第15話「不眠症改善…?」

























 椿さんとの食事を終えて、誰もいないひとり暮らしの家へと帰った。

 部屋に着いてすぐ、めんどくさくなる前に服を脱ぎ捨ててお風呂に入って、化粧を落として体を洗って、髪のケアだけはお風呂でも、お風呂を出てからも入念にして、全ての作業が終わった後で、寝室の床に散らばる服を蹴飛ばしながら、ベッドの上へと倒れ込んだ。

 体は疲れてるから、今日こそはひとりでも眠れるかなと思ったけど…


「はぁ……だる。なんで寝れないんだよ」


 瞼は重いのに眠気は来ないチグハグな自分の体の状態にイライラしつつ、さっさと寝てやろうとスマホを手に取る。


『あ…ん、あっ』


 日課であるオナニーを始めるため、適当な動画を選んで買って、仰向けで天井に向けて手を上げて、その手の中に収まった肌色の画面を眺めた。


「…萎える」


 だけど困ったことに、興奮しない。

 椿さんと出会ってからというもの…ずっとこうだ。

 男女のセックスを画面越しに見てても気分は萎える一方で、前はおかずになった動画達も、今は目に入れることすらしたくない。

 …性欲が、薄れてる気がする。

 もうかれこれ1ヶ月は誰とも体を重ねてないというのに、自分で触ってすら、■ッてすらないというのに…困ったことに、それでも困らないという矛盾を抱えていた。

 少し前なら、ほとんど一日も空くことなく彼氏を作っては変え、作っては変えを繰り返してた。彼氏がいなかった期間は、どんなに長くても…たぶん数週間もない。

 渚と付き合ってる時でさえ、発散できなかった欲はひとりの時に発散しまくってた。

 このあたしが、1ヶ月も。

 よく耐えてるよね、と自分で自分を褒める。

 正直、椿さんといると肌に触れなくても自分でもよく分からない何かが満たされてしまう。だから、セックスなんて、オナニーなんてしなくても余裕だった。


 ただ、それで眠れなくなるのは困る。


 おかずにできないということは、体を疲れさせて無理やり寝るといういつもの流れが出来なくなるということで…つまりあたしの不眠症をより悪化させる原因にもなっていた。


「……椿さん」


 スマホを雑に置いて、掴めない何かを掴みたい手が天井へ伸びる。


 セックスがしたいというか。


 体温に、触れたい。


「…寝れないな」


 あの体温を知っちゃったら、もうひとりでなんて眠れない気がしてきた。

 たった、一部。

 手のひらを頬に当てただけで落ち着いたあの時のことを思い馳せて、それを再現させたくて、自分の手のひらを頬へ押し当てた。


「……冷たい」


 もう季節は夏に近くて、気温は高く暑くなってきていて、今も室内はクーラーもつけてないから高い温度を保っているというのに、あたしの手は虚しいことに冷え切っていた。


「あったかいのが、いいな…」


 どうしたら、また触れられるかな。


 AVをおかずにできないなら、椿さんの肌に触れる妄想をおかずにしてみようと、想像を巡らせた。


『紗倉ちゃん』


 クールな印象の瞳が、温かく細まる。


『そっちもおいしそうね。食べさせて…?』 


 年相応に落ち着いた、甘えた声でお願いされて、


『あー…ん』


 待ち侘びた口内へ食べ物を運ぶ。


『んぅ……ん〜!』


 すっきりした輪郭の頬を、まるくかわいく膨らませて、一生懸命に、おいしそうに咀嚼する。


『ん、く…』


 こくん、と。飲み込んだ喉が小さく動く。


『んふふ、おいしいわ…!』


 赤い大人びた唇の端に食べ物の欠片をつけて、子供みたいに、微笑む。


「あー…」


 だめだった。


「かわいすぎる」


 とてもじゃないけど、おかずになんて出来ない。


 たまにフ■ラしてるみたいだなー…って時あったからイケると思ってたのに、いやらしく感じる気持ちより、慈しむみたいな気持ちの方が勝ってしまった。

 それはそれで幸せな気持ちになれるから別にいいんだけど……でも、それだと寝れないんだよね。


「はぁ……なんか暇つぶし、するかな」


 それで睡魔が襲い掛かってきて、体が限界を迎えて、意識が途切れる瞬間がいつか来ることを期待して、とりあえず起き上がってベッドを降りる。

 降りてすぐ、床に落ちていた服が足の先に絡んで、それを見下ろして…ふと。


「掃除とか…しちゃう?」


 柄にもなく、普段は出てこないような選択肢が浮かんで、さっそくそれを暇つぶしの作業にしてみようと足元の服を掴んだ。

 1枚拾ったら、芋づる式に付いてきた服もついでに手に持って、一歩踏み出したらまた足にぶつかる服を拾い上げて…同じ動作を何度も繰り返して、部屋中の服をかき集めていった。

 無心でまとめた服達は小分けして洗濯機にぶち込んで、洗剤が無かったから、いつもなら絶対しないけど面倒だからすっぴんで寝間着のまま部屋を出て1階のコンビニで適当な洗剤を買ってきて、また部屋に戻った。


「ん…この柔軟剤の匂い、椿さんの家と同じかも」


 たまたまアタリを引いたらしい。それともこれも、なにかの運命なのかな。

 そんな事を考えながら洗濯機のボタンを慣れない指先で押して、回り出したのを確認して一旦は一安心。

 洗い終わるのを待ってる間も暇だったから、ついでと思って部屋中の掃除を始める。服が多すぎて、着てないやつもあったから、それはとりあえず大きめの袋に次々入れていった。そのうち捨てるか売りに行こ。…友達にあげるのもアリ。


 そうして、床全体がようやく姿を見せた頃。


「まぶし…」


 カーテンの隙間から入り込んだ朝日がちょうど顔を照らして、目を細めた。


「もう……朝じゃん」


 その事にすら気が付かないほど掃除に熱中していた自分に驚く。


「結局……寝れなかったな…」


 ため息をついて、どうせ寝れないならもういいやと開き直ってカーテンを開けた。途端に、目を開けられないほどの光が体を包んで、反射的に瞼を閉じる。

 そういえば家にいた時……こんな風にカーテンなんて開けたことなかった。


「こんなに……部屋って明るくなるんだ」


 まだまだ汚いものの、それでもそれなりに綺麗になった、太陽光に照らされた室内を見渡して、感動を覚える。


 なんだか心まで……綺麗になった気がした。


 そんなわけはないんだけど。


「はぁ〜、ここまで来たら、最後までがんばろ!」


 大きく伸びをして、本格的に掃除に取り掛かろうと声を出した。


 人生で、自分で部屋の掃除をしようなんて思ったのは、この時が初めてだった。それまでは、家政婦とかを定期的に雇ってたから。


「ははっ……なんだ、掃除って楽しいじゃん」


 こうしてあたしに、掃除という暇つぶしの選択肢が、新たに追加されたのだった。































 









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