第41話「女の顔、見せて」
喧嘩みたいなことをしちゃったからか、椿さんはその日ずっと気まずそうに、あたしの顔色を窺っていた。
それは寝る時まで続いて、
「ね、寝れそう…?」
「うん、秒で寝れそう」
心待ちにしてた“くっつくだけ”の行為を堪能しつつ椿さんを腕の中に閉じ込めて、体温が運んでくる眠気と戦っていたら、ビクビクした様子で聞かれてすぐ答えた。
目を閉じたら寝ちゃいそうだったから、瞼はなるべく落とさないようにして、あたしの鎖骨辺りにあった椿さんの顔を覗き込む。
「椿さんは、寝れそう?」
「…寝れない」
珍しい。
普段なら布団に入ればけっこうすぐ寝る、寝つきのいい椿さんの口から、そんな言葉が出てくるなんて。
「付き合うかどうか悩みすぎてて寝れないとか?」
「え、ええ……それも、あるわ」
「いいよ、そんな考えなくて。不眠になるくらいなら一旦保留にしよ」
不眠の辛さは誰よりも分かってるから、椿さんにはそうなってほしくない思いでそう伝えたら、服をぎゅっと引っ張るように握られる。
その手が分かりやすく震えてて、本当に心配になって、とりあえず頭の後ろに手を回して抱き寄せた。
…椿さん真面目だから、考えすぎて辛くなっちゃったかな。
最近あまりに調子に乗りすぎてたし、ちょっとは自重しないとなぁー…と自分を諌めて、手は艷やかな髪を撫で続ける。
「さ、紗倉ちゃんに、聞きたいことが…あるんだけど」
「ん…なに?」
少しして、ウトウトしかけてたところに話しかけられて、すぐに意識を引き戻した。
「昼間に言ってた、女の私って……その、具体的にどういう感じを望んでるの…?」
「え。そんなん考えてなかった」
思った言葉がそのまま口に出る。
「あれはただ、ありのままでいいって意味で言った…んだと思う、たぶん」
「自分で言ったのに分からないの?」
「とにかく椿さんを受け入れたくて必死だったから。あんま深い意味はないよ」
「…や、やらしい意味もない?」
「もちろんそれは含まれてるよ。えろい顔も、そりゃ見たいに決まってるじゃん」
「い、嫌よ。幻滅されたら……どうするの」
「…このあたしが、そう簡単に幻滅すると思ってんの?」
ナメてもらっちゃ困る、と細い目で睨んだら、椿さんは顔を赤らめていた。
「そんなかわいい顔されたら…もっと見たくて犯しちゃうかも」
「や、やだ。何年もしてないのに、そんないきなり……無理やりなんて」
何年も、ねぇ…
紅葉が今12歳だから、最後にしたのはそのくらい前か。少し前までほぼ毎日致してたあたしからしたら、どんな感覚か分かんなすぎて不思議にも思えない。
「結婚してた時は、それなりにヤッてた?」
自分の心を苦しめるかもしれない質問を、わざわざ口に出した。
明らかに動揺した椿さんは、目を泳がせて口を噤む。
「どんな感じだったの、夫婦生活」
「…お、大昔の話すぎて、あんまり覚えてないわ」
「ほんとに?」
「う…うん。それに、そんなに……多いわけでも、なかったから…」
「そうなんだ。月何回くらい?」
「え……そんな何回…もないわよ。年に一回…あるか、ないか…」
「なんで?」
「結婚してすぐ楓が産まれたし……お互い、そういう事はあまり慣れてなくて」
「初めて同士だったってこと?」
「そう、ね…付き合ったのも、そういうことしたのも、彼が初めてだったわ」
感度良いからそれなりに遊んできてると思ってたのに、それは意外すぎる。だとしたらあの感度の良さはまじでただの才能か。なるほどね。
椿さんは案外、聞けば元旦那や結婚してた過去についての話をしてくれるみたいだから、その後も気にせず質問を続けた。なんとなく、気になったから。
「そもそも……情けないというか、恥ずかしい話なんだけどね…?」
「うん」
「は、初めての時に……うまく、その、避妊できてなかったみたいで、それで、妊娠しちゃったの」
その話だけは、だいぶ複雑な気持ちで聞いた。あたしの親と、ちょっと違うけど似たような話だと思ったから。
「最初は望んでない子供だったって…こと?」
「そんなことないわ。どのみち、高校を卒業したら結婚するつもりでいたから……時期が早まっただけよ」
「そう…なんだ」
ただ、あたしの家庭とは違って、椿さん夫婦は宿った子供の命を忌み嫌うこともなく、むしろ喜んで受け入れていた。
高校在学中にお腹が大きくなってきたことには焦りを感じたものの、理解ある教師の協力もあって周りには隠しつつ無事に卒業できたんだとか。
卒業してすぐ結婚して産まれた楓を、ふたりは大切に大切に、未熟ながらに育てていったらしい。
……その時点で、もうあたしの母親とは違いすぎる。
自分の幼少期を思い返して、気分が沈んだ。
⸺産んで後悔した、妊娠した時は最悪の気分だった、あんたのせいで人生が崩れた、産まれてこなきゃよかったのに、産まなきゃよかった。死んでほしい。気持ち悪い。
数少ない母親との会話の大半は、こんな言葉で埋め尽くされてる。
そんなこと言ってくるくらいなら、生む前に殺してくれればよかったのに。何度そう思ったか分からない。
「初めてのことだらけで、子育ては本当に大変だったな……私も若かったし…だけど、彼も協力的で…なにより専業主婦でいさせてくれたのもあって、なんとか乗り越えられたの」
「…なんでそんな大変だったのに、二人目産んだの?」
「育児も落ち着いてきて…兄弟がいた方がさびしくないかな?って。結果的に、それが楓を苦しめることになったから……ほんと、だめな親ね、私は」
「紅葉のこと産んで…後悔した?」
「するわけないじゃない。むしろ産んでよかったと思ってるわ。楓も、紅葉も……愛してるもの」
シングルマザーになってもなお、夫婦二人でようやく乗り越えた家事育児を、今度はほとんどひとりで…仕事をしながらこなしてきた椿さんに、どんな感情を持ったら良いか分からない。
ただ椿さん自身は、楓の力を借りちゃったことを後悔してて、今でも「自分は不甲斐ないだめな母親だ」と責め続けていて、それに対してもなんて言えばいいのか分からなかった。
……実の娘を放置して、抱っこすらしない母親もいるんですよ。
そんなこと言えるわけもなくて、静かに口を噤んだ。
「…あたしも、椿さんの子供に生まれたかったな」
だけど、本音が漏れ出てしまう。
「そしたらきっと、汚い体になることもなかったのに」
余計なことばかり、溢れる。
「汚い…って?」
ほとんど独り言みたいだったあたしの言葉に反応した椿さんには、とりあえず曖昧な笑顔を返しておいた。
「なんでもないです」
あんまり聞いちゃいけないと判断してくれたのか、椿さんもそれ以上は深く聞かないでいてくれた。
「…私は、紗倉ちゃんが私の子供じゃなくて良かったと思ってるわ」
代わりに、傷付くようなことを言われる。
「なんで?」
口が悪いから…とか?
「だって……子供だったら、こんな仲になれてないもの」
だけど予想に反して、嬉しすぎる答えが返ってきて、言葉を詰まらせる。
そんなこと言われたら…あたしも、椿さんの子供に生まれなくて良かったなんて単純な思考回路で思っちゃう。
「女としての私も、受け入れてくれるんでしょ…?」
「う、ん…」
「それなら、私の子供になりたいなんて言わないで。ちゃんと……女として見てほしいな?」
拗ねた表情と声に、心をやられた。
「椿さん…」
心の中だけじゃ留めておけないくらいの欲情の一部を解放させて、目の前にある綺麗な顔に近付く。
ふたりきりの家で、邪魔するものは何もなくて。
「女の顔…今すぐ見せて……?」
膨らみきった欲で、彼女の唇を奪ってやろうと、体を動かした。
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