第23話「打算的」





















「それじゃあ、私は帰るわね」


 昼過ぎ、椿さんは振り向きざまに笑顔を見せた。


「作り置きのおかずは数日は持つと思うから…あと、ご飯も炊いたものを冷凍してあるから、温めて一緒に食べてね。他に何か…必要なものがあれば連絡して?熱は下がったみたいだけど、まだ油断しちゃだめよ?しっかり食べて、お風呂も入って、汗もたくさんかいて…ちゃんと寝るのよ?」


 玄関先で、まるでお母さんみたいなことをつらつら言ってくれる椿さんを、体調も良くなって戻ってきたいつもの表情管理抜群なにこにこ笑顔で眺める。

 昨日ちゃんと寝れたからかな?やけに思考は明瞭で、普段よりよく回りそうだ。


「寂しくなったら、いつでも連絡して?」

「今もうさびしいんですけど……どうしたらいいですか?帰らないでくれます?」

「ゆ、夕方には紅葉が帰ってきちゃうから…」

「まだ昼ですよ」

「で…でも」

「椿さん」


 わがままを言ってる自覚を持って歩み寄ったら、何かを警戒した椿さんの顔が赤く染まって、一歩後ろへ足を下げた。

 …かわいい甘え方なら良いって、朝に言ってたもんね。

 今朝の記憶を頼りにまたさらに距離を縮めて、あえて甘えた仕草で抱きついた。


「もうちょっと…一緒にいたいです」


 胸元に口元をうずめながら、かわいいと分かってる上目遣いで見上げて言ってみたら、分かりやすく綺麗な眉の形が八の字へと変わった。


「てか……椿さん、いい匂いする」


 そのままさらにゴリ押ししてやろうと思ったけど、それよりも鼻の奥まで届いた甘い花みたいな香りに意識を持って行かれて、スンスンと匂いを嗅いだ。

 香水…いや、柔軟剤かな?なんだろ。

 服越しの胸の柔らかさやあったかい体温も相まって、ついつい服の上からでも分かる谷間に向かって鼻を沈める。

 興奮なんかは全然なくて、ひたすらに心が落ち着く…ずっと嗅いでたいような香りを夢中で楽しみはじめたあたしの肩に、震えた手がそっと置かれた。


「さ、紗倉ちゃん…」

「ん……なんです…か」

「おっぱいは、やめて…?」


 怒らせたと思って少し焦ったけど…顔を上げてすぐ、羞恥で揺れた瞳があたしを射抜いた。

 その顔…えろすぎ。

 思わず、体を密着させたままムラッとしてしまった。

 それにしても、抱きつかれただけでその反応……


 …これは、チャンス。


「なんで……だめなんですか?」


 わざと相手の胸の辺りに手を乗せて聞いたら、赤い唇がきゅっと閉じられる。


「女同士だもん、何も問題ないですよね…?」

「っ…せ、性別は関係ないわ」

「ふぅん……じゃあ、椿さんは」


 人差し指を立てて、見せ付けるように膨らみの上を指の腹で撫でた。


「女に触られて……興奮するんだ?」


 挑発と、様子を窺うための言葉を投げて、意地悪く口角を小さく上げる。椿さんはそんなあたしを、なぜか悔しそうに見下ろしていた。


「お、おばさんをからかうのは……やめて」


 ごまかすために逸らされた顔を、動揺を隠しきれてない声を、逃すことなく観察する。

 ……反応からして、意外と女相手でも欲情するタイプっぽい。完全なノンケではないのかも。まぁ、そこら辺もおおらかそうだもんね。

 娘の楓も女と付き合ってるし、そのおかげもあって比較的受け入れやすい心境なのかな。


 だとすれば……押せばイケちゃう?


「ちなみにあたしは、興奮しますよ」


 こういう時は、正直に言うのが吉。そう判断して言葉を続けた。


「もしあたしがそういう目で見てるって言ったら…どう思いますか?」


 好意はさり気なく伝えつつ、押し付けることはしない。あくまでも確認程度に留めておく。

 椿さんは少し驚いた顔をした後で、すぐ辛そうに眉間にシワを寄せた。


「私は子供もいて……年も離れてるの。女の人が好きなのは別にいいと思うけど、その対象にはなれないわ」


 はっきり告げられても、傷付きもしない。その返しは予想通りでもあったから。


「逆に椿さんから見て、あたしは対象になりますか?」


 冷静に、相手の言葉を待つついでに、しっかり様子を窺う。

 明らかに動揺して目を泳がせた椿さんは、しばらく言い淀んでいた。……ここまでは想定内。優しい彼女だからこそ、こういう時に言葉を選ぶのは分かってたから。

 大事なのは、このあと。

 何を言うかで、今後の対応を決める。


「わ……分からない、わ…」


 薄く口が開いて、顔を伏せて伝えられたその言葉に満足感を得て、抱きついていた体を離した。

 

「分かりました」


 ここは一旦、引く。


「今のは気にしないでください。ちょっとからかいたくなっただけです。…反応おもしろくて」

「あ……も、もう。やっぱりからかってたの?」

「当たり前じゃないですか〜、本気で狙ってると思いました?」

「そ…れは、思ってないわよ、さすがに。こんなおばさん、紗倉ちゃんみたいな若い子が相手にするわけないもの」

「いやいや、年の離れた女のあたしから見ても魅力的だとは思いますよ?」

「そ、そうやって…またからかってるの?褒めたって何も出ないんだからね」

「何も出なくても褒めますよ。ほんと魅力的だもん。同性として尊敬しちゃうくらい」

「嬉しいけど……恥ずかしいから、もうやめて?」

「うん、やめます」


 きっぱりと諦めて、戸惑う椿さんの反応を楽しむ。


「紗倉ちゃんって…何考えてるか分からないわね」

「何も考えてないですよ」

「そう……そろそろ、帰ろうかしら」

「はい。下まで送りますね」


 どうしてか僅かに不満そうな顔を浮かべた椿さんを連れて、部屋を出る。


「昨日と今日で……ほんと色々ありがとうございました」

「いえいえ。また何かあれば気軽に頼ってね?」

「はい!そうします!」


 元気に気さくに見送って、満面の笑みで手を振り続けて、


「……なるほどね」


 椿さんの姿が完全に見えなくなってから、表情作りをやめて真顔に戻した。


「分からない、か…」


 あそこではっきりと「対象にならない」と言わなかった時点で、脈アリではないものの完全に脈ナシでもないことが分かった。

 …あとはなにより「男が好きだから」って言葉が出なかった。これはデカい。

 真っ先にそれが出てこない時点で女と付き合うことに対しての抵抗はないって言ってるようなもんでしょ。

 それでも念のため、“優しいからこそはっきり言えなかった”という可能性も視野に入れておく。ありえない話ではないから。

 他にも色々…“子供がいる”、“年が離れてる”って責任感のある性格や、言い訳じみた自信のない発言からして気後れしてるだけで、あたしや恋愛自体に興味がないわけでもなさそう。


 とりあえず対応さえ間違えなければ、口説ける未来が見えてきて、ひとまず安心する。


 恋愛に踏み出せないのは、ひとりの女である前に母親であることを優先しすぎた弊害かな。だとすれば…時間をかけて、それをじっくりゆっくりと女に戻してあげればいい。

 寝ぼけたあたしに胸を吸われて感じるくらいだから、女としての欲求不満は密かに溜めてるっぽい。本人にその自覚があるかどうかは分からないけど。


 とりあえず、方針は決まった。


 椿さんの中の女を、存分に引き出そう。


 まずはさり気なく……性感帯でも探してやりますか。





 


 











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