第37話「価値観の違い」
























 紅葉に懐かれたのは、いいことなんだけど。


 連日、夜に三人で寝てるせいで、椿さんと全然イチャイチャもどきができてない。

 せめて付き合えないんなら許される範囲はそりゃもうありがたく堪能しまくりたいあたしからしたら、手も繋げない今がもどかしくてしょうがなかった。

 でも紅葉はかわいいし……それに彼女の体温のおかげもあって夜はぐっすり眠れるから、邪魔者扱いなんてしたくない。できない。

 椿さんに触れたい欲と、紅葉に甘えられて嬉しい気持ちの狭間で、平日の間はずっと悶々としながら過ごした。


「もみじ、今日はお泊まりしてくるね」

「……女の友達?」

「うん!仲良しの子と4人で泊まるの」

「男の子は来ない?」

「来ないよ!」

「なら良し。楽しんでおいで」


 休日の朝、食卓を囲みながらそんな会話を紅葉としていたら、椿さんが珍しく吹き出すように笑った。


「ふふっ……紗倉ちゃんって、意外と過保護なのね?」

「か、過保護って…このくらい普通でしょ。こいつかわいいくせにバカのアホだから心配になるだけ」

「もみじバカでもアホでもない!」

「変なやつについて行きそうになってたくせに。まじで危ないんだから、気を付けなね?てかスマホ買ってあげるから今度見に行くよ」

「そ、そこまでしなくていいわよ?」

「椿さんも、もっと危機感持ってよ。…せめて防犯用のGPS付き端末くらいは持たせないと外なんて歩かせらんないから」


 ふたりしてほんとに……自分達が世間一般的にとんでもない顔の良さってこと自覚してないわけ?紅葉は自覚してそうだけど…それにしても警戒心なさすぎ。まったく……今まで平和に生きれこれたのが奇跡だわ。

 心の中でもグチグチと呟いて、とりあえず防犯グッズはいくつか買ってこよう…と、その日はご飯を食べ終えて紅葉を見送るついでに、椿さんも連れて三人で家を出た。


「紅葉、気を付けていきなね。忘れ物ない?鍵持った?お金足りる?」

「大丈夫!もう…桃、しんぱいしょうっていうんだよ、そういうの」

「心配するに決まってんでしょ。ほら、お小遣い渡しとくから…なんかあったら使いな」

「え」


 マンションの前で別れる前に、財布から適当にお札を取り出して渡そうとしたら、椿さんも紅葉も目をぱちくりさせて表情を固めた。


「?……なに、もしかして少なかった?あー…でも、ごめん。現金はあんま持たないから手持ちこれしかない」


 そう言って追加で何枚か取り出したら、椿さんには手首を掴まれて、紅葉は首をブンブン横に振りながら顔の前で手のひらを見せていた。

 …まだ足りないとか?

 まぁ確かに数万程度じゃ遊びに行くのにも心許ないよね。と、勝手に納得して、だけど現金の持ち合わせがなくて困った。


「さ、紗倉ちゃん…そんなには、だめ」

「も、もみじ…そんないっぱいお金持ってたらこわくて歩けない…」

「は?」


 ふたりして何言ってんの?こんな小金程度……と思いかけて、そういえば椿さんの家は超がつくほどの庶民的な家庭だったことを思い出した。


「そもそもお小遣いまで…出さなくていいわ。それは私がちゃんと管理して渡してるから平気よ」

「あ……は、はい。ごめんなさい」


 余計なことをしすぎたと反省して、お札を財布へ戻す。


「だけど…ありがとう。気持ちはすごくうれしい」


 フォローのつもりなんだろう、向けられた優しい笑顔にホッとして…反省するのは後にして、気を取り直して紅葉と別れを告げて歩き出した。

 それにしても……金銭感覚か。

 交際に進む上で大切な壁にぶち当たって、歩きながら、会話も進めながら、自分の狂いすぎた金銭感覚をどう治そうか考える。そんなことで「交際はむりそう」なんてフラレるのだけはゴメンだから。

