第16話「三日三晩」
頭が、突っ張ってる感じがする。
目はガンギマリで、いつもパッチリな二重はもはやその線を濃くしすぎて目力がやばい。結膜はガンギマリすぎて充血もしてる。
意識は、睡眠なんて知らないんじゃ…?ってくらい、ハッキリしてる。ハッキリしすぎてて、逆につらい。
「クッソ……寝れない…」
三日三晩。
日中は大学の講義や、友達とご飯に行ってみたり、楓とダイエットがてら外を走りに行ってみたり、渚に勉強を教えてあげたり、なんとかして体と脳を疲れさせて寝ようとしてるのに。
見事なまでに、徹夜の日々が三日も続いてる。
夜は…お得意の男遊びも今はできないから、気持ち的に男とセックスなんてしたくないから、家の掃除をしてみたりAV鑑賞してみたり。だけどそれも睡眠を誘うためというよりも睡眠をさらに遠ざける作業で、眠れるはずもなかった。
「はぁ〜……クソ!寝れない…!なんでだよ。寝ろよ!いい加減にしろよ、あたし……クソがよ…!」
ベッドの上で頭を掻きむしって、それだけじゃ治まらなかったイライラを発散させるためにシーツの上に強く拳を振り落とした。
睡眠の足りてない頭は無駄に怒りを沸き上がらせて、耐え切れずに何度も暴れるように枕に頭を叩きつける。
気が狂いそうな感覚に、盛大なため息を吐き出して体を起こした。
「……椿さん…」
こんな状態でも唯一、あたしに睡眠を与えてくれそうな存在を求めて、無意識のうちにスマホを開く。
時計は、深夜を優に超えた明け方の時間を表示していた。
…さすがに、迷惑か。
血迷った自分を落ち着かせて、スマホを放り投げて仰向けで横になる。
結局、その日もあたしが眠れることはなく。
「おはよう……って、珍しいね。桃、今日はすっぴんなんだ」
「…………話しかけんな、クソ」
「どうしたの、何かあった?」
翌日、もう見た目を取り繕う余裕すらなくて化粧もお洒落もしないまま大学へ行って、ばったり会った渚に理不尽な八つ当たりをかました。
そんなあたしの態度を気にすることもなく、怒ることもなく…むしろ心配そうに顔を覗きこまれた。
いつもなら優しくて落ち着く渚のその表情と仕草にも、今は訳もわからずイラッとしてしまう。
「桃…もしかしてまた寝れてないの?」
「うっさい、渚には関係ないでしょ」
「彼氏と喧嘩でもした?」
「黙れよ!!!」
“彼氏”って単語に過剰に反応した心が、拒絶したい気持ちで声を荒げさせた。
さすがの渚も驚いて目を見開いて、身を後ろへ引く。
「ど、どうしたの、ほんとに」
「彼氏なんていないから。ってか、それが作れないからこうなってんの!うざいな!」
「桃、落ち着いて」
「っっぅ………はぁー、そうだね。ごめん」
肩に手を置かれて真っ直ぐに言葉を伝えられてやっと、心が平静を取り戻した。
⸺なにやってんだろ、あたし…渚にまで、こんな風に当たり散らかすなんて。
かれこれ四日目に入る睡眠不足は、ついに脳だけでなく友人関係までも破壊しようとしていた。行き場のない怒りに似た何かは、ため息と一緒に逃しておく。
「今日はもう…帰る」
「え?講義は」
「いい。ツテならあるから」
単位なんてもう関係ない。今は誰かと過ごしたり、外にいるよりも家にいた方が良さそうだから。
踵を返して、渚を置いてせっかく来た大学の敷地内からすぐ出て行った。
その足で徒歩数分のマンションへ帰って、嫌になるくらい静かな室内で、ひとり。
「……寝たい」
ただ何もせず、何もできず、一向に襲ってこない睡魔と戦う機会も与えられず、ベッドの上でぼーっとして過ごした。
そして気が付けば、閉め切ったカーテンの隙間から入ってきていた日光も消えて、外も部屋も暗くなった夕方になった頃。
インターホンが、音を鳴らした。
誰…?
疑問に思ったけど、対応するのもだるくて無視する。どうせたまに来る面倒な勧誘だ。ここはオートロックだから…1階のロビーから来ることもないだろうし、だいじょう……
ガチャリ、と。
玄関の扉が開く音がする。
鍵を開けられた。
こんな事できるのは……ひとりしか、いない。
「…桃ちゃん」
だけど予想と違って、部屋に入ってきたのは頭に浮かんだ唯一合鍵を渡していた相手、渚…ではなく、
「楓…?なんで」
椿さんに目元以外はそっくりな女、そして実の娘でもある……楓だった。
「ごめん、さすがにふたりきりはだめだって。だから皆月さんも連れてきた」
あたしの疑問に答えを返したのは、その後に続いて入ってきた渚で…ふたりの姿に、ただただ戸惑った。
「何しに……来たの?」
「寝かしつけに来た」
なんでもない声で答えた渚は、少し驚いた顔であたしの部屋を見回した。
「というか……だいぶ、綺麗になったね」
そういえば掃除が趣味になってから、渚はここに来たことなかったっけ。服が散らばりまくった部屋しか見たことないからか、今の整理整頓された部屋の様子に慣れないみたいだった。
なんかその反応が嬉しくて、小さく笑って、体を起こす。
「お茶でも飲む?用意してあげ…」
「だーめ、今は何もしないで?」
ベッドを降りようと足を床に付けたら、楓が優しく肩を押して、あたしの背中はまたベッドの上へと沈みこんだ。
「…なに、3Pでもするつもり?」
「さ、さん…?」
「こら桃、皆月さんの前では下ネタ禁止」
押し倒してきたからてっきりそうだと思ったのに…どうやら違ったらしい。
「今日は、三人で寝にきたの」
楓が、ニコッとかわいらしく笑って言う。
「やっぱ3Pじゃん。あたしはいいよ?あ、役割どうする?どうせ楓はネコで渚がタチでしょ?あたしどうしようかな…」
「ねこ?たち…?」
「や、やめて桃。ほんとやめてあげて」
頭にはてなマークを浮かべる楓と頭を悩ませた様子の渚の対比が面白くて、吹き出すように笑った。
「うそだよ、ばーか。…で、ほんとに三人で寝るためだけに来たの?なんか他に話があるんじゃ」
「ないよ」
あたしの言葉を遮って、渚はベッド脇に腰を下ろす。
「……桃」
珍しく、渚の手があたしの方へ伸びてきた。
「何日、寝てない?」
髪を撫でると同時に、見透かしたような視線と質問を向けられた。
「………三日は、寝てない…」
嘘をついても仕方がないと、正直に話した。
渚はどこか呆れたように鼻から吐息を漏らして、楓は心配そうに眉を垂れ下げた。
「なんでもっと早く言わないかな」
「……あんたらには関係ないじゃん」
「関係あるよ」
呆れ通り越して、怒らせたみたいで、
「私達は、親友でしょ?頼ってよ」
大人びた静かな声に似合わない、渚にしては滅多に見せない、子供みたいに拗ねた顔を見せた。
「…そう、だね」
近くに居すぎて、気付いてなかった。
何も、椿さんじゃなくても。彼女以外にも。
あたしにはこういう時に助けようとしてくれる、大好きで大切な大親友がいたことに。
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