第32話「夜になると」
日中は椿さんが仕事で会えないから暇つぶしがてら大学に行って、眠くもならない退屈すぎる講義をボーッと聞いて、自分の家には服と必要な物だけ取りに行って。
「遅い」
「…いま開ける」
合鍵はこのクソガキ……紅葉が拒否したせいで預かれなかったから、学校終わりのガキの帰りを待って、ふたりで同じ家へと入った。
紅葉はあんまりあたしと同じ空間に居たくないみたいで、帰宅して早々お風呂を済ませた後は、自分の部屋へ篭りきって、椿さんが帰ってくるまで出てこない。
あたしもあたしでお風呂を済ませて、リビングで勉強したり、つまらないテレビを眺めながら愛しい人の帰りを待つ。
この家は…ひとりでいても、静かすぎないから良い。
外を走る車の音や、人の声、風のなびきが鳴らす窓の軋み。雑音で溢れてて……それら全てに温かみを感じる。自分を囲む光景が雑多的で家庭的なのも、“家”って感じがするから好き。
だから何時間経っても、何もしてなくても、飽きることはなかった。
「ただいまー…」
「あ!おかえりなさい、椿さん」
いつものように帰ってきてすぐの椿さんに駆け寄って、鞄を持ったりしながら後ろをついて歩く。
先にお風呂に入るという椿さんのためにパジャマと下着を用意しておいて、出てきてからは夕飯の準備を…あたしは料理できないから食器を出したりするのを主に手伝った。
「そろそろできるから……紅葉、呼んできてもらえる?」
「はい!もちろんです」
喜んで頷いて、キッチンからすぐの…紅葉の部屋へ続く扉をノックする。
「紅葉ちゃん、ご飯だって」
「……うん」
扉を軽く開けて声を掛けたら、勉強していたらしい紅葉は椅子から立ち上がって、あたしの横を通って部屋を出た。
三人で食卓を囲んで、椿さんと密かに約束した「紅葉の前では近付きすぎない」をしっかり守って、気を張りながら食事と会話を楽しんだ。
「……もう寝るね。おやすみ」
和気あいあいとしていた食事を終えてすぐ、紅葉は歯を磨いてまた部屋へさっさと戻っていった。
…なんか、気を遣ってる?
あいつは生意気でムカつくやつだけど、あたしの作り笑いにすぐ気付くくらいには周りをよく見てる頭の良いガキだから、薄々あたしと椿さんの関係に気が付いてるのかも。
椿さんは「部活で疲れてるのかしら?」なんて呑気なことを言っていて、親が言うならそうなのかな、考えすぎかな…とそれ以上の思考はやめて気を取り直した。
夜になると、紅葉の前で遠慮していた欲を少しだけお互いに解放させる。
「椿さん…そっち行ってもいい?」
「ん…でも、少しだけよ?」
「うん」
同じ布団に入り込んで、あったかい体温を求めて手を握る。
なるべく体を寄せないように気を付けながら、顔だけを寄せて鎖骨の辺りにスリスリと頬を押し付けた。
「ふふ…くすぐったいわ」
幼い子供に見せる笑顔と同じように慈しみ溢れる表情で、椿さんは手を繋いでない方の手であたしの黒髪を撫でてくれた。
「夜の紗倉ちゃんは甘えん坊でかわいいわね」
「…昼間はかわいくないってこと?」
「ち、違うけど……普段はもっと大人びてるから、夜は子供っぽくて良いなって」
「……あんまり子供扱いされたくないんですけど」
「えぇ…?いいじゃない、かわいくて」
「子供みたいで?」
「うん、子供みたいで」
平然と返されて、僅かばかり危機感を抱く。
娘とはまた違うだろうけど、それでも子供だと思われて恋人候補の枠から外れるのは避けたい。
どうしようかな。あまりに策略的すぎるのは控えたいとはいえ、このまま何もしないでいたら完全に“年の離れた友達”ポジからは抜け出せなさそう。
…ちょっとだけ、調子に乗っちゃうか。
「あたし…こう見えても大人ですよ」
椿さんに触るのはだめだから、それなら自分の体を駆使すればいい。
そう企んで、少し体を離して距離を取ってから、着ていたノースリーブの肩紐に指をかけた。
「胸ないけど……ほら」
言いながら、上半身の一部を見せる。
はたして女相手に効果があるのか…ついでにそれも確認しちゃおう。椿さんの、女の裸体への興味度チェックにもなるかな?それでネコ寄りかタチ寄りかも分かればラッキー。
「そ、そんな簡単に見せちゃだめよ……いつも思ってたけど」
チラリと、しっかり目線はこちらに向けるものの、顔だけは明後日の方向を見た椿さんの手が、やんわりとあたしの肩に置かれる。
…それは、どういう反応?
