第36話「ここで寝るの」





















 白く綺麗な、透き通った肌に泡を当てる。


「まじで肌きれいだね…あんた」

「小さい頃から、お母さんとお姉ちゃんがクリーム塗ってくれてたから……今はもみじ自分でやってる」

「そうなんだ、えらいじゃん」


 愛されて育てられた天然の肌質の良さに感動と、僅かばかりの惨めさを抱きつつも、しっかり丁寧に小さな背中を洗っていった。

 さすがに体の前面は自分で洗ってもらって、全身泡まみれになったあとは温度に気を付けながらシャワーのお湯で流していく。それが終わったら、今度は紅葉が背中を洗ってくれた。

 拙い手つきにかわいらしさを覚える。人に洗ってもらうのは慣れてても、洗うのは慣れてないのかな。

 それもまた彼女が愛されてきたことの証明で、憎たらしくも可愛らしく思った。


「桃…おっぱい、もみじと同じくらいしかないね」

「ぶん殴るよクソガキ」


 やっぱり憎たらしくて仕方ない。可愛らしさなんて秒で飛んでいった。

 洗っていいよなんて言ってないのに後ろからあたしの胸元に手を当ててきたクソガキに低い声を出したら、ケラケラと楽しそうに笑っていた。まじ殺す。


「あんたも貧乳でしょ。貧乳同士仲良くしろ、クソ」

「もみじはこれから大きくなるもん」

「なんで言い切れんのよ」

「だってお母さんもお姉ちゃんも大きいから」

「……悔しいけど、それはそう」


 何も言い返せなくなって、腹立たしい思いで下唇を噛む。…遺伝なんてクソ食らえだ。

 新たに親の嫌いなところリストに“貧乳の遺伝”を加えておいて、もう惨めになるだけだったからさっさとお湯を体に当てて浴室から逃げた。


「ほら、先に拭きな。体冷やすと良くないから…」

「もみじ自分で拭ける」

「こういう時は甘えとけ、まだガキなんだから」


 あたしの後に続いて出てきた紅葉の体についた水滴をタオルで拭っていって、ついでに服を着させる。

 最近はこういう事をしてもらえる機会も減ってきてるからなのか、紅葉は嬉しさを隠しきれない様子で口角を少しだけ上げてニマニマと満足げな顔をしていた。

 お互いに服を着たあとは忘れてたボディケアを思い出して一緒にやって、髪もしっかり乾かしてやって、ふたりリビングへと戻る。


「宿題する」

「教えよっか?」

「うん」


 椿さんが帰ってくるまでは、紅葉の勉強に付き合うことになった。


「へぇ……あんた、やっぱり頭良いんだ」

「お姉ちゃんがずっと教えてくれてたから…」

「そっか。でもそこ間違えてる」

「え。どこ」

「ここ」


 中一の宿題なんて簡単すぎて、目で追うだけで解ける問題達を見下ろして、間違えがあればその都度指摘していった。ただ、そんなに間違うこともなかったけど。


「…桃、頭いいんだね」

「これでも大学生……それ以前に地頭いいから、あたし」

「もっとバカだと思ってた」

「よく言われる。紅葉も地頭いいんだね、あたしには劣るけど」

「……頭いいけど性格は悪いね」

「それもよく言われる」


 悪態や嫌味混じりの会話が続く。でもそれも、不思議と険悪な感じにはならなかった。

 少しして椿さんが帰ってきてからは、仲良し同盟はまだ生きてたみたいで紅葉のあたしへの言葉遣いや態度はマイルドなものへと変化していた。あたしもあたしで若干の外面対応で接した。

 

「あら…紅葉、枕なんて持ってきてどうしたの?」


 夕飯も済んで、寝る前になって紅葉は何も言わず自分の部屋から枕を持ってやってきた。


「桃が変なことしないように、ここで寝る。見張るの」

「別に何もしないから部屋戻っていいよ、ばいばい」

「……ここで寝るの」


 軽くあしらってみても、布団の上で枕を抱えたまま紅葉は頑なに動こうとしなかった。

 そんなにあたしすぐに手を出すヤバい女だと思われてる…?と、ちょっと心配になったけど、拗ねたような顔を見て本心は違う理由であることを察した。

 …はいはい、さびしいのね。ガキっぽくてかわいい。

 椿さんは一緒に寝れることが嬉しいのか快く受け入れていて、あたしも文句なしに受け入れて、三人仲良くひとつの布団に潜り込んだ。もちろん紅葉を真ん中にして。


「お母さん…」

「ん、なぁに?」

「もっとくっついて、もみじさびしいから」

「ふふ。おいで、お母さんももっとくっつきたいな?」


 親子ふたり、仲良さげに抱きしめ合うのを見て、虚しさよりもじんわりと心温まる謎の感覚に浸った。


「桃も、後ろからならくっついていいよ」

「いいよ、あたしは。ふたりで仲良くしてて」


 横向けで眺めてたのをやめて、仰向けになって天井に向き合う。

 …あたし、邪魔かな。

 いない方がいい?なんて考えて、今後のお泊まりをどうしていくかぼんやり思考を巡らせた。

 紅葉は諦めなくていいって言ってくれてたけど…この親子関係の中に入り込めるとは到底思えない。肝心の椿さんも、気を持たせることはするわりに付き合う気はないみたいで、なに考えてるか分かんないし……とりあえずしばらく、距離置いてみてもいいかな。

 それに今はふたりとも、お互い親と子の時間を堪能したいだろうから。

 自分の中で結論づけて、目を閉じた。すぐそばに紅葉の体温を感じるおかげか、うつらうつら眠気がやってくる。


「…桃、おきて」


 せっかく寝かかってたのに、ペチペチと頬を叩かれて瞼を上げた。


「なに?お母さんとイチャイチャしてなよ。寝れそうだったのに…」

「くっついてこないお前が悪い」

「……くっついてほしかったら素直に言えば?」


 ため息をついて、また横に向き直った。

 今度はあたしにしがみついてきた幼い体を腕で包んで、椿さんに似た温度の高い子供の体温を静かに受け入れる。


「あら……ふたりは、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

「「仲良くない」」


 微笑んだ椿さんの言葉に同時に返して、お互い睨み合った。


「真似すんな、バカ紅葉」

「そっちが真似した、ド貧乳」

「ぶっ殺すよ?クソチビ」

「紗倉ちゃん…あんまりお口悪いのはだめよ?」

「あ……ごめんなさい…」

「ふっ…怒られてやんの」

「あんたのせいでしょうが。まじムカつく」


 幼いながら整った形の鼻をつまんで怒りを軽く発散させて、これ以上こいつと話してたら椿さんに性悪女って事がバレることを危惧して、その後はもう何を言われても無視した。

 無視されようが気にせず、あたしと椿さんに挟まれた状態の紅葉は終始ご機嫌な様子で、ニコニコ笑顔でたまに胸元にすり寄ってみたりと甘えてきていた。

 ……子供って、こんなにかわいいんだ。

 幼い子と関わる機会もそんなになかったから、知らなかった。こんなにも、生きてるだけでかわいい存在がいるんだってことを。

 …やっぱり、こいつには綺麗でいてほしい。そのために、あたしができることで守っていかなきゃ。

 この時あたしは人生で初めて、子供に対して強い慈しみと、庇護欲のようなものを心に宿した。


 不思議な感情に心を落ち着けながら、その日は大事に大事に紅葉の体を抱き包んで眠りに落ちた。























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