第35話「過去と重なる」
朝、紅葉にふたり寄り添って寝てるのがバレた日から。
あたしが家に行くと紅葉の様子がおかしくて……自分の部屋からほとんど出てこなくなってしまった。
完全にあたし達の関係に勘付いたせいだとすぐに気付いて、何もないとご飯の時に何度も説明したけど……それが逆効果だったらしい。
その後数日は、口も聞いてくれなくなった。
……そりゃ多感な年頃の時期に、母親がよく分からん女とくっついてる寝てるの見たら複雑な気持ちにもなる。
気持ちが分かるからこそ、どう対応していいか分からなかった。ここで変に構うのも余計に嫌だろうし、かと言って構わなすぎるのも…どうなんだろ。
もうこの家には来ない方がいいかな。
とも思った。いや、でも……椿さんとは離れたくない。諦められるわけないと、自分のことを優先してしまった。
多分…いや絶対に、それが良くなかった。
椿さんも椿さんで、気まずく思ってるのか同じ布団で眠ることはなくなった。
三人がそれぞれモヤモヤした気持ちを抱えたまま。
「今日…帰り遅くない?」
ある日の夕方、あたしはリビングで時計を見てひとり呟いた。
椿さんは仕事で、残業確定の連絡がお昼頃に入ったから帰りが遅くなるのは知ってる。気になるのは、紅葉の方だ。
部活がない曜日だから今頃とっくに帰ってきてるはずなのに……全然、帰ってくる気配がない。
友達と遊ぶなんて朝は言ってなかったから、寄り道もきっとしてないはず。…連絡しようにも、あいつスマホ持ってないからできないし、どうしようかな。
「ったく……心配だから探しに行ってやろ」
万が一のことを考えて、それに家で一人で過ごしてるのも退屈だからと紅葉を探すため家を出た。
通ってる中学校までは徒歩で行ける距離で、時間もそんなにはかからない。通学路は寄り道するような店や場所も特にない住宅地だし、家から学校までの道を辿れば見つかるかな。
そう考えて一旦とりあえず学校まで行ったけど、紅葉に会うことはなかった。
「どこ…行ってんのよ」
不安になる。
もしかして事故とか…事件に巻き込まれた?
警察に通報するかどうかまで悩んで、さすがに大袈裟すぎるかなと気持ちを落ち着けて、また家までの道のりを……今度は周りをよく見回しながら歩いた。
そういえば近くに公園があったっけ。
ふと、思い出して立ち止まる。
通学路を外れるけど、もしかしたらそこで時間を潰してたり、友達と遊んでるかもしれない。
記憶を頼りに公園へと歩き出して、数分。
「…あ」
ようやく、紅葉の姿を見かけた。
やっぱり公園にいたみたいで、ちょうど出入り口から出てきたところを、何やら怪しげな雰囲気満載の男に話しかけられている最中だった。
「さい…あく」
その光景を見て、自ら無理やり閉じ込めて忘れ去っていた過去の記憶が、鮮明に蘇ってきた。
『君、かわいいね』
紅葉と同じ年くらいの頃、道端で話しかけてきた鼻息の荒い男の顔が、脳裏に駆け巡る。
何も知らなかった幼いあたしと、明らかにヤバい男。
そのふたりが並んだ姿が、まさに今目の前にある紅葉と男の光景と重なって、激しい動悸と血の気が引いていく感覚に襲われた。
心臓が、内臓が…浮き上がるみたいに落ち着かなくなる。
気持ち…悪い。
手と足が、ガクガクと震え出す。
息が、できない。
怖い。
あの時のあたしと、一緒だ。
あの時のあたしみたいに、紅葉も…
そんなの、だめ。
あたしと違って愛され続けて、身も心も綺麗なのに。それなのに……
あの子だけは…守らなきゃ。
あたしと同じ末路を、辿らないように。
込み上げてきた吐き気と涙を、嫌悪感ごと飲み込んで堪えた。
咄嗟に足を踏み出して、我も忘れて駆ける。
「っ紅葉…!!」
そして男から庇うように、小さな体をなりふりかまわず抱き寄せた。
「クソ犯罪者が……こんなガキ狙ってんなよ!」
自分の耳を劈くほどの怒声を浴びせたら、男は慌てた様子で逃げて行った。
「っ待て、このクソ男…!逃がすわけねえだろ!」
「ま、待って」
冷静じゃない頭のまま紅葉を置いて追いかけようとしたら、腕を掴まれて止められる。そこでようやく、ハッと我に返った。
「あ…あの人、道聞こうとしてきただけ…」
「っ…んなわけないでしょ!あんたどこまでバカなの!?」
だけどすぐ、呑気なような幼い声に怒りの感情がぶち上がる。
「そんなの口実に決まってんじゃん!本気にしてんなよクソガキ!」
「なっ……なんでもみじが怒られるの」
