第26話「素直でいたい」
夜は、距離を縮めるための最大のチャンスが訪れる時間帯でもある。
寝ちゃったせいで椿さんとの貴重な時間は潰しちゃったけど、昼から夕方までぐっすり寝れたのはむしろよかったかもしれない。
そのおかげで、今。
「眠れないから…そっちに行ってもいいですか?」
「…ええ、もちろん。おいで?」
同じ布団に入ってくっついても、恐れていた抗いがたい眠気と戦わずに済んでる。
それでも体温を感じてるだけで勝手に瞼は落ちてくるから、そこは自分に喝を入れて耐えた。この状態で寝るなんて許さないよ、あたし。
とりあえずハグする事には成功したから……問題はこの後、どうしていくか。
夕方の件で、椿さんの中にはまだあたしに対する若干の警戒心が残ってるはず。だからまずは、無害だと思わせて安心させるところから。
「あったかくて落ちつく…これなら眠れそうです」
「そう…それならよかった」
「今日ずっと、椿さんにこうしてくっつけて嬉しいな」
下心なんて微塵もない、純粋そうで幼い言い方をして、仕草も子供らしさを意識して、さらに甘えるように抱きついた。
これで一旦は「子供みたい…」と警戒を解くはず。
「ふふ、なんだか子供みたいね」
思惑通り、慈しむ手つきと声で頭と鼓膜を撫でてもらえた。
「…もっと、甘えてもいいですか?」
そうやって油断したところに、もう一度緊張を運ぶ。
こうすることで小さな情緒の揺らぎが心音へ伝わって、鼓動が落ち着きをなくすはず。
同時に「またからかわれる…?何をされるのかな?」と警戒と一緒に、無意識のうちに期待のような感情も抱くようになる。
「ふ、普通の…甘え方、なら」
いいわよ、と言わない時点で、あたしの脳内で考えた感情の機微がそのままちゃんと現実になってることを確認できて、それなら……と胸元に手を置いた。
「お母さんに、するみたいに…甘えたいです」
彼女の中の“普通の甘え方”が、どこまで許されるのかを上手い具合に探ってく。そのためにまず、確実に断られるだろう無理な提案から始める。その次は少し難易度を下げたものにする。本来の目的を後半に設定しておいて、より受け入れられやすくなるように。
「お、お母さんに…って、何をしたいの?」
「……おっぱい、吸わせてほしい」
「だ…だめよ。赤ちゃんじゃないんだから」
「じゃあ……揉むのは?」
「っや、やだ……だめに決まってるじゃない」
なるほどね。
普段はバグってる距離感の持ち主である椿さんの、この警戒心の高さから……あたしの事を異性に近い感覚で認識し始めてるのは間違いない。
そうでなければ、吸われるのはまだ拒否するのは分かるとしても、年の離れたガキに胸を揉まれるくらいなんとも思わないだろうから。
…実際、距離感のバグが似たもの同士な娘の楓は「揉むくらいなら…いいよ?」と、あたしを“友達”と認識してるからこそ簡単に許してしまったりする。そう考えると渚あいつまじで不憫……今度ご飯奢ってあげよ。
椿さんは楓ほど無知でピュアじゃないだけの可能性もあるけど……まぁ、なんにせよ“友達”って認識からは外れてきてる。
ただ、ここでグイグイ行きすぎても逃げられるだけ。
「今日は…おとなしく寝ます」
「そ、そうして?」
「すみません、変なわがままばっかり言って」
しゅんとした顔を見せれば、椿さんは何も悪いことしてないのに良心を痛めてくれる。なんか、あたしまで胸が痛くなってきた。
……長年の睡眠不足が解消された影響か、やたら思考がよく回る。良いことだけど、なんか計算尽くしの恋愛はつまんないな。それに…申し訳ない。
今まで男にしてきた事と同じすぎて、染み付いた癖のように考えてしまう自分が嫌になる。
椿さんに対しては、素直な感情でいようと思ってたのに。
「ごめんなさい…」
「どうして謝るの?」
「あたし、椿さんともっと仲良くなりたくて……調子乗りすぎちゃった」
ほんとだよ、バーカ。
と自分の発言に自分で同調して心の中で責める。あまりに打算的すぎた今日の行いに呆れて、ため息をついた。
本物の恋を、いつもの偽物の恋に自ら変えようとするなんて……ほんとバカ。そうやって手に入った体温も心も虚しいだけなのに。
泣きたい気持ちで無意識のうちに胸元に顔をうずめて抱きついたら、椿さんは静かに髪を撫でてくれた。
「私も仲良くなりたいから…どんどん調子に乗っていいのよ?」
「……じゃあ、とりあえずおっぱい揉むね」
「そ、それはだめ…です」
もう考えもなしに揉みしだいてやろうとしたら、当たり前のように肩をやんわり押されて拒否られてしまった。
「まったく……仲良くなりたいって、そういうこと?」
「そういうことって?」
「れ、恋愛的に……って、こと」
「うん、そうだよ」
正直に伝えてみると、椿さんは面食らった顔をしていた。
「え……ほ、ほんとに…?」
「じゃなかったら、こんな風にくっつかないでしょ」
「…もしかして、またからかってる?」
疑いの眼差しを向けられたけど、素直に首を横に振る。これで引かれても、もう仕方ない。
「でも…友達としても普通に仲良くなりたい」
もう一つの本音も合わせて伝えてみれば、椿さんは少しだけ警戒心を解いたようだった。
その反応は傷付く気もするけど…まぁいい。引かれなかっただけマシ。
「恋愛は……応えてあげられるか分からないけど」
肩に置かれてた手が頬へと移動して、顔を上げて見てみたら、綺麗で優しい表情が視界を埋めた。
「お友達から…始めていきましょ?」
トクンと高鳴った心地のいい鼓動に、自然と頬が緩む。
「…はい!」
この恋がたとえ叶っても、叶わなくても。
椿さんがあたしを好きになっても、ならなくても。
どんな結末を迎えても、それが運命なら受け入れるしかないよね。
打算的な思考は捨てて、いつもなら絶対にしない運任せなこの恋を楽しもうと、表情管理さえやめて微笑んだ。
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