第42話「本物の夫婦って」
自分から煽るようなこと言ってきたっていうのに。
「っだ、だめ」
唇が触れ合う直前で、ガードが固すぎる椿さんの手によって、例に漏れずガードされてしまった。
「……椿さんのせいで、こっちはムラムラしてんだけど。キスくらいさせてよ」
「お、おばさんにも心の準備が必要なの…っ」
「今さらキスごときで……元旦那と散々キスどころかセックスしてきてんでしょ?処女じゃないんだから」
「そ、そんな経験多くないし、昔の話だから関係ないわよ…!それに、女の子とするのは……初めてだもの」
「っはぁー……まぁ、まだ付き合ってはないもんね。仕方ないから我慢してあげる」
もうほぼ確定であたしの事が好きだろう椿さんは、それでもまだ付き合う選択はできなくて、体を許すつもりもないらしい。
…好きって感情はあるけど、まだ恋愛感情ではないのかな。なに考えてるか分かんなすぎてイライラする。
呆れ果てて性欲も失せて、もう睡魔に身を委ねて寝ちゃおうと目を閉じた。
「…あ。そうだ」
だけどすぐ、隣から聞こえてきた声に瞼を持ち上げる。
「ん、なに」
「彼の話で思い出したんだけど……もうすぐ大型の連休が始まるじゃない?」
「あー…夏休み?」
「そうそう。ちょうど今年は彼の十三回忌なの。だから泊まりで地元の田舎に帰る予定で……その間、会えなくなっちゃうわ」
「…どのくらい?」
「ええと、一週間…くらい」
そんな長い期間……最近は毎日泊まりで会ってたし、そのおかげで寝れてたから、大丈夫かな。主に不眠が心配になる。
でも行くなとも、一緒に行くとも言えるわけもないから、おとなしくわがままな要望は飲み込んで頷いた。
「てか…気になってたんだけど」
「うん、なぁに?」
「元旦那のことどう思ってんの、今」
確認の意味も込めて聞いたら、椿さんは目線だけ上を向けて何かを思案する。
「別に……何も」
思ってたよりも淡白だった返答に面食らって、返す言葉を無くした。そ、そんなに…あっさりしてるもんなの?
愛情深そうなイメージだったから、びっくりしすぎて頭の中が白くなった。もしかして、あたしに気を使ってるだけで、内心は違うとか…?
「思い返せば、良い人だったなぁ……素敵な思い出だったな、なんて思うことはあるけど、それだけよ?」
「え……す、好きじゃないの?」
「生きてた頃は、それはもちろん好きだったわよ。でも正直、未練とかはないかな。いなくなってからは本当に忙しくて、そういうこと思う暇もなかったというか…それに何年も経ってるから、気持ちの整理なんてとっくに終わってるわ」
本心で言ってることが分かって、案外サッパリした性格だったことには戸惑った。
そこからぽつり、ぽつりと夫婦の思い出話を聞かせてくれたけど、どの話も愛情に溢れてて仲良しそうで……椿さんの元旦那は、お人好しすぎるくらいの良い人だったってことを知った。
話を聞いてる限り、あたしとは何もかも違うタイプだった。
口も悪くなくて、物腰も柔らかくて、常にオドオドしてるような感じで、頼りがいはなさそうで……だけどどこまでも穏やかで優しい人だったと、椿さんは語ってくれた。
あと、楓のあのタレ目は完全に父親譲りらしいことも。
元旦那とは幼馴染で、地元からこっちへはふたりで上京してきたらしくて、もはや親公認の駆け落ちだとも言ってた。だから結婚するならそいつしかいなくて、他の男は考えられなかったとか。
恋人というよりは、最初から家族みたいな存在だったらしい。
その話を聞いてて、あたしは嫉妬するよりも「本物の夫婦ってそんな感じなんだ…」と、呑気に感慨深く思っていた。
「もうそばにいるのが当たり前だったから…異性としての魅力とか、そういうのはお互いあんまりなかったな。人としては大好きだったけど」
「へぇ……そんな感じなのに、よく子供作れたね」
「そうねぇ…なんでそうなったかは忘れちゃった。若気の至りもあったのかもしれないわ」
「夫婦って、みんなそんなもんなのかな」
「私達の場合は他と少し違うかもだから、なんとも……紗倉ちゃんのお父さんとお母さんは、どんな感じなの?」
あんまり話したくないことを質問されて、表情を曇らせる。
「………分かんない」
両親がどんな夫婦だったか、なんて…話せるほどの情報量が無くて、それを素直に口に出した。
「ふたりとも、あんま家に居なかったから」
「…お金持ちだから、たくさんお金稼ぐために仕事がんばってて忙しかったのかしら?」
「……そうかもね」
絶対に違うけど、否定すると本当の事を話さなきゃいけないのが嫌で、苦笑して椿さんの言葉に同調する。
…椿さんは、思いもしないんだろうな。
この世の中には愛情の欠片もない夫婦や親子も存在してて、今まさに目の前にいるあたしが、そのひとりであることなんて。
そこが彼女の良さでもあるけど、一緒に過ごしてると苦しくなる原因でもあった。
「かわいい娘のために仕事を頑張れる気持ちは、私も分かるわ。…そう考えたら、桃ちゃんも愛されてたのね。よかった」
「あ……うん、そう…だね」
悪意のない発言が、刺さる。
急に心臓や動きが鈍くなって、口角はうまく笑えなくてピクピクと動いて、全身の体温が下がっていったのが、自分で分かった。
この人には、言えない。
誰からも愛されてこなかった、なんて。
「もう…寝よっか、椿さん」
「そうね、私もそろそろ眠くなってきてたから…」
「うん。おやすみ」
「おやすみ、桃ちゃん」
いつもらあたしの感情の変化を察してすぐ気付く椿さんも、この時ばかりは心を許して気が緩んでいたのか…それとも眠くて思考がぼんやりしてたのか、気付くことなく眠りに落ちた。
あたしは冷えきった体温を、隣にいる椿さんの体温を借りても取り戻せなくて、その日は久しぶりに眠れない夜を過ごした。
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