「怒るに決まってんでしょ!少しは危機感持てよ…平和ボケしやがって…っ!こ、の……」
怒りを滲ませた手で肩を強く掴んで、怒鳴ってやろうと口を開いたのに、喉の奥がぎゅっと苦しいくらいに詰まった。
困惑した無垢な姿を視線の先にちゃんと映した途端、涙で視界が滲む。
怒りなんかよりも、湧いて出たよく分からない感情に心が一瞬で支配された。
「よかった……紅葉…」
こんな子供の前で、情けないことに自分でも訳分かんないくらい涙を流したあたしは、綺麗な体を保ってくれたままの彼女を抱き締めて、手入れされた黒髪に頬をすり寄せた。
「あたしみたいにならなくて、よかった…」
こんな汚い体にされる前に救えて、本当に良かった。
「だめだよ…あんたみたいなやつは、愛されてるんだから……汚されちゃ、絶対だめ…」
「なに…言ってるの?」
「うっさい。分かんなくていい…一生分かんないままいろ、バカ紅葉」
震えた手で何度も何度も、存在を確かめるように頭の後ろを撫でて、深く吐息を漏らす。
元はと言えば、あたしのせいだ。
あたしが椿さんを、紅葉から奪おうとしたから。この子の母親を、自分の欲だけで手に入れようと望んじゃったから。
それでこの小さくて清い体を汚すハメになるくらいなら、もう…あたしは……あたしなんて。
「紅葉…ごめんね」
「…なんであやまるの」
「あたしのせいで、家に帰りたくなかったんだよね。お母さん取られると思って、嫌だったんでしょ?」
図星だったのか、紅葉は僅かに体を強張らせた。
手のひらの感覚や、小さな体を包み込んでいた全身でもそれを感じて、また「ごめん」と掠れた声で謝った。
「あんたのためならあたし……お母さんのこと諦めるから。だから、あの家に帰ろう?こんな遅くまで外にいなくても、あそこがあんたの居場所なんだから、あんたが我慢する必要なんてない」
止まらない涙を止める余裕もなく咽び泣きながら伝えたら、まだ幼さの残る手があたしの肩に乗せられた。
「もみじも…ごめんなさい」
「何も悪くないのに謝んなよ、ばか」
「ちがうよ。もみじが勝手にすねてたから…」
「だからって……外に逃げんな、危ないでしょ。あんたが思ってるより、怖いことたくさんあるんだからね」
「うん…ごめんなさい…」
「っ…あたしもごめん……ごめんね、紅葉」
もう縋るみたいに同じ言葉を吐いて、あたしの涙につられたのか泣き始めた紅葉をさらに強く力いっぱい抱き締めて、しばらくお互いに謝り合って泣き続けた。
「…帰ろ」
「…うん」
ふたりして泣きやんだ頃に、どちらからともなく手を繋いで歩き出す。
「……桃」
「なに」
「助けてくれて、ありがとう」
帰り道、ぽつりと呟かれたお礼の言葉にまた目頭を熱くさせながら、きっと涙の跡でぐちゃぐちゃで、とてもじゃないけど人に見せらんないような顔だったけど、それも気にせず紅葉のことを見下ろした。
「感謝しろよ、クソガキ」
「…そもそもお前のせいだもん、貧乳」
「相変わらず腹立つ。チビのくせに生意気」
「ふん、もみじだって怒ってるもんね」
「なんであんたが怒んのよ。…あ。お母さんのことならちゃんと諦めるから安心しな?」
「……諦めなくていい」
「え?」
「お母さんのこと幸せにしないと、もみじ怒るからね」
そう言って唇を尖らせて見上げてきた顔が、椿さんそっくりで。
「バカにすんなよ、これでもあたし大金持ちなんだから」
握った手に力を込める。
「あんたごと、幸せにしてあげる」
照れくさい本音と共に笑ったら、紅葉はふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。
「だからもう…変なやつに話しかけられてもついていくのやめなね」
「うん。もみじ、今度から桃みたいに大声出す」
「ははっ、おかげで喉痛いんだけど……ま、今は気分がいいから許してあげる」
「もみじだって泣きすぎて頭痛い」
「帰ったら薬飲みな」
「…その前に、お風呂入ろ」
「一緒に?」
「な、仲良くなったら裸の付き合いするって、緑里ちゃんが言ってた」
「どんな友達だよ、それ。まぁいいけど……男の子とはしちゃだめだからね」
「そのくらい、もみじにも分かるよ」
「そっか」
「うん」
長く続いた会話も、次第に口数が減っていく。
まるでもう、言葉なんていらなくなったみたいに。
あたし達はもう何も話すこともなく、静かに歩きながら帰路についた。
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