本音語り その壱
秋津は流れてくる有間皇子の感情をそのまま受け止めることに慣れてきた。
というのか、彼と心の交流が出来てる?と錯覚するようなこともある。
最近は、有間関連の本を見つけて読む。
読んでいると彼の思いや感情が流れ込んでくる。
書かれていることが違っている腹立たしさや
有間の目線でその出来事の真実を感じ取ることができた。
その反応がなかなかに興味深い!
今、万葉集にある有間皇子の歌を見つけたところだ。
これって処刑される地への道中に詠まれた歌なのか~。
処刑って言葉は嫌いです。
こうして有間の気持ちが流れ込んでくる。
処刑という言葉を頑なに否定する。
罠に嵌められ殺されたのであって処刑ではない!
というのが彼の中の真実らしい。
万葉集に選ばれてる和歌ってことは歌の評価は良いってことだよねぇ?
評価?あんな嫌味な歌を評価されても困りますね。
嫌味な歌?
家にあれば 笥けに盛る
この歌はナカノに対する嫌味なのだそうだ。
有間にとっては偽装流刑なのだから、何でこんな扱いするんだよ!
と思って詠んだ歌みたいだ。
どうせ評価するならこっちにして欲しいですね。
有間がそう言ったのはこの歌だった。
この歌は本音であり願望だったと有間は言う。
ナカノとの約束。流刑偽装。処刑地とされるその先で解き放たれ
志貴と2人ゆっくりと俗世から離れて暮らすはずだった。
騙されましたけどね。
有間の姿は見えないが自嘲する様な薄笑いを浮かべている気がする。
この歌は志貴に対しての恋歌だったらしい。
もう少ししたら還るから待ってて欲しいという願いを込めていたのだそうだ。
ただし、偽装の交渉をした相手がナカノなので罠かもしれないと警戒し、
無事、志貴の待つ場所に還れることを祈る意味も含めていたのだそうだ。
近年この和歌は本人が詠んだものではないとの説も出てると
有間に聞くと「どうなのでしょうね…」とはぐらかされた。
察するに本人も詠んだかどうか覚えてないのでは?と疑ったが
真偽の程は置いといて、歌の内容は有間の心を映し出している様だった。
有間は万葉集でも有名な女流歌人の歌を酷評する。
あの人の歌は字余りで音が綺麗じゃないので、嫌いです。
と、一刀両断だった。
どうも有間にとって濁音の使い方が美しく感じられないらしい。
歌以前に有間はその親娘は好きではないと言う。
心根も美しくないと言い切っていた。
辛口なのは和歌に関してだけではなかった。
あの親子は周囲の権力者を狙って色を売り物にしていましたからね。
言い寄られても信用してはいけない人達です。
権力者とみると媚びへつらう、有間の嫌いな人種らしい。
でも実際に生きていた時は、この親娘にあからさまな批判をしないばかりか
社交辞令の誉め言葉や美辞麗句を並べて対応していたのだそうだ。
俺の中にある言葉を使って有間の率直な感情を表現すると
「ヌカタのおばさん」なのだそうだ。
古典の時間に絶賛されていた万葉歌人をおばさん扱いする有間にウケた。
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