見ちゃいけないものだと気まずくなっただけか、ちょっとは意識してくれたのか……男みたいに分かりやすく興奮するわけじゃないから分かんないな。
椿さんの性格に前者だと仮定して、もしそうなら女の裸体には興味なさそう。ってことは…この作戦はドギマギさせるには失敗だ。
「すみません、変なことして」
「い、いいのよ。でも…他の人に見せちゃだめよ?自分の大切な体なんだから」
「はは…気を付けます」
椿さんには、分かんないだろうな。自分の体が大切じゃないやつの気持ちなんて。
虚しさを抱えてしまったあたしは、それ以上は何もする気も起きなくて、自分の布団へとおとなしく戻った。
…あたしが巨乳だったら、もうちょい意識してくれたかな。
平たい胸元にもまた虚しくなって、静かにため息を吐き出す。女としての魅力が欠けてるってのに、あの作戦に出たのはまじで間違いだったな。血迷いすぎた。
あぁ…最悪。惨めだ。
こんな汚い体を見せたところで、魅了できるわけもないのに、なんであたし……
「紗倉ちゃん」
暗く落ちようとしてた思考を遮られるように、後ろから優しい体温に包まれた。
「…胸が小さくても、そんなに気にしないで?」
え。ぶん殴っていい?
危ない……落ち着け。椿さんに対してこんなこと思うなんてどうかしてる。長年の巨乳への恨みが、つい。
あたしが貧乳なことに落ち込んでると思ったんだろう、むしろ胸をぶっ刺してきたフォローの言葉にキレかけて、なんとか怒りを押し込めた。
「わ、私は小さくても…その、かわいいと思う、から……だから、えっと、えっとね?」
「あの、椿さん」
さらに辿々しく悪気のない声が続いて、ピキピキとこめかみに青筋を浮かべた。
「別に貧乳気にしてないから。それ逆に辛くなるからやめて、今その優しさ殺人級に罪だから」
「あ……ご、ごめんなさい」
「まじ次言ったらその巨乳揉みしだしてやる、ちくしょう。くそぅ…」
「…やっぱり気にしてるじゃない」
「っ…て、てか、くっつくのナシなんじゃないの」
もう胸の話題からなんでもいいから逸れたくて言ったら、後ろで言葉を詰まらせたのが分かった。
「今度から、あたしもくっつきますからね」
「そ、それはだめよ」
「自分は良くて他人はだめってなに?そんな都合いい話ないでしょ」
「そ…れは、そうだけど……紗倉ちゃん、変な触り方するから…」
「じゃあ普通に触ればいいの?」
「今みたいな感じ…なら」
後ろから抱き締めるのはアリってことか。おっぱいさえ触らなければ。
うん。それなら結果オーライかな。無駄に貧乳な心は傷付けられたけど、そんなんもう慣れたことだからこの際どうだっていい。
明日からは遠慮なくバックハグをかましてやろうと…決意する前に、椿さんの体温に当てられたあたしは、例のごとく睡魔に負けて一瞬で意識を手放した。
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