はこんな汚い心なんて持ってない、ちがう、ちがう、こんなのじぶんじゃない。
みさやの頬にはいつかしら涙が伝っていた。
ピシ、ステンドグラスのようになった‘みさや’心に浸食されて思考が止まって、画面がひとつだけみえた。
バイバイ。
あくまくんの口元。
パリン、
それは、みさやの脆くなった心にとどめにつきささり、‘みさや’をたやすく、カラ、カラ、と、ばらばらに砕いた。
みさやの頭は真っ白になって、なにも解らなくなって、カクン。静かに、静かに、すわりこんだ。
しばらくして気がついた中途生が、どうしたの?声をかけても、みさやは反応することはなかった。その後も、反応することは一切、なくなった。
「ショック性痴呆症だって。」
「それもそうなるよ、あんなに頑張ってたのにクラスがこんなになっちゃって。」
「犯人扱いまでされて、幼稚生、許せない。」
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