第18話「タイミング」
散々、泣いて暴れて。
渚も楓も平日だというのに泊まってくれるらしくて、ひとり暮らしにしては広い風呂場で一旦自分の気持ちを落ち着かせるために、あたしは熱いくらいの湯船に冷えきった体を沈めていた。
ふたりは今、買い出しに出かけてる。
あたしのために、夜ご飯を用意してくれるとか言って、仲良く手を繋いで出かけていった。
「はぁ〜……ちくしょう…」
羨ましい。
どんなにあのふたりが優しくしてくれても、あたしはその間に入ることはできない。多大な愛情を受けることもない。
あくまでも…どこまでも、友達でしかない。
…そう考えると、あたしは今まで誰かの特別になったことがない。
付き合ってきた男達も……そのほとんどが体目的だったし、あたしもその方が楽だったから自らそう望んでた。むしろ心まで求められたら、面倒くらいに思ってた。
愛されることを、自分から拒絶してた。
今は……渚たちの優しさに影響を受けたのかな。
愚かなことに……誰かに愛されてみたい。
バカげたことを、考える。
いや……ほんとはずっと、本心では思ってたのかも。
愛を知らないから、誰からも愛されないし誰も愛さない。そう勝手に思い込んでたけど、そんなあたしにさえも渚と楓は愛に近い、温かな何かを与えてくれた。あの安心する心の感覚を、さっきから忘れられない。
愛されたい。
「……椿さん…」
できるなら、彼女に。
渚でも楓でもない、清いあのふたりには今後も無いだろう男との行為を経験してて、女同士のあのふたりには無縁な…子供を産む大罪を犯してて、それなのに体も心も美しさを保ったままの彼女に、その母性に、愛情に。
包まれて、眠りたい。
「…明日、会いに行こうかな」
平日だから、会えるのは夕方になる。
会う時間が遅くなる事を口実に泊まらせてもらって…たとえ眠れなくても、そばで存在を感じていたい。
寝不足で会ったら今日みたく感情的になりそうで怖いけど、今夜は渚たちのおかげでいつもよりは眠れそうだから……睡眠不足も解消できるかな。
しっかり寝て、冷静な頭で会えば問題ないはず。そんなすぐ眠くもならないで、椿さんとの時間を長く楽しめるはず。
それを期待して、さっそく誘おうと風呂場まで持ってきていた、防水ケースに入ったスマホを開いた。
連絡ツールアプリを開くと、相変わらず過去の男達からの連絡は尽きない。前までは暇になったらこの内の誰かとヨリを戻してセックスにでも明け暮れてたけど…
「妊娠…か」
今はその言葉が強く残っていて、とてもじゃないけど命を宿すかもしれない行為をする気持ちにはなれなかった。
男からの連絡は無視して、椿さんとのメッセージ画面を開く。ちなみに椿さんとは…普段使いと男遊び用どっちのスマホでも連絡先を交換してる。なんとなく、念のため。
「あ」
ちょうどそのタイミングで、相手からメッセージが送られてきた。こ、これじゃあ…あたしがずっと開いて待ってたみたいじゃん。
謎のプライドが傷付いて、心が羞恥で染まるものの…せっかく送ってくれた椿さんの言葉を無視するわけもなく、目を通す。
『明日の夜、家に誰もいないの』
誘い方……えろくない?
「はは…まじ小悪魔」
言葉選びが誤解を生みそうなもので苦笑しながら画面をタップして文字を打っていく。行ってもいいですか……と。
『よかったら…遊びに来ない?』
送る前に、追加でメッセージが入った。
「もちろん」
打った文字をそのまま口に出して、時間なんかを決めて、一安心してスマホを閉じる。
なんか…タイミング良いな。
いつもいつも、諦めようかと思えば会うし、こうして会いたいと思った時に連絡が入ったりする。これはいよいよ本気で運命って思っちゃいそう。バカって分かってても自惚れるわ。
浴槽のフチに腕を置いて、頭を預ける。
「はやく、会いたいな…」
思い馳せて、椿さんの事ばかりで脳内を埋めていたら…湯船に浸かっていて体温が上がった事も相まって、大きな失態を犯した。
瞼が、勝手に下がってくる。
抗う余裕もなくて、体が出す信号に従うまま目を閉じて、そのまま……風呂場で見事に爆睡した。もはや、ほぼ気絶みたいなもんだった。
タイミング良いと、思ってたのに。
幸い渚たちが帰ってきてすぐ気が付いてくれて、死ぬようなことはなかったけど…
「だる、すぎ…」
翌日の朝、盛大に風邪を引いた。
今日はせっかく椿さんと会える予定が入ってたのに、この体調じゃ外に行くのすら難しい。移すかもしれないし、それも嫌だ。
渚達はそれぞれ仕事と大学へ向かって、今日もまた夕方に来てくれると言われたけど、さすがに悪いから断った。また昨日みたいに悪夢を見て当たり散らかすのも嫌だったから。
ひとり、ベッドの上でため息を吐く。
「タイミング…わる」
運命だと思ったら突き落とされて、そうじゃないと思ったら運命を突きつけられる。なんなの?神って性格悪すぎない?会ったら一発ぶん殴ってやる。
神にすら盛大な八つ当たりをかまして、目を閉じた。
熱のおかげで意識が朦朧とするから、それでそのまま眠りにつけることだけが唯一の救いだ。風邪を引いてもなお寝れないとかだったら、いよいよ頭がおかしくなるところだった。
このまま、寝よ……
手放そうとした意識は、着信音によって現実へと引き戻される。
「チッ……誰だよ、うざったいな」
悪態をつきながらスマホを開いた。
「うん、許す」
だけど画面に表示された名前を見て機嫌を良くして、ニコニコ笑顔で通話に応じた。
「もしもし、椿さん?」
『あ…紗倉ちゃん。ごめんなさいね、こんなお昼に』
「いえいえ。休憩中ですか?」
どう頑張っても鼻声になるから、それを利用して鼻にかけたかわいい声を出しておく。ガラガラで掠れた声とか聞かせらんないから。
『実は今日、仕事が早めに終わったの。それで…紗倉ちゃん熱あるって言ってたから、今から看病しに行きたいなって……だめかしら?』
「え」
そ、れは……どうしよ。
椿さんが家に来てくれるのは嬉しい、けど。
今は髪もボサボサだし、すっぴんで…服だって適当な部屋着。とてもじゃないけど見せられない。
「あ、えっと…どのくらいで、着きます?」
『場所にもよるけど、ちょうど出先で……○○大学の近くにいるから…』
やば。
そこ…あたしの通ってる大学じゃん。
だとしたら数分で着いちゃう。
「き、今日は、ちょっと…だめ、かも」
『そう……残念だわ。看病ついでに顔を見て安心したかったんだけど…』
そんな、ことを…そんな寂しそうな声で言われたら。
「……大学の、すぐ近くのマンションです」
バカなあたしは、見た目とか気にする余裕を失くして、自分の家の住所を伝えていた。
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