第22話「変な甘え方」






















 あったかい。


 顔を潰している温かさの元に手を伸ばして触ったら、じっとりと吸い付くような感触が返ってきた。

 ふわふわで、指が沈む感覚が恐ろしいくらいに心地よくて、安心して……夢の中の出来事かと錯覚するくらいに、指先から伝わってくる柔らかさは、柔らかすぎてどこか現実味がなかった。

 その肉感に包まれて呼吸を浅く繰り返していたら、空気を吸うたびに甘すぎない花の香りが鼻孔いっぱいに広がる。


「おかあ、さん…」


 夢心地の中、どうしてか…嫌悪の対象であるその存在を呼んでいた。

 邪魔な布を目を閉じながら、手の感覚を頼りに雑に捲り上げる。

 もぞもぞと顔をさらにうずめさせて、居心地のいい位置を探していたらちょうど見つけた、感触が他とは少し違うところに口元が辿り着いた。

 気が付けば自然な流れでそれを口に含んで、自分が何をしてるのか理解しないままちゅうちゅうと吸いついていた。


「おかあ…さん……おかあさん…」


 何度も何度も、母親なんて忌み嫌ってるはずなのについ呼んじゃって、だけどそんな自分の愚かな行動にすら気が付けないくらい、意識は寝ぼけてぼんやりしてた。


「椿…さん」


 母親を求めていた脳は、気が付けば彼女の姿へと変えて浮かばせてきた。


「ん、う…?な……に…」


 名前を呼ばれたことで目を覚ましたのか、頭上から寝ぼけた声が聞こえてくる。

 それも構わずよく分かってない思考のまま、さらに強く吸い上げたら、


「っや、ぅん……」


 逃げるように、体が後ろへと跳ねた。


「は…あ……椿さん…」

「へ?ま、ま…待って?紗倉ちゃん、なに…」

「もっと…」


 単純に体温が離れたことが寂しくて腰を抱き寄せてまた口に含んだら、慌てた動作で肩に指が置かれる。


「だ、だめよ、こんなこ…と、ぁん…っ」


 止めようとしていた手も声も、舐め上げた動きに合わせて反応を見せて、咄嗟に椿さんは自分の口元を押さえたらしい。

 しばらく、鼻から抜けるような声が何度も漏れて、体全体がふるふると震え出して、次第にあたしの意識はハッキリと現実へと戻ってきた。

 あ、れ………今、なにして…


「っふ…う……く」


 息を止めてるみたいな、苦しそうな呼吸音が耳に届いて、驚いて顔を上げる。


「ぅ、あ……さくら、ちゃん…」

「へ……?」


 切なく下がりきった眉と、とろけて潤んだ瞳と目が合った時、何が起きてるのか分からなすぎて思考は止まった。

 な、な…なんで、そんなえろい顔…してんの?

 気のせい…?あたかも感じてますっていう風に見えんの、あたしだけ?…え?


「つ、椿さん…なにしてんの?」

「っそ、それはこっちのセリフよ!」


 いきなり声を荒らげられて、びっくりして肩を竦ませる。

 あ、あたしもしかして…寝ぼけてなんかしちゃった?

 怒らせたのが怖くて目に涙を浮かべたら、顔を赤くして怒り心頭だった椿さんの表情が途端に困った様子で眉を垂らした。


「も、もう……甘えるのはいいけど、もっとかわいいやり方にしてちょうだい…?おばさんだって…この年でも、その……あれなんだから」

「あれ…って?」

「いっ、言わなくても分かるでしょ?ほら、あれよ……あの、一応これでも…お、女なのよ…?」


 さっきから、なんの話か分からなくてひたすら戸惑う。女なのは普通に見てわかるんだけど…なんで急にそんな話…?


「へ、変なことされたら変な風になっちゃうって…言ってるの」


 変な、こと……変な風…?

 あたしさっきまで、なにしてたの?

 未だどこか寝ぼけた頭にはてなマークを浮かべまくってきっとアホな面を見せていたら、悔しそうに椿さんの目が細まって睨まれた。


「っお、おばさん相手だからって……何してもいいと思わないで…!」

「あ……ご、ごめんなさい…」


 とにかく怒らせてることだけは分かって、怯えながら謝る。


「む、娘にやられるのとは訳が違うのよ?それに…あ、あんなやり方されたら困っちゃうわ?せめてもっと普通な感じで…」


 その後も続いた説教も、大半は何についてのことか分からなくて、ただただ泣かないようにだけ気を付けて何度も謝罪の言葉を並べ続けた。

 椿さんはずっと赤らんだ顔でプンプン怒っていて、何かをごまかすみたいな口調でさえも嫌われた…?とビクビクして、顔色を伺うだけの時間が数分。


「ま…まったく。人のおっぱい触って…」

「え」


 そして最後の最後に、ようやく自分の犯した失態を椿さんの口から聞けた。


「ん?ま…待って、今、なんて…?」

「?……お、おっぱい…吸ってたじゃない、紗倉ちゃん」

「は!?」


 思わずバッと身を引いて体を離したら、視界に飛び込んできたのは裾を鎖骨の辺りまで捲り上げられて、その色白な肌を露わにした…あられもない椿さんの姿だった。

 それを見て、今まで言っていたことの意味をようやく理解する。

 同時に、怒っていた理由も本当にやらかしてしまった事実にも気が付いて、全身から血の気が引いていった。


「あ……あ、あたし…」


 視界が、涙で滲む。


「ごめん…なさい」


 喉の奥に詰まりそうだった謝罪の言葉をかろうじて投げたら、椿さんは「まったく…」と小さく呟いて苦笑した。


「今度からは、気を付けてちょうだいね?」


 寛容すぎる優しさに心救われて、何回も何回も頷いた。

 ゆ、許してもらえて……よかった。

 心底ホッとした後で、次からは本当に気を付けよう…と珍しく本気で反省した。


 に…しても。


『せめてもっと普通な感じで…』


 あれってつまり……普通のやり方なら甘えていいってこと?

 付き合えたりしなくても、ワンチャンおっぱいはイケるんじゃ…?なんてポジティブに考えて、それならどうしようかな〜と、呑気でバカなあたしはすぐに沈んだ気持ちを切り替えた。

 未だ混乱しまくった頭で今さっき言っていた言葉たちを思い返して、きっと普段ならしないような解釈をし始めた思考回路に、気付く人間はいなかった。

 久々に深い眠りにつけたのも相まってか、おかげで風邪も治って、頭の中は妙にスッキリしてる。


 椿さんと寝るの、最高すぎ。


 寝ぼけておっぱいだけは吸わないように……今度また泊まった時も、甘えちゃおっかな。

 反省してるようでしてなかったかもしれないあたしを、


「…元気になってよかったわ」


 さっきの怒りはどこへやら…な椿さんは、どこまでも穏やかな表情で眺めていた。























 





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