第29話「娘がいるから」
また夜になって、昨日みたく同じ布団で寝ようと企んでたんだけど、
「今日は……紅葉が、いるから…」
申し訳なさそうに、断られてしまった。
さすがのあたしもそこはおとなしく引いて、だけど少しでもいいから体温が欲しくて……手だけは繋いでもらうことにした。
別々の毛布に潜って、ふたつ横並びでくっつけて敷かれた布団の境界線の辺りで、相手の手を握る。
お互い向き合う形で横になってたから、しばらくは何も話さずに視線だけを合わせた。
「…椿さん」
するりと指を絡めたら、僅かに頬が赤らんで眉が下がった。
照れと困惑の混ざった瞳を見つめて、それだけで心臓は激しく収縮を始める。静かな欲情と浅い睡魔の中で、高ぶった鼓動によって体温を上げた。
「あたしとの初デート……どうでした?」
今日一日の感想を聞けば、椿さんはまた照れた顔をして、それをごまかすみたいに微笑んだ。
「楽しかったわ」
それが聞けただけで、気分は充分に幸せに包まれた。
「でも紗倉ちゃん……お金使いすぎよ。こんなおばさんに使っても何もならないのに」
「……貢ぎ体質なのかも」
「もしかして、今までも…そうだったの?」
何かを心配した椿さんに聞かれて、首を振って否定する。このあたしが、男に貢ぐわけがない。借りを作りたくないから貢がせるわけもないし。
「今までは……だいたい割り勘。相手から奢るって言われた時だけかな、出してもらってたのは」
「そう……私の時も割り勘でいいのよ?むしろ私が多く出したいくらい」
「それはだめ」
「…じゃあもうデートするのやめる?」
「へぇー……そういうこと言うんだ」
きっとあたしが折れると思って言ったんだろう意地悪な発言に、純粋な気持ちで傷付いて、繋いでいた手をそっと離す。
椿さんの顔が、ほんの少しだけ焦った色に変わった。
「いいよ?デートすんの、もうやめよっか」
「っあ……や、やだ。今のは冗談よ」
「冗談でも傷付くからやめて」
「あぅ……ご…ごめんなさい。許して…?」
情けない顔で謝ってきた椿さんを見て、モヤモヤした気持ちはすぐどこかへ吹っ飛んでしまった。単純バカな自分に苦笑する。
「いいですよ。次はどこに行きたいですか?」
許すついでにちゃっかり予定を立てるため言葉を続けた。椿さんは許された事にホッとしたみたいだった。
「デートなんて……本当に何十年もしてないから分からないわ。若い子はどこに行くの?」
素朴な質問を投げられて、返事に困る。
……そういえばこれまで、散々付き合ってきたわりにデートらしいデートはあんましてこなかったかも。
ほとんどラブホか、相手の家か……あとはたまに夏祭りとかクリスマスなんかの、季節ごとのイベントを口実にちょっと出かける程度の経験しかなかった。
ここで「ラブホ」なんて言えないし…無難なとこ適当に言っとこうかな。
「水族館…とか?」
「ここら辺にあったかしら」
「できたら近場がいいですか?」
「そうね……紅葉がお泊まりする時でも、何かあった時のために家には居ておきたいから。すぐ帰れるくらいの距離だと助かるかも」
「んー…じゃあ、家で映画でも見ます?」
「お出かけしなくていいの?」
「うん。別に…椿さんといられたら、それでいいから」
また手を繋ぎ直して、今度はそれだけじゃ少し物足りなくて距離を詰める。
「ほんと……こんなおばさんのどこが良いの?」
欲のないあたしに疑問を抱いたのか呆れた目を向けられたから、何も言わずにさらに近付いて、毛布の上から抱きついた。
「全部」
表情管理なんて微塵もない、気の緩みすぎた笑顔で見上げたら、悩ましく眉間のシワを深めた椿さんが赤い唇をムッと浅く尖らせた。なにその顔かわいい。
その口めがけてキスしたくなった気持ちは抑えて、代わりに毛布越しに谷間の辺りに鼻をうずめ、落ち着く匂いを鼻孔いっぱいに吸い込む。
「や…だ、紅葉がいるからだめって……」
「何も変なことはしませんって」
「そ、そういう問題じゃなくて。朝、くっついてるところ見られたらどうするの?」
「そん時はそん時。…今は見てないから、いいでしょ?」
「う……だ、だめよ。それに、あんまり触らないで…付き合ってない、のに…だめ」
「…わかった」
距離感はバグってるくせにガードはしっかり固いところは、楓も似ちゃったのかな。
嫌がられたなら仕方ない…と、しぶしぶ自分の布団へと戻って、おとなしく寝ることにして、背を向けたまま目を閉じた。
…体温なしじゃ、寝れないんだけどな。
ふてくされた子供みたいな気持ちで、ため息をつく。さびしいけど、あたしもあたしでやりすぎは良くない。
「……手は、繋いでもいいのよ?」
後ろから聞こえてきた声に、答える気力もなくして何も言わず首を振った。
触るのはだめなのに手は繋いでいいって…どういうことなの?相変わらず何考えてるのかよく分からない。そこも魅力なんだけど。はぁ…悔しい。
「さ…さびしい、から……こっち向いて…?」
遠慮がちな声が聞こえてきて、悔しさは増していく。
「っはぁ……もう」
体ごと振り向いた勢いをそのままに、視界に入ってきた椿さんの手を真っ先に握った。
「その甘え方は反則。分かっててやってる?」
「え……あ、ちがう…」
「無自覚でそれはやばいよ。他の人にやったら普通に襲われてるからね、今ごろ」
「そんな、つもりじゃ…」
「とにかく気を付けなね。…あたしは何もしないから安心して」
呆れすぎてその気も失せる、とまでは言わずに無防備な指の隙間に自分の指を通すだけで留めた。
あたしに怒られて反省したのか、椿さんは長いまつげを伏せて唇をきゅっとかわいらしく閉じていた。…キスしたいわ、それやられると。しないけど。
「ほら、寝よう?椿さん」
「……うん…」
「おやすみ」
返事はなかった。
代わりに小さく頷いたのを見て、あんまり眠くはなかったけど瞼を下ろす。
手が触れた体温を頼りに睡魔が訪れるのを待つ……前に、気が付けばあたしの意識は暗転したまま朝まで戻ってくることはなかった。
やっぱり…よく眠れる夜は良いな。それに椿さんと、もっと一緒にいたい。
起きてからもそんな事を思ったあたしは、その日も結局泊まることにした。
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