第40話「大好きだよ」
椿さんを招き入れるため、簡単に掃除をしようと前日の夜に久しぶりに自分の家へと帰った。
窓を開けて換気しながら軽く溜まった埃なんかをまとめて拭き取って、水回りの様子も確認していく。…うん、思ったより汚れてない。
そんなに時間がかからなかったから、それなら明日でも良かったかな…と後悔しつつお風呂に入って、その日は早めに寝室へと向かった。
「あぁ〜……変にドキドキして寝れない」
いつもの単なる不眠だけじゃなくて、緊張も相まって目はギンギンにガン開いて閉じる気配すら見せなかった。
明日は完全にふたりきりの状態で、くっつき合って過ごす。
こないだキスできそうだった雰囲気も頭を過ぎって……下心まみれの気持ちを落ち着かせるため、本当に久しぶりに自分の体を触ろうと裾を掴んで鎖骨の辺りまで捲りあげた。
椿さんをおかずに……できるかな?
失敗した経験があるから不安に思いながら、こないだ見たばかりの未遂キス直前の、あの潤んだ瞳と赤く染まった顔を思い浮かべた。
「…うん、普通にえろい」
結局、心配してた“かわいすぎて逆に萎える”なんてことは一切なくて、ひとり椿さんを想像しながら果てまくって、その日は無事に眠ることに成功した。
翌日……椿さんは迷いながらもなんとか家まで来てくれたんだけど。
「なんで、渚がいんのよ」
迷子の椿さんがばったり出くわしたらしい渚に案内してもらったらしくて、隠したかった関係が親友にバレてしまった。
焦ったもののしっかり性悪と過去の男遊びだけはバラさないように口止めだけはしておいて、さっさと帰して、その時に「渚ちゃんも一緒にどう?」なんて呑気に誘った椿さんにちょっとだけ腹を立てたのが、ほんの数分前。
そして、今。
「っう…あ、これ、外して…?紗倉ちゃん」
「せっかくふたりきりだってのに、渚連れてきた椿さんが悪いよ。謝って?」
完全に油断しきってリビングのソファに座っていた椿さんの両手首をあっさり拘束することに成功したあたしは、覆い被さる形でソファの背もたれに手を置いて、眼下の怯える姿を視界に入れた。
ちなみにわざわざ拘束したのは、単なる性癖だ。
「へ、変なことは何もしないって……言ったじゃない」
「あたし怒ってんの。謝ったら解いてあげるから、ほら謝ってよ」
「っ…ま、迷っちゃったんだもの、仕方ないでしょ!」
普段ならすぐ謝りそうなもんだけど、今日に限ってはなかなか謝ってくれない。
それならそれで拘束プレイを長く楽しめるからいいんだけど……と、全身を舐め回すように見下ろしていて、ふと気が付いた。
「この服…こないだ、あたしが買ったやつじゃん」
珍しくスカートを履いてきたその腰に手を当てて呟いたら、色んな意味で触れられたくなかったのか椿さんは唇を尖らせて照れた顔を逸らした。
「せ、せっかくだもの……買ってもらったのに着ないなんて、もったいないじゃない」
「…うれしい。すんごい似合ってる」
「ほ…ほんと?」
「うん。綺麗でかわいい上に……脱がせやすくて最高」
「…………変態」
上機嫌で言ったあたしに、ものすごく不機嫌になって抗議の眼差しを向けてきた椿さんを見ても、何も動じることなくさらに笑顔を深めて返した。
「っと、というか…これ!解いてちょうだい?」
「謝ったらって、言ったでしょ?」
変態なあたし相手に危機感を覚えたのか普段より大きな声を出した唇に親指の腹を当てて、人差し指で顎を持つ。
ここまで来てもどうやら今日はよほど謝りたくないらしい椿さんは、口を固く閉じてまつげを伏せた。
「…なんで謝らないの」
「だって、私は悪くないもの。それに…渚ちゃんの前であんな風にするのは、やめて」
「あんな風?」
「く、口……手で塞いだりとか。変な関係だって思われたらどうするの?」
怒ってたのは、どうやらあたしだけじゃなかったらしい。
「そもそも渚と一緒に来た椿さんが悪いんじゃん」
責める口調にムッとして、つい言い返す。椿さんもあたしと同じくムッとした顔で眉間のシワを深めていた。
「ふ、ふたりが知り合いだなんて知らなかったんだもの……知ってたら、私だって」