 とりあえず電気屋に寄って紅葉のための防犯グッズをあらかた、できるだけ質のいいものを選んでレジへ持っていって、


「お会計56,900円です」

「カード一括払いで」

「ちょ、ちょっと待って紗倉ちゃん」


 お会計間際になって止められてやっと、また自分が過ちを犯したことに気が付いた。


「私が出すから。というか…こんなに高いものばかりいらないわ」

「紅葉に何かあったらどうすんの。…こっちが勝手に心配して買うだけだから、ここはあたしが出しますよ」

「でも…」

「ほんとはスマホ買ってもいいんだけど……それだと毎月お金かかるし、これなら通信費まるごと先払いにしとけば後は金かかんないから。ね?いいでしょ?」

「や、やっぱりだめよ。そこまでしてもらうのは…」

「店員さんも待たせてるし、とりあえずお金の話は後にしよ。…すみません、カード払いでお願いします」


 狂った金銭感覚と自覚してるものの、こればっかりは紅葉のために譲れない、と半ば強引に話を進めて会計を済ませた。

 多分…いや、絶対。それが良くなかった。


「…紗倉ちゃん」


 帰り道、やたら暗い声で話しかけられて、内心焦りながら椿さんの方を向く。


「お金出してもらえるのは助かるけど……それで付き合えたりできるとか思ってるなら…その、やめてほしい」


 まるで見当違いなことを言われて、面食らった。そんなこと思いもしてなかった。


「そ、そんな気持ち微塵もないです」

「…紗倉ちゃんはそんな子じゃないって、分かってるけど、でも」


 どんどん、椿さんの顔が沈んでいく。


「私が…心苦しくて、付き合わなきゃいけないのかなって……思っちゃうの」


 そこまで言われてやっと、自分の愚かさに気付けた。

 責任感が強くて、優しい彼女だからこそ…あたしの尽くす行動一つ一つ、お金を出せば出すほど重荷にさせてていた事実を目の当たりにして、言葉を失う。

 こっちにそんな気なくても、そう思わせちゃった時点でだめだ。お金で釣ろうとなんてするわけもないけど……椿さんがどう思うかなんて考えてなかった。考えてあげられてなかった。

 あたし…バカだ。

 自分の気持ちばっかりで動いて、肝心の椿さんの気持ちを蔑ろにしちゃってた。


「ごめん…なさい、椿さん」


 素直に謝って、未だ苦しそうな顔をする椿さんの服を掴む。


「お金のことは…すぐに治せないかもだけど、気を付けるから……だから、そんな風に思わないで。あたしのこと好きにならなくてもいいから、それで無理に、付き合おうとか考えなくていいから……とにかく椿さんの気持ちを一番に、大事にして、ほしい…です」


 思いのままを伝えて、相手の表情を見るのが怖くて顔を伏せた。

 もしこれで椿さんが自分の気持ちを大事にした結果、フラレたとしても…受け入れよう。


「…ごめんなさい」


 あぁ、これは……フラレるやつかな。

 雰囲気の重さから察しちゃって、勝手に落ち込む。


「散々お金出してもらっておいて、こんな都合いい話…ないかもしれないけど」


 いよいよフラレる予感に体の力が抜けて、掴んでいた服から手を離した。


「紗倉ちゃんとは……その、もっと、ゆっくり進んでいきたいの」

「え?」

「お金とか出してもらわなくても…お互い、もっとちゃんと知っていって、それで……あの、私…お金目的とかじゃなくて、そういうのじゃなくて、紗倉ちゃんのこと」


 流れが変わってきたことに驚いて顔を上げる。


「ちゃんと、好きになりたいの」


 たくさんの葛藤が入り混じった瞳で、それでも真っ直ぐに伝えられた言葉に、心臓がドクンと跳ねた。


「そ…れって、つまり」

「わ、私はおばさんで、年も離れてるし子供もいて、女の子を好きになったりもしたことなくて、出会ってそんなに時間も経ってなくて……だから、自信はないん、だけど」


 長いまつげが、憂いと羞恥を含んだ瞳を隠して、それにもまた心臓は落ち着きを無くした。


「ま、前向きに…考えてる、から」


 やっば…い。

 心臓痛すぎて、死ぬかも。


「紗倉ちゃんと、お付き合いすること…」


 希望の光が心に宿る。

 その光があまりに眩しすぎて、熱くなった目頭をごまかしたい気持ちもあって、目を細めた。


「わ、わがまま…かしら…?」


 不安そうに伺われて、咄嗟に首を横に振る。


「むしろもっと…わがままに、なってほしい」


 それであたしのこと、求めてくれたら…なんて雑念は、心に押し込めた。


「…仮に付き合えなくても、そばにいるから。友達として仲良くし続けるから……あんまり気負わないでね、椿さん」

「…うん、ありがとう。ごめんなさい、まだ今は答えを出せなくて」

「いいよ、そんなの。死ぬまで答え出せなくても、天国で考えてくれれば。あたしは地獄で待ってますから」

「やだわ。一緒に天国行きたいもの、地獄なんてだめ」

「あ、じゃあこれからは良い行いしていかないとじゃん…」

「まずはお口の悪さから直さないとね?」

「う…うーん……善処します」


 はたしてこの口と性格の悪さまで治せるかは微妙だけど。


「でも、金遣いの荒さはすぐにでも治そっかな」

「あ、そうだ。さっきの分、私出すわ」

「じゃあ半分だけ……いや、3分の1だけ…いや、やっぱり千円だけ」

「どうしてどんどん少なくなるの?全額出しますから、お母さんだもの。娘の防犯グッズくらい買えるわ」

「交際できたら第二の母になる予定だから、ここはあたしが出しときますね。母の威厳、今のうちから保っておかないと」

「んもう…お金遣いの荒さ全然治す気ないじゃない。無駄遣いは良くないわよ?」

「紅葉のために使うお金に無駄なんてある?」

「それは……ない、かも」

「でしょ?」


 意地っ張りな椿さんを黙らせるのもその辺にして、二人の妥協点として万札を一枚だけ受け取っておいた。


 にしても、第二の母…ね。


 まさか自分からそんな言葉を出す日が来るなんて思いもしてなくて、おかしくなって苦笑する。

 このあたしが、自ら望んで母親になろうと思えるなんて。

 産んだわけでもないけど、ほんと…何考えてんだか。

 自分の気持ちも、椿さんの気持ちもよくわからないまま、それでも突き進んでいくしかないと、運命をおとなしく受け止めることにした。










 


 


 


 


 


 


 


 







 







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