「連れてこないで、隠し続けてたって?」
「当たり前じゃない。渚ちゃんは娘の恋人なのよ?知られたら困るもの…」
その気持ちはあたしも同じだから、よく分かる。
でもどうしてかムカムカして、思わず椿さんの手首を掴んでソファに押し付けていた。
「そんなに、あたしと関わってること隠したい?」
「っ…そ、れは」
「付き合った後、どうすんの?言わないでずっと楓に隠し続けんの?」
「できたら、そうしたいわ…」
「なんで?」
「わ、私は母親なの!娘のこともある程度は考えて行動しないと……そんなに自分勝手なことばかりできないのよ…!」
「母親の前に女でしょ」
「女の前に母親よ!バカなこと言わないで」
お互いの意見が、根本の価値観が違いすぎて、話にならない。
呆れて拘束を解いて、椿さんの上から退く。
「椿さんの意思は尊重したいけど、あたしはバレたらバレたでごまかさないで言うから」
「……紗倉ちゃんには、分からないわ」
怒りで震えた声が届いたから、そりゃあたしなんかに親の気持ちなんか分かるわけないじゃん…と開き直った気持ちでため息をついた。
「母親が自分より年下の、それも女の子と付き合ったら…娘がどう思うか、とか……紅葉はまだ子供だから、周りに知られたらいじめられないかとか…色々、考えちゃうのよ。他にも、不安なことはたくさん…」
「誰と誰が恋愛しようが、本人の勝手じゃん。家族はまだわかるけど、うざったい奴らの…外野の目なんて気にして自分が我慢するとかおかしくない?」
「っ……そんな、そんな簡単に割り切れる話じゃないの!私ひとりの人生じゃないのよ?」
「椿さんの人生は椿さんのものでしょ。そこに子供は関係ない」
「関係あるの!子供を産んだ責任を、何も考えないで放棄できるわけないじゃない……無責任なことばかり言わないで!」
あたしの親と違って……子供を産んでも責任を放棄しまくったあいつらと違って、椿さんはどこまでも母親としての責任を果たそうとしていた。
親なら当たり前なのかもしれない意見をぶつけられたあたしは、それ以上なんて返したらいいか分からなくて黙った。
子供を産んだ彼女と、子供を産んだこともなくて産む気もないあたしの間にある溝は、思ってたよりも深く、価値観の違いもあまりに大きすぎた。
きっと彼女はこの先も、母親としての責任感と娘への愛情という名の遠慮と配慮をやめることはない。それが母親になってしまった宿命で、それを甘んじて受け入れた本人の意思なんだろうから。
「分かりました」
だとしたら、折れるのはあたしだ。
「これからは……楓とか渚の前では、母親の椿さんとして接します。もちろん、紅葉の前でも」
未だ怒りを残した表情の椿さんのそばに腰掛ける。
「だけど……あたしの前では、女の椿さんでいてほしい」
窺うように見つめたら、こんなこと言われると思ってなかったのか、大きな目がさらに大きく見開かれた。
「母親であることを第一にしてもいいけど、女であることも忘れないで。…それ以前に、ひとりの人間だってことも」
膝の上に置かれていた手を、おそるおそる握る。
「だから……せめてあたしと一緒にいる時だけは、自分の気持ちを何より優先して。遠慮なんてしないでいいから」
「…だめ、よ」
突然ポロポロと、椿さんの瞳から大量の涙が流れ出したのを見て、ギョッとする。ち、調子に乗って偉そうなこと言い過ぎた…?
「紗倉ちゃんみたいな良い子……こんなおばさんと付き合っちゃ、だめ。他に良い人がいるわ」
自信のない言葉に、胸が重く苦しく、痛くなる。
「そんな理由でフるとか、ありえないから」
耐えきれずに抱き寄せて、つられて泣きそうになった目元をごまかすために、グリグリと相手の髪に顔を押し付けた。
「おばさんでも、子供いても、年離れすぎてても、なんでもいいよ」
そんなの、もうどうだっていいくらい、最初から。
「大好きだよ」
愛してる。
そこまでの言葉は、出てこなかった